鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

【灼熱のシルクロード】 回上海   07年7月1日in中国

2007年12月09日 10時30分02秒 | 07年6月シルクロード


いよいよ上海に戻る日が来た。帰りは飛行機で帰ることになる。
ただ、今回はウルムチ→上海であまり安い航空券が見つからなかったので、西安経由杭州行きで杭州まで行き、そこから陸路で帰る。
早朝5時台に起きて、7時前にはホテルを後にして、タクシーで空港に向った。ウルムチの空港は規模はそれほど大きくないが、近年新しくターミナルが建てられたため、かなりきれいだ。ちなみにロシアや中央アジア方面、そしてなぜかソウル行きの国際線がある。
シャオ同志の希望で空港に入っている店舗で、最後のベストフードバーガーに舌鼓を打つ。※ベストフードバーガーについては【灼熱のシルクロード】トルファン1日目  街へを参照のこと。
今覚えば、この時点でよくシャオ同志はハンバーガーなんて食べれましたな。

今回搭乗するのは海南航空だ。海南航空は1993年に運行を開始した新しい航空会社で、現在、旧中国民航系の3社に次ぐ中国第4の航空会社である。民航系に比べるとサービスも良いと言われている。実際、今回の感想としては、過去に乗った国内線(東方・国際)はおろか、国際線(南方・国際・上海)より客室乗務員はしっかりしていた。
また新しい会社ということで、機材も新しい物が多く、今日乗るのも海南航空グループ傘下の長安航空のB737-800(那覇で燃えた奴)だった。

定刻通りに離陸し一路西安に向けて進む。昨日行った天池があるボゴダ峰を眺めながら高度を上げていく。水平飛行に入ってまもなく、飲み物のサービスと機内食の配布が始まった。今まで食べた中国の国内線機内食では一番の出来だ。

(米飯と面条の2択だった)

甘粛北部から内蒙古にかけての砂漠の上空を抜け、約2時間半で西安に到着。経由だが一度全員降ろされる。なので空港をブラブラ。観光都市だけあって、国内線であるにもかかわらず日本語のアナウンスがあった。

再び搭乗し西安を出発。その後再び機内食が出てきた。今回は軽食といった感じだ。すでにシャオ同志は下痢になっており、断ろうとしていたが、2種類を食べ比べたいので、自分が2人分貰った。しかし国内線で2択。CAやFWは国際線でも選択無しだったが・・・

20分ほど遅れて杭州に到着。生憎空港から上海行きのバスは存在しないようだったので、バスに乗って杭州駅に向った。

ただ今日は日曜日。切符が買えるか不安だ。とりあえず良い時間の動車組を所望するが、この日から上海南杭州間の動車組はダイヤが大幅に変わっており、列車自体が存在しなかった。
なおCRHの数の不足から、上海杭州間の動車組は全国版時刻表に載っている列車の一部しか運行していません。最初の目録に「運行日時は駅公告を確認」と書かれている物はまだです。

そこに黄牛(ダフ屋)のおばちゃんが近づいて来る。義烏発上海南行きT780次の二等軟座が4枚あるという。仕方が無いので、正規価格44元のところ、一枚55元で購入した。

この列車の車両は90年代半ば当時、この地域でしか運用されていなかった特注の25K型を使用している。特等軟座・一等軟座・二等軟座からなっており、特等軟座は1・2配列のかなり豪華な物だ。

自分達が乗るのは2等軟座だが、以前湖南省で乗ったRZ25Zの詐欺二等軟座と違い、それなりの質が確保されている。無座の客は二等軟座に乗るので、立ち乗りも多い。

シャオ同志の下痢はかなり深刻で、15分おきくらいにトイレに行っていた。約1時間半で上海南駅に到着。タクシーで帰ろうかとしたが、乗り場は長蛇の列に対し、タクシーがまったく来ていないので、あきらめ地下鉄で延長路に帰った。

今回の旅行、トルファンまでT52次の軟臥1部屋を占有して行けたのは良かったが、鉄道で片道4000キロも移動して2都市というのは少し勿体無かった。あと4日くらいあれば、南彊線でカシュガルまで行けただろうに。

