HSKも無事終わり、いよいよ出発する。と言っても夜までかなり時間があったわけだが。
7時15分に寮のロビーに集合する。今回は酒好きの姉さんがいるので、寮の売店で缶ビールを10本ほど購入した。
この売店は留学生宿舎にあるにもかかわらず、コンビニと同じ価格で販売する良心的な店である。さらに特出すべき事は、瓶に付いた水滴が氷る程ビールがキンキンに冷えていることだ。中国では冷えた飲み物はかなり貴重だ。
大学正門前のローソンの冷蔵庫などは既にガラス戸付き陳列棚と化しており、何のために電気を消費しているのか理解できない。
個人的にお勧めな上海のコンビニは好徳。中国資本だが、冷ケースの飲み物はしっかり冷えているし、ほぼ例外なく公共交通カードのチャージができるのがありがたい。
話がそれた。
とりあえず全員集合したので、タクシーで上海駅に向かった。逆方向なので渋滞も無く到着。駅の軟席侯車室に入る。すでに北京行きZが出た後なので、閑散としていた。放送が入る前に、服務員の肉声で改札開始。軟席侯車室の客を先に行かせるために、早く始めるわけだが、混雑する上海駅は結局早めに改札開始するので、硬座や硬臥の客と一緒に階段を下りる。
ホームに降りると、硬座に向けて走る人民に混ざりながら、7号車を目指す。天井の電光掲示板には
「T52次 20点48分 開往烏魯木斉」
の文字が輝いていた。いつ見てもいいものだ。3度も乗らせるだけの魅力がこの列車には備わっている(気がする)。
まず自分達のコンパートメントに行き、荷物を置く。前回知り合いを見送る際に見た車内更新車ではないが、車齢5年なので十分だ。


シャオ同志と2人で先頭の機関車に記念写真を撮りに行く。途中、硬座の前を通るが、すでに無座の客で溢れ返っており、補票を求める長い列ができていた。
牽引機は西安鉄路局西安機務段所属のSS7E型。ということは電化区間でも1回機関車交換すると言うことか。
20:48、列車は定刻通りに西へ向けて動き出した。
「今日の乗務は、ウルムチ鉄路局・ウルムチ客運段・上海列車隊・第三乗車組。人民鉄路は人民の為には我々の・・・」
お決まりのセリフの車内放送が流れる。よくもこんな心にも思っていないことを平然と言えたものだ。早速ビールを飲み始める。まだ少し冷えていた。外を見ると半月が輝いている。
すぐビールは無くなった。さて寝ますかと言ったところだが、姉さんはまだ飲み足りないらしく、車内販売のビールを買いに食堂車に向った。車内販売が周って来なくても、倉庫は食堂車にあるので、行けば常時売ってくれる。車内販売のビールは大概所属鉄路局の地元のビールで、この列車も新疆の烏蘇ビールを売っていた。なかなかの味だ。
上海を出て約3時間、南京に到着した。ここを出るといよいよ長江を渡ることになる。長江大橋を渡る列車から長江を眺めた後、就寝した。
「各位旅客、工作人員同志請注意。由上海開往烏魯木斉方向去的T53次列車已経到達商丘車站・・・」
早朝4時、目を覚ますと、ちょうど京九線と隴海線の交差する商丘に到着したところだった。すでに列車番号は徐州からT53次に変わっている。再び眠りに着く。
7時半ごろ起床すると、列車は河南省西部を走行中だった。次の停車駅は陝西省の省都西安だ。まもなく古都洛陽を通過した。この辺りは80年代に輸入された川崎重工製の6K型電気機関車が集中配備されており、貨物列車の牽引で垣間見ることができる。
朝食は車内販売の麺を食べる。乾麺を茹でてトマト風味の汁に入れたもので1杯5元。車内販売の食品としては安い部類に入る。

さて、軟臥には乗客数分のスリッパが備え付けられている。夕発朝着の列車だと使い捨てが多いが、こういう長距離列車は使いまわすためにサンダルの場合が多い。
この列車のサンダルはNIKEの偽物だ。
だが何かおかしい。
よく見ると一つだけ綴りが違うではないか!
なぜ中途半端に一つだけ・・・?
三門峡を過ぎていよいよ陝西省に入るが、明らかに遅れている。隴海線の鄭州西安間は中国有数の過密路線で遅れが恒常化している。加えてこの区間は通った回数が多いので景色にも目新しい物はなく、非常に時間が長く感じられた。
ようやく西安近郊に達するが、貨物ヤード脇で臨時停車。ハンプヤードで仕訳けされる貨物列車を見ながら暇を潰す。


結局45分遅れで西安に到着した。定刻だと8分の停車で、その間に西局から蘭局の機関車に交換するのだが、明らかに間に合わない。加えて定刻だと、T53次の約1時間後に設定されている宝鶏行き動車組を先発させるようで、20分近く停車することになった。
まあ途中で臨時停車して抜かれる屈辱を味わわないだけマシか。
特快が通過待ち・・・時代は変わりましたな。
西安発車後は非常に飛ばす。なんといっても先行の動車組が露払いをしてくれるので、邪魔な列車は全て待避線行き。
いいぞ!これで遅れも大幅短縮だ!
と言いたいところだが、25K型はそこまで高速巡行にむいていないので、たまに減速する。

