たばこと塩の博物館の特別展「阿蘭陀とNIPPON~レンブラントからシーボルトまで~」を見に日曜の渋谷に行きました.街は人が多くて疲れましたが,入場料が300円,会場には親子連れの方もあり,旅行の思い出を語っているご夫妻ありで,絵画展とは違った趣でなかなか好評のようです.
ボイマンス・ファン・ブーニンゲン美術館所蔵のレンブラントの銅版画7点を見に行ったつもりだったのですが,背の高いガラスケース内に展示されていたので老眼だと焦点が合わない!のと,展示の趣旨が和紙と洋紙の刷り分けに主眼をおいているようなのですが,ほかの展覧会でそうであったように同一作品での比較がなされていたほうが,意図が通じやすかったと思います.また,摺りのステートなどについても記載は無く,マニアや研究者向けの展示ではなさそうです.ここの展示全体を通じて,ガラスで囲われた展示スペースの外から観覧しなければならない造作となっているので,細部を鑑賞しづらいのが難点でした.A5版の図録もすべての展示作品が掲載されているわけではありませんが,江戸時代のアムステルダムの生活を図解していたり,読み物としてなかなか楽しめるものでした.
その中で収穫だったのは,アムステルダムで18世紀中葉に製作された各1745年・1750年の年記のある地球儀・天球儀が展示されていたこと.収納箱に「天保十五年辰春」とあり,江戸時代に輸入され佐賀の武雄鍋島家が保管されていたもので,現在は武雄市立の蘭学館に所蔵されています.
一度実物を拝見したいと思っていた矢先のことで,星座は当然ながら西洋星座で,ファルク没後の工房で製作され,球体の直径は24.8cm,高さ34.5cmと想像していたよりも小ぶりで,舟形に印刷された図柄を張り合わせて手彩色を施してあるのですが,残念ながら,表面のニスの劣化だけなのかシミなのか遠目なのでよくわかりませんが,予想よりもくすんでいて,とくに地球儀のほうが状態は悪そうでしたが,天球儀にはうっすらと彩色の痕跡が見て取れました.
パンフレットの図版より
天球儀は実際の星空を鏡像として球体に描いたもので,中世に南独に広まり,15-6世紀を通じて商業と美術工芸の中心のひとつであった古都ニュルンベルクで盛んに製作されるようになりました.同市は天文学の都として16世紀初頭J.Schoenerらも輩出しており,天球儀製作の拠点として,いまでも同市の博物館には貴重な天球儀のコレクションが残されています.初期の天球儀は木製や真鍮製の球体の表面に手書きや彫刻で少数の星々を描いたものでしたが,ニュルンベルクはデューラーに代表される木版画印刷が盛んであったこともあって,16世紀初頭には紙片に星図を木版で印刷したものを湿らせながら球体に張り合わせ手彩色するようになり,同世紀末までには,より正確で装飾性にとんだ銅版が用いられるようになり,経度に沿った12枚の舟形を球体に張り合わせて製作する技法が開発されました.18世紀にはいると,フランスを中心に啓蒙主義の影響下で需要が高まるとともに,より精度を求められるようになり,その後,19世紀に入ってリトグラフが用いられるようになってから,大量生産が可能となりました.
一方,現在のような地球儀の原型は,地動説が定着し,新大陸が発見される1492年にやはりニュルンベルクでMartin Behaimによって始めて製作されましたが,これには残念ながら新大陸は描かれていなかったそうで,その後,新世界が発見される度に,測量術の発展も併せて,地図は塗り替えられていきました.多分当時からペアを意識したのでしょう,天球儀の製作も時を同じくして発展している点が興味深いと思います.じつは歳差運動(地球の自転軸が2.6万年ほどの周期で揺れるコマのように首振り運動をすることで,1.9万年前にはデネブ,1.4万年前にはヴェガ,約7000年後には再びデネブが北極星になります)にって1世紀に1.5°ずつ極点がずれて星々の位置も変わっていくので,天球儀も描き換えられてゆく必要があるのですが,良いものはルネサンス・バロック時代からの芸術品・装飾品として残されてきているわけです.
日本にあるアンティークの天球儀は富山天文台のホームページにまとめられていますが,長崎の平戸藩松浦家に伝わり松浦史料博物館に所蔵されている天球儀・地球儀〈長崎県指定有形文化財〉もファルク父子(父Gerard Valk[Gerrit 1652-1726 銅版画製作者として著名] & 子Leonard Valk[Leonardus 1675-1746])の存命中の1700年の年記があるらしく,球径31.0cm・高さ46.3cm,写真で見る限りではこちらのほうが状態はよく,より大きくより時代の古い点でも価値が高そうです.蛇足ながら,松浦史料博物館所蔵品の小ぶりの複製が現在も販売されていました.ファルクは1700年に後述するホンディウスの工房のあった建物に移り,3,6,9,12,15,18,24インチの地球儀・天球儀のシリーズを製作したようで,天球儀は,ポーランド出身のヘヴェリウスJohannes Heveliusが作製し没後1690年にドイツで出版された星図に基づいて,猟犬・小獅子・蜥蜴座など(画像で見ると六分儀座も描かれておりヘヴェリウスの追加になる7星座全てか,子狐・楯・山猫座については一応要確認)が新たに付け加えられていて,1700年と1750年の版が存在します.
