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鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

労働節旅行 K182次 昆明→上海南

2007年11月18日 23時36分08秒 | 07労働節


最初に断っておきますが、この列車は後述のアクシデントの影響で非常に写真が少ないです。ご容赦下さい。

5月3日、いよいよ上海に戻るためK182次に乗車する。と言っても夕方4時台の発車なので、昼間は街をブラブラ。お昼を食べた後は、まだ昆明に1泊するおとうさん同志の部屋で3人ウダウダする。

ホームまで見送ってくれると言うことで、站台票(入場券)を1枚買い、駅舎に入る。少しは初めての昆明駅軟席侯車室でくつろぎたいところだが、既に改札が始まっていたのでホームに下りた。まあ新しい駅舎なんで普通の侯車室でも十分きれいですが。
1番ホームからの出発。とりあえず乗車して荷物を置いた。が、廊下天井裏の収納スペースは予備のシーツを大量に入れた袋が詰め込まれており、収納できない。またベット下のスペースは機械類の箱(たまにこういう車輌がある)がありこれも無理。
とりあえず列車員を呼ぶ。「規則でこの部屋の収納スペースに置かねばならない」などと言うのだが、「空いてる部屋が沢山あるんだから移せばいいだろう!」としつこく食い下がったら、隣りの空き部屋にシーツの袋を移してくれた。中国はゴネ得国家です。皆さんも中国に行ったら図々しく過ごしましょう。

あとこれは昆明鉄路局所属列車の軟臥に共通のようだが、鉄路局のロゴ入りのティーカップが寝台下に人数分収納されている。と言っても使用されることはない。これはかつて軟臥利用客の大半が政府高官や外国人料金で乗る外国人だった頃の遺物。なんでも当時はこれにお茶を注いでくれるサービスがあったそうだ。大半の列車では消滅したが、他の方の旅行記を見ても、昆明鉄路局の列車には残っていることが多いらしい。
中国国内定期列車最後の3晩夜行となった昆明発南京西行き快速(現在は2晩化)に乗車した人の旅行記を見ると、勝手に使っても問題ないようだ。使わなかったが

とりあえず先頭の機関車で記念撮影。牽引機はSS7C型。2つ向かいのホームに4月18日のダイ改で登場した桂林北行き快速が停まっているが、なんと客車が160キロ対応の25K型だ。もったいない、南昆線のどこに160キロ走行区間があると言うのだ?(ほとんど単線)

自分達の部屋に戻ったらもう1人の客が入ってきた。彼は蘇州在住の大学院生で大学時代から付き合っている彼女(現在昆明で仕事)に会うために昆明に来た帰りだそうだ。「飛行機は高いから乗れないよ」なんて言っていたが、彼女に会うために学生の身分で軟臥に乗れるなんて、家はそれなりの金持ちなんだろう。(まだ硬臥は空きがある)



定刻通り発車。昆明の町を出ると列車は断崖を走る昆河線としばらく平行し、石林のカルスト地形の中を走る。本格的な石林の地形を見るのが初めてなシャオ同志は興味津々だが、石林風景区の入場料が150元もすると聞いて、不思議がっていた。確かに入場料払って入らずとも周りで観光できますな。

夕食は食堂車に行く。昆明鉄路局の食堂車は正直言って微妙だ。不味くもないがおいしくもない。値段もそこそこ。朝食メニューに雲南米粉を用意しているだけ良しとしよう。食堂車ではシャオ同志と日本の社会問題について熱い議論が交わされた(?)。2時間くらいいたが、軟臥なんだからいい加減帰れと追い出される。ガラ空きなんですがね。