おわり

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【灼熱のシルクロード】中国のスイス 天池 07年6月30日in中国

2007年12月08日 21時53分39秒 | 07年6月シルクロード

天池はウルムチの北、標高5000メートル級の山が連なるボゴダ山脈の最高峰ボゴダ峰の中腹にある景勝地で、緑の山に囲まれた湖の背後には雪を頂くボゴダ峰が聳え立っている。

今回は旅行社の団体ツアーに参加して行く。朝早く起きると、高層ビル群の向こうに万年雪の積もるボゴダ峰が見えた。今日はあの山のふもとまで行くことになる。

バスで迎えに来た後、ウルムチ市内のホテルを周って高速道路に入る。昨日とは打って変わって青空が広がっていた。高速道路を走ること1時間半、天地の麓に到着。徐々に山道を上がって行く。

だが、ツアー名物の土産物説明会にまず連れて行かれる。まったく見る気は無いので、近くの川沿いをブラブラ。濁っていない川を見るのは久しぶりだ。
    

再びバスに乗り、天池の入口に到着。しばらく走ると駐車場に着き、ここからは公園のバスで登ることになる。(ロープウェイもある。)バスを下車後、昼食となる。昼食代はツアー代に含まれており、ポロかラグ麺から選択できる。

ただここで問題発生。ヤ~メイ姉さんが前日の羊肉の食べすぎで体調不良だったのだが、進むにつれてどんどん悪くなっていき、ここまで来るとご飯も食べれない状況になってしまった。
食後、なんとか天池の淵まではたどり着いたが、これ以上は無理と言うことで、3人はタクシーで先に帰ることに。自分はこのことをガイドに伝えることと、3人分満喫して写真を撮るため残った。

  

  
天池の周りを歩いた後、どう戻ろうか考えていたら、天池から流れ落ちる滝と川に沿って遊歩道があるのを発見。まだ時間もあったので、歩いて駐車場に戻ることにした。途中滝の水で半分水没した場所もあったが、なんとか降りきり駐車場に到着した。

  

と言っても、まだ時間があったので周辺でウダウダしているとヤギの大群が登場。傍から見ると可愛いが、通り過ぎた後には糞が散乱していた。

  

帰りのバスの中では、周りの中国人が「日本人のグループがいないぞ」と噂していたが、特に気にも留めず車窓を眺めていた。
ウルムチ市内に入ると再び玉の専門店に入る。さすがに行く気はしないので、ガイドに断ってタクシーでホテルに帰った。


ウルムチ最後の夜は、3人で火鍋を食べた。ここで食べ過ぎて翌日シャオ同志まで腹を壊すことになる。まあこれはいつもの事だが。

つづく

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【灼熱のシルクロード】トルファン→ウルムチ 07年6月29日in中国

2007年12月08日 15時48分02秒 | 07年6月シルクロード


今日は高速バスでウルムチに移動する。
3日間滞在したトルファンに別れを告げ、高速道路を西に向う。

南彊線の線路を跨ぎ、渓谷に入る。トルファンとウルムチの間には山地があるので、山越えをすることになる。


しばらく走ると山地を抜けウルムチ側の盆地に出る。トルファン周辺や山岳地帯の荒涼とした景色が一変し、緑の平原が広がっていた。ただウルムチ側は天気が悪く、あまり見通しがよくない。06年4月の全国鉄道時刻表(大版)の表紙のような、草原の向こうに雪を頂くボゴダ峰は見ることができなかった。


ずっと鉄道と並行して走っているので、次々と貨物列車を抜かして行く。

途中、サービスエリアで休憩。田舎の高速道路なのであまり整備されていない。しかも風が強く、トルファンと比べて20度は気温差がありそうな感じだ。正直寒い。

トルファンを出て3時間あまり、前方の丘の間からウルムチの町が見えてきた。新疆ウイグル自治区の首府ウルムチ(烏魯木斉)は世界で一番海から離れた町だが、現在は中央アジア一の工業都市として発展している。高層ビルが林立する大都会だ。

