鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

そうだ 重慶行こう

2011年04月23日 18時20分01秒 | 潜伏情報
昨日の昼過ぎに突然そう思い立ち、4月10日から鄭州でも客扱いを始めたD319次(北京西発重慶北行き)に乗って重慶へやって来た。

D319次が鄭州を発車したのが昨晩22:44、重慶北に着いたのが今朝9:24。なんと快速で20時間かかるところを10時間40分で着いてしまうのである。さすが軟臥下段630元もするだけのことはある。



とは言え3か月ぶり5回目の重慶に特に用もないので、昼間は時間つぶしに苦労した。
なんとなくモノレールに乗り、なんとなく動物園駅で降り、なんとなく一人で動物園にまで行ってしまった。(もともとそういう趣味はない)

そして今はわざわざホテル(motel168解放碑店)からパソコンを持ち出し、洪崖洞のスタバでネットをしている。



明日は午後の動車組で成都へ移動し、成都から飛行機で鄭州へ帰ります。



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D125次 鄭州→漢口 2011年4月14日

2011年04月21日 17時37分06秒 | 乗車記(短距離・座席)
まだ4月だというのに最高気温28度の中、16時過ぎに家を出て駅へ向かった。4月12日より西広場利用率向上のために西広場行き路線バスが拡充されており、60路を路線変更した66路で駅へ向かう。ガラガラだ。
この路線バスは駅行きの場合、最後の途中駅が大学路で京広路は通過なのだが、京広路の交差点を曲がったところでなぜか停車。

運転手のおばちゃん:次は駅西出口だから京広路ならここで降りな。

よっぽど西広場まで乗る人がいないのだろう。(と言うか存在自体あまり知られていない)「駅までだから」と返事。そして駅到着。
バス乗り場がある程度整備されたようで、そのおかげで路線が増えたようだった。また空地を観光バス駐車場にしており、団体客が西出口から出てきていた。



というわけで少しは客も増えたようだが、相変わらず空いている。もっともこのままでいてくれたほうがありがたいのだが。

まだ時間があるのでマクドナルドで早めの夕食。発車20分前を切ったころチキンナゲットを持ち帰りで買い、待合室へ向かった。今回乗るD125次は北京西始発なので、まだ改札も始まっていなかった。



10分ほどで改札開始。ホームに出ると向かいは長春発広州行の特快だったが、硬座車と食堂車の間に硬臥車が1両挟んであった。なるほど、硬座の人間は食堂車使うなということですね。ただそれなら軟臥車を挟んだほうが軟臥廊下の通り抜けがなくなっていい気がする。


D125次は定刻で入線してきた。忙しくて写真も動画もない。CRH1A重連の16両編成だ。
各編成に1等座が2両ずつ繋がれているが、そのうち1両はもともと2等座車だったのを1等座に改造したもので、しかも詰め込み構造(定員78名)になっておりシートピッチが狭い。

なぜ改造したのかというと、これは自分の推測だが、動車組は1等と2等の料金差が少ないことから当初より1等は人気が高く、定員増を図るために改造したものと思われる。78席も詰め込んだのは、もともと上海~南京などの短距離運行で使用されていたのでシートピッチが狭くてもいいという計算だろうか。
ただ上海~南京ではCRH2は次第に16両固定編成のCRH2B(最初から1等座を複数両連結)に置き換えられ、その後は上海~南京、北京~天津などの短距離運行区間は本格的な高速鉄道ができたことから短距離運行より駆逐、そして今は長距離運行で使用されているという流れであろう。



今回は幸いオリジナルの1等座だった。しかし明日の漢口→上海虹橋の切符を鄭州駅で買ったのだが、こちらは3号車58番。あきらかに詰め込み1等座確定で今から嫌になってくる。(結局のところは先日の速報の通りコンパートメントだったわけだが)

鄭州を出たD125次は各駅に2~3分の早着・早発を繰り返しながら進む。駐馬店で御用達のT256次広州行を抜いた。
のんびりとお茶を飲んで過ごす。容器はスターバックスのタンブラー(成都バージョン)だが中身はリプトンの紅茶である。



しかしこの辺りは線形も良くて保線状態もいいので、動車組に限らず何に乗ってもほとんど揺れない。北京から河南省にかけての京広線は中国の在来線では一二を争う乗り心地の良さだ。
中国高速鉄道減速の報に際して宮崎正弘とか言う評論家のブログを見たが、かの御仁曰く北京~鄭州は高速新線だそうである。その記事の付属の高速鉄道資料と称する物を見ていると、基本的な知識の欠落ぶりがあきらかだった。あれには開いた口がふさがらなかったが、それでもビジネス誌に中国高速鉄道ネタで連載し続けられているというのだから、評論家と言うのはなかなか気楽な稼業のようである。


19:28(より数分の早着で)、河南省南部の信陽に到着。ここまで来ると真っ暗だ。あとは本を読んだり、この乗車及び明日の列車のブログ記事を捏造執筆(うんちく部分だけね)したりして過ごす。

最後の途中停車駅孝感には10分も早く20:30に到着した。



そして21:24、漢口に到着。駅前ではちょうど消火用ホースによる広場の清掃が行われていた。あれは注意していないと水をかぶりそうで危険だな。
漢口駅は長らく建て替え工事をしていたが、未開業の地下鉄駅以外はほぼ完成したようだった。