このほか,世界地国帳で名を馳せたヴィレム・ヤンスゾーン・ブラウ(Willem Janszoon Blaeu)の天球儀の小品が,京都外国語大学付属図書館に所蔵されているようで,球径13.5cmと小ぶりですが,やはりオランダで製作されたもので1606年と相当古く,かなり珍しいと思います.
ところで,これまで小生の見たオークションのカタログで記憶に残っている天球儀はというと,2009年6月にアムステルダムで出品されたPaul Petersのglobe&mapコレクションの中の一点で,やはりファルク工房製作で1750の年記があり,球径39cm・高さ58cmと大きくかつ色彩も比較的良く残っているため,評価額1.5~2.5万ユーロから,手数料込みで34600ユーロで落札されていました.このタイプの天球儀はファルクの親族から版権を取得したComelis Covens(1764-1825)によってその後も再製作されていたようです.
ファルクの天球儀 1750年版・アムステルダム 旧Paul Petersコレクション
もう一点は,1999年6月に開催されたフランスのde Groussay城のセールで「オランダの間」に展示されていた天球儀・地球儀のペアで,これは球径が110cmもあり,ベニスのフランシスコ会の修道士Vincenzo Coronelli(1650-1718)によって1680年に製作されました.彩色された逞しい人物像などその豪華さから評価額80-100万仏フランが266万フラン(40.5万ユーロ)で落札されています.ヴェルサイユ宮にはルイ14世に捧げられた彼の手による球径3.86mのペアが飾られていますが,これらはバロック時代の天球儀・地球儀の最高峰と考えられています.
コロネッリの天球儀 1680年・ヴェニス de Groussay城旧蔵
大航海時代の観測から南天の星座,たとえば孔雀・不死鳥座などを標した最古のものとしては1598/1600年ごろ,ヨードクス・ホンディウスJodocus Hondius父の銅版画を用いたプランシウスPetrus Plancius製作の天球儀があり,これにはキリンや一角獣やヨルダン河などの星座も新たに導入されています.この天球儀の一例はロサンジェルス郊外のハンチントン・ライブラリーで写真に収めたことがありますが,記憶に間違いが無ければ球径40-50cmほどの比較的大きなもので,ディティールも色彩も綺麗で大変すばらしいものでした.1668年に製作されたフェルメールの「天文学者」に描かれているのは,じつはこのホンディウスの天球儀と考えられています.
ホンディウスの天球儀 1598年頃・アムステルダム ハンチントン・ライブラリー所蔵
18世紀のもっとも正確な天球儀としては,Johann Gabriel Doppelmayr(1671-1750)が古都ニュルンベルクで製作したものが有名ですが,オランダ・バロック絵画館で購入したものは1728年に制作された彼の版によるもののひとつで,やはりヘヴェリウスに基づきつつ1730年分点での星図が描かれ,多くの彗星の軌跡が描かれているのも重要な特徴です.残念ながら,これはオランダ製ではないのですが,彼自身はオランダとも縁が深く,ニュルンベルクの数学教授・数学者として啓蒙主義の時代,ニュートン・ホイヘンス・デカルトらの革新的研究を広く欧州に広める活動の傍ら,天文学書の翻訳や天球儀の製作も行っていたそうです.天文学が観測と計算の学問であるからでしょう.
ドッペルマイヤーの天球儀 1728年・ニュルンベルク 球径31.8cm(12.5インチ)・高さ48cm オランダ・バロック絵画館所蔵
Ex.Het Kralingsmuseum, Rotterdam (coll. Mrs. Elias-Vaes)
最後に展覧会の話に戻りますが,緑ガラスを使ったレーマー杯も10数cm程度の完品が1点展示されており,1670-1700年製と推定されていましたが,図録には載っていませんでした.ガラス器には詳しくないので名称が不正確ですが,stemの底部のスカート上の部分は新しくなるにつれ大きく高くなっていたと記憶していて,こちらは同部は小ぶり,また,サイズに応じてstemのラズベリー状のアップリケの列も変わるのですが,これは二列で,当館所蔵のものとほとんど同じでした.
解説によると,当時食事は手とナイフで食べていたので,そのラズベリー状の装飾は,手についた脂で杯が滑らないように実用性も兼ねていたとのことです.
左・12.7cm 17世紀末 中央・15.2cm 17世紀後半 右・13.4cm 18世紀 いずれもオランダないしドイツ製 オランダ・バロック絵画館所蔵