50分遅れで宝鶏に到着した。ここから宝成線を南に下れば四川省成都、さらに成昆線を南下すれば遠く雲南に至る。北方では珍しく套餐が売っていたので、昼食用に購入した。
宝鶏を出るとそれまでの平坦な地形が一変し、渓谷の只中に入る。この辺は隴海線有数の難所だったが、西行きのみ大幅な直線化が行われており、常時、時速100キロ超の高速で走行する。川の対岸には東行きの線路が走り、長大な貨物列車が通過していた。


天水を出ると今度は黄土高原の中を列車は進む。夏だというのに荒涼とした丘が連なっていた。
次第に日が傾く中で、右手に黄河が迫ってきた。甘粛省の省都蘭州も間近だ。蘭州は中国のほぼ中心部に位置する都市であり、西北部最大の工業都市だ。南北を山地に挟まれた場所に黄河に沿って細長く町が続いている。40分遅れで到着した。
蘭州まで来ると、次第に「西域」の雰囲気が感じられるようになる。ホームではイスラム教徒が食べるナンが売られていた。


夕食時なので食堂車に行こうと言ったら、シャオ同志が拒否
シャオ同志:荷物が心配だ
自分:貴重品持っていれば大丈夫ですよ。他人と同じ部屋の時だって行ったじゃないですか
シャオ同志:いや、今回は女性もいるから
自分:じゃあ列車員に鍵掛けてもらってから行きましょう。
シャオ同志:列車員が信用できん
そんなこと心配する前に、自分の軟弱な腹を心配しろと言うところだが、仕方が無いので、各人が食べたい物を食堂車で選んで部屋に持ち帰る事にした。
蘭州を出て2時間あまり、すでに外は闇に包まれる中、全長20キロの烏鞘嶺トンネルに突入する。かつて蘭新線最大の難所で、10年前は蒸気機関車牽引で峠越えした烏鞘嶺。現在は複線のトンネル(単線2本)が貫通しわずか10分で突破する。出てしばらくすると、列車員が「部屋のカーテンを閉めろ」といちいち言いに来た。この辺りに軍事施設があるという話は聞いたことないし、昼間通る列車も多い。いったい何のために言いに来たのだろうか。
武威、金昌と河西回廊のオアシス都市に停車する。といっても町は駅から離れているので、辺りは真っ暗。なので、部屋の明かりを消し、月明かりの元でビールを飲み続けた。このあたりは勾配がきついためΩ線が多く、月の位置がめまぐるしく変わる。これが新月だったら、満天の星空が見えたことだろう。張液辺りで就寝(したと思う)。
深夜2時過ぎ、トイレに起きると列車は嘉峪関に到着するところだった。なのでトイレも封鎖。しかも嘉峪関で電化区間が終わるため、機関車交換をするので、とても長く停車する。トイレの前で悶える事15分、まだ構内は出きっていないが、動き出してすぐ鍵を開けてくれた。その後再び就寝する。
早朝5時、起きると列車は甘粛最西部の荒野を走っていた。次の停車駅は柳園。かつて敦煌の最寄り駅だった駅だ。4月以前のダイヤだとこの時期は嘉峪関で日の出だったが、現行ダイヤだと柳園付近で日の出となる。前日あれだけ遅延していたのに、いつのまにか定刻通りになっていた。

次第に北東の空が白みだしてくる。天気も良く、きれいな日の出が拝めそうだったのだが、タイミング悪く柳園駅に到着。なかなかうまくいかないものだ。すでに軟臥は大半の客が下車しており、自分達だけじゃないかと思う静けさだ。柳園発車後再び眠りについた。

「乗客の皆さんおはようございます。今日は6月26日火曜日、旧暦の5月12日。これから今日最初の放送を始めます。」
朝の放送開始とともに本格的に目覚める。まもなくハミ駅に到着。発車後、畑や並木道が続く郊外を走る中、4人で食堂車に朝食を食べに行った。前日の麺に漬物3種類とゆで卵が付いて10元。麺は3種類から選べる。他には20元もする洋食メニューがあるが、大した物ではないので頼む必要はまったくない。

ハミを出ると、列車は再び荒野の中を走る。地平線まで岩と砂の世界が続いている。ハミを出て時間、最近油田開発が盛んなピチャンに到着。

周辺には開発中の油井が点在していた。この辺りはほとんど街がないため、客扱いをする駅はわずかなので、距離の割りに停車駅は非常に少ない。列車は常に130キロ超の高速で走り続ける。

13:00、列車は8分早くトルファンに到着した。といってもトルファン駅は町からかなり離れており、車でさらに移動しなければならない。ウルムチを目指す列車を見送り、駅前を後にした。

つづく
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