その後は予約してあった駅前の速8ホテルにチェックイン。このホテルは休息利用で何度も使っているのだが、宿泊するのは初めてだ。明日は8:43発のD3040次で上海へ向かいます。



つづく


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広州→成都→鄭州 2011年4月10日

2011年04月13日 20時30分18秒 | 飛行機
広州を滞在23時間で後にする。

帰りも空港へ地下鉄3号線で向かった。今回は一番前から全面展望を楽しむ。3号線は中国の地下鉄最速の時速120キロ運転が売りだが、実際のところは90キロほどで走っていた。それでも各駅停車の地下鉄で90キロは早い方だろう。



各駅しかないため、途中駅での利用者が非常に多い。だから混む。できれば空港利用者のために機場南~広州東に30分に1本でもいいから、ノンストップ便を運行してほしいものだ。
広州東駅~機場南の所要時間は約35分である。



そしてCtripの受け渡し場所でチケット代金を支払い、搭乗手続きをする。

今回もファーストクラスだが、A330ファーストクラスに乗るために高い金払った北京→広州と違い、エコノミー正規運賃1300元と比べても3割オフという破格の安さだ。(910元+空港建設費+燃料サーチャージ)


どんなに安くてもファーストクラスはファーストクラスだから、ラウンジが使えるのでセキュリティーチェックを抜け国航のラウンジに入った。ここで軽く食事をしつつネットをした。



実はこの先の成都で乗り継ぎ時間が4時間もあり、しかもそこからはエコノミーだから、できればここで大幅に遅延してもらいたいところなのだが、結局は若干の遅れで13時過ぎには搭乗が始まってしまった。今回の機種はA321だった。

ただ空港混雑により、出発は搭乗完了から1時間たってから。そのぶん成都での待ち時間が減ることになった。機内で出発を待っていたら、中国では珍しいB747の国内線を目撃した。たぶん北京行きだろう。



離陸し水平飛行開始後に機内食サービスが始まる。今回は牛肉を選択したのだが、味付けはいいものの、完全に中国産のサーロイン牛肉でとても硬かった。



およそ1時間50分の飛行時間で成都空港に到着。第2滑走路はそろそろ供用開始されそうな感じだが、空港周辺施設や高速道路との兼ね合いから、中国の空港では珍しく大きくずれた位置にある。少し不便そうだ。しかし来るたびに思うが、第2ターミナルは本当に来年開業できるのだろうか?

ターミナルへはバス移動。降りる時に「完美四川」の特別塗装だったことを知った。



前も書いたが、到着ロビーには鉄道切符売り場があります。



しかし成都空港はいつも混んでいる。ケンタッキーに行ったり、どこの何ともわからぬ無線ランにタダ乗りしてネットをしつつ過ごしたが、やはり3時間は長かった。

その後、成都→鄭州の飛行機は時間通りに飛び、22:45ころ帰宅したのだった。


おわり


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国航A330ファーストクラスに乗ってみた

2011年04月12日 17時40分00秒 | 飛行機
今回、鄭州から広州へ行くにあたって北京廻りにしたのは、別にスターアライアンスゴールドメンバー昇格のためにできるだけ飛行機に乗る必要があるからというだけではない。
最大の目的は前から気になっていた中国国際航空A330型機のファーストクラスに乗ってみることであった。そのために燃料サーチャージ込み2690元の巨費が投じられたのである。


とにかく中国の飛行機とりわけ国内線は、鉄道に負けず劣らず情報が少ない。国際線を含めても出てくるのは、やれ機内食がまずいだの、ビジネスクラスシートがしょぼいだの、シートテレビが無いだのといったものばかりだ。

まあサービスの悪さは事実であるが、機材に関しては日本における中国航空情報の大半を占める日中間国際線だと、そもそも国内線使用のナローボディ機が多いわけで、国際線使用のワイドボディ機と比較するのは酷というものだろう。
日本の航空会社にしても、中国線は東京上海、東京北京、関空上海あたりを除けば国内線使用のナローボディ機(B737やA320)が多いから、シートテレビが無いなどの条件はほとんど同じだ。

かと言って、中国の航空会社の長距離国際線や国内幹線用のワイドボディ機がよかったかと言うとそうではなかったわけだが、最近はようやく進歩がみられるようになってきている。中国国際航空で言えばA330で初めてシェル型のライフラットシートが導入されたわけだ。今回はそれに乗ることになる。


8:40、北京西駅からの空港バスで北京国際空港第3ターミナルに到着した。
今日はファーストクラスだからラウンジが使えるわけで、さっさと搭乗手続きを済ませて向かいことにする。ためしに中国国内線で初めて自動チェックイン機を使ってみたが、さすがに国航のチェックイン機だとANAのマイル登録まで可能だった。ちなみに鄭州空港の自動チェックイン機なんてマイル以前に外国パスポートに対応していない。
ただ自動チェックイン機だとファーストクラスでも発券される搭乗券は別に金色になっているわけではなかった。



