T52次は07年4月の第6次高速化で所要時間が42時間台に短縮されました。
現行ダイヤでの乗車の旅行記は07年6月の乗車記をどうぞ。
また旧ダイヤですが、07年2月の乗車記もあります。
上海滞在最終日は、12時ぎりぎりでホテルをチェックアウトした後、浦東空港までリニアで行ったりして過ごした。
なんとか時間を潰し、19時頃軟席侯車室に入った。ちょうど北京行きZが発車して行く時間なので、軟席侯車室も閑散としつつある。暇なので当日の切符売り場に偵察に行く。自分たちが乗るT52次は全て売り切れだが、北京行きの2本の特快の
硬臥がめずらしく売れ残っていた。また成都行き快速の
軟臥が有になっている。まあ節後の上海ならこんなものか。
20時過ぎにようやく改札が始まり、ホームへ向った。今回の25K型は長春客車の2002年製で扉はプラグドアだ。もちろん満席だから、軟臥ですら廊下は荷物を持った人であふれかえっている。部屋を間違えた人のようだが、事前に何番かくらい確認しておいて欲しいもの。自分たちの部屋にはウルムチに帰る男性と老人が乗っていた。
20時38分、列車は定刻どおりに上海を発車した。もう夜ですることもないので、カップ面を食べ、蘇州を過ぎたあたりで就寝した。(早すぎ!)
(2日目)
翌日は鄭州を発車してしばらくしてから起きた。T52は鄭州を出ると西安までノンストップだ。洛陽や三門峡も通過し西安を目指す。朝食は車内販売の套餐にした。値段の割に内容が貧弱だから頼むたびに後悔するが、また買ってしまった。(そしてまた後悔)T52次の朝食は麺が充実していて比較的安いから、そっちを食べたほうが良い。
この頃になってわかったのだが、同室の老人の奥さんが隣りの部屋にいるようだった。
12時46分に定刻どおり西安に到着。去年乗ったZ19と同じで1番線に停車した。この列車に乗って初めてホームに降りる。軟臥や硬臥の乗客がホームで買い物を楽しむ一方で、大勢の途中乗車の乗客が硬座車に吸い込まれていく。最近非常に興味深いこととして、軍人は軟臥に乗っている人もいれば、硬臥に乗る人もおり、また硬座に乗る人もいるという事がある。自分の乗っている軟臥には空軍の軍人が乗車しているが、西安駅で硬座に乗る軍人もいた。
西安駅を発車後、
餐車(食堂車)に昼食を食べに行った。前回の南北縦断旅行の際は、1人で食堂車ではほとんど食事をしなかったから、今回はできるだけ食堂車で食べるつもりだった。2元のご飯におかず2品で37元くらい。微妙に高い。「スープはいるか」と聞かれたので頼んだが、結局出てこなかった。あきれて催促する気にもならん。
宝鶏に着くころにはかなり暇になったから昼寝タイムに突入。天水駅を出てしばらくするまで寝ていた。起きると列車は川と平行して走っている。時々対向線が離れるので逆方向の列車を眺めることができた。
2月ということもあり7時にはとっぷり日も暮れ、真っ暗となった蘭州駅に10分早く到着した。ホームの向かいには嘉峪関行きのN970が停車している。この列車は時刻表だと非空調だが、実際の車両はなぜか25G型。すでにカップ面で夕飯を済ませてあったから、特に買うものもなく車内に戻った。
そして廊下で友人とぼそぼそ話していた時、突然後ろから「あれ、日本の方ですか」と話しかけられた。なんと2つ隣の部屋に日本人がいたのだ。その人は東京のC大学の大学院生で東洋史を専攻している人だった。この4月から就職で学生時代最後の思い出でに新疆旅行に行くらしい。今まで中国の色々な所を旅して来たらしく、初めて行った際は大同から西安まで無座乗車をして、西安で寝込んだので、それ以来鉄道利用時は極力軟臥にしているそうだ。
この人曰く、上海発車後の検札の際、「他にも日本人いるよ」と言われたそうだが、日本語が聞こえてこないので気にしてなかったらしい。そういう自分もたまに見かけるたびに日本人っぽいなと思っていたんですがねぇ。この人とはこの後カシュガルまで旅を共にすることになる。
(3日目)
