鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

労働節旅行 K182次 昆明→上海南

2007年11月18日 23時36分08秒 | 07労働節


最初に断っておきますが、この列車は後述のアクシデントの影響で非常に写真が少ないです。ご容赦下さい。

5月3日、いよいよ上海に戻るためK182次に乗車する。と言っても夕方4時台の発車なので、昼間は街をブラブラ。お昼を食べた後は、まだ昆明に1泊するおとうさん同志の部屋で3人ウダウダする。

ホームまで見送ってくれると言うことで、站台票(入場券)を1枚買い、駅舎に入る。少しは初めての昆明駅軟席侯車室でくつろぎたいところだが、既に改札が始まっていたのでホームに下りた。まあ新しい駅舎なんで普通の侯車室でも十分きれいですが。
1番ホームからの出発。とりあえず乗車して荷物を置いた。が、廊下天井裏の収納スペースは予備のシーツを大量に入れた袋が詰め込まれており、収納できない。またベット下のスペースは機械類の箱(たまにこういう車輌がある)がありこれも無理。
とりあえず列車員を呼ぶ。「規則でこの部屋の収納スペースに置かねばならない」などと言うのだが、「空いてる部屋が沢山あるんだから移せばいいだろう!」としつこく食い下がったら、隣りの空き部屋にシーツの袋を移してくれた。中国はゴネ得国家です。皆さんも中国に行ったら図々しく過ごしましょう。

あとこれは昆明鉄路局所属列車の軟臥に共通のようだが、鉄路局のロゴ入りのティーカップが寝台下に人数分収納されている。と言っても使用されることはない。これはかつて軟臥利用客の大半が政府高官や外国人料金で乗る外国人だった頃の遺物。なんでも当時はこれにお茶を注いでくれるサービスがあったそうだ。大半の列車では消滅したが、他の方の旅行記を見ても、昆明鉄路局の列車には残っていることが多いらしい。
中国国内定期列車最後の3晩夜行となった昆明発南京西行き快速(現在は2晩化)に乗車した人の旅行記を見ると、勝手に使っても問題ないようだ。使わなかったが

とりあえず先頭の機関車で記念撮影。牽引機はSS7C型。2つ向かいのホームに4月18日のダイ改で登場した桂林北行き快速が停まっているが、なんと客車が160キロ対応の25K型だ。もったいない、南昆線のどこに160キロ走行区間があると言うのだ?(ほとんど単線)

自分達の部屋に戻ったらもう1人の客が入ってきた。彼は蘇州在住の大学院生で大学時代から付き合っている彼女(現在昆明で仕事)に会うために昆明に来た帰りだそうだ。「飛行機は高いから乗れないよ」なんて言っていたが、彼女に会うために学生の身分で軟臥に乗れるなんて、家はそれなりの金持ちなんだろう。(まだ硬臥は空きがある)



定刻通り発車。昆明の町を出ると列車は断崖を走る昆河線としばらく平行し、石林のカルスト地形の中を走る。本格的な石林の地形を見るのが初めてなシャオ同志は興味津々だが、石林風景区の入場料が150元もすると聞いて、不思議がっていた。確かに入場料払って入らずとも周りで観光できますな。

夕食は食堂車に行く。昆明鉄路局の食堂車は正直言って微妙だ。不味くもないがおいしくもない。値段もそこそこ。朝食メニューに雲南米粉を用意しているだけ良しとしよう。食堂車ではシャオ同志と日本の社会問題について熱い議論が交わされた(?)。2時間くらいいたが、軟臥なんだからいい加減帰れと追い出される。ガラ空きなんですがね。


さて食事を終えてしばらくしたところでアクシデントが発生。食堂車から硬臥に戻る女性客がいたのだが、駅停車中で軟臥で通行止め。で、向こうが話しかけてきたのだが、そのやり取りで自分達が外国人であるのが判明し、興味を持った向こうが居座ってしまったのだ。
更に不運は続く。正直可愛くはなく、サザエさんに出てくる花沢さんを百倍に強烈にした感じなのだが、コンタクトをはずして視力が低下していたシャオ同志が「結構可愛いかも」と積極的にアプローチをかけてしまったのだ。
なんでも杭州在住で以前は人民解放軍にいたらしい。両親は交通事故でかなり前に亡くなったと言っていたが、どこまで本当なのかはわからない。彼女翌日も入り浸るようになる。