ブッキングクラスが「P」であることからわかると思うが、これは割引運賃である。
中国国内線ファーストクラス正規運賃は、以前は一律でエコノミー正規運賃の1.5倍だったのだが、昨年6月に優等クラスの「市場調整価格」導入に伴い、路線や運行会社によって料金がバラバラになった。概ね北京、上海、広州を発着する便はどれも値段が上がっており、北京~広州の場合はエコノミー正規の2倍超が普通だ。
今回は35%の割引運賃であるが、それでもこの2550元(+空港建設費・燃料サーチャージ計140元)というのは市場調整価格導入前の正規運賃と同額である。ただすごい安い時はこの区間でもエコノミー正規運賃と同額のものが出回ることもあるようだ。以前Ctripで見たことがある。
なお印象としては、国航より他の会社の方が安い優等クラス割引運賃がよく出ている気がする。

搭乗手続きを完了し、セキュリティーチェックを抜けて国航のファーストクラスラウンジへ入った。ラウンジを利用するのは初めてだ。



飲み物を飲みつつパソコンでインターネットとK180次の乗車記を書いて過ごした。


10:30、搭乗口へ向かう。ファーストクラスだから優先搭乗できるわけだが、早くも10:22に搭乗開始されていたようで、搭乗口にはもう列は無かった。ナローボディ機だとエコノミーでもファーストでも一番前の扉から乗るため、優先搭乗でファーストクラスに乗るといい晒し物だが、ワイドボディ機だとエコノミーとファーストで分けられていた。



今回乗るのはA330-300型機になる。中国国際航空が保有するA330の中でも最新鋭の機材で、プレミアムエコノミーも設定されている。昨年春から導入が開始されており、現在は国内幹線(北京~上海・広州・深センが多い)で使用されている。
国航が保有するA330は3種類あるが、後の2種類はA330-200で、そのうちの1タイプはエコノミークラスにも全席シートテレビが装着されている。これは欧米長距離線を中心に運行されているそうだ。



機内に入ると36席のファーストクラスシートが2・2・2の配列で並んでいる。乗客は10名ほどだった。
シートの操作は当然ながら電動で、肘掛の先端に「着陸態勢」「食事」「睡眠」などの主なパターンのボタンが設置されている。ただ一押しで変わっていくわけでなく、ずっと押し続けねばならないのが難点だろうか。テーブル収納部分のふたを開けると、シートの各部分の調整ボタンが設置されていた。



座席の下には電源コンセントが設置。これはプレミアムエコノミーにもある。

自分が最後の方だったようで、10:50には早くもドアクローズとなった。ここで機内食のメニューが配られた。日系の会社だとかつてはエコノミーでも配っていたものだが、最近は経費削減で全く見なくなった。なので機内食メニューは久しぶりだ。



春季メニュー(3~5月)は牛肉料理が固定で、あとは月替わりで鶏肉と魚の3択となっている。鶏肉を選択した。照り焼きチキンだ。飲み物は昼から酒を飲む気はしない、というか夜は焼肉屋で飲むので大人しくプーアル茶にした。

その後はターミナル目の前の滑走路から離陸。ここのところ乗る飛行機がことごとく遅れていたのに比べると、特によく遅れる北京空港でありながらとてもスムーズだ。西に大きく旋回し、保定あたりからまっすぐ南下して行った。



シートテレビだが、言語選択は中国語、英語に加えてフランス語となっている。エアバスだからだろうか。映画、音楽、ゲーム、航路図などがあるが、やはり中国らしくソフトがハードに追いついていない印象はぬぐいきれない。基本的には航路図を見て過ごした。




水平飛行に入ってから昼食サービスが始まった。まずは飲み物に続き冷菜とサラダ、スープ、パンが出てきた。パンは選べて食べ放題です。



ちなみに飛行機でスープを飲むのは13年前ロンドン行き日航機がオーバーブッキングでビジネスクラスになって以来だ。
あの時は弟と違う物を頼んだにもかかわらず、同じものが出てきたので指摘したら、客室乗務員に
これはオードブルでございます。
と言われてしまった。あれは今までの人生で一二を争う恥ずかしい思い出だ。

続いてスープに変わりメインが登場。注文後、中国で日本風の味付け(照り焼き)はまずかったかと思ったが、普通においしく安心した。



食後はコーヒーを飲んだが、国航は
いつになったらネスカフェ・ゴールドブレンドを卒業できるのだろうか?

よくメニュー表にゴールドブレンドと書けるよな。ミルクは便によって液体の場合と珈琲伴侶の場合があるが、今回は液体だった。ふだんコーヒーはブラックで飲むものの、ゴールドブレンドをそうする気にはならずミルクを入れたのだった。

その後は小説を読んだり、この搭乗記を考えたりして過ごした。途中で鄭州の東方を通過。とにかく南下し続ける。



しかしシートを試しにフラットにしてみたが、シートそのものが平でも、あくまでライフラットで傾きがある分やはり違和感がある。最近はビジネスクラスでもフルフラットが普通になってきているようだから、その辺の変化も期待したいものだ。



着陸約20分前に機内放送で降下開始を知らせてきたが、
ただ今の広州の気温は29度
と言われげんなりする。Tシャツは半袖にしてきたが、薄手とはいえコートは持っているだけで暑苦しいぞ。

