deep forest

しはんの自伝的な私小説世界です。
生まれてからこれまでの営みをオモシロおかしく備忘しとこう、という試み。

27・大平原の村

2020-07-31 08:46:53 | Weblog
 小型バスは走る。嵐の大海原のように波打つ平原を。大陸の五月の大地は、草っ原というよりは、緑がはげちょろけた荒れ地だ。見渡す限りに、人工物はなにもない。猿は、森から平原に出て二本足で直立し、人類となったわけだが、そのときのなんの頼りどころもない不安と恐怖感が理解できる。そして、そのときにのぞんだ遥か地平に向かう冒険心と。我々が進むこの先に、どんな苦難が待ち受けているのであろうか?
 ・・・と、かっこつけてみたが、モンゴル人の美女添乗員を乗っけた小型バスが行き先を誤ることなどあり得なく、道なき荒野も、やがて電柱が点々とつながるエリアに出た。こっちの地平線からあっちの地平線へと消失していくこの線の先を目指せば、自動的に現地人居留地にたどり着ける。そして、なんの危険に遭遇することもなく、無事に到着した。原始と文明とが相半ばする「村」に。
「ようこそ~、らら~・・・」
 ・・・的な歌が、風に乗って聴こえてくる。バスから大地に降り立つと、わずか数軒のと見える村民が一同にこちらを出迎え、歓迎の歌でもてなしてくれているのだった。さすがは平原の民。声量がとてつもない。素晴らしい歌声で、胸を突かれる。その歌が続いている間、馬上杯という脚つきの杯で酒が振る舞われる。こいつは、本来なら「馬乳酒」というくっさいやつのはずなのだが、時期ではないということで、パイチューというウオッカのようなきつい中国酒が代わりに供されている。小振りのお碗ほどもある馬上杯になみなみと注がれたこいつを、村で世話になる旅人は一気飲みにやっつけるのがしきたりだ。日頃から鍛えておいてよかった。くいくいくい・・・とのどにお迎えすると、しずくの伝った食道が焼けるようだ。しかしまあ、悪くはない。添乗員やコンクール受賞美女たちも、鼻をつまみ、がんばって飲み干している。が、東大出編集氏だけは、「飲みたくないものは飲まない」という主義らしく、ちょんと口をつけただけで突き返している。この男は、自分の信ずる道を曲げない、なかなかの硬派のようだ。
 最初のイニシエーションを終えたところで、もうひとつの重要な儀式が始まる。供された酒を飲み干し、両者が仲間となった証に、彼らにとって最も大切な羊を一頭、血祭りに上げてくれるというのだ。肉づきのあまりよろしくない子羊(大人かも)が、人々の前に引き出されてきた。チンギス・ハーンの遺言によると、「血を大地に一滴もこぼすことなく」羊をさばけということのようだが、そいつを見せてくれるのだという。
 羊が転がされ、まず心臓付近にナイフの刃先が入れられる。このときは、わずかに表皮に裂き傷が入るだけだ。そこにおもむろに手が突っ込まれ、おそらく太い血管だか神経だかが切断される。すると羊は、瞬時にことりと事切れるのだ。調理というよりは、まるで外科手術だ。残忍さはなく、ただ淡々と作業は進められる。動かなくなった羊は仰向けにされ、四肢を四方に開かれる。この状態から皮を剥いでいくと、まるで地面にテーブルクロスをひろげたような解体ブースが出来上がる。そしてこうしておけば、血の一滴も大地にこぼすことなく、羊がさばけるというわけなのだった。
 ロース、カルビ、シャトーブリアン、心臓、肝臓、胃、腸・・・素晴らしい手際で各部位がバケツに選り分けられ、血が溜められ、最後は骨についた筋までもこそげ取られ、たちまち解体ショーは終わった。いやはや、まったくすごい文化だ。羊は彼らの主食なのだという。
 その夜は、羊三昧のごちそうを味わった。ギャートルズに出てきそうな骨付きの肉塊、腸に血を詰めて茹で上げたサラミ、牛の糞で火を起こしたバーベキュー・・・どれもこれも、なんというか、飲み下すのがたいへんなシロモノだった。ふと、東大出の編集氏を見ると、さすがにあのトランクの巨大さは伊達ではない。
「こうくると思っていたのだ」
 鼻高々の顔で、調味料一式を自分の前に並べ、いろいろと味変を試しながら食している。現地の人々は、それをぽかんとした顔で見つめている。東大出は、どうだ文明とは素晴らしいものだろう、と言わんばかりだ。穴があったら入りたい気持ちを味わわされた。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園

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