こうしてK182次1日目の夜も更けていった。



2日目の朝、ウダウダ10時過ぎまで寝る。起きたらもう柳州と桂林北の間だった。すでに花沢さんが来ていたが、寝ぼけてるうちにまた硬臥に戻ったようだ。
駅舎の新しくなった桂林駅を通過し、桂林北駅に到着。労働節連休ということもあり、駅傍の留置線には旅遊列車(観光快車のツアー用臨時列車)に使用される22型客車が数編成停まっていた。さすが世界的な観光地だ。


ホームに降りると桂林ビーフンが売っていたので購入した。桂林は01年に初めて中国本土を旅行した時に行って以来だが、当時大規模な改造工事をしていたから大分変わったことだろう。

桂林を出て広西から湖南にかけての田園地帯を走る。とある田舎駅に停車。この辺りは単線なので、停車駅では必ず行き違いがある。この駅では北京西発南寧行きの特快と行き違い。当然こんな田舎にCTCなど導入されていないから、各駅同士でホーム当直員が無線でやり取りしながら運行管理をしている。写真の赤いカバーの被された制帽を被った人が当直員です。

このホームからは行き違う列車が見えないので、わざわざK182次のデッキに乗って反対側のドアを開けて確認。
当直員が旗を円を描くように振り回し(これが発車の合図)発車。これが延々繰り返される。

永州に到着。ここで思いがけずスイッチバックするので長時間停車。ホームに降りたら駅弁が売っていたので購入した。ここは湖南省おいしいのを期待。


ところがこれははずれだった。豚の角煮だと思った四角い物は芋みたいな得体の知れないもの。実は1週間前南寧に向かうシャオ同志が食べて不味かったそうだが本当に不味い。
大学院生曰く「それは小米だ」とのこと。「粟ですか?粟?」生まれて初めて食べたがおいしい物ではない。後々停まる駅に期待し、半分ほど食べて残しました。


しばらくすると花沢さんが4人ほどおじさんを連れてやって来た。完全に部屋が占領された感じだ。でも大量のビールとおつまみ、そして夕食の套餐を奢ってくれた。
「国慶節は皆で昆明で会おう!」
という訳のわからん音頭で乾杯。国慶節はもう中国にいないわ!まあただ酒飲めるんでいいですけど。

続いて別の人が招き入れられる。この人は江西省の日本メーカーの工場で働いているそうだ。しかも普通の労働者でなく技術者らしい。工場で問題が発生した時に日本に電話した時のエピソードなどから、会社の問題点について語り、ついで人生において大事なことについていろいろ含蓄のある話を聞かせてもらいました。

いつのまにか衝陽で京広線と合流し北に向かっている。衝陽の駅弁も食べてみたかったが残念、通り過ぎていた。
22時過ぎに若干の遅れで株洲に到着。ここは中国を東西南北に貫く幹線が交差する交通の要衝だ。また中国でも有数の機関車工場を有する工業都市でもある。またスイッチバックするので長時間停車。時間が時間なので駅弁の販売は無し。本当はこの駅も豊富なんですけどね。
株洲発車後消灯して就寝。列車は高速化なった株洲→向唐→金華西を駆け抜けていく。


翌朝、義烏の手前で起きる。今日で旅も終わりだ。この辺りは短絡化された新線に切り替わったため、快調に走る。1度くらい朝食もということで食堂車に行き、昆明鉄路局所属列車おなじみの雲南米粉を食べた。


杭州東で例の花沢さんが下車。ようやく安寧が訪れたと言ったところだ。といってももう上海は目と鼻の先。最後の停車駅嘉善を出たので下車の準備を始める。

地下鉄1号線と併走するようになると上海に帰ってきた気分だ。結局20分早く上海南駅に到着した。更に蘇州まで行かなければならない大学院生に別れを告げ、地下鉄の乗り場に向かい旅が終わった。


上海と昆明を結ぶ列車はこのK181/182次とK79/80次があるどちらも一長一短なので、行きと帰りで両方に乗るのがいいでしょう。ルートも違うので。

おわり


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