ウルムチではトルファンと同じくCtripで予約したホテルに泊まるが、今回は奮発して4つ星だ。というのも上海の3つ星並みの料金のホテルを見つけたからだが。バスタブもあるし、高層階なので、ウルムチの町並みを一望できる。ホテルに旅行社が入っていたので、翌日の天池ツアーの申込みをした。

天気は生憎の雨だったが、国際大バザールにみやげ物を買いに行く。国際大バザールはウイグル族が多く住むエリアに位置し、地下にカルフールを配したショッピングモールで、新疆の民芸品や玉なんかを売っている商店が軒を連ねている。また周辺にはウイグル料理の店が並んでおり、夕食はここで食べた。



新疆の料理で代表的なものは、
ポロ:新疆炒飯。中国語名は「抓飯」どちらかというとピラフに近い
ラグ麺:いわゆる拌面。トマト風味の物が多い。
シシカバブ:羊肉の串焼き
羊肉餃子:羊肉を使った水餃子。正直なところ微妙
など。他にはやはり羊肉を使ったものが多い。


つづく

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【灼熱のシルクロード】トルファン3日目 ピチャンの砂漠に行く  07年6月28日in中国

2007年12月08日 11時54分01秒 | 07年6月シルクロード


シルクロードというと、砂丘が連なる砂漠のイメージがあるかもしれないが、実際のところあまり目にすることはない。主要都市はもちろんのこと、南彊線を含む鉄道の車窓からも見ることはできない。まだ行ったことがない西域南道やタクラマカン砂漠を縦断する砂漠公路でないと難しいだろう。

ただトルファン地区のトルファン市の隣りの鄯善県(ピチャン)は、町の傍まで砂漠が広がっているので行くことにした。
トルファンからバスに揺られること1時間半(たしか12元くらい)、ピチャンのバスターミナルに到着した。

出発が遅かったため、早くも昼飯時なので、バスターミナル脇の食堂で昼食をとる。いわゆる拌面(麺に何らかの具を入れて混ぜる物)で、久しぶりに中華っぽい物を食べた。

バスターミナル前の道から路線バスに乗り、終点にある砂漠公園を目指す。この町は油田開発の拠点となっているので。町はきれいに整備されているが、人口はそれほど多くないので、あまり歩いている人は見かけなかった。

公園に到着。学割で入場した。なおここの砂漠はタクラマカン砂漠でなく、クムタグ砂漠というまったく別物の砂漠である。

「○球の歩き方」には、「砂に足をとられながら、苦労して砂丘の頂上まで登るとどこまでも連なる砂漠を見ることができる」と、大変ではあるが、何とか登りきれるレベルの如く記載されている。
が、実際のところは、50度の炎天下では半分登るのが精一杯だ。
結局、頂上まで上り地平線まで連なる砂漠を見ることはできなかった。まあ砂漠の中を歩けただけ良しとしましょう。


下の方は遊歩道が通っていて歩きやすいが、歩いていると、砂漠の真ん中でゴミ箱を発見。不思議な光景だ。

帰りは、再びバスで帰るので、バスターミナルに戻る。シャオ同志が切符を買いに行くが、「今日はもう無い」と言われ戻ってくる。売り切れなのか、便が無いのかはよくわからないが、どうしようか迷う。するとウイグル人のお兄ちゃんが近づいてくる。
トルファンまで乗り合いタクシー1人20元。何人だ?
4人だけど
じゃあすぐ出発できるぞ

即決。ということで、帰りはエアコンが効く快適なフォルクスワーゲンのサンタナでトルファンに戻る。
新疆には乗り合いタクシーがある。バスターミナル内に停車し、フロントガラスに許可証(運行区間とかも記載されている)を出していれば、区間ごとに運賃が決まっているため、安心して利用できる。ただ4人集まるまで出発しないため、1人で乗る場合、集まるまで待つか、4人分払うかする必要がある。今回は4人できたのが幸いしてすぐ出発することができた。

この運転手曰く、
以前日本人ボランティアがピチャンに教育支援に来たそうで、彼らが帰国する際にウルムチの空港までこの車で送ったらしい。

帰りは早く、1時間もかからずに到着。しかもホテルに直接行ってくれるのがありがたい。

明日はいよいよバスでウルムチに移動します。

つづく

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【灼熱のシルクロード】トルファン2日目  07年6月27日in中国

