鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

国慶節旅行⑤ K146次

2006年10月30日 02時15分40秒 | 06国慶節
       
3日間の昆明滞在を終え、いよいよ成昆線で成都に向かう。成昆線はかつて軍事路線として建設された長大なトンネルあり、橋梁あり、ループ線ありの鉄道で、標高3000~4000メートルの山が連なる山岳地帯の中の谷間を縫う様にして通っている。景色がいいことで有名な路線である。昆明と成都の間には、この成昆線経由の快速列車が3本(うち1本は陝西省西安行き)走っており、今回乗車するのは昆明20:10発のK146次で、成都には翌日の14:34に到着する。
        

特にすることも無くなっていたので、18:30には昆明駅に到着し駅構内を見物。新しいだけあってきれいで開放感のある造りだった。今回は硬臥なので普通の待合室から入る。寝台であることに変わりは無いので、自分の席は確保されているわけだが、お土産を買って増えた荷物の置き場を確保するために、1番前のほうに並んだ。(ただ気が早いだけでもある)
 
改札を通ってホームに降りると、待っていたのは今まで乗った中では1番古そうな25G型だった。25Gは製造初年が93年だから古くても車齢13年のはずだが、メンテナンスや清掃が行き届いていないのか、70年代製造の日本の寝台車より古く感じる。同区画の人は中年のおじさん(隣の区画に家族がいた)・老婆・途中の西昌に帰る青年・ウイグル族の女性・そしてなぜかアメリカ人の中年男性であった。だがウイグル族の女性は隣の車両に知人がいるということで、巨大な荷物だけ置いてそっちに移っていった。つまり移動がきくだけ空いているということで、上段にはちらほらと空きがあるし、軟臥の隣の7号車などはもぬけの殻であった。
 
青年とアメリカ人としばし会話。といっても英語半分・中国語半分の中途半端な話だった。21:50の消灯と同時に就寝。夜だが、中秋節を2日後に控えた月明かりに照らされた地形が良く見えた。

翌日はとにかくすばらしい景色の連続であった。川の対岸の断崖絶壁は上までカメラの画面に収まらないし、肉眼で見ても霧に隠れて見渡せない。アメリカ人も「WOW!GRAET!」(綴りはあっているか?)と繰り返していた。
 
車内の散策をかねて食堂車へ朝食を食べに行く。何と座席がパイプ椅子であった。昆明鉄路局所属列車なので米線のセットを頼む。4種類から選べるというところがK79よりマシだった。(10元)しばらくしてアメリカ人もやってきてメニューには無い組み合わせを注文していた。これができるのはアメリカ人くらいであろう。(中国人だと相手にされないし、日本人はメニューに無いものを頼もうという発想自体が出てこない)
デッキの辺りでカメラ片手にブラブラしていたら、警察の職質を受ける。といっても身分証(パスポート)を見せるだけ。「japanese?thank you.thank you」と言って警官は去って行った。警官に呼び止められた時ほど、中国において日本人でよかったと思う時は無い。
 
しだいに山岳地帯も抜け、四川盆地に入ってきた。景色も普通になり、到着までもまだ時間があるのでしばし昼寝。あまり健康的な生活とは言えませんな。ちなみに昼も食堂車で食べましたが、K79と比べてメニューは多いものの、値段はさほど変わりませんでした。
 
14時過ぎに成都南駅を通過。「もう南駅か、早着かな。」と思ったがなかなか着かない。後で地図を見て気づいたが、南駅を過ぎると線路は成都中心部の東を大きく迂回し成都駅に至っていた。そりゃ時間がかかるわけである。結局10分遅れで成都駅に到着した。
とりあえず帰りの切符を買うために売り場に直行。しかし昆明とは打って変わっての混雑ぶり。北京行き・上海行きはしばらく先まで全滅で、「上海行きでも、揚州行きでも、寧波行きでも何でもいい」と言って何とか買えたのは8日の揚州行きK246次の硬臥であった。8日は授業が始まる日だが、10日中には上海に飛行機を使わずに戻れそうなので、とりあえずは安堵し、ホテルに向かった。