さて食事を終えてしばらくしたところでアクシデントが発生。食堂車から硬臥に戻る女性客がいたのだが、駅停車中で軟臥で通行止め。で、向こうが話しかけてきたのだが、そのやり取りで自分達が外国人であるのが判明し、興味を持った向こうが居座ってしまったのだ。
更に不運は続く。正直可愛くはなく、サザエさんに出てくる花沢さんを百倍に強烈にした感じなのだが、コンタクトをはずして視力が低下していたシャオ同志が「結構可愛いかも」と積極的にアプローチをかけてしまったのだ。
なんでも杭州在住で以前は人民解放軍にいたらしい。両親は交通事故でかなり前に亡くなったと言っていたが、どこまで本当なのかはわからない。彼女翌日も入り浸るようになる。

こうしてK182次1日目の夜も更けていった。



2日目の朝、ウダウダ10時過ぎまで寝る。起きたらもう柳州と桂林北の間だった。すでに花沢さんが来ていたが、寝ぼけてるうちにまた硬臥に戻ったようだ。
駅舎の新しくなった桂林駅を通過し、桂林北駅に到着。労働節連休ということもあり、駅傍の留置線には旅遊列車(観光快車のツアー用臨時列車)に使用される22型客車が数編成停まっていた。さすが世界的な観光地だ。


ホームに降りると桂林ビーフンが売っていたので購入した。桂林は01年に初めて中国本土を旅行した時に行って以来だが、当時大規模な改造工事をしていたから大分変わったことだろう。

桂林を出て広西から湖南にかけての田園地帯を走る。とある田舎駅に停車。この辺りは単線なので、停車駅では必ず行き違いがある。この駅では北京西発南寧行きの特快と行き違い。当然こんな田舎にCTCなど導入されていないから、各駅同士でホーム当直員が無線でやり取りしながら運行管理をしている。写真の赤いカバーの被された制帽を被った人が当直員です。

このホームからは行き違う列車が見えないので、わざわざK182次のデッキに乗って反対側のドアを開けて確認。
当直員が旗を円を描くように振り回し(これが発車の合図)発車。これが延々繰り返される。

永州に到着。ここで思いがけずスイッチバックするので長時間停車。ホームに降りたら駅弁が売っていたので購入した。ここは湖南省おいしいのを期待。


ところがこれははずれだった。豚の角煮だと思った四角い物は芋みたいな得体の知れないもの。実は1週間前南寧に向かうシャオ同志が食べて不味かったそうだが本当に不味い。
大学院生曰く「それは小米だ」とのこと。「粟ですか?粟?」生まれて初めて食べたがおいしい物ではない。後々停まる駅に期待し、半分ほど食べて残しました。


しばらくすると花沢さんが4人ほどおじさんを連れてやって来た。完全に部屋が占領された感じだ。でも大量のビールとおつまみ、そして夕食の套餐を奢ってくれた。
「国慶節は皆で昆明で会おう!」
という訳のわからん音頭で乾杯。国慶節はもう中国にいないわ!まあただ酒飲めるんでいいですけど。

続いて別の人が招き入れられる。この人は江西省の日本メーカーの工場で働いているそうだ。しかも普通の労働者でなく技術者らしい。工場で問題が発生した時に日本に電話した時のエピソードなどから、会社の問題点について語り、ついで人生において大事なことについていろいろ含蓄のある話を聞かせてもらいました。

いつのまにか衝陽で京広線と合流し北に向かっている。衝陽の駅弁も食べてみたかったが残念、通り過ぎていた。
22時過ぎに若干の遅れで株洲に到着。ここは中国を東西南北に貫く幹線が交差する交通の要衝だ。また中国でも有数の機関車工場を有する工業都市でもある。またスイッチバックするので長時間停車。時間が時間なので駅弁の販売は無し。本当はこの駅も豊富なんですけどね。
株洲発車後消灯して就寝。列車は高速化なった株洲→向唐→金華西を駆け抜けていく。


翌朝、義烏の手前で起きる。今日で旅も終わりだ。この辺りは短絡化された新線に切り替わったため、快調に走る。1度くらい朝食もということで食堂車に行き、昆明鉄路局所属列車おなじみの雲南米粉を食べた。