そして南側へ回り込むこともなく、北側からまっすぐ広州白雲空港の滑走路に着陸。定刻通り到着した。搭乗ゲート内の蒸し暑い空気とエアコンの空気の混ざり具合が南国っぽくていいですな。

その後は地下鉄の機場南駅に直行し、3号線電車で広州東駅の定宿にしているホテルへ向かったのだった。(夜は焼肉chachaを訪問)




つづく


※A330ファーストクラスは国際線ではビジネスクラスとして運用されている。

※現在はA330以外にも、B747とA340が機内改装の上でほぼ同タイプのビジネスクラスシートを導入しているらしい。(B747とA340は3クラス制なので国内線でもビジネス。)そちらの情報に関してはこちらを参照。



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K180次 鄭州→北京西 2011年4月8日

2011年04月11日 15時27分04秒 | 乗車記(寝台)
広州へ行くにあたって、まずはなぜか北京を目指す。鄭州22:10発のK180次に乗るため20:50くらいに家を出て、駅東広場行きのバスに乗ったが、京広路で下車して西広場から入場した。相変わらず西広場は同じ駅かと思うくらいガラガラで、夜は周辺住民の散歩コースとなっている。まあ12月に地下鉄駅ができたら少しは変わることだろう。



21:30に改札が始まり軟席待合室からホームに移動した。この列車は鄭州始発列車では随一の花形列車であるから、1番ホームの発車だ。ただ1番ホームだけなぜか嵩上げしていないので、むしろ不便なのだが・・・



今回は高級軟臥に乗車する。発売開始日購入だったが、寝台は高級軟臥しかなかったのだ。この列車のとりわけ金曜日発はいつもこんな感じである。空席がある状態で走ることなどないのだろう。なので高級軟臥でも相部屋となる。




鄭州客運段管轄列車の軟臥には、あまりきれいとは言えないゴム草履が置いてあるのが普通だが、さすがに高級軟臥は使い捨てのスリッパが完備されていた。なおこの列車には軟臥にも乗ったことがあるが、軟臥は例によってゴム草履だった。



22:08、定刻より2分早く鄭州を発車。その後は新郷、衛輝、鶴壁、湯陰、安陽と河南省内でチマチマ停車し客を拾っていく。
この列車は700キロ弱の北京西・鄭州間において程好い所要時間を確保するためにゆっくりと進んでいくため、衛輝では同格の快速に3本も抜かれた。下の写真は新郷駅だ。



このあとは寝ていたが、河南省を出ると石家庄、保定と特快並みの停車駅数で走る。
しかし高級軟臥はやはり軟臥とは段違いの快適さだ。幅も広いし、荷物棚に置かれた予備品を使えば枕2個となるため、寝心地がいい。ただオートロックシステムとカードキーシステムは他のRW19Kの例にもれず死んでいるし、テレビも稼働しない。みすぼらしいから撤去した方がいいと思う。


翌朝6時前に列車員が換票がてら起こしに来た。なおこの列車は始発駅を深夜に出て早朝には終着駅に着くことから、軟臥および高級軟臥の身分証登記は行わない。


そして建設中の京石客運専線と並行しつつ北京機務段や車両段を眺めながら、6:14定刻より2分早く北京西駅に到着したのだった。



その後は飛行機で広州へ向かうわけだが、飛行機の時間は11時。時間がありすぎるので、西駅南広場の空港バス出発点である中塩飯店近くのマクドナルドで朝マックの朝食とする。そしてコーヒー3杯(朝食時間はお替わり無料)飲んでから7:30のバスで空港へ向かったのだった。



バスは土曜の朝だから渋滞は無いものの、結構信号待ちがあるのと、第3ターミナルは最後の到着なことから1時間10分ほどかかり、到着は8:40になった。


なお、この乗車により中国鉄道総乗車距離が23万キロを突破して、
230593キロとなりました。




つづく



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T201次 北京西→鄭州 2011年4月5日

2011年04月08日 17時58分00秒 | 乗車記(寝台)
T8次で北京に到着後、まずは北京西駅南広場の7天連鎖酒店に休息利用で入った。その後はT1次の切符をT201次に変更。ただ変更窓口は北広場の1階にしかなく、行くのが非常に面倒であった。まあ地下道で繋がっているからそこまで不便ではないけど。


ホテルの部屋に3時間半ほど滞在し、駅舎に入った。南広場は空いているので、ゆったりと入れるのがいい。
今日乗るのは北京西と海南島の三亜を結ぶT201次。2007年4月の第6次高速化ダイヤ改正で登場した列車だ。乗車するのは初めてだが、車両は北京西~広州のT15次/T16次と併用だし、広州鉄路集団広州客運段の管轄で食堂車はクソだろうから、駅構内の吉野家で牛丼を食べてから乗車することにした。



なお車両運用は、広州-(T16次)→北京西-(T201次)→三亜-(T202次)→北京西-(T15次)→広州となっている。つまり広州の車両段に戻ってくるまで10000キロを駆け抜けることになる。
つまり、さっき北京西を間近にしてT8次を抜き去ったT16次の折り返し運行となる。


