goo blog サービス終了のお知らせ 

鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

連雲港  上海大学修学旅行5日目朝in中国

2008年01月06日 20時28分06秒 | 山東省修学旅行
この日は夜までに上海へ戻らねばならないので、朝食後すぐ出発と相成った。
日照を出て約50分、江蘇省に入った。日照を出て1時間半ほどで江蘇省一の港湾都市連雲港に到着した。



連雲港は中国でも屈指の港町で、新ユーラシア・ランドブリッジ構想における東側の起点になっている町だ。日本などから運ばれてきた海運コンテナは、ここで貨物列車に積載され、遠くヨーロッパまで輸送される。と言ってもまだ試験段階で、旧ソ連諸国の軌間の違いなどの問題もある。



連雲港郊外をウダウダ走ったバスは、諸葛孔明が海を眺めたとされている孔望山に到着。頂上から滑り台が伸びているの発見。どうやら楽しそうな予感だ。








まずは全員で山を登る。途中、寺院などを見学し、頂上に到着した。連雲港の町が見渡せるいい所だ。











例によって集合写真を撮って解散。降りるのは階段でも滑り台でも自由と言うことなので、迷わず滑り台を選択した。(当然自費だが)結果的に韓国人と老師以外は全員滑り台を選択した。



自分が先頭を切って滑り降りる

・・・・・!?・・・・・・・!!
・・・・・・・・!!!・・・・・!?!?

思ったより長くスピードが出た。
降りた後は続けて降りてくる人達を撮影する。まるで子供のような笑顔で滑り降りてくるOKUさん。
ただこういう時に先頭を切った場合の寂しいところは自分の写真がないことだ





M女史とエルリンが遅すぎたためにスピードが出せなかった後続のドイツ人たちは、物足りないらしくリフトで登って2回目をしていた。

バスに戻ると暇そうに昼寝をする韓国人達。すみませんねぇ。



街中で適当なレストランで昼食をとり、上海へ向けて出発した。
連雲港からは沿海高速を走る。全線片側3車線の立派な高速道路だが、ほとんど車が走っていない。
というのもこの高速道路は南へ向かうと長江に突き当たってしまう。以前書いたとおり、現在の長江最下流の橋は江陰大橋なので、この高速道路を南下して上海に向かう場合、一度西進しなければならないのだ。
だが近い将来、橋ができる予定なので、この高速道路の利便性も向上することだろう。
バスは時速100キロを維持しているが、時たま長距離の寝台バスがあっという間に抜き去っていく。140キロくらい出ているのではないだろうか。福建省方面が多かったが、あまり乗りたいと思う物ではない。



夕刻5時過ぎ、4日前に渡った江陰大橋を渡って長江の南側に入る。最後にどちらのキャンパスから先に行くのか気にはなっていたが、「延長路の方が出発時間が早かったから延長路に先に帰る」という老師のありがたい一言をいただき、夜7時前、寮に到着した。

人数が少なく、出発時のテンションは低かったですが、いろいろと楽しめたような気がしました。

おわり


次は何を書くか未定です。


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

日照の日の出  上海大学修学旅行5日目朝in中国

2008年01月05日 15時49分33秒 | 山東省修学旅行


5日目は上海に戻る日だが、まずは午前4時起きで浜辺に日の出を見に行くことになる。

午前4時、ゲストハウスのロビーに集合し、バスで浜辺に向う。が、エルリンと北海道文教大のM女史がいない。どちらかが寝坊したようだ。そんなことはお構い無しに、まだ寝静まった街を浜辺に向う。


着いた頃、2人から電話が掛かってきた。タクシーで向っているらしい。
着いた所は、灯台がある磯だった。まだあたりは暗く、三日月が輝いていた。





日の出を見に行ったことがある人は知っているだろうが、空が白み始めてから日の出までは、かなり時間がある。5月だが、気温は結構低く、半袖しかない自分にはかなり応える。



なんとかエルリン達も間に合い、全員で日の出を拝むことができた。





日の出を見たあとは、ゲストハウスに戻って二度寝・・・をすると起きられないので、朝食の時間まで起きていた。



朝食後、バスで連雲港に向うことになる。なので次回は連雲港です。


つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

曲阜から日照へ  上海大学修学旅行4日目

2008年01月04日 21時40分50秒 | 山東省修学旅行


修学旅行も後半に入った4日目、3泊した曲阜を離れて山東省の日照に向う。日照は、yan州等で採掘された石炭を積み出す山東省東南部の港湾都市だ。日照に行く目的は一つ、「海を見に行く」だ。