杭州東で例の花沢さんが下車。ようやく安寧が訪れたと言ったところだ。といってももう上海は目と鼻の先。最後の停車駅嘉善を出たので下車の準備を始める。

地下鉄1号線と併走するようになると上海に帰ってきた気分だ。結局20分早く上海南駅に到着した。更に蘇州まで行かなければならない大学院生に別れを告げ、地下鉄の乗り場に向かい旅が終わった。


上海と昆明を結ぶ列車はこのK181/182次とK79/80次があるどちらも一長一短なので、行きと帰りで両方に乗るのがいいでしょう。ルートも違うので。

おわり

昆明 填池・西山森林公園

2007年11月16日 04時13分56秒 | 07労働節


昆明に着いて2日目。今日は午後におとうさん同志が元陽からバスで来るので、とりあえず午前は観光に行くことにし、駅前から填池方面に向かう路線バスに乗る。
途中レクサスのディーラーを発見。こんな所にもあるんですな。40分ほどで終点に到着。


填池(本当は填はさんずいに真)は昆明の町の南に位置する湖で湖畔には雲南民族文化村があったりする。この辺りは昆明に近いせいか水質はあまり良くない。


自分の背後、つまり填池の入り江の対岸にあるのが西山森林公園だ。填池のこちら側とはロープウェイで繋がっており、さらにリフトに乗り継げば一番上の方まで行ける。リフトの中ではシャオ同志が日本にいた時に通っていた中国語教室の先生について熱弁をふるっていた。
曰く「あんな美人で日本語ペラペラなんて絶対スパイだ!」との事。



頂上付近は岩がゴツゴツしていて歩きづらいが、見晴らしは良い。ちょうど昆明の中心部上空に雷雲が発生していたが、ここは標高2300メートルくらいあるので雷が下に見えた。こういう見え方は富士山に登って以来だ。(急激な標高差が無いと高い所にいてもなかなか見れたものではない)






西山森林公園から市内に戻った後は、中心部のウォルマートに土産の物色に行く。ウォルマートやカルフールには各都市ごとに地元土産コーナーがあるので便利だ。(個人的にはウォルマートの方が充実している)最低の品質の物を高く売りつける観光地の悪徳土産屋とは比べることはできない。ウォルマートでおとうさん同志と合流。
国慶節旅行でも購入した雲南のお茶4点セット(1つ15元)を20個購入した。このお茶、金色の立派な箱に1回分ずつ紙で包まれた茶葉が入っているのだが、15元と結構安いので昆明に行った時はお土産として買って行くといいです。と思ったら肝心の品物の写真が・・・

続く

労働節・国慶節の昆明の鉄道切符販売状況&昆明のホテル

2007年11月15日 15時18分24秒 | 07労働節


一般に大型連休は非常に切符が買いづらいわけだが、昆明駅はそうでもない。
連休最後の2日ほどを除けば、ほぼオール有(春節は別)だ。特に1日2本ある北京西・上海南・成都・重慶へなら常にどちらか1本はある。
前回の国慶節旅行で訪れた際にこの状況を知ったので、だからこそ今回の最終滞在地を昆明にしたわけだ。

さて昆明発上海南行きは1日2本ある。上海鉄路局所属のK80次と、昆明鉄路局所属のK182次だ。
このうち以前逆方向で乗ったK80次は第6次高速化の結果所要時間はついに30時間台になった。車両も25Gの後期型で新しい。ただ問題なのは列車員の質の低さと上海到着朝5時台ということだ。
一方、K182次は昆明から南昆線経由で南下して広西の南寧から柳州・桂林を経るルートで向かう。その為所要時間も44時間とそれほど高速化の恩恵は受けていない。しかし2割の割引が行われている。その為K80次より距離は長いが運賃は安い。
今回はシャオ同志の体調が良くないこともあり、軟臥利用予定だったので、運賃の安いK182次に乗車することに決定。切符を購入する。

