deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

103・ラジオ体操

2019-04-08 21:32:06 | Weblog
 で、美大祭が開幕したわけなんである。とりあえず、自分の店の焼き鳥を焼かなきゃならない。しかし、男尊女卑思想が横行する昭和時代のこと。シフト制で店番が決められてはいるが、厨房は女が守るもの、という感覚が浸透している。男子はデンと座って酒をあおり、女子は自ら進んで調理番をしてくれる。まことに好ましい時代と言える。ところでオレ、今だによくわからんのだが、「男子も子育てをせよ」な意見って、「女子も嵐の夜に屋根の修理をしろ」って条件と等価交換してくれるんだろうか?男子もまあ、子育てはしよう。だけど、こうした家庭の男女の目の前で、すわケンカ、すわ強盗、すわ戦争、となったとき、女子の方もまた、拳を固めて暴漢に立ち向かうことを要求されるのは必然となる。フェミニズム信奉者は、しっかりとこの点を確約してほしいものだ。ええと、で、なんだっけ?男子は店番をサボりがち、って話なんだった。ここで考えてみてほしい。店づくりの大工仕事で相当の汗をかいたのだ、男子たちは。女子たちはそれをただ見ていただけなのだ。ここは「力仕事」と「家事」のフェアトレードといこうではないか。これが昭和時代の平穏な家庭というものだ。ひと仕事を終え、ビールカートンに座り、股の間からビンを抜き、次々と飲み干していくダメ亭主たち。そして女子たちは、厨房でアテをこしらえつつ、「まったくもう」と、それでもほがらかに笑って甲斐甲斐しい。正しい男女間の姿(「バンカラ文化における」と注釈を付けておこう)がここにあると思いたい。
 さて、自分たちの店で血液をアルコールに慣らしたら、いよいよ他国への遠征に出動となる。が、さすがは頼もしきわれらが女子たちである。金の請求だけは怠らない。これも女子の習性なのだが、ゼニの問題となると決して容赦がない。そんな~ツケにしてよママ~、ダメよっうちは現金払いオンリーです、ちえ〜わかったよ〜ホラ〜、毎度アリっはいよっおつりの五十マン円ね、ちえ〜しっかりしてらあ〜、あたりまえよっうふっまた遊びにいらしてね・・・このようなやり取りが、毎度くり返されることとなる。男どもは、自分の店の売り上げを自分たちで積み上げているのだから世話はない。
 こうしてフトコロさびしい中、他店の様子を見にいく。各テントの客の入りをのぞいてまわり、知った顔を見つけては、あるいは見つけられては、では、と異国間交流に励む。こうしてほぼ深夜の12時頃までは、真面目な営業と金額のやり取りが行われる。ところが!それ以降となると、どちらサイドの思考能力も著しく低下し、記憶もおぼろとなっていく。商取引のうやむやがはじまり、関係がぐちゃぐちゃになり、意識混濁、信頼崩壊、愛憎相まみえる大騒動、大喧騒が開始される。誰もがへべれけ、千鳥足、前後不覚。ものすごい怒声の熱気で天井を膨張させているテントもあれば、しんみりと肩を抱き合い泣き暮れるテントもある。フォークゲリラ(ギターの流し)たちが徘徊し、歌声を振りまいている。裸の女子がくねくねと腰をくねらせ、その裸体に絵の具をぬりたくる即興ボディペインティングショーにひとだかりができている。外で打ち倒れた酔っ払いの背中に霜が降りている。中で眠りこけた者にはからだ中に落書きが施されている。美大生の落書きは凄絶だ。完全に酔いつぶれた者の身ぐるみをはがし、首から足先までの全身にびっしりとウロコを描き込み、再び服を着せ、しれっと素知らぬ顔を決め込むのだ。酔いを覚まして起き出した彼には、銭湯で鏡を見るまで蹂躙されたことが自覚できない、というわけだ。まったく恐ろしい・・・
 こうして空が白む午前6時半、まっさらな朝日に照らされるキャンパスに、ラジオ体操のテーマソングが響き渡るのだ。冴え冴えと冷え込む時間帯。なんとかテント内で生きながらえた者たちは、体操のお兄さんの明るすぎる声に、重たい背中を起こす。そしてゾンビのような足取りでグラウンドに集まったかと思うと、本能でか、円陣を形成する。この亡者の群れが、結構バカにできない人数なのだ。
「ラジオ体操第一、よう〜い」
 健康すぎる長調一辺倒のピアノを空々しく聴きつつ、きしむからだをぐだぐだと動かす。これでやっと美大祭の一日が終了である。各自、家に帰って、あるいは各テントに戻って眠りに就き、再び夕暮れの戦闘開始時間を待つ。これがまる三日間つづくんであった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園