北京西駅は構内のコンコース上にマクドナルドやケンタッキー、吉野家などが充実している。なので鄭州には無い吉野家に入店する。ただ連休最終日のため短距離列車中心に混雑しているせいか吉野家は満席。仕方が無いのでテイクアウトにして軟臥待合室で食べることにした。

かつての軟席待合室は快走の末に軟臥待合室となった。隣の待合室との境目がテープだけなのは手抜きが過ぎないだろうか。写真は昨年11月のもの。



空いている席に座り期間限定の温泉卵かけの牛丼を食べる。自分は日本では半熟卵をかけるのが好きなので、ほとんど同じ味が楽しめるのがありがたい。

北京西駅は始発の場合は発車40分前改札なのでもう始まっているのだが、どうせ上段で食べるのに困るので、のんびりと食べ続ける。そして発車20分前を切ったあたりで7番ホームへ向かった。



そして7番ホームに降りると向かいはまさかのT7次。さっき乗ってきたT8次の折り返しだが、乗務員も同じとはご苦労なことだ。

彼らに気づかれないようT201次にすぐ乗車した。

コンパートメントにはおばさん、その娘、孫(=ガキ)の3人が下段利用で入っていた。もう一つの上段は空席だ。


はっきりいってガキは嫌いだ。うるさいから。この国のガキは特にうるさい。
でも20時くらいには疲れて寝てくれたので、それほど気にはならなかった。



列車は定刻より2分早く北京西駅を発車し京広線を南下しだした。やはり160キロ対応の25T型は、スピードと言い乗り心地といい段違いの良さだ。だいたい151キロを維持して進んでいる。

なお換票の際に分かったが、コンパートメントの家族も鄭州までだった。考えることは同じか。他にも鄭州下車が1コンパートメント4名。つまり発売枚数で言えば36人の定員中の7人は鄭州下車ということだ。閑散期の長距離列車などこんなものである。上海発ラサ行きの特快も閑散期になると観光シーズンのプラチナチケットぶりが嘘のような空き具合で、ほとんど鄭州まで乗る人しかいない。

ちなみに上には上がいるもので、なんと石家庄で下車する客が1名いた。

中国の鉄道切符は磁気券発券の動車組切符を除き、概ね400キロ以下の短距離の場合は発駅と下車駅の字体が変わるのだが、字体が変わっている軟臥切符は初めて見た。

軟臥の値段は動車組1等座と同じくらいなので、乗車時間5時間以上なら軟臥を選ぶのが賢明だと思う。特快なら所要時間もほとんど変わらないし。


コーヒーを飲んでくつろいだ後は、軟臥の上段で今回の乗車記を書いたりして過ごした。



そして20時過ぎ、石家庄の観光案内放送が掛かり、列車も減速したので廊下に出てみた。ただ辺りはまだ真っ暗で街には入っていないらしい。そんな所で臨時停車するとなると抜かれるわけだが、動車組に抜かれるのかと思っていたら長沙行きのZ17次であった。



この影響で5分ほど遅れて石家庄に到着。ここは河北省の省都だが今まで一度も降りたことが無い。



石家庄を出た後は、主に上段で横になって過ごした。あとは写真のチェックなどだろうか。


23時20分、あと30分で到着と言うことで列車員が換票に来た。その後で廊下に出るとちょうど黄河を渡っているところのようだった。



鄭州の街に入って見覚えのある通りを渡り、定刻より2分早く鄭州駅に到着した。
すぐに北出口から東広場に出て、10分ほど並んでタクシーに乗車。家に着いたのは0時半近くであった。


これで8日にはまた北京西行きの快速に乗るのだから変な話だな。(しかもその最終目的地はなぜか広州)




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T8次 成都→北京西 2011年4月4日

2011年04月07日 15時42分03秒 | 乗車記(寝台)
今日はいよいよT8次に乗車する。8時半過ぎにホテルを出て、最寄りの錦江賓館駅から地下鉄で成都駅へ向かった。(かといって別に錦江賓館に泊まっていたわけではない)


9時ごろに駅に到着。さっそく駅舎に入場した。

今の成都駅はやたらセキュリティーチェックが厳しく、荷物検査器は10人ずつくらいに分けて通させ、その先でボディチェックまでしている。でも荷物検査は分けたほうがゆったりと機械に通せていいな。



そして入り口正面の軟席待合室に入る。この駅の軟席待合室は初めての利用だが、広さ以外は臥舗動車組軟臥用とほぼ同等の内容だ。発車40分前に改札が始まったので10分そこそこで後にした。

T8次は2番ホームに停車しており地下道経由で向かった。



今回乗車するT8次は言わずと知れた成都鉄路局成都客運段の花形列車だ。かつての北京成都間最速の地位は1月に運行開始した臥舗動車組に譲ったが、食堂車をはじめとするサービス水準は今でも維持されている。あえて難点といえば1月改正時の経路変更(太中銀線経由になった)により所要時間が伸びたことだろうか。



この列車の寝台切符は軟臥・硬臥ともに買いづらく、北京西~重慶のT9次/T10次と並んでプラチナチケットの代名詞的存在だったのだが、臥舗動車組の運行開始により明らかに買いやすくなった。だから清明節連休中に成都へ着いてから買えたわけだ。