上下1枚ずつ購入したところ、寝台番号は1番・2番。ほとんど売れていないらしい。ちなみに実際昆明から軟臥に乗車した人数は7人だった。下段2枚で購入したら2人で1部屋使えたので上下1枚は選択ミスだったと言える。


昆明駅は05年に建て替えられた新しい駅で駅舎には鉄路局運営のホテルが入っている。ただここは1泊200元な上に「外国人無理」という明らかに外国人登記が面倒だからといった感じの拒否を受け、広場前の鉄路大厦に誘導される。


だが結果的にこれは正解だった。近年改装工事を請けてチェーンのビジネスホテル並みにきれいな鉄路大厦の部屋は1泊96元。1人48元だ。エアコンとバスタオルが無いのだが、昆明の気候からしてエアコンは必要ないし、バスタオルも小さいタオルで代用するかすればいいので非常にいい場所だ。


続く

河口→昆明

2007年11月15日 14時52分12秒 | 07労働節


中国に戻ってきたとは言っても、まだ移動手段がバスしかない雲南省の奥地。上海まで戻るためにも、とりあえず昆明まで出なければならない。
というわけで中国入国2日目の朝、8時45分発の高快で昆明を目指す。所要時間は約10時間。


河口を出てしばらくすると、公安の検問所がある。乗客全員の身分証チェックが行われる。自分達だけパスポートなので時間が掛かった。
時間があったので検問所のトイレに行ったが、今までに無い最高レベルの物。便器、床全面にウジが湧いており、とても入れたものではない。仕方が無いので外からトイレ内に向けて用を足す。情勢はどう用を足すのだろうか?
ベトナム国境である河口から昆明に向かう国道の検問はここだけだったが、麻薬密輸ルートになっているラオスやミャンマーの国境から昆明に向かうルートは検問が沢山あるらしい。

最初は5割くらいの乗車率だったが、至る所で停車して客を乗せる。特に最初の集落では10分以上停車。通路向かいの哀川翔似のおじさんがキレて「高快?何が早いんだ!」と叫ぶ。だが運転手は気にも留めない。


昆河線と平行しているためたまに貨物列車とすれ違う。凄まじい遅さだ。かつてフランスが建設したこの路線はメーターゲージでトンネルは手掘り。危険すぎるため崖崩れ事故を機に旅客列車が運行を休止してから早や5年が経つ。
バスは何度もカーブを抜け急な斜面を登って行く。かなりの標高差だ。夜走る寝台バスには乗りたくない。

5時間ほど走り蒙自のレストランで昼食休憩。回族が経営している精進レストランだ。40分ほどの休憩で再び出発。


中国は一般の国道でも町ごとに料金所がある。地方政府は収入も少ないのでこうやって料金所を作り通行料を巻き上げている。だから中国においてマイカーを持つのは高い購入資金・高いガソリンに加え、こういう通行料支払いもあるので非常にお金が掛かる。

蒙自から片側1車線の高規格国道といった感じの道を走っているのだが、低速で走る過積載のトラックが多いので、あまりスピードが出せない。中国のトラック運転手はどんなに低速でもなかなか道を譲ろうとはしないので、追い抜きは狭い路肩を使うため非常に危険だ。
このあたりで哀川翔もどきがシャオ同志に話しかけてくる。当時、聴力があまり高くないシャオ同志と中国人の会話は聞いてて面白いので、寝たふりして聞く。

哀川翔   「中国に何しに来たんだ?」
シャオ同志 「昨日来たばかりだ」
哀川&自分 「?????」

何でも「中国に何しに来たか?」が「中国に来たばかりか?」に聞こえたらしい。

ようやく昆明西方の石林に到着。石林はカルスト地形の景勝地でユネスコの世界地質公園に指定されている。世界地質公園は非常にマイナーではあるが、世界遺産に順ずる位置づけらしい。ここには昨年の国慶節に行ったのでそっちの日記を見てください。

