deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

84・あぶくの時代

2019-01-20 08:45:09 | Weblog
 「バブル」と後に呼ばれる時代に突入していた、らしい・・・が、オレたち田舎の美大生には、なんの関係もない。同級生も、先輩も、周囲の仲間たちも、どうしたわけか、誰も彼もが競ってビンボーだ。着る服も、住む部屋も、食べ物も、粗末ひとすじ。わずかな金があれば酒を飲み、食べものがあれば分かち合い、時間があれば鉛筆をスケッチブックに走らせる。清貧と言えば聞こえはいいが、「自分の作風に格を醸すために、奈落というものを味わっておかなければ」というよこしまさを根っこに持つ、やらしいビンボーさ加減ではある。先輩たちは、オレたち新入生には太刀打ちできないほど、ビンボーさが堂に入っている。そのたたずまいときたら、画に描いたようにボロボロで、乞食のように薄汚れきっている。想像をはるかに超えて困窮しきっている様子だが、それでも大酒を飲んでは大らかに笑う。酒を飲むから困窮するのだが、困窮するために酒を飲んでいるとも言える。その姿を聖者のように崇めながら、彫刻科の1年坊たちは、ゲージツ家の出で立ち、振る舞い、そして心得というものを学んでいく。
 世間の大学生はDCブランドで着飾り、真っ赤なスポーツカーで合コンに、ディスコに、ときらびやかな街角を走り回っていた・・・らしい(←これも後に聞き及んだところだが)。ワンレングス、ボディコンシャス、ぱんつ丸見えでお立ち台に上がり、腰をくねくね、扇子をひらひら、というあの画づらが、巷では現実に展開されていたようだ。ところがこちとら、テレビがないので、世の中の経済状況がどんな具合いなのかもさっぱりわからない。新聞は毎朝、図書室で主要四紙(もちろん北国、北陸中日、聖教、朝鮮日報)を読んで文字情報だけは得ていたが、この時代に世間を包み込んでいたゴージャス・セクシャル・デコレイティブのエクストラヴァガンツァな雰囲気には、ついに触れずじまいだった。
 一般の価値観からはるか隔絶されて、閉ざされた樽の中のような暮らしぶりで醸成された独特の観念が、学内の空気を支配している。わが田舎美大は、とにかくバンカラが幅をきかせる特殊な空間なのだ。極めて閉鎖的なソシオグラムの中で、「大学生とはこういうものだ」と刷り込まれていく。バブル経済など、よその国のおとぎ話。チャラい振る舞いは、仲間内で決定的に軽蔑される。「スキーにいく」とバレただけであざけりの声を一身に浴び、「合コンをする」などと口をすべらせようものなら、袋叩きだ。「肉を食べた」のひと言で大金持ち扱いされ、学内カーストの下層ステージに降格なのだから、たまらない(わかりにくいかもしれないが、最高位にランクされるのは「最貧困層」なのだ)。別に、スキーも、肉も、大金持ちも、悪いことではないのだが、とにかくどういうわけか、乞食のようにみすぼらしい装いを自らに課しつつ、腹を減らしつつ、しかし肩で風を切って過ごすのが、わが世界ではかっこいいとされているのだった。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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