deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

23・オータ

2019-10-14 00:24:56 | Weblog
 知らない人物から、出し抜けに電話がかかってきた。受話器の向こうの声は、オータの母親です、と名乗っている。オータは学生時代によくつるんでいたラグビー部の仲間だ。犬のように足が速く、ワニのようにアゴが強く、ニワトリのように素直な、多くの美質を持った好漢だ。そのオータのお母ちゃんが、突然に電話が寄越したのだ。何事か?
「あの子お、絵描きになる言うてえ東京にいったきり、連絡をよこさんがです」
 オータが上京していたとは知らなかった。しかもその住所が、江古田と同じ西武池袋線の隣駅、「東長崎」沿線だという。
「様子を見にいってもらえんがですか?」
 言われずともそうしよう。なにしろ、会いたいではないか。チャリを飛ばし、メモに書き留めた住所に駆けつけた。
 コン、コン・・・
 ノックするドアが穴だらけだ。なにやら刃物を突きまくったような跡なのだ。不穏な気配。ボロボロの安アパートは、オレが住んでいる豊栄荘よりも、さらにせま苦しい。
 ガチャリ・・・
「はい・・・」
 扉が開いた。果たして、オータはそこにいた。絵描き然として。正しくは、版画家、だ。上京して、足で探し当てたエッチング(銅板に針で引っ掻いて絵を刻み、腐食によって発色させる版画技法)の工房に籍を置き、制作を開始したところだという。招き入れられた室内にも、四方を埋め尽くすほどの作品が並んでいる。ほほー・・・と、感傷にひたるいとまもなく、鑑賞にひたる。
 ところがその作品群が、死を連想させるようなものばかりなのだ。その中の一枚は、壁に打ち込まれた釘にペンキ用の刷毛がぶら下がっている、というものだが、どう見ても「首吊り」を思わせる。この男、明らかに病んでいる。オレもここのところは鬱な性質だが、それよりもさらに影が濃く、傷が深い。肩を縮こまらせ、声を落としてボソボソとしゃべる姿には、明るく、溌剌と、無駄に元気にグラウンドを駆け抜けていた面影はどこにも見出せない。自信を失っているのだ。これはなんとかしなければならない。学生時代の話に花を咲かせることもなく、その夜は深刻な相談ごとにふけった。すると、やつは寂しがっているだけなのだ、とわかった。ひとと会話を交わすことで、自分を開いていくタイプなのだ。だとしたら、解決は簡単ではないか。
 その日以来、久し振りの交流を再開させた。お互いに友だちも少なく、定まった仕事もなく、ヒマなので、ちょくちょくと顔を合わせるようになった。会っては酒を飲み、なんということもない話題を行き来させる。すると、たちまち昔の感覚がよみがえってきた。してみると、実にウマが合う。今や掛け替えのないカノジョとなったハセガワさんを紹介すると、すぐにふたりは親友になってくれた。オータは徐々に心の回復を見せ、そのうちにすっかりと治り、本来の明るさを取り戻して、学生時代のように快活な表情を見せるようになった。キャンプにいき、遊園地にいき、海にいき、いつも三人で連れ立って歩いては、青春の真似事のようなことをした。やがて三人は、無二の友、と呼んでいい間柄になった。
 オータはとてつもない博学で、話術の天才でもある。座右の書に、ウンベルト・エーコの「薔薇の名前」を挙げるような文学的な男なのだが、自分の知性をひた隠し、バカな振る舞いで周囲を油断させる。例えばある日、ボーイスカウトのキャンプで野ぐそをしたときの話を披露し、オレとハセガワさんを大笑いさせる。ズボンとパンツを下ろしてしゃがんだ瞬間に、クマザサの葉の先が肛門に突き刺さって悶絶した、というバカバカしい一件だ。ところが、その悶え方の描写が秀逸なのだ。講談が展開して芝居になり、身振り手振りが次第に熱を帯びていく。やがてそのオンステージは、スタローンが凄絶な拷問を受けるシーンのような白熱の肉体表現に昇華していく(もう一度言うが、クマザサが尻に刺さる、という描写だ)。表情、手足の動き、叫び声・・・まさに満身の芸なのだ。これが何十分もの間、延々と、延々とつづく。こちらはその間中、腹がよじれるほど爆笑させられる。まったく、大した至芸だ。
 また、こんなこともあった。小学生の甥っ子が遊びにくるというので、彼は創意を発揮し、精密な三葉虫を粘土でつくった。それを、あらかじめ庭先に埋めておく。甥っ子が現れると、考古学者然とした格好をして、「ああ、きたのか。ちょうど今、化石を発掘しようと思っていたのだ」などと言い出すではないか。甥っ子がぽかんとしている横で、地面を掘りはじめる。しばらく作業をした後、呼びかける。「おい、そこでぼーっとしているだけなら、手伝わんか。そのへんを掘ってみたまえ」。甥っ子は仕方なく、庭先をほじくりはじめる。するとどうだ、新種の三葉虫が彼の手元から姿を現すというわけだ。彼はそれ以来、考古学者を目指すようになったのだという。それがオータという男なのだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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