2007年12月07日 21時59分02秒 | 07年6月シルクロード


2日目はトルファンの観光地を回るツアーに参加する。
今回は予約の段階でホテルは朝食付きだったので、とりあえずホテルのレストランに行き、朝食を食べる。3つ星ならこの程度かなと言ったところか。ただ場所柄、果物が充実していたし、ポロ(新疆風の炒飯)もあるのもありがたい。

車が来たので、4人乗車し出発。とりあえず高昌古城を目指す。町の郊外に差し掛かった辺りで、大勢の行進する兵士を発見。銃を持っている兵もいれば、スコップを持った兵もいる。新疆生産建設兵団だろうか。

火焔山の前を通り過ぎる。ここも観光地だが、基本的にはただの山。しかも登るわけではない。山を見渡せる平地の一部を柵で囲み、記念撮影用に駱駝を配しているだけで、高い入場料を取るぼったくり観光地だ。車で前を通る時に見るだけで十分である。

到着後、ドライバーに今日周る観光地の旅行社向け通し入場券を貰い入城する。入口からメインの遺跡群までは徒歩でも行けなくはないが、炎天下を歩くのは厳しいので、基本的には驢馬車で行くことになる。高昌故城は、かつてこの地域に栄えた高昌国の国都で、玄奘三蔵が印度に向う途中に滞在し、説法を行ったこともある。ただ今は完全に廃墟と化している。驢馬車で記念写真を撮ったが、当然あとで撮影代撮られました・・・



お次はアスターナ古墳。昔、中学の国語の授業で、法隆寺の獅子狩文錦の由来に関する文章の中で、この古墳から発見された遺物がどうこうという記述があったが、
まさかその古墳に来ることがあるとは思いもよらなんだ。
人生何があるかわかりませんな。

基本的に平坦な場所にトンネルが潜り込んでおり、地下に墓室がある。公開されているのは3つだけだが、地下にミイラがあったりと、なかなか見ごたえがある。

車に乗り込み、のどかな農村を抜けて再び国道に出る。次に行くのはベゼクリク千仏洞だ。ここは6世紀から13世紀にかけて作られた石窟で、特に西ウイグル帝国の9世紀ごろが建設が盛んだったらしい。(当時、ウイグル族は仏教徒だった。)

残念ながら、仏像や壁画はこの地がイスラム化する中で、偶像崇拝を否定するイスラム教徒によって大半が破壊されてしまい、ほとんど完全な形では残っていない。その壊し方がまたひどく、
剣の剣先で顔だけ剥ぎ取りました。と、いかにも「民度の低い下級兵士がしました」と言った雰囲気だ。
いくらばかしか残った壁画も、19世紀末から20世紀前半にかけてこの地を訪れた欧米の探検家によって持ち帰られてしまい、完全な状態で残った仏像・壁画はごくわずかだ。欧米人探検家の言い分は「イスラム教徒が大勢いるここに置いておくより、ヨーロッパの博物館の方が安全」というものだが、ドイツ隊が持ち帰った壁画は、第2次世界大戦の爆撃で博物館が焼け落ち消滅した。
一方、天井には未だ壁画が残っているが表面には泥が塗られている。この地にイスラム教徒が迫る中で、少しでも壁画を残そうと当時の仏教が隠した痕だ。


続いて昼食をとる。葡萄溝という観光地の傍に軒を連ねる観光レストランの一つに入った。ぶどう棚の下で食事を取る。ポロ、ラグ麺、トマト卵炒め、羊肉炒め・・・。なお最初に果物と干し葡萄が出てきた。「免費(ただ)」とは言うが、みやげ物のサンプルのつもりだろう。買わなければいいだけなので、ありがたく頂いた。


昼食後はまず蘇公塔に行き、続いて交河故城に行く。ここは両側を川に面した崖で囲まれており、さながら軍艦の様相を呈している。保存状態も高昌故城より良く、見ごたえがある。ただこの日は朝から気温40度の中歩き回っているので、さすがに厳しい。