国慶節旅行④ 10月3日 石林へ行く

2006年10月25日 01時07分11秒 | 06国慶節

10月3日は雲南鉄路博物館など市内観光をするつもり、であったが博物館が3日まで閉館だったので急遽予定を変更して石林に行った。
石林はカルスト地形の奇観が広がる景勝地でユネスコの世界地質公園というものに認定されている。ようは山口県の秋吉台の石柱を大きくしたようなものである。本当は中国人向けのツアーに参加すれば、バス代・昼食費込みで入場料くらいの額でいけるのだが、時間に縛られたくないのと、急遽行くことになったという事情もあり、個人でバスで行った。
地○の歩き方だと「石林県の県城行きのバスで県城まで行き、そこで石林県内の路線バスに乗る」などと書いてあるが、実際は駅前の昆明鉄路局昆明鉄路国際旅行社脇のバスターミナルから石林風景区の駐車場直行のバス(宣良県経由)が出ている。運賃は片道20元で往路は2元、復路は1元の保険が取られる。
 
バスは発車後市内を抜けて昆石高速に入り石林を目指す、わけだが高速道路上でバスを待つ乗客を拾うためたびたび停車。駅前発車時点で乗車率3割程度だった車内はあっという間に満席になった。天井に付けられた液晶ではVCDでつまらなそうなカンフー映画が放映されていた。中央道のような山の中の高速道路を走ること約1時間、宣良県のインターチェンジで高速を下り宣良県の中心部に向かう。ここで半分ほどの客が降りたと思ったら、また同じ数の客が乗ってきた。その後は高速道路を横目にしながら山の中の一般道を走る。運ちゃんはチキンレースの連発であった。

昆明出発から1時間40分ほどで石林に到着。とりあえず昼食を食べる。市価から比べれば高いが、兵馬俑の近くの食堂より安くて味もまずまずだった。
いよいよ石林にご入場。風景区内でこの旅行最初で最後の日本人(老夫婦)に遭遇し、写真を撮ってもらった以外は特に書くことも無いので写真だけです。ちなみに入場料は140元。自分が今まで行った中では一番高かった。(でも九賽溝は220元らしい)
 
 
 
帰りはまた同じようにバスで昆明へ戻りました。帰りは一番前の席だったため、結構スリルがありました。液晶では「キング・コング」がやっていましたが、途中までしか見れずに終わり残念。
 
夜はせっかくなので雲南名物の米線を食べましたが、カロリーが少なすぎて空腹で眠れませんでした。

前述の通り旅行社のツアーで行った方が安いし、宣良県を経由しないため早く着きますから、よっぽど団体行動が嫌いでない限りツアーで行くことを勧めます。ただ宣良県経由のバスは宣良県・石林県の住民の生活の足にもなってますから、そういった人々の生活感を感じながらのんびり行くのもいいものです。

国慶節旅行① K79次 上海→昆明

2006年10月19日 02時11分08秒 | 06国慶節
今日(9月30日)からいよいよ国慶節旅行。授業が終わるなり軽く昼食をとって最後の準備をした後、14時にはタクシーで駅に向かう。すぐ近くに地下鉄駅があるのだから、地下鉄で行けばいいじゃないかと思うだろうが、本数が少なく混むのでもう3週間くらい使ってはいない。
14時10分には駅に着く。駅舎には「熱烈慶祝中華人民共和国設立57周年」の垂れ幕が掛けられていた。それほど極端には混んでいない駅前広場を抜け軟席侯車室(待合室)に入るが、発車まで1時間20分、改札開始までもおそらく50分はあるので暇で仕方が無い。
 