国慶節旅行 石林

ここからは片側3車線の高速道路が昆明まで続いている。昆明まであと1時間だ。時速20キロほどで走る過積載トラックを次々と追い抜く。

19時ごろ昆明駅近くの北京路のバスターミナルに到着。ホテルやタクシーの客引きを振り切り昆明駅に向かう。

続く

ハノイ→ラオカイ そして河口へ

2007年11月14日 23時22分08秒 | 07労働節


ハノイ駅で切符を買うとき思ったが、ベトナムの鉄道はまだまだ遅れている。

まず切符が素晴らしい。ハノイ・ホーチミン間の統一鉄道はコンピューター発券のようだが、ハノイ・ラオカイ間は手書きだ。販売状況は売れるたびに日付別の座席・寝台表が記載されたノートに書き込んでいた。

ベトナムの列車は一つの列車に空調軟臥・軟臥・空調硬臥・硬臥・空調軟座・軟座・硬座と空調・非空調双方が混ぜこぜに連結されている。空調軟臥希望だったのだが、売り切れており軟臥を3枚購入した。(最後の3枚だった)

出発は23時台なので夕食後にホテルで荷物を受け取ってから駅に向かった。ハノイ駅はハノイA駅とハノイB駅に別れている。比較的立派なA駅の駅舎は統一鉄道の駅で自分達は使えない。駅の裏側に回りこみB駅に向かう。非常に分かりづらい入り口だったが到着。待合室で待つことに。ラオカイの近くにはサパという植民地時代からの避暑地がある。そのためか外国人の姿も多い。

改札が始まりホームへ向かう。ラオカイ行きは深夜に複数の夜行列車が集中しており、いくつかの列車が並んでいた。サパのホテルが宿泊客用に豪華車両を連結させており、車両のバリエーションも豊富だ。

ただ、初めてベトナムの鉄道車両を見たが、非常に小さいのに驚く。ベトナムの鉄道はメーターゲージなので、標準軌の中国はもちろんの事、狭軌の日本よりも線路幅が狭いので仕方が無いが、3段寝台の硬臥などまるで奴隷船のような狭さだ

自分達のコンパートメントに入る。中国の軟臥を小さくしたような感じだ。だがとにかく汚い。廊下天井裏の収納スペースにはピスタチオの皮が散乱し、下段寝台を蓋の代わりにした収納スペースもごみが散乱していた。

しかも規定でどちらかに荷物を収納することが義務付けられているらしく、しつこく入れるように言われる。扉には鍵が付いているわけだが、非空調のために廊下沿いの壁は金網状になっており、ここから鍵を開けられるらしい。

ようやく発車。だが台車が古い上に保線状態も悪いので乗り心地は最悪。縦揺れ、横揺れが延々と続く。しかも寝台はスプリングがないようなものなので、揺れる度に体が跳ねる。とても寝られたものではない。ホテルの高級車両もこんなに揺れるのだろうか?
ここに至り、中国の鉄道がどれだけ快適な物であるかがよくわかった。


ほとんど寝ることができないまま、早朝6時ラオカイ駅に到着。駅前にはサパへ行く人目当ての客引きであふれていた。喧騒の駅前を抜けると、非常に静かな町並みだ。そりゃ朝6時ですからな。


とりあえず国境に向けて歩く。ベトナムは非常に野良犬が多い。3年前ホーチミンに行った時など、いかにも狂犬病といった感じの表情の犬に大晦日の夜に追いかけまわされたが、今回は追いかけられることも無かった。途中丘の上から中国側を視認。かなりの安心感がありました。中国に渡っても雲南の奥地ですけど。一方左手の川向こうにはラオカイの街。教会もありなかなかきれいそうな街だ。


20分ほど歩きラオカイのイミグレーションに到着。出入国審査は中国時間8時、つまりベトナム時間7時に始まるので、しばらく並んで待つ。

どうやらラオカイの住民は、中国との交易用に河口に行くための専用の身分証があるようで、審査開始と同時に我先に国境の橋に向けて走って行った。

出国審査を抜けて国境の橋を渡る。近づく中国。イミグレの建物に掛けられた和諧的口岸の垂れ幕を見て中国に戻ってきたことを実感した!