最後はカレーズ記念館に行く。カレーズはイスラム世界に広く伝わる井戸で、山近くの水源から地下トンネルで水を引いている。最後の最後で一番涼しい観光地だった。

ちなみにこの日の夕食はハミ瓜。疲れ果てて食欲もわかん。

22時でこの明るさ!中国は国内に時差がない。

つづく

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【灼熱のシルクロード】トルファン1日目  街へ    07年6月26日in中国

2007年12月07日 18時23分10秒 | 07年6月シルクロード


トルファン駅は非常に町から離れているので、バスかタクシーで中心部に移動する必要がある。駅から徒歩約5分。大河沿鎮バスターミナルに到着。ここからはトルファン市内だけでなく、南彊の主要都市に向けて長距離バスが出ている。

小さなマイクロバスに乗り、トルファン市内を目指す。今思えば、4人なので乗り合いタクシーのほうが効率的でしたが。

この辺りは雪解けの季節になると、北の山から大量の水が洪水の如く流れ出てくるので、水害の後のように荒涼としている。所々、道路も流されていた。のんびり走ること40分、次第に農村が広がってきた。建物も見え始め、きれいに舗装された道路に出た。この道を西に向うとウルムチに向う高速道路となる。

駅を出て1時間あまり、トルファンのバスターミナルに到着。客引きが大挙して押し寄せるが、ことごとくはね退けホテルを目指す。ついには日本語を操るウイグル人ガイドがホンダのフィットアリアに乗って登場。かなりしつこくついて来る(ホテルのロビーまで来た)が、当然断った。

午後はシャオ同志と、翌日のトルファンツアーの申込みに行く。ツアーと言っても車チャーター+入場料だけだが。ぶどう棚の通りを抜け旅行社に到着。シャオ同志が的外れな発言を連発して時間が掛かったが、なんとか手配完了。その後は4人で市場に見物に行った。

以前、カシュガルに行った際、ちょうど日曜日のバザールがあったので、それに比べると小規模だし、時間が夜7時(北京時間)なので開いている店も少ないが、店先にぶら下げられた羊肉など、新疆の市場の特徴を見せることはできたと思う。


この写真はカシュガルのベストフードバーガーです。

夕食はベストフードバーガーで食べる。
ベストフードバーガーは新疆を本拠に展開している中国資本のファーストフード店だ。
店の内装はマクドナルド、店員の服装はケンタッキーに似ているが、
シシカバブ風味の鶏肉のバーガーなど味は独自色を出しており
パンはパサパサ、ポテトは水っぽくて味が改悪される一方のケンタッキーより100倍おいしい。
特にシャオ同志がとても感動したらしく、結局新疆滞在中に3回行くことになる。


ホテルに帰る途中、姉さん達が外でハミ瓜を丸々1個買ったので、ホテルに帰った後、全員で食べきった。これを3日連続ですることになる。


つづく

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【3度目のシルクロード特快】 T52次 上海→トルファン 07年6月24日in中国

2007年12月05日 22時17分01秒 | 07年6月シルクロード


HSKも無事終わり、いよいよ出発する。と言っても夜までかなり時間があったわけだが。
7時15分に寮のロビーに集合する。今回は酒好きの姉さんがいるので、寮の売店で缶ビールを10本ほど購入した。
この売店は留学生宿舎にあるにもかかわらず、コンビニと同じ価格で販売する良心的な店である。さらに特出すべき事は、瓶に付いた水滴が氷る程ビールがキンキンに冷えていることだ。中国では冷えた飲み物はかなり貴重だ。
大学正門前のローソンの冷蔵庫などは既にガラス戸付き陳列棚と化しており、何のために電気を消費しているのか理解できない。
個人的にお勧めな上海のコンビニは好徳。中国資本だが、冷ケースの飲み物はしっかり冷えているし、ほぼ例外なく公共交通カードのチャージができるのがありがたい。


話がそれた。
とりあえず全員集合したので、タクシーで上海駅に向かった。逆方向なので渋滞も無く到着。駅の軟席侯車室に入る。すでに北京行きZが出た後なので、閑散としていた。放送が入る前に、服務員の肉声で改札開始。軟席侯車室の客を先に行かせるために、早く始めるわけだが、混雑する上海駅は結局早めに改札開始するので、硬座や硬臥の客と一緒に階段を下りる。

