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鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

06年春シルクロード旅行⑬ 西安 3月9日~10日

2008年05月26日 11時17分01秒 | 06年春 シルクロード旅行


西安に来るのは05年9月以来2回目だが、実は前回来た時は兵馬俑に行ってなかったので、今回の滞在はとても楽しみだった。

西安到着翌日、駅前から306路で向う。このバスは観光路線バスで華清池・始皇帝陵・兵馬俑といわゆる東線ルートの観光地を結んでいる。大型の路線バス車両の座席をクッションの効いたシートに換装した物だが、乗客の大半は東郊外に向う地元民だった。
発車間際だったので急いで乗り込んだが、満席。途中、高速道路を経由するので全員座らせなければならないのか、
一番前の車掌の席に座らされた
前がよく見えてスリルがあるが、事故れば真っ先に死ぬ代物だ。

高速を降りると、大学や華清池を経由して終点の兵馬俑に到着した。閑散期とあってそれほど混雑していないが、この位がゆっくり見れて一番良い。

まずは博物館で歴史や出土品の展示を見る。






世界遺産だけあって警備しているのはやる気の無い警備会社の警備員(とは言え中国の警備会社は警察や軍の関連企業が多い)でなく銃を携帯した武装警官だった。



撮影禁止となってはいるが、実際はよっぽどフラッシュを焚きまくらない限り問題ない。









兵馬俑を見た後は、兵馬俑の前の食堂で昼食。
有名観光地周辺の食堂なんて高い、まずい、汚いの3拍子揃った店ばかりだが、他に選択肢が無いので仕方がない。料理は期待を裏切らないまずさで、しょっぱい塩の味しかしなかった。



昼食後、バスで来た道を徒歩で始皇帝陵へと向う。約20分で到着。兵馬俑が始皇帝陵の付属品なのを考えるとすごい大きさですな。
司馬遷の史記によれば、始皇帝陵の地下宮殿はいくつもの部屋からなり、中には水銀の川が流れ、その先には水銀の湖があり、天井には宝石が散りばめられて星座が形作られているそうだ。実際、調査の結果、始皇帝陵の地下の水銀濃度が高いことは判明しているのだが、今だ発掘は行われていない。



実は西安の観光客数は近年伸び悩んでおり、陝西省政府としては地下宮殿を発掘して公開して観光客増加の起爆剤にしたい思いがあるそうだ。しかし、明十三陵の定陵発掘の際の苦い思い出から中央の許可が出ず足踏みとなっている。
明の神宗万暦帝の陵墓である定陵を発掘した際、それまで地下宮殿内の空気で保存されていた絹などの遺品がいっせいに炭化してしまった。それまでどうして保存されていたのかは今でも解明されていないらしい。
また文化大革命の際、宮殿内に安置されていた万暦帝と皇后の遺体が紅衛兵に燃やされるという事件まで起きている。



こういった過去の事情から、発掘が行われていない。そのため基本的にただの山である。周辺の景色も一般的な農村の風情だ。


バスで市内に戻った後、城壁に上る。西安は明代に築かれた城壁がほぼ1周残っている。ちょうど西安駅前が城壁のため、そこだけ城壁が橋の様になっているのだが、ここも通れるようになっているので、レンタサイクルで1周できるようになっている。



自分は前回来たときも乗ったのだが、今回も1周。基本的に景色は地方都市の建物ばかりだが、所々にある城門には昔の投石器が再現されたりしていた。







西安は城壁内は低層の建物ばかりだが、南の城壁外には再開発で高層ビルが建ち並んでいる。



夕食は西安駅近くの裏通りの食堂で食べた。西安駅を少し南に下がった所にある通りは、はピンク床屋街になっており、町全体がピンク色に輝いている。




つづく



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06年春シルクロード旅行⑫ 1068次コルラ→西安 3月7~9日

2008年05月25日 00時39分01秒 | 06年春 シルクロード旅行
コルラと西安を結ぶ1068次は、当時のダイヤで唯一の南疆線第1期開業区間の天山越えを昼間通る列車だった。(現在は夕方発になった)