中国入国後、とりあえずバスターミナルに向かう。待合室の壁には懐かしの向雷峰同志学習(雷峰同志に学べ)のスローガンが描かれていた。田舎ですな。


相変わらずシャオ同志は体調が良くないので河口に1泊することにし、翌朝8時の昆明行き高快(雲南の某バス会社特有の種別らしい)を購入。119元+バス保険3元の122元なり。中国語でスパッと言ってスパッと購入できるところがいい。ベトナムとは大違い、まさに水を得た魚だ。(自分が言うな)
一方おとうさん同志は元陽の棚田を見に行くと言うことで別に切符を購入し、翌々日昆明で会うことにしてそのまま出発。相変わらず元気ですな。


河口は小さな町ですが、ベトナムとの交易の拠点としてそれなりに賑わっている。かつてフランスが施設した昆明とハノイ結ぶ鉄道は中国国内が貨物のみの扱いだが、構想として別線で新たに鉄道を作ることになっているので、完成すればますます発展することだろう。

続く

CHA CA

2007年11月12日 13時12分35秒 | 07労働節


ハノイのレストランは大体どこもベトナム語・英語の2言語表記。なのでいまいち何のメニューなのかわからない。
なので昼間はフォーやベトナム風の炒飯などシンプルな物で、夜は高めの店で洋食だかベトナム料理だかよくわからない料理を食す日が続いた。正直早く中国に戻りたい気分だ。

そんな中、ガイドブックを見ていたら、cha ca(チャーカー)という雷魚を使った料理がハノイの名物料理の一つだということが判明。3日目の夜におとうさん同志と食べに行った。(シャオ同志は腹痛で完全にダウン)


川魚だが臭みも無く非常においしかった。

食後は夜市を見に行く。ちょうど土曜日なので賑わっていた。実は翌々日の30日は統一記念日、5月1日がメーデーなのでベトナムも連休だ。
日本人が自分でナレーションを付けながらビデオ撮影をしていた。


明日29日は夜行列車で中国国境の町ラオカイに向かうことになる。

ハノイ!

2007年11月11日 22時46分43秒 | 07労働節


今となってはハノイでどういう順番で観光したかはよく覚えてませんが、写真の日付を見る限り

到着日:食事と周辺をブラブラ
2日目:旧市街
3日目:ホーチミン廟とその周辺
4日目:博物館など。夜にラオカイ行き列車に乗車

らしい。とにかく蒸し暑くて丸1日出歩くのには難があった。シャオ同志など、お腹を壊して昆明まで結構苦しんでいた。彼はお腹が弱すぎる。後に新疆に行った時も壊したが、弱いのをわかっていながら、警戒心無く食事をするし、少しよくなったらすぐ調子に乗って食べるので始末が悪い。一方62歳のおとうさん同志は元気だこと。









しかしベトナムは秩序が無い。というより値札が無い。中国だと個人商店でも値札がある場合が多いし、無くても飲み物1本いくらか聞いてボられることはまず無い。なのにこの国の個人商店は平気でふっかけてくる。国営デパートで確かめたところ、缶コーラ1本4000~5000ドンらしいが、大体15000ドンと言ってくる。国鉄駅の売店でもそうだ。極め付きが国鉄駅のトイレ。有料でこの値段すらふっかけてくる。




ホーチミン廟は非常に長い列となっていて時間が掛かった。6年前の毛主席祈念堂と比べてもかなり差がある。これを見ると中国での毛沢東と比べて、ベトナムにおけるホーチミンがどれだけ人気があるかがわかる。


南寧からハノイへ

2007年10月26日 21時33分08秒 | 07労働節


4月26日、いよいよバスでハノイに向かう。
以前、南寧のバスターミナルは他の大都市と同じように市内に点在していたらしいが、現在は郊外の「(土良)東バスターミナル」に集約されている。毎日複数便あるハノイ行きバスの一部が、例外的に市内の旧バスターミナルやホテルを発着しているが、基本的に市内の旧ターミナルは切符売場としてでしか機能していない。