ホームに降りると、硬座に向けて走る人民に混ざりながら、7号車を目指す。天井の電光掲示板には
「T52次 20点48分 開往烏魯木斉」
の文字が輝いていた。いつ見てもいいものだ。3度も乗らせるだけの魅力がこの列車には備わっている(気がする)。
まず自分達のコンパートメントに行き、荷物を置く。前回知り合いを見送る際に見た車内更新車ではないが、車齢5年なので十分だ。

シャオ同志と2人で先頭の機関車に記念写真を撮りに行く。途中、硬座の前を通るが、すでに無座の客で溢れ返っており、補票を求める長い列ができていた。
牽引機は西安鉄路局西安機務段所属のSS7E型。ということは電化区間でも1回機関車交換すると言うことか。

20:48、列車は定刻通りに西へ向けて動き出した。

「今日の乗務は、ウルムチ鉄路局・ウルムチ客運段・上海列車隊・第三乗車組。人民鉄路は人民の為には我々の・・・」

お決まりのセリフの車内放送が流れる。よくもこんな心にも思っていないことを平然と言えたものだ。早速ビールを飲み始める。まだ少し冷えていた。外を見ると半月が輝いている。
すぐビールは無くなった。さて寝ますかと言ったところだが、姉さんはまだ飲み足りないらしく、車内販売のビールを買いに食堂車に向った。車内販売が周って来なくても、倉庫は食堂車にあるので、行けば常時売ってくれる。車内販売のビールは大概所属鉄路局の地元のビールで、この列車も新疆の烏蘇ビールを売っていた。なかなかの味だ。

上海を出て約3時間、南京に到着した。ここを出るといよいよ長江を渡ることになる。長江大橋を渡る列車から長江を眺めた後、就寝した。


「各位旅客、工作人員同志請注意。由上海開往烏魯木斉方向去的T53次列車已経到達商丘車站・・・」
早朝4時、目を覚ますと、ちょうど京九線と隴海線の交差する商丘に到着したところだった。すでに列車番号は徐州からT53次に変わっている。再び眠りに着く。



7時半ごろ起床すると、列車は河南省西部を走行中だった。次の停車駅は陝西省の省都西安だ。まもなく古都洛陽を通過した。この辺りは80年代に輸入された川崎重工製の6K型電気機関車が集中配備されており、貨物列車の牽引で垣間見ることができる。
朝食は車内販売の麺を食べる。乾麺を茹でてトマト風味の汁に入れたもので1杯5元。車内販売の食品としては安い部類に入る。

さて、軟臥には乗客数分のスリッパが備え付けられている。夕発朝着の列車だと使い捨てが多いが、こういう長距離列車は使いまわすためにサンダルの場合が多い。
この列車のサンダルはNIKEの偽物だ。
だが何かおかしい。よく見ると一つだけ綴りが違うではないか!
なぜ中途半端に一つだけ・・・?

三門峡を過ぎていよいよ陝西省に入るが、明らかに遅れている。隴海線の鄭州西安間は中国有数の過密路線で遅れが恒常化している。加えてこの区間は通った回数が多いので景色にも目新しい物はなく、非常に時間が長く感じられた。
ようやく西安近郊に達するが、貨物ヤード脇で臨時停車。ハンプヤードで仕訳けされる貨物列車を見ながら暇を潰す。

結局45分遅れで西安に到着した。定刻だと8分の停車で、その間に西局から蘭局の機関車に交換するのだが、明らかに間に合わない。加えて定刻だと、T53次の約1時間後に設定されている宝鶏行き動車組を先発させるようで、20分近く停車することになった。
まあ途中で臨時停車して抜かれる屈辱を味わわないだけマシか。
特快が通過待ち・・・時代は変わりましたな。

西安発車後は非常に飛ばす。なんといっても先行の動車組が露払いをしてくれるので、邪魔な列車は全て待避線行き。
いいぞ!これで遅れも大幅短縮だ!
と言いたいところだが、25K型はそこまで高速巡行にむいていないので、たまに減速する。

