deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

105・プルストン

2019-04-10 16:48:28 | Weblog
 生活雑貨屋の脇の階段を二階までのぼる。「プルストン」の入口ドアを開けると、簡素にして清潔な店内がひろがる。ガチャ目だけどかわいくて優しい、いつも笑顔のママ。ぶっきらぼうだけど、几帳面で生真面目なマスター。新しいバイト先は居心地がよく、結局卒業までお世話になった。(ちなみに、卒業後にこの物件を訪ねてみると、プルストンはなくなり、入れ替わりにジョーハウスが入っていた!)
 エプロンを着けるのは恥ずかしかった。オレの着ている服がボロボロなだけに、ファンシーなプリント柄の違和感が半端ない。「いらっしゃいませっ」の声も照れくさい。それは、バンカラ文化からはるか隔たったセンテンスだ。最初はか細い声で、誰にも聞かれませんように・・・と、遠慮がちに発声していた。が、相手に聞こえないと二度めを大声で発する必要が生じる、というジレンマに至り、一発合格が出るように、徐々に声を張るようになっていった。
 午後5時半に店に走り込み、エプロンを装着。お客さんがいないヒマな間にメニューを見て、品名と料金を記憶する。お客さんが来店したら、笑顔をつくって「いらっしゃいませっ」をやり、お冷やを運ぶ。オーダーを伝票に書き取り、マスターに伝える。料理ができたら、席に運ぶ。ホールと、手が空いたら皿洗いに、コーヒーまで入れる。午後10時に賄いを食べさせてもらって上がりという、バイト単独シフトだ。人気店なので、開店と同時に、七つの四人掛けのテーブルと、四人まで座れるカウンター席がたちまち満席になる。最初はパニクったが、すぐに効率よく立ち回れるようになった。オレって頭がいいし、段取りを即座に組み立てられるし、計算も早いし、才能があるのかもしれない。村さ来の洗い場のように機械的に働かされている感もないし、自由に歩き回れて、店内の空気をコントロールできるたのしさもある。金稼ぎ、という以上の働く意味を知った。
 食べるものも美味しいし、安くて大盛りでみんな満足してくれるし、ここで働けることが誇らしくなってくる。仲間たちがきてくれるのもうれしい。客がオレの友だちだと勘づくと、マスターは大盛りをさらに増量してくれる。これもありがたい。学内の名物キャラクターも、代わるがわるに現れる。怖い先輩たちも、カウンター越しに見ると、意外に普通の苦学生であることがわかったりして、隔たりが埋まるのを感じられる。キャンパスのマドンナである、一年上の日本画科のコスギさんがくるときなどは緊張する。まばゆいばかりに可愛ゆく、性格もいい彼女は、学内の誰もが認める正真正銘の「ミス美大」なのだ。その彼女が、なぜかカウンター席に座るのだ。彼女はいつも、取り巻きの背の高い格落ち美女と連れ立ってくるのだが、どういうわけか常にふたり並んでカウンター席に陣取ってくれる。カウンターの対面で洗い物をするときなど、輝かしきご尊顔が正面にあると思うだけで、ワキ汗が噴き出して止まらない。目を合わせるなんて、決してできない。顔も真っ赤になっていることだろう。そんなオレの様子に勘づき、マスターは彼女のピラフを特盛りにしてくれる。違うだろ!とツッコミを入れたくなるが、仕方なくミス美大の前にそれをお出しすると、コスギさんは目を輝かせ、天を衝くような炒め飯の小山をぺろりと平らげてしまうのだった。そして「タッチ」の双子の弟の方が死んでしまったことを隣のノッポ女子に熱く熱く語り、テーブルを叩かんばかりの勢いで嘆くのだった。ミス美大のそんな姿を見てオレは、ああ美大の女とは恋愛をするべきではない、と嘆くのだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園