ここで中国らしいのは切符売場・売場に置いてある名詞状の広告・ターミナルのバスターミナルの時刻表、全てハノイ行きの時刻・発着場所が違うことだ。


バスターミナルは非常にきれいでケンタッキーも入っていた。桂林行きのバスが沢山あったが、3列シートの豪華バスもあった。3列シートなんぞ中国じゃ上海や広州じゃないと無いと思っていたが、さすが国際観光都市だけある。

南寧を出発し、一路国境の友誼関を目指す。農村や桂林状の山並みが続く。かつては閉鎖されていた国境だが、現在中国側は国境まで高速道路が開通している。
途中、サービスエリアで休憩。乗務員が休憩時間の指示をしているが、無駄にエコーが掛かっていて全く聞き取れない。仕方ないから降りる時直接聞いた。


3時間ほどで国境の友誼関に到着。荷物を全て持ち出国審査場へ。中国側の出入国審査官は非常に愛想が良い。歩いて国境を越えベトナム側に入る。中国側と比べるとみすぼらしい建物。並ぶ場所も無く適当の限りを尽くしていた。
しかも謎なことに自分達3人のパスポートだけ脇に除けられ後回し。というより無視される。散々もめた挙句1時間後ようやく入国と相成った。
ベトナム側の駐車場にはベトナム側のバスが待っていた。といっても中国製だが。早くも携帯電話は圏外だった。


バスは国道1号線を南に向かう。常に鉄道に沿って進むが、国境の街ドンダンまでは珍しい三線軌条だ。これは中国が標準軌であるのに対し、ベトナム側がメーターゲージで差が40センチくらいある為、ドンダンまではどちらの車両も乗り入れられるようになっている。


1時間ほど走りドライブインでの昼食となる。元も使えるが、以前ベトナムに行った際余ったドンがあったのでそれを使った。チマキもどきとフォーを食べる。フォーはおいしかったが、チマキもどきは得体の知れないまずい物だった。

次第に平地に入り交通量も増えてきた。ハノイが近いようだ。途中ハイフォンに向かう列車とすれ違ったが、窓に金網がついている時点でこの国の鉄道のレベルがわかった気がした。


お世辞にはバスターミナルと言えないホテル前の道端に到着。その後、慣れない国でホテルを探すのは非常に骨が折れた。

続く

南寧

2007年10月19日 22時05分36秒 | 07労働節


南寧はベトナムと隣接する広西壮族自治区の首府で、東南アジアへの玄関口として栄えている街だ。街はきれいに整備されており、中国の地方都市に来るのが初めてのシャオ同志はかなり驚いていた。確かに夏が高温多湿なのを除けば上海よりもきれいで住みやすそうだ。



駅や中心部の繁華街は昔ながらの南国特有の街並み(建物の2階以上が歩道上に迫り出し屋根代わりになっている)が広がり、南郊外はオフィスビルが立ち並ぶ開発区になっていた。



中心部にウォルマートを中心とするショッピングモールがあった。シャオ同志が「ぜひ見たい!」と言うので入る。実はシャオ同志は某大手コンビニチェーンに勤めていたので、とても興味があるらしい。(上海にもあるが)

「この陳列の仕方が購買意欲をそそるんだ」
「そしてこの蛍光灯が反射するくらいに磨かれた床。これも重要だ」

と解説するシャオ同志。「中国でここまで徹底されてるとは素晴らしい。さすが世界最大の小売業だ!」と絶賛していた。


おとうさん同志も合流した2日目の夜は南寧の郷土料理を食べる。と言っても何が郷土料理だかわからないので、店員に「郷土料理でお願い」と言ってお任せにした。店員曰く川魚(名前わかりません)らしいので頼んだ。川魚と言うと臭みがあるイメージだが、臭みの無い非常においしいものだった。