50分遅れで宝鶏に到着した。ここから宝成線を南に下れば四川省成都、さらに成昆線を南下すれば遠く雲南に至る。北方では珍しく套餐が売っていたので、昼食用に購入した。

宝鶏を出るとそれまでの平坦な地形が一変し、渓谷の只中に入る。この辺は隴海線有数の難所だったが、西行きのみ大幅な直線化が行われており、常時、時速100キロ超の高速で走行する。川の対岸には東行きの線路が走り、長大な貨物列車が通過していた。

天水を出ると今度は黄土高原の中を列車は進む。夏だというのに荒涼とした丘が連なっていた。
次第に日が傾く中で、右手に黄河が迫ってきた。甘粛省の省都蘭州も間近だ。蘭州は中国のほぼ中心部に位置する都市であり、西北部最大の工業都市だ。南北を山地に挟まれた場所に黄河に沿って細長く町が続いている。40分遅れで到着した。
蘭州まで来ると、次第に「西域」の雰囲気が感じられるようになる。ホームではイスラム教徒が食べるナンが売られていた。

夕食時なので食堂車に行こうと言ったら、シャオ同志が拒否

シャオ同志:荷物が心配だ
自分:貴重品持っていれば大丈夫ですよ。他人と同じ部屋の時だって行ったじゃないですか
シャオ同志:いや、今回は女性もいるから
自分:じゃあ列車員に鍵掛けてもらってから行きましょう
シャオ同志:列車員が信用できん

そんなこと心配する前に、自分の軟弱な腹を心配しろと言うところだが、仕方が無いので、各人が食べたい物を食堂車で選んで部屋に持ち帰る事にした。

蘭州を出て2時間あまり、すでに外は闇に包まれる中、全長20キロの烏鞘嶺トンネルに突入する。かつて蘭新線最大の難所で、10年前は蒸気機関車牽引で峠越えした烏鞘嶺。現在は複線のトンネル(単線2本)が貫通しわずか10分で突破する。出てしばらくすると、列車員が「部屋のカーテンを閉めろ」といちいち言いに来た。この辺りに軍事施設があるという話は聞いたことないし、昼間通る列車も多い。いったい何のために言いに来たのだろうか。

武威、金昌と河西回廊のオアシス都市に停車する。といっても町は駅から離れているので、辺りは真っ暗。なので、部屋の明かりを消し、月明かりの元でビールを飲み続けた。このあたりは勾配がきついためΩ線が多く、月の位置がめまぐるしく変わる。これが新月だったら、満天の星空が見えたことだろう。張液辺りで就寝(したと思う)。

深夜2時過ぎ、トイレに起きると列車は嘉峪関に到着するところだった。なのでトイレも封鎖。しかも嘉峪関で電化区間が終わるため、機関車交換をするので、とても長く停車する。トイレの前で悶える事15分、まだ構内は出きっていないが、動き出してすぐ鍵を開けてくれた。その後再び就寝する。


早朝5時、起きると列車は甘粛最西部の荒野を走っていた。次の停車駅は柳園。かつて敦煌の最寄り駅だった駅だ。4月以前のダイヤだとこの時期は嘉峪関で日の出だったが、現行ダイヤだと柳園付近で日の出となる。前日あれだけ遅延していたのに、いつのまにか定刻通りになっていた。

次第に北東の空が白みだしてくる。天気も良く、きれいな日の出が拝めそうだったのだが、タイミング悪く柳園駅に到着。なかなかうまくいかないものだ。すでに軟臥は大半の客が下車しており、自分達だけじゃないかと思う静けさだ。柳園発車後再び眠りについた。




「乗客の皆さんおはようございます。今日は6月26日火曜日、旧暦の5月12日。これから今日最初の放送を始めます。」
朝の放送開始とともに本格的に目覚める。まもなくハミ駅に到着。発車後、畑や並木道が続く郊外を走る中、4人で食堂車に朝食を食べに行った。前日の麺に漬物3種類とゆで卵が付いて10元。麺は3種類から選べる。他には20元もする洋食メニューがあるが、大した物ではないので頼む必要はまったくない。