12:07発なので、ホテルをチェックアウトした後すぐ駅に向かうことができるのがありがたい。(汚れることを気にしなくてすむ)タクシーで駅に向かった。
コルラ到着が深夜だったので、駅舎を見るのはこれが初めてだった。建設から既に20年以上たっているため、きれいな街に比べると結構古ぼけている。
コルラはバインゴルモンゴル族自治州の中心都市になっているので、駅名は中国語・ウイグル語・モンゴル語の3言語で表記されていた。





改札を抜けて屋根の無い開放感のあるホームに出ると、20両編成の1068次が停車している。硬座・硬臥が22型、食堂車が23型で軟臥は25B型だった。硬臥の大半は車内更新車両で、半開放型になっている。



DF4の重連に牽引されコルラを出発。荒野の中を走る。こんな所でも国鉄の鉄路巡回の職員が線路際に立っていた。
しばらくすると最初の停車駅焉耆に到着。ここで兄弟列車の1067次と行き違いをする。西安からの長い旅を終えつつある乗客達は一様に疲れた表情をしていた。



この先、列車はいよいよ天山越えに入るため、川に沿って谷あいを進んでいく。
ちなみに同室の2人は軍人だ。オリオンのカスタードパイを一箱分積み込んでおり、西安までの48時間ずっとこれを食べ続けていた。


そして続くループ線やΩ線。馬や羊が放牧された高原は、今は茶色だが、夏は青々とした草原が広がっていることでしょう。しかも車内で流れる音楽は「シルクロード」。いい雰囲気だ。













この辺りの線路は最高で標高3000メートルくらいまで上がる。せっかくいい景色が続いているのに同行者のS君は昼寝をしていた。

この天山越えエリアを過ぎると、列車は再び荒涼とした大地を走る。カシュガル行きの快速とすれ違った辺りで、夕食時になったので、食堂車に食事に行った。






この列車の食堂車はCA23を使用している。23型は22型のマイナーチェンジ車だが、実のところ22型の食堂車はほぼ存在せず、オール22型編成の場合、食堂車は23型になる。車内は硬臥などと同じく改造されているが、白一色の無機質な壁で、装飾も一切無く安っぽい。料理はまあまあの味だった。



21時過ぎ、トルファンに到着。辺りは既に真っ暗だ。中心のごく一部にしか屋根の無く、照明の明るいトルファン駅のホームは綺麗に夜景が撮れる。このとき撮影したトルファン駅と1068次の夜景は、自分が今まで撮った写真の中で最高の出来だ(と思っている)。



翌朝、起きるとすでに列車は甘粛省に入っていた。と言ってもようやく柳園を出た辺りだった。昼ごろ、嘉峪関に到着。明代の万里の長城の西の端の嘉峪関を昼間に通るのは初めてだ。到着直前に嘉峪関を眺めることができた。







嘉峪関を出ると、酒泉、清水と停車する。清水ははるか北にある酒泉ロケットセンターに接続する鉄道が分岐する所だ。昼ごはんは同行者の希望で車内販売の套餐にした。





甘粛最大の穀倉地帯張掖を出ると、長城跡(と思しき物)や鋒火台跡(みたいな物)に沿って走る。
なお張液と金昌の間には長大なΩ線が連続する区間があり、先行列車や後続列車、はたまたこれからすれ違うであろう対向列車が遠方を平行に走っているのが見えたりする。






武威に着く頃には2回目の夕暮れ。やはり48時間は長い。

3日目の朝、列車は宝鶏の手前の渓谷地帯を走行していた。どうやら1時間ほど遅れているようだ。普快は特快などのような優先運行はされないので、一度遅れると、遅れを取り戻すのは難しい。
同室の軍人2名は非常によく教育されているのか、ひまわりのタネの殻は全てゴミ箱に捨てるし、起きた後は布団を綺麗にたたんでその上に制帽を置いている。いつまでも冗談でグダグダ寝ている自分とは大違いだ。ただカスタードパイしか食事の際に食べないのは体に悪い気がする。

12時25分、コルラから約2800キロ、列車は約1時間遅れで西安に到着した。この列車は今日のうちに乗務員交代した上で1067次としてコルラに折り返すことになる。




つづく


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06年春シルクロード旅行⑪ N946次カシュガル→コルラ&コルラ 06年3月5~6日