南寧の滞在期間は2泊。いよいよベトナムに向かうことになる。

続く

労働節旅行 K139次 いきなり2日目

2007年10月18日 16時55分23秒 | 07労働節


「旅客們早上好。今天是4月24日星期二。農暦的3月初八。播音室現在今天的第一次播音。」

4月24日朝、起きると列車は貴州省南部を走行していた。のどかな農村が広がっていた。次は貴州省最後の停車駅麻尾だ。

前日の9時59分に成都を出発してから20時間以上、特に昨日は一日が長かった。昼間はひたすら川沿いに重慶を目指し続けるばかり。景色は変わり映えしない上に天気も悪く暇で仕方なかった。
このK139次は成都から重慶・貴陽・柳州を経て南寧に至る列車で、所属は柳州鉄路局南寧客運段。車両は前述の通り旧式車両の改造車の寄せ集めで、田舎の鉄路局の悲哀が滲み出ている。まあ高速化とは無縁の黔桂線を走る列車だから十分と言えば十分だ。


11過ぎ、列車は麻尾駅に到着。機関車付け替えのため長時間停車する。ホームに出るが、素朴な感じの残る良い駅だ。特に列車の下をくぐって駅の反対側に向かうおじさんがいい味出していた。最近は幹線だと、どこに行っても立派な駅に変わりつつあるが、この路線はそういう駅は全く無い。
ホームで駅弁が売っていたので買った。


麻尾を出てしばらく走れば広西壮族自治区に入る。次第にいかにもカルスト地形と言う感じの岩山がポツポツ現れ始めた。桂林に代表される奇石郡は広西全体に広がっており、川沿いの山しか見えない桂林より、遠くまで見渡せるこっちの方が迫力が歩きがする。


ループ状に高度を上げ、ほぼ垂直に立つ岩山の中腹を張り付くように走る場所もあった。そこを通り過ぎて駅で内江行き普快とすれ違い、しばらくして後ろを見ると山を登って行く普快が見えた。
というわけで黔桂線の車窓の写真









窓が開けばきれいに撮れるのですがね。

15時過ぎ、金城江に到着。屋根のない開放感のあるホームに屋台が並んでいた。再び機関車交換で長時間停車。ここでも駅弁を買う。ここはそこそこの町なのでかなりの客が降りていった。




次第に岩山も無くなっていき、平地に出てきた。宣州に停車中、海浜副総裁から電話が掛かってきた。撮影活動のお誘いのようだったが、当然行けないので断る。途中線路際にあったセメント工場で上遊型蒸気機関車が稼動していた。
18時過ぎに20分遅れで柳州に到着。ここは広西の交通の要衝であり、中国でも有数の棺桶の産地でもある。なので「死在柳州」という言葉があるらしい。ここから南寧までは2時間あまりだ。


柳州で良い食べ物が売っていなかったので食堂車に行く。もう誰も来ないだろうと思ったのか、従業員は自分達の夕食を準備していたが、問題なく注文をとってくれた。回鍋肉を注文。今まで食堂車で食べた回鍋肉の中では一番回鍋肉らしい味だった。食べているとシャオ同志から電話が掛かってくる。もう南寧に着いたらしい。といっても自分はまだ2時間近くかかるので「待ってて下さい」としか言いようがない。
この区間は複線なので、この列車に乗って以来初めてといっていいスピードを出す。と思えば恒例の減速(前方に貨物でもいるだろう)。更に途中の停車駅で桂林発南寧行きの快速に抜かれた。同じ快速なのに・・・

結局30分近く送れて南寧に到着。シャオ同志と合流後駅前のホテルに入った。トイレ・シャワー付きで1部屋134元の1人67元。かなりきれいなので非常にお得だ。
直後にハノイ行き高速バスの切符を買いに行ったが難なく買えた。結構簡単に買えるようだ。乗る人はそれほど多くないのだろうか。

続く