しかも前日夜になって軟臥残数が13枚に増加していた。おかげでコンパートメントには自分一人だ。綿陽や広元から乗車する人もいるだろうが、成都発車時点では軟臥全体でも半分ほどの乗車率だろうか。




今回は33番下段なので、一番隅の9番コンパートメントとなる。食堂車が近くて便利だ。この列車の軟臥には下段寝台にベッドカバーが掛けてある。これは成都客運段の軟臥にはほぼ共通で、昼間に座席として利用する際に汚れないようにするためのものだ。


荷物をコンパートメントに置き、まずはホームの向かいを発車する南京西行きの快速発車を動画で撮ったあと、珍しく先頭まで行って機関車を撮影した。SS3の牽引だった。ついでに福州行きの快速も撮影。こちらはHXD3C牽引だった。
なお成都鉄路局管内の駅では、列車発車時にホームで革命歌などを大音量で流している所が多い。成都駅のホームにも音楽がけたたましく鳴り響いていた。



普段あまり撮影に行かない理由としては、ホームの端は荷物車の作業者や駅員が屯しているため、胡散臭い行動(=撮影など)をしていると面倒なことになる可能性があるからだ。(下手すると拘束?) 
実際、今回も帰り際に「ちょっと待て」と声を掛けられたが、聞こえないふりをしてスタスタ立ち去ることで難を逃れた。そんな調子なので忙しく撮ったせいか、ホームの柱が大写しになっているのに気付いたのは家に帰ってパソコンで見た時だった。


そして9:50、定刻通りに成都を発車。宝成線を北へ向けて走り出した。



青城山方面への旅客専用線が分岐するまでは複々線となっており、分岐して成都の街を抜けると、列車は四川盆地の農村地帯を北上する。



四川省はやはり春が一番良い。一面に菜の花畑が広がっている。また建設中の成綿楽城際鉄路の効果と幾度となく交差した。成綿楽城際鉄路は綿陽~成都~楽山を結ぶ250キロ対応の旅客専用線で、来年開業の暁には成都双流空港にも駅ができる予定だ。
来年は空港第2ターミナルも開業予定し、市内では地下鉄2号線開業と成都の交通の一大変化が期待される年でもある。




成都を出てから1時間半ほどで最初の停車駅綿陽に到着。ここからも10名弱の客が軟臥に乗ってきたが、自分のコンパートメントには相変わらず誰も来ない。

綿陽発車後ちょうど時間もいいので食堂車に昼食を食べに行った。この列車の食堂車は混む可能性が高いので、11時台前半には行っていたほうがいい。



メニューは写真つきではないものの、立派な表紙のものでメニューも多い。お昼はとりあえず回鍋肉と麻婆豆腐を頼んだ。ごはん込みで40元。



麻婆豆腐は中国で食べたものの中では一二を争う味だった。12時に近づくころには満員御礼、食堂車長のおばさんの一声で乗務員や乗警は退き、全席が客に提供された。これが行われる列車は非常に希少である。


その後はコンパートメントでのんびり過ごす。綿陽を過ぎると四川盆地を抜け山の中へ入っている。それまでと違って険しい山岳地帯を進むことになる。剣閣はちょうどこの辺りだ。



この辺りでループ線を通る。ただ中国ではループ線はあまり珍しいものではないから、それほど気にも留めなかった。




川沿いに走るが、対岸には崖をくりぬいてガードレールを付けただけの道路が続いていた。また、こんな田舎には似つかわしくない立派な学校を発見。おそらく震災復興事業の一環で建設されたものだろう。




そして再び盆地に抜け、14:24、5分ほど早着で広元に到着した。広元には日本の週刊誌にも登場した監獄炭鉱があり、そこには構内鉄道もあるのだが、まあそういう所なので外国人はあまり下車しないほうが賢明な場所だ。でもそこそこ大きな町である。



広元からコンパートメントに2人乗ってきた。おじさんとお姉さん、共に個人客だ。この時点で仮に満室になっても全員個人客確定ということで、非常に静かな時を過ごせそうである。



定刻より3分早く広元を発車。ここから牽引機がSS6Bに変わった。ここからはSS7Dと聞いていたが、遠目に見た限りではSS6Bだった。ただSS6Bは最高時速100キロ。この先の宝鶏で機関車交換をしないことには、その先の高速運転の説明がつかなくなる。よくわからんな。




その後もコーヒーやお茶を飲みつつ、まったりと過ごす。景色も山ばかりになってきた。16時前に陽平関駅を通過。つまりここはもう陝西省か。ここで安康方面へ向かう陽安線と分岐し、成都から複線だった宝成線はこのさき単線となる。



略陽には16:50に到着。ここはもう西安鉄路局の管内だ。北に上がるにつれて山から木が少なくなり、乾燥した気候に変わってきたのが感じられる。



17時過ぎに略陽を発車してしばらく経ってから食堂車に向かった。まだ17時20分だが早めに行って席を確保しておこうという魂胆だ。どうせ車販の弁当や乗務員の食事の用意もあるので、すぐに料理が出るわけでもない。すいている食堂車でしばしくつろぐ。写真の立っているおばさんは食堂車長だ。