14時55分に大連行きの特快と同時に改札が始まり、エスカレーターを使ってコンコースへ。4番ホームなのだが、ホームへ下りる階段の扉はなぜか半開き、通っていいものなのかと思いながら恐る恐る入る。どうやら問題ないようなので階段を下りながら車両を覗き込むと、車両は25Gの後期型。自分が今回利用する軟臥だと前期方・後期型の違いはあまりないが、新しい=きれいなのでありがたい。
だが自分の車両に向かいながら車両を見ていてなんとなく違和感を感じる。
「何だ。昆明鉄路局じゃなくて、上海鉄路局の所属か。ん?なんか変だぞ・・・・・ゲ!」
なんと列車員が全て男なのだ。しかも中年。べつに美人の女性列車員のお世話を受けながら43時間を過ごしたかったわけじゃないが、男それもよりによって中年とは・・・早くも旅先に暗雲が立ち込める土曜の昼下がりであった。

どうやら自分が最初に来た軟臥客のようで、切符を見せると列車員室に換票用の寝台カード(臥舗票という)の入った冊子を取りに行った。このカードと切符を入れ替えることで、列車員は何番の寝台の客がどこで降りるかを把握している。自分は25号下段だったのだが、23と27の切符を持った夫婦が同室にしたいというので交換して23に移る。自分の同室の人は向糖の実家に帰る若夫婦(奥さんは妊娠中)と昆明に旅行に行く親子のうちの母親でした。
 
15時30分、列車は定刻どおりに上海駅を発車。発車間際に自分の車両まで間に合いそうにない硬座の客が懇願して軟臥から乗車。鬼の形相の列車員と食堂車のコックに硬座へと追い払われていきました。発車後RZ24を連結した列車とすれ違い驚く。さらにSS7E牽引のT54次ともすれ違う。列車員が中年親父であること以外は幸先のいいスタートだった。
旧上海西駅を通過し、南京方面の線路と別れを告げる。20年ほど前の日本から修学旅行に来ていた高校生が大勢亡くなった列車衝突事故の現場がこの辺りと聞いたことがある。当時自分は1歳か2歳くらいだったと思うが、親いわく「TVで専門家が模型を使って解説するのを食い入るように見ていた」とのこと。
  
上海を出て38分、定刻どおりに最初の停車駅松江に到着。言うまでもないが、ここは島根県でなく上海市内である。同室のおばさんに煮卵をもらう。相変わらず殻が剥きづらいが味はいい。
次第に暗くなる中、10分遅れで杭州東に到着。杭州を通過する列車は杭州駅を通らずにここを通ることが多い。発車後食堂車に夕食を食べに行く。雲南へ行く列車だから比較的安い料金設定を期待していたが、今まで乗った中で1番高く、1番メニューが少なく、1番まずかった。(がっかり)もう昼食・夕食では2度と来ないことを誓う。
先行列車が遅れているのか、客扱いしない駅で何度も臨時停車する。ひどい時は先行の南京西発広州行き普快、先々行の深セン行き臨時列車が同じローカル駅に停車していた。あれが例の深セン行き臨時列車かぁと見ていたら、突然の怒鳴り声。何かと思ってみてみると、軟臥の乗客と列車員が言い争いをしていた。
何を言っているかはほとんどわからなかったが、どうやらその乗客のコンパートメント内の何かが壊れたのに、列車員がなかなか修理しないのに怒っているようだった。また「○×※□交通部的官員×□※○・・・」と言っていたので、乗客は交通部の役人のようだった。素直に修理すればいいものをいつまでも食って掛かる列車員も列車員だが、役所の威光をバックに怒鳴り散らす客もどうだか。ちなみに鉄道部と交通部は別の省庁である。
 
21時過ぎ、20分遅れで金華西に到着。この列車に乗って初めてホームに降りる。硬座から大勢の客が降りて行き、また別の客が乗っていった。ここは温州に向かう金温線が分岐する場所で駅の規模も大きいが、始発列車は少ない。発車後特にやることも無いので(老人並みに)早くも就寝。1日目の夜が更けていった。