2008年05月19日 00時09分03秒 | 06年春 シルクロード旅行


3泊のカシュガル滞在を終え、N946次でコルラに向かう。なぜコルラなんて言うマイナーな都市に行くのかといったところだが、この都市には西安行きの非空調の普快が始発列車として存在するのだ。当時、南疆線沿線から甘粛以東へ行く列車はこのコルラしかなかったため、ここに行かない場合、再びウルムチまで戻る必要があった。



カシュガル駅は外観とホームは綺麗だが、待合室はそれほどいい物ではなかった。外観のわりに安っぽい。(これは中国の建物全般に言えることだが)

あとはウルムチからカシュガルまで乗った列車の逆方向なので、これといって書くことはありません。台車上の平屋部分だったので、3段寝台でしたが、上段部分にも窓があり、なかなか開放感がありました。





夜、ウルムチで石油精製施設の技師をしている同じ区画の客と雑談。アルタイのカナス湖は新疆で一番きれいな所だから、次来たら行きなさいと言っていた。なんでも大紅魚という大魚がいるらしい。テレビ東京の特番に出てきそうな話だ。

早朝5時台、コルラに到着。5時といっても新疆の5時は感覚的には2時3時だ。当然真っ暗で人も少ない。とりあえず1泊しかしないのでどこでもいいやと思い、タクシーに乗って地球の歩き方に乗っていたホテルを指示する。
すると運ちゃん、「そのホテルは高い。こっちの方がいいぞ」と勧めてくる。高いのは事実なので、じゃあそっちということでホテルに向かった。しかし深夜ということもあり、フロントが開いていなかった。(中国の安いホテルはフロントが24時間やっていないことが多い)「じゃあ別のホテルに電話してみる」ということで、タクシーの運ちゃんが電話を掛ける。

了解が取れたようなので、そのホテルに向かう。フロントに行くと眠そうな顔した服務員が奥から出てきた。ご苦労様です。

トイレ・シャワー付きのツインで1泊100元。当然今からまた寝るから実質2泊することになるのでとてもお得だ。しかも部屋に着いたら「洗濯物はあるか」と言われたので出したら、何と無料でしてくれた。カシュガルでちょっとしたミス※で洗濯ができなかったのでありがたい限りだ。



翌日起きた後はコルラの街を歩いた。これと言って見所があるわけではないが、油田開発の拠点として発展しているため、町はかなり綺麗に整備されている。カルフールまがいの大型スーパーもあるし、ケンタやディコスもある、





また比較的人口が少ないせいか、清掃も行き届いているので、後にも先にも自分が行った中国の町の中では最もきれいな都市であるといえた。



夕食は羊肉のしゃぶしゃぶを頂く。ちょうどフェアをやっていて羊肉が安かったので、注文しまくった。夢中になりすぎて写真すら撮らなかったくらいだ。

中心部の交差点脇の広場には、夜になると屋台街が出来上がっていた。



翌日は自身初の本格的な長距離の緑皮車で西安に向います。

つづく


※カシュガルまでまったく洗濯をしていなかったのだが、丁度カシュガルのホテルは低価格で洗濯をしてくれるようだったのでフロントで頼んだ。ところが自分の中国語が悪かったのか、服務員に荷物預かりと勘違いされ、フロント奥の荷物預かり所に一晩放置されただけで終わったという情けない話。


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06年春シルクロード旅行⑩ カシュガル3 バザール 06年3月5日

2008年05月18日 22時05分01秒 | 06年春 シルクロード旅行


早朝、タシュクルガンに向う大学院生のHさんが出発して行った。

この日はちょうど日曜日なので、バザールが行われる。なので見物。かなりの賑わいだった。(ただ買物は嫌いなので見るだけ。)
動画も撮ったが、歩きながら隠し撮りみたいな感じだったため「潜入北朝鮮」みたいな物になってしまった。








場所柄、駐車場ならぬ駐驢馬車場がありロバがずらりと並んでいた。



昼食はホテル向かいのベストフードバーガーで食べた。店の前の交差点では、三・八婦人節のイベントがベストフードバーガー主催で行われている。



そしてその右隣では、交通安全キャンペーン。おぞましい写真のパネルのオンパレードだ。

このあとはN948次でコルラに向かうことになる。

つづく

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06年春シルクロード旅行⑨ カシュガル2 06年3月4日in中国