案の定、料理が出てきたのは17:50分近かった。ちょうど良い塩梅だ。晩御飯は宮爆鶏丁、椎茸と青菜炒めの2品。ごはん付きで42元なり。いったいこの食堂車でいくら使うつもりなのだろうか。


その後は部屋でコーヒーを飲んだり、この旅行記を途中まで書いたりして過ごした。次第に外は薄暗くなってきている。



このころ向かいの下段のお姉さんが仏陀入滅のポーズで昼寝をしていたのだが、胸の谷間といい腰の括れといいお尻のムチムチ感といいやばすぎる。シャオ氏がこの場にいたらムラムラしすぎて、それこそ「入滅」していたことだろう。

コンパートメント設置のテレビで映画か何か(画面を見ていないのでよくわからん)をやっているが、なぜかソ連・ロシア軍歌「聖なる戦い」が流れてきた。陝西省の山並みを眺めながら「聖なる戦い」を聴く。

起て大いなる祖国よ。行け死闘へ。黒きナチどもを打ち破れ・・・


19時半ごろ、秦嶺山脈越えの補機を連結するために秦嶺駅に臨時停車をしたが、このとき隣に停車していたのは成都発ウルムチ行きの臨時列車。全車両硬座編成で無座客もいる盛況ぶりだ。おそらく新疆へ四川の民工を「運搬」する列車だろう。今の時期だと何のための出稼ぎだろうか。
ちなみに秋になると棉摘み民工の「運搬列車」が河南省や四川省各地から運行される。その時期は鉄道だけでなくバスも同じで、昨年10月に太康へ行った際は「農暦8日発」と書かれたイリ行きの臨時寝台バスを目撃したものだ。

なおウルムチ行き臨客の補機は、ボーゲン隊長が全廃を予想し嘆いていたDJ1型であった。

もうこのころになると真っ暗になって何もわからないが、秦嶺山脈の峠を通り過ぎて下り始めたようだ。



そして20:36、定刻より3分早く宝鶏に到着。ここで補機を切り離し牽引機も交換した(と思う)。隴海線に入るとそれまでとは次元の違うスピードで快走する。25K型客車の最高時速である140キロを維持している感じだ。
21時半くらいに就寝体制に入った気がする。


22時20分ごろ、西安から最後の上段の客が乗ってきた。ただ彼は明日朝7:06着の太原で下車。最後に乗ってきて最初に降りるとは忙しいことである。
その後は初乗車となる西延線・新延線を北上、綏徳で太中銀線に合流するが寝ていて記憶にはない。ここで進む方向が変わる。


太中銀線はトンネルが多いが、太原の盆地に出ることで明るくなった6時過ぎに目覚めた。いつでもどこでも6時台に目が覚めるのは最近の傾向なのだが、以前に比べて列車の中で熟睡できなくなってきた気がするのは気のせいだろうか。

 

朝日に照らされる太原の郊外を抜け7:06、定刻通りに太原に到着。ここでコンパートメントの客は再び3人となった。



太原を発車すると列車は石太客運専線を石家庄へ向けて東進する。ちょうど良い時間なので食堂車へ朝食を食べに行った。おかゆ・麺・饅頭・漬物・卵のセットで20元。食堂車の朝食なんて無座の客くらいしか使わないことが多いが、この列車の場合、軟臥の客が結構利用していた。



列車は昨日とは打って変わって乾燥した大地を走る抜ける。



1時間ほどで陽泉北に到着。停車時間2分ですぐに発車。

しばらくすると太行山脈をぶち抜く全長27.839キロの太行山トンネルに入る。(現在の中国最長)
規定で長大トンネルではトイレ使用が停止されるそうで、それに関する放送が入った。もちろん集便タンク付き車両ならその必要はない。だから太原鉄路局管轄でここを通る列車にはタンク付の車両が多いわけだ。快速で使われる25G型のタンク付は希少だが、太原局管轄だと太原―上海、太原―杭州、太原―南通、太原―武昌など皆タンク付を使用している。



山岳地帯を抜けてしばらく走り数分早く石家庄北に到着。ここから京広線に入る。

北駅を出て京広線に入ったものの、すぐに正定という小さな駅に臨時停車。動車組2本に抜かれた。ちなみに次の停車駅は保定なのだが、そこには25分停車となっている。そこでも通過待ちが行われるのだろう。北京~石家庄の高速鉄道ができれば、動車組もそちらの運行に変わるだろうから、この列車も少しは早くなるかもしれない。
でも北京~石家庄、石家庄~武漢の高速鉄道ができたら、京広線だけを走る長距離列車のうち、特快の存在が危うくなるのだろうな。



11:00、定刻より6分早く保定に到着。ていうことは30分停車か。向かいには邯鄲発北京西行きの短距離特快が停車していた。

保定に停車中に通過する動車組に1本、鄭州発の保定停車の動車組1本に抜かれた。11:30、3分早く保定を発車。同時に食堂車が営業を始めたので昼食を食べに行った。

今回はニンニクの茎細肉炒め、魚香茄子の2品を頼んだが、ニンニクの茎が品切れということで、木耳と肉の炒めに変更した。ごはん込みで43元。



そう言うわけで、T8次の食堂車では4食合わせて145元使ったことになる。一人利用での過去最高額ではなかろうか。まあそれだけの価値はある。

12時20分、涿州に臨時停車。快速でもなかなか停まらないこの駅で動車組1本と広州東発瀋陽北行きT14次、広州発北京西行きT16次、更に何だかはわからないが特快1本の計4本に抜かれた。26分停車し12:46ようやく発車した。
なお時刻表上の20分以上停車が3駅、通過待ちの臨時停車20分超が3回、これだけで100分くらい浪費している。何とかならないものだろうか。