中国は海に面する所まで市街地が続く町は少ない。上海市も海に面してはいるが、1年間の留学生活中は一度も行くことはなかった。今まで自分が中国で海を見たのは、河北省の山海関と海南島の海口くらいだろうか。
日本だと海沿いに続く鉄道があったりして、風光明媚だが、現在そういった路線は存在していない。(現在、福建から広東にかけて建設中)



曲阜から高速道路を東へ向うこと約3時間、日照の町に到着した。



とりあえずは日照での宿泊する場所に向う。今回の滞在先は曲阜師範大学日照キャンパスのゲストハウスだ。バスタブは無いが、ビジネスホテル並みの綺麗さだった。キャンパス自体も、新しいこともあってかなり綺麗に整備されている。







昼食はここのレストラン。海に面した町だけあって、海鮮料理だった。



食事後、日照での目的である海へ行く。現在、大規模なビーチリゾート開発が行われており、白い砂浜が広がっていた。冬は寒そうだが、真夏はなかなか良さそうな所だ。遠くには石炭の積出港が見えた。










遠くに石炭の積出港がある



夕食は再びゲストハウスのレストランとなる。翌朝は海に日の出を見に行く予定だったので、この日は早く就寝した。
翌日は上海に帰る途中、連雲港に寄ります。

つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

泰山  上海大学修学旅行3日目

2007年12月31日 17時18分03秒 | 山東省修学旅行
2日目の曲阜市内観光は順番や行った場所をよく覚えていないのでパス。いきなり3日目の泰山です。

泰山は山東省泰安市に位置する標高1545メートルの山で、道教の聖地である五岳の1つだ。1545メートルと言うと、日本人的には大して高い山ではないが、比高も1500メートル以上あるので、遠くから眺めると、とても高く見える。


7:00過ぎ、曲阜師範大学の留学生宿舎を出発し、泰安を目指して高速道路を北上する。路肩で荷崩れを起こして停車したトレーラー、高速道路を低速で走るトラック、
どれも明らかに過積載だ。
中国のトラックは過積載なんて当たり前。炭鉱なんかに行くと、石炭を100トン以上満載したトラックも見ることができる。



1時間ほど走って泰安に到着。市内を抜けて、麓の駐車場に到着した。ここからは泰山風景区のマイクロバスで中腹まで上がる。中腹から頂上付近までは、徒歩かロープウェイの2択なのだが、当然登りは徒歩となる。雨の中、く階段を登っていくが、階段の滑りやすいこと。晴れていればいい眺めだろうが、雲しか見えないのでどうしようもない。そういえば、去年の黄山旅行も行った人の写真を見る限り雨だった。



延々と続く階段を進み続ける。中国生活で太る一方のエルリンには良いダイエットだろう。



ようやく頂上付近に到達するが、完全に雲の中で何も見えない上に風が強い。









下りはロープウェイなのでとても楽に降りることができた。昼食をはさんで岱廟へ行く。この頃になって天気がよくなった。遅すぎるんですが・・・
岱廟ではサイババもどきのおばさんに率いられた一団が現れ、意味不明な呪文を叫んでいた。








okuさん空中浮遊の図


この日の夕食は、留学生宿舎の食堂でなく、現地ガイドがマージン目当てで連れて行く外部のレストランだったのだが、参加せず、ちょうど隣町のyan州に蒸気機関車撮影ツアーのアテンドで来ていた旅行屋@上海さん達と食べた。
引率の老師に、絶対戻って来るよう念を押された後、yan州に向うためバスターミナル向ったが、すぐ近くだからと言うことで、あちらが曲阜まで来てくれたので、近くの店に入った。メニューは回鍋鶏。現地ドライバー曰くこの辺りの料理らしい。ピリ辛に鶏を煮込んだ鍋で、とてもおいしかった。そして山東省と言えば蝉、これが相変わらずおいしい。





こうして3日目の夜も更けていった。翌日は曲阜を離れて日照に向かうことになる。


つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

淮安・周恩来記念館と徐州・漢代兵馬俑  上海大学修学旅行1日目 07年5月in中国

2007年12月27日 18時01分29秒 | 山東省修学旅行
出発前日は17歳のT君の誕生会で白木屋&カラオケ。寮に戻ったのは午前4時半だった。当然寮の玄関は鍵がかかっているので、フロントのおじさんを起こして開けてもらった。非常に機嫌が悪そうだ。

