deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

81・イージーライダー

2018-12-29 16:20:04 | Weblog
 まずいことに気づいた。自分はバイクには向いていないのかもしれない。教習所に通いはじめてから、つくづくとそう思い知らされることになった。この自動二輪車の運転というのが、たいそう難しいのだった。
 もともと、腕立て伏せ以上の運動などしたことがない。体力がないうえに、バランス感覚も訓練されたことがない。それに加えて、クラッチやギアチェンジの操作方法、動力系から駆動系へのメカニズムなどもよくわからない。そもそも、あの金沢のせまい街で、バイクなど必要なのだろうか?峠道を速く走るのも怖そうだ。雑誌の中のバイクレーサーの写真はかっこいいが、考えてみたら、彼らの走行そのものを映像で観たこともないし、レースのルールもよく理解していない。雰囲気にのっかって、ぼんやりと「かっこよさそう」と思えていたが、たいしてその世界にあこがれているわけでもない。美術しか知らない男に、バイクなど高望みだったかもしれない。こいつは早とちりだったぞ。おまけに、昭和の時代の教習所は、教官がひたすらにどやしつける「スポ根スタイル」だ。わずか数日でやめたくなった。が、巨額の授業料はすでに支払い済みだ。仕方なく通い、屈辱に耐えつつ、練習を重ねる。
 坂道発進には、とてつもなく苦労させられる。オートマチックの自動車の運転しかしない者にはわかるまい。400ccのバイクを坂道の途中で停め、ふたたび発進させようと思ったら、「アクセルを徐々に開けつつ」「スロットルをしぼる右手の平と人差し指を安定させながら、中指以降の三指をゆっくりとひろげてフロントブレーキの効きを甘くしていき」「同時に右足のリアブレーキを解除しながら」「左手のクラッチをエンジンの回転数に合わせてゆるめ」「車体が進みはじめたら、すぐに左足をステップにのっけ」「つま先でギアをシフトアップする」のである。まるでサーカスではないか。さんざんに、さんざんに苦悩し、悶絶した挙げ句に、それでもなんとか補習を1日分受けたのみで、中型免許を取得することに成功した。これはもう、奇跡としか言いようにない。
 いやはや、なんとも大変な二週間だったが、免許さえもらっちまえばこっちのものだ。晴ればれと夏休みが明けて、悪童のアキヤマからカワサキを購入した。教習所の費用支払いで持ち金が底を突いたので、妹に頼み込んで彼女の貯金を取り崩してもらい、ふんだくって・・・いや、借金をして、10万円ナリの支払いに充当させたのだった。ひどい兄貴ではある。しかし、これで晴れてバイクの所有者だ。同級生たちにも面目が立つというものだ。
 ところが、まだまだ苦難から逃れることはできない。カワサキを手にしたその日のうちに、アキヤマに峠に連れていかれた。せっかくのレーサー仕様のバイクだ。祝いに、うねうねのワインディングロードを攻めよう、というわけだ。新しくフルカウルのバイクを手に入れたアキヤマは、よかれと思って誘ってくれたようだが、こいつがめちゃめちゃに飛ばす。並ぶどころか、追いつくことさえできない。前を走るTシャツ肩まくりの背中は、走るほどに遠のくばかりだ。なにしろやつは、スロットルをフルオープン。そしてフルブレーキを踏み込んだかと思うと、ひざが地面に付くほどに車体を寝かせ、先の見えない急カーブに飛び込んでいく。追尾するこっちがヨロヨロと曲がりきった頃には、その影はすでにもういっこ先のカーブをクリアして、視界から消えている。たなびく排気音を頼りに、必死で食らいついていくしかない。それにしても、なんてめまぐるしい曲線なんだ、医王山・・・
 咳き込むエンジン音で小立野に帰ってきたときには、オレのGPZのステップとミラーは失われていた。二度コケたのだった。ケガはたいしたことはなかったが、はいていたジーンズが、流行りのズタズタ裂け裂けファッショナブルな感じになっている。さまざまな世界の先輩の背中を追いかけ、いろいろと勉強させられる。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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