その後は抜かれることもなく高速で走行。北京市に入り3本のトンネルを抜けて永定河を渡ればまもなく北京西駅だ。成都から2117キロ、四川、陝西、甘粛、山西、河北、北京と6つの省・中央直轄市を走ってきたことになる。



ここまで来て牽引機がSS7Eであることに気づく。宝鶏からだろうか、西安からだろうか、それとも方向が変わった綏徳からだろうか?宝鶏か西安からだと綏徳で機回しをしたことになる。中国ではあまりしないから、綏徳で変わったとも言えるが、機関車自体は西安機務段の車両だった。




そして13:28、成都を出てから27時間38分の定刻ぴったりで北京西駅1番ホームに到着した。1番ホームから下車するの初めてだ。(出発はある)
成都駅と違い出口へ降りる階段にはエスカレータもある。こういうところに差が出ますな。




それで、この後は16:04発のT1次長沙行きで鄭州へ帰る予定だったが、まだ2時間半あるので南広場の7天連鎖酒店に休息利用で入った。
しかし4時間パックのみで結構高かった(非会員で140元)ので、もったいないと言うことになり、結局18:10発のT201次に変更したのだった。なお7天連鎖は初めての利用だったが、ベッドの質などがmotel168や如家よりいいし、会員カードを無料で作ったので、これからは各地で使うことにしようと思う。



つづく



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飛行機で鄭州→成都 そしてT8次切符購入

2011年04月06日 15時19分01秒 | 旅行
4月2日午後、前日までの暑さが嘘のような天気の中で出発した。

今回は時間もあるので駅前の鄭州大酒店からバス(1時間に1本)で行こうと思い、路線バスで駅へ向かう。14時15分前に到着。しかし14時のバスはすでに満車で、「次は15時」と言われ、仕方がないのでタクシーで空港へ移動した。

鄭州駅前からの空港バスは小さい車両の場合が多いから、発車時刻の30分前には着いている必要がありそうだ。それがいやなら民航大酒店(30分に1本で車両も大型が多い)まで行くことだろう。


空港に到着し、搭乗手続きの際にマイレージを加算するためANAカードを提示するが、後で搭乗券を確認すると、

ツーレターコードはNA、会員番号はクレジットカード番号

というふざけた内容。

NAは1980年にパンナムに吸収されたナショナル航空のコードだ。

今度、上海へ行ったときにANAの支店で事後登録をするとしよう。


定刻17:05発だった中国国際航空4322便はおよそ30分の遅れで出発。成都空港にも30分遅れの19:35に到着した。
しかもターミナルまでバス移動、駐機場は新貨物ターミナルそばのどん詰まりというおまけつき。

別に用事がないのなら30分なんて何ともない遅れだが、切符購入があるからな。
頼むから早く第2ターミナルできてくれ・・・

以前、成都の新聞か何かで来年の春節前に開業とか書かれていたが、あまり間に合いそうな気がしない。


実は成都空港には中国の空港でおそらく唯一の鉄道切符売り場がある。ただ19:00まで営業時間が延長されていたが、それでももう終了していた。


空港を出れたのは20時近いが、ここからは割とスムーズですぐ空港バスで出発。終点の錦江賓館で地下鉄に乗り換え。

そして20:40には駅切符売り場に乗り込んだ。明日から連休なせいか、なかなかの混雑だ。次の日に見に行った時は写真の通りガラガラだったが。



全人代代表や軍人、香港マカオ台湾同胞、外国人用と書かれているが実は誰でも購入できる11番窓口が少し空いていて、しかも銀聯カード対応だったのでそこに並ぶ。(現金が300元くらいしかなかった)

途中で電光掲示板を見るが、
4日のT8次は軟臥・硬臥共にゼロ表示!

ただし
昔からこの駅の電光掲示板は特に信用できない
からあきらめず並び続けた。

そして結果は軟臥・硬臥共に「有」。

すぐに中国銀行のカードを出すがごめんね。ここの機械オフラインなのよと窓口のおばちゃん。


仕方がないので隣の列に並びなおす。
今度は銀聯カード利用時の端末操作を販売員がよくわからず、非常に時間がかかったが、ついにT8次軟臥の下段切符を確保したのだった。



番号は33号下段。ボーゲン隊長曰く以前隊長が乗った時と同じ番号だそうだ。ちなみに北京西→鄭州で乗る予定だったT1次も33号下段のはずだった。
値段は658元で、切符の値段と新空調軟臥の間にある(工)の印は、中国工商銀行のPOS機で支払い手続きしたことを示している。



その後は地下鉄でホテルへ向かったのが、何気なく乗った電車は21:32発の最終電車であった。今日は最後の一瞬だけついていたな。

しかし毎度思うが鄭州に比べて成都は都会だ。

  



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