三日目は嘉峪関に停車している時に一度起きたが、2月ということもありまだ暗いのでまた寝た。次に起きた時には低窩鋪を過ぎていた。少し明るくなってきていたが、まだ日の出を迎えてはいない。やはり日の出は見ておきたいので、廊下で待つことにする。やがて東の空から太陽が出てきた。やはり果てしなく広がる荒野の日の出は格別のものがありますな。
やがて列車は柳園に到着した。つい先日までは敦煌駅だったのだが、何でも敦煌市内に至る鉄道ができるから、昔の柳園に戻したらしい。雲ひとつない青空がが、気温は氷点下7度。雪も残っており非常に寒い。遅れているのか短い停車時間で再び発車していった。
食堂車の朝食メニューはどうかと思い、食堂車に朝食を食べに行く。套餐と同じメニューと面に加えて洋食セットがあった。20元という異常な高さで、非常に貧弱な内容だから本来頼む必要性はゼロだが、一応頼む。ちなみに牛乳のような物は脱脂粉乳でほとんど味がない。
この時、食堂車の壁に掛けてあるエンブレムを見て、この列車が「紅旗列車」の称号を受賞していることを知った。通りでダイヤ的に飛行機と競合しようのない長距離列車にしては、列車員の仕事に対する姿勢がいいわけだ。中国の列車員の仕事ぶりの悪さは、所要時間の長さに比例している気がしていたが、こういう列車もあるのですな。どうも長距離列車というとT236(広州東→ハルビン)における、親方5星紅旗思想が骨の髄まで染み付いたハルビン鉄路局ハルビン客運段所属列車員の「すばらいしい」仕事ぶりが鮮烈な印象として残っているので少し驚いた。
日も上がり標高も下がってきたせいか、次第に気温も上がってきた。雪はいったんなくなったが、再び白いものがちらほら見える。ただこれは雪ではなく岩塩が吹きだしたものらしい。まさに不毛の大地だ。13時ごろハミ駅に到着。ハミ瓜で有名な町だが、時期が時期なので、ホームでは特に瓜は売っていなかった。
ハミを過ぎると砂漠に近い景色が広がっていた。至る所で石油の試掘をしている。中には掘り当てたのか、炎を上げている油井もある。果てしなく広がる荒野・沿線に散らばる遺跡もどき、日本ではまず見られない景色が続く。
やはり石油が重要な産業なのか、石油タンク車を多数つなげた貨物列車としばしばすれ違う。場所によっては直線化のためと思われる工事が進められており、また何も無い所なので至る所に鉄路巡回員が立っている。ご苦労なことだ。
日も傾き始めた頃、トルファンに着いた。ホームの向かいには西安→ウルムチの臨時列車が停車している。もちろん22型客車で、初めて車軸連動発電機を見た。トルファン駅は標高が低いこともあり、気温は15度ほどあった。
臨時列車を追い越しウルムチに向けて出発。次第に標高があがり山岳地帯に差し掛かった。断続的に続くトンネル、時々垣間見える谷底に見える高速道路といった具合に中央本線を彷彿とさせる景色が続く。途中山の中に小屋があって、人民解放軍の兵士が列車に向けて敬礼していた。
やがてトンネルを抜けると雪景色が広がっていた。山岳地帯を抜けて標高も下がったが、気温は上がらない。霧が出てきて視界が悪いが、突然目の前に風力発電機が現れた。少なくとも数十機が並んでいる。
この辺りは北はボゴダ山脈、南は天山山脈に挟まれた平原が広がり、その中を鉄道と一直線に続く高速道路が走っており、2006年4月の鉄道時刻表(10元版)の表紙にもなっていた。夏は草原が青々と広がっているだろうから、天山山脈を眺めつつまっすぐに続く高速を走ったら、どんなに気持ちいいことだろう。
ただ翌年6月に通ったが、天気が悪くてあまり景色は良くなかった。
次第にアパートが増えてきた。窓越しに見るウルムチの町はいかにも寒そう。(実際氷点下5度あった)結局、列車は20分遅れでウルムチに到着した。まず切符売場に行ってカシュガル行きの切符を買ったが、その時電光掲示板を見たら、ウルムチ始発列車は翌日以降硬座・硬臥・軟臥全て「有」だったので非常に拍子抜け。でも翌々日のカシュガル行きはなぜか上段のみだった。(電光掲示板はウイグル語との二言語表記になっている)
このあとはホテルを探すが、「○球の歩き方」に嵌められて非常に悲惨な思いをした。それは次回書きます。
つづく
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