ハミを出ると、列車は再び荒野の中を走る。地平線まで岩と砂の世界が続いている。ハミを出て時間、最近油田開発が盛んなピチャンに到着。

周辺には開発中の油井が点在していた。この辺りはほとんど街がないため、客扱いをする駅はわずかなので、距離の割りに停車駅は非常に少ない。列車は常に130キロ超の高速で走り続ける。

13:00、列車は8分早くトルファンに到着した。といってもトルファン駅は町からかなり離れており、車でさらに移動しなければならない。ウルムチを目指す列車を見送り、駅前を後にした。


つづく

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3度目のT52次 切符購入まで 07年6月14日in中国

2007年12月04日 19時47分30秒 | 07年6月シルクロード
それまで2回乗っていた上海発ウルムチ行きT52/53次。ただ2度とも真冬だったので、一度は夏に乗っておきたかった。
6月24日のHSKが終われば、留学も終わったようなものなので、最後の1週間の授業は無視し、HSK終了後にすぐ出発に決定。早くもシャオ同志が一緒に行くと言ってきた。なんでもHSKの補講で「あなたはB班からやり直した方が良い」と言われてショックを受け、今学期は捨てたらしい。

だが、それでも授業に未練があるシャオ同志、「できるだけ授業出たいから往復飛行機が良い」「最低でも片道に抑えて欲しい」「1人だけ列車で行って向こうで合流」とか、色々とバトルが繰り広げられる。
結局、やはり行かないという結論に達した。

だが、もし行く場合一緒に行く予定だった2人の姉さんが「42時間?面白そう、乗りたい」と言い出したため、180度方針転換。結局、往路鉄道復路飛行機で行くことが確定した。
決まったからには切符を買いに行かねばならない。ウルムチ行きの特に軟臥はとても買いづらいものがあるため、発売開始日の朝に買いに行くことにする。(時期的に普通の切符は買いやすい時期だが、ウルムチ行きは年間を通して買いづらい)

発売開始日、つまり6月14日はちょうどエルリンが一時帰国する日だったので、寝坊を心配する必要もなかった。7時過ぎにシャオ同志と地下鉄で駅に向かう。駅前で朝食を取り、8時の営業開始と同時に軟席切符売場に入る。

「24日のT52次、トルファンまで軟臥4枚!」

端末に打ち込む販売員のおばちゃん。ところが「已售完(すでに売り切れ)」の文字が出る。一瞬焦るが、おばちゃんは意にも介さず設定を「站售」に変えて再入力。今度は4枚分がしっかり表示された。

駅にもよるが、切符は全て売場で売られるわけではない。実際はネット・電話予約割当(ある駅と無い駅がある)、大手旅行社割当、内部票(国鉄関係者向け割当)、駅販売割当などがある。
なので駅で売られるのは駅販売割当と発売開始日時点でまだ余っている他の割当だ。
今回は最初の時点で他の割当の設定になっていたので売り切れと出た(と思う)。

とにもかくにも切符購入に成功。あとは帰りの航空券をゲットして出発を待つのみだ(HSKの勉強しろ!)

つづく

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灼熱のシルクロード トルファン・ウルムチ 07年6月24日→7月1日in中国

2007年12月03日 22時21分11秒 | 07年6月シルクロード

中国の鉄道に乗るようになってからの夢。それは2晩夜行の軟臥を4人で一部屋使って旅行に行くという事だった。そしてついにそれを実現する時が来た。

今回はHSKが行われた6月24日の夜から、7月1日にかけて行われた留学生活最後の大規模な旅行について記載する。日程は以下の通り。

6月24日:昼間HSKを受ける。20:48発のT52次で出発
  25日:ひたすら車内
  26日:聴力の再試験が行われると言う情報が舞い込む。13時頃トルファン着
  27日:トルファン観光
  28日:ピチャンに砂漠を見に行く
  29日:バスでウルムチへ
  30日:天池観光
7月 1日:海南航空で杭州へ。杭州から鉄道で上海に戻る

10日以内には書き終えるでしょう。