2日目は午前4時すぎ、向糖で降りる客を起こしに来た列車員が部屋の明かりをつけたことで起きた。定刻だともう着くのだが、なかなか着かない。結局30分遅れで到着。2人は降りていった。この駅は京九線と交差する駅で、ここで列車はスイッチバックして再び京九線を離れ西へ向かう。
発車後、当然また寝る。その後2度寝3度寝を繰り返した結果寝すぎで頭痛になり、明るくなるころには列車はすでに湖南省に入っていて丘陵地帯を走っていたが、半日はボーとしていた。いつのまにか空いた寝台には補票で移ってきた男性客がいる。
 
9時50分、早朝の段階では30分遅れていたにもかかわらず、15分早く株州に到着。ここは北京と広州を結ぶ中国鉄路の大動脈である京広線と交差する場所で、交通の要衝として町も栄えているが、始発列車が無い。さすが湖南省の駅だけあって駅弁の種類も豊富だが、時間が中途半端なので買う気にならなかった。早く着いたにもかかわらずさらに繰り上げて定刻より20分早く出発。まあ徐々に山岳地帯に入るので余裕を持ちたいのでしょう。そして再び寝る。本当は12時ごろ停車する駅の停車時間が長めなので、そこで昼飯でも買おうかと考えていたが見事に寝過ごし16時過ぎに着く杯化までお預けとなる。

上海在住者には珍しい山がちの地形を見ながら廊下の補助椅子にボケッと座っていながら、乗客と列車員の会話を耳にする。
客:「このコンセントは使えるのか?」
列車員:「電気が流れていないから使えない」
客:「マジかよ!?」
ようするに実際流れているかの事実関係は別として使うなということですね。なかには利用していると列車の電気が無くなるから使うなと怒って意味不明なことを言う列車員もいるそうですが・・・
 
20分以上早く16時前には杯化に到着。着くなりホームに降りて飯を買いに行く。買うために販売部の周りの人だかりの中へ入っていると、どこからともなく「もうすぐ発車だよ」の声。乗客一同パニックになりながら駅弁を買いあさる。自分も何とか購入し、写真を撮って列車に飛び乗る。だが結局発車したのは飯を食べ終わったころだった。デマを振り撒いたのはだれだ!ちなみに杯化の杯は本当は小不(一文字)です。
 
杯化発車後、重慶方面への短絡新路線らしき橋を見る。この路線が旅客列車の運転を開始すると、今まで42時間かかっていた上海・重慶間が32時間に短縮されるらしい。
杯化を出るとこの列車は実に4時間以上駅に停車しない。山ばかりで町も少ないのでしょうがないがとても暇な4時間だ。だが車窓の景色は中央本線を髣髴とさせるきれいなものだった。
列車はすでに貴州省に入っている。貴州省は様々な少数民族・カルスト地形など観光資源の宝庫であるが、中国で一番貧しい地域でもある。
 
途中30分近い臨時停車をした挙句、15分早く貴州省内最初の停車駅凱里に到着。ここは貴州省の少数民族の村を訪れる観光の拠点で、軟臥の乗客も10人弱がここで降りていった。今まで、帰省客や学生、軍人などに囲まれて乗車してきたので登山に行くような格好で降りていく乗客を見るのは新鮮だった。ここで列車員の天敵である「自称交通部役人」が下車。これ以降の列車員は心なしか寂しそうだった。
発車後しばらくして例によって早めの就寝。一度起きるとちょうど貴州省の省都貴陽に停車していた。深夜ということもあり、ホームにほとんど人はいない。

こうして2日目の夜も列車の中で更けていくのであった。


3日目の朝起きると列車はすでに山岳地帯を抜け田園風景の中を走っていた。といってもこの辺りの標高はすでに1500メートルを越えている(と思う)。すでに稲刈りも終わり、線路際にはコスモスも咲いていてもう秋なのだという事を実感させる。
 