出発まで1時間しかないのに、何の準備もしていなかったので、急いで準備をして1階に下りた。この寮から参加するのは、自分・おとうさん同志・okuさん・北海道文教大の3人組・エルリン、それに外に住んでいるドイツ人数名だけだった。
こいつをバスの中で寝かせては駄目だぞ
と、寮のおじさん。勘弁してください・・・

大量のミネラルウォーターとオレンジジュースを詰め込み、出発した。と言っても、宝山キャンパスの学生も乗るので、まずは宝山へ向う。乗ってきたのは日本人と韓国人だった。

上海を出たバスは高速道路を西に進み、江陰大橋で長江の北側に渡った。この橋は現在、長江の最下流に位置する橋だ。無錫付近まで遡らなければならないので、上海から南通など江蘇省の沿海部に行くには非常に不便だが、現在下流にも橋が建設中である。橋からの長江の眺めは素晴らしいものがあるが、大半の学生は寝ており、別段騒ぐわけでもない。



長江を渡ったバスは京滬高速を北上する。あいにくの雨模様の中、上海を出て4時間半で淮安に到着した。ここは中華人民共和国初代総理周恩来の出身地。
当然、見物するのは周恩来記念館だ。展示物は周恩来の生涯のパネルや、公用車などの各種の遺品。



見学後は、付近のホテルのレストランで昼食になる。今回の旅行はとにかく食事が豪華だし、おいしい。西安旅行は味が悪い上に、ビールも出なかったそうだから、この点では山東省を選んで正解だった。

再び高速道路を北上する。予定ではこのまま曲阜まで直行するはずだ。ところが、なぜか徐州で高速道路を降り、市内へ向った。道に迷いながら、ぐるぐる走り、到着したのは獅子山楚王陵だ。
引率の先生曰く、
予定には無かったが、たまたまあることがわかったので行くことにした
との事。学校のバスで行くからこそできる柔軟さだ。





現在、交通の要所として栄える徐州は前漢の時代、郡国制の元で楚国の都だった街だ。この陵は3代目の楚王劉戊の墓。数ある諸侯の中でも、特に強大だった劉戊は、景帝の時代に呉と共にいわゆる「呉楚七国の乱」を起こすが、うまく統率がとれず敗北し自害した。
で、その墓から23年前に発見されたのが兵馬俑だ。唯一等身大の始皇帝陵が目立っているが、実のところ兵馬俑自体はいろいろとある。30センチくらいの可愛い兵馬俑が並んでいた。景帝の陵墓の兵馬俑もこんな感じの大きさだと言うので、それだけでも往時の劉戊の権勢が偲ばれる









なお西安の兵馬俑には2年ほど前に行きました。その時の話もそのうち書きます。

徐州を出発したバスは更に北上を続ける。昨年、前進型蒸気機関車を見に来た鄒城を通過し、上海を出てから実に14時間、ようやく曲阜に到着した。
宿泊する場所は曲阜師範大学の留学生宿舎、夕食もそこに付いている食堂だった。これがなかなかおいしい。



曲阜は孔子の故郷として世界遺産にもなっているが、所詮は田舎町。大学前の売店などは周辺のyan州や鄒城と同レベルだ。

こうして長い1日目の夜が更けていった。

つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

上海大学修学旅行in山東 日程

2007年12月26日 18時29分39秒 | 山東省修学旅行


上海大学は毎学期留学生向けに修学旅行を企画している。自分が留学して最初の学期は黄山のみ、2学期目は西安・曲阜泰山・南京・杭州の選択制だった。

自分は団体旅行があまり好きではないし、定員があることから黄山旅行には参加しなかった。ただ行った人の写真を見る限り、楽しそうだったので、2学期目は行こうと、まだ行ったことのない曲阜旅行に申込みをした。

ところが応募が西安に殺到したことから、西安のみ定員を倍増したため、結局曲阜・泰山旅行に参加するのは2キャンパス合わせて25人という小所帯になってしまったのだ。

こういう適当なところが中国らしい。そもそも西安は鉄道往復だから人数が限られてくると言っていたのはどこのどいつだ?
このような状況の上に、徹夜明けでの出発であったため、最初からテンションが低い状態となったが、最終的にはいろいろ楽しむことができました。

というわけで、次回から修学旅行の旅行記です。日程は以下の通り

1日目:朝5時、大学のバスで出発。淮南・徐州を観光し、夕刻曲阜に到着

2日目:曲阜市内観光

3日目:泰山に登る。夜、旅行屋@上海さん達と夕食

4日目:バスで港湾都市日照へ。海を愛でる

5日目:水平線からの日の出を眺める。途中、連雲港で遊び、夕刻大学に帰着



他の旅行記を読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