最後の途中停車駅枯益に10分早く到着。同室の男性1人をはじめ軟臥からだけでも5~6人の乗客が降りていった。発車後、食堂車に朝食を食べに行く。朝食のセットは10元で夕食に比べればマシな値段であるが、1種類のみで選択の余地は無かった。
 
この辺りは単線区間であるため、対抗列車との行き違いでたびたび臨時停車を繰り返す。これが無ければスピードアップが可能なわけだが、実際いたるところで複線化・直線化・高架化の工事が行われていた。工事の進捗状況から見て来年4月に延期された第6時高速化の時には、ある程度の時短が望めそうである。
 
珍しく同室の人と写真を撮る(というより今までの旅行を通して初めて)。住所を教えてもらい、後日送ると約束。だが昨日(10月23日)にようやく現像に出したので出すのはまだ先になりそう。そうこうしているうちに列車は昆明市内に入っていた。が、結局昆明東駅で30分近く臨時停車をして、11時29分に27分遅れで昆明に到着。43時間55分の長旅が終わった。

同室のおばちゃん達と別れ、改札を出てすぐに切符を買いに向かった。昆明駅は新築して日が浅いため、ホームも底上げされていて、切符売り場も上海駅よりきれいで、明るくて、しかも空いていた。国慶節なのにこの空きようは何だと呆気にとられながら販売状況を示す電光掲示板を見て、さらに驚く。なんと国慶節期間含めて全ての長距離優等列車の切符がほぼオール有なのだ。
そこでしばし悩む。せっかく昆明まで来たのだから成昆線には乗りたいところである。かといって成昆線経由の成都行き快速に乗って成都に行ったら最後、四川省を脱出できなくなる恐れがある。でも西安行きでまた西安に行っても仕方が無い。じゃあ思い切って南(南寧か広州)を目指すのも悪くない・・・。
 
結局、「成昆線」の3文字に惹かれて成都行きを買うことにする。成都行き快速は2本あるのだが、四川省よりの景色を見るべく2日後(10月4日)の20時10分発のK146次を購入する。窓口の集音マイクに顔を近づけて「4号的K146次・・・」と言ったら、販売員に「耳に響くからそんな近くで話すな!」と怒られる。この駅の販売員は集音マイク用のイヤホンを付けていた。気を取り直して「4号的K146次到成都硬臥中舗1張」と叫ぶ。成都の発音が悪くて手間取ったが何とか購入。空いているのに、なぜわざわざ中段を選択したのかは今を持って不明である。
その後は予約していたホテルに直行。きれいなロビーから裏の別館に連れて行かれた時はどうなるかと思ったが、まあまあきれいな部屋であった。(隣の部屋がなぜかベトナム領事館の商務部だった。)

K79次雑感
上海鉄路局所属だけあって車両は新しい。(03年長春客車製造)だが列車員が中年親父ばかりなためあまり掃除が行き届いていない。また清掃が面倒くさいからか、硬臥にはカーペットが敷いてなかった。いくら半開放型とはいえあれでは素っ気ない。
ひどいのが食堂車。「高い・まずい・メニューが少ない」の三拍子がそろい踏みでひどい場所であった。雲南省という所得の低いエリアに行く列車でありながら、上海鉄路局所属ゆえのこの料金設定。いかにも「金が無いやつは食うな」と言わんばかりである。これだから上海人は中国中で嫌われるのではなかろうか。
車内のサービスに良い印象は無いが、江南の田園地帯から西南部の山岳地帯まで様々な車窓が楽しめ、途中通る湖南省内でおいしい駅弁が食べれるのがよかった。これから40時間越えの列車はますます減るだろうから、乗っておいて損は無いと思う。今度は南昆線経由のほうの快速に乗りたいな・・・

つづく