2008年02月15日 19時51分02秒 | 06年春 シルクロード旅行


日が昇るのが遅いので、基本的にお昼前に起きて動き出す感じだ。
カシュガル3日目はエイティガール寺院とアパク・ホージャ墓を見物した。



まずは昼ごはん。バスターミナルで翌朝の切符を買った後、近くの食堂でポロを食べた。ポロは中国語では抓飯(字が違うかも)と言い、新疆風炒飯だ。



だが、味は炒飯と言うよりピラフに近い。ウイグル料理の食堂には、たいがい店頭に鍋を出して作り置きしてある。





そしてエイティガール寺院へ行く。エイティガール寺院は新疆最大のモスクで、壁や天井にはイスラムらしいアラベスク模様が刻まれている。





寺院周辺は市場になっており、ウイグル族たちで賑わっていた。



続いて路線バスでアパク・ホージャ廟へ行く。周辺は長閑な郊外の農村だ。



アパク・ホージャ廟は、かつてのカシュガルを統治したアパク・ホージャとその一族の陵墓で、内部には石棺が並んでいた。ただ内部は撮影不可だか撮影料が高いからかは覚えていないが、撮影していない。





別にロリコンではないが、ウイグル族の子供は可愛い。





大学院生のHさんは翌朝のバスでタシュクルガンに向うので、この日でお別れとなる。確か四川料理の店で最後の食事をした。(なぜ四川料理?)


つづく


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06年春シルクロード旅行⑧ カシュガル1 06年3月2~3日in中国

2008年02月14日 23時19分20秒 | 06年春 シルクロード旅行


カシュガルの中心部に移動し、解放路と人民路の交差点にある人民飯店にチェックインした。トイレ・シャワーつきの3人部屋で1泊120元だった。

解放北路の切符売場でコルラ→西安の切符を購入後、ユスフ・ハズ・ジャジェブ墓を見学。ユスフ・ハズ・ジャジェブは11世紀後半のカラハン朝の大侍従で、ウイグル族の思想家だ。なんでも世界で始めてトルコ語をアラビア文字で書き記した人らしい。この日はここだけで観光を終えた。









2日目は人民公園の動物園に行った後、町北部のエリアを散策した。このあたりは日曜にバザールが行われるエリアだ。(後日行くことになる)
郊外にはいかにもシルクロードといった光景が広がっている。今にも「異邦人」が流れてきそうな雰囲気だ。







つづく


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06年春シルクロード旅行⑦ 新疆ウイグル自治区切符販売事情 06年3月2日in中国

2008年02月13日 16時52分52秒 | 06年春 シルクロード旅行


最近、特に切符発見端末ソフトがバージョン5にグレードアップされた06年春以降、他都市発切符の販売が結構制限なく買えるようになりつつある。(ただし春運の際は、オンラインを切っている駅が多い)

例えば(実例です)、
①上海で宣昌→西安の硬臥購入
②海口で広州→上海南の硬臥購入
などなど

ただ全国規模でのオンラインは通信状態の問題など今でも信用しきれないところが多いし、当時はまだ試す気にすらならない状況だった。
一方で、以前から上海鉄路局管内や広東省内などエリアを区切った中でや、直達特快など列車を限定した上でのオンライン化は行われていた。

新疆も自治区内各駅のオンライン化が行われている。しかも窓口には「新疆ウイグル自治区内各駅オンライン販売」の表示がされており、管内他都市発の長距離切符買えますとの表示が無い上海よりはある意味進んでいた。
まずはウルムチでカシュガル→コルラの切符が買えたし、一方カシュガルではコルラ→西安の切符を買うことができた。(一枚5元の手数料が掛かる)

※ただしカシュガルでは、駅の切符売場で買おうとしたところ、「他都市の切符は市内の解放北路の切符売場で買え」と言われた。解放北路の切符売場では購入の際身分証の提示が必要です。


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06年春シルクロード旅行⑥ N946次ウルムチ→カシュガル 南疆鉄道の旅 06年3月1日in中国

2008年02月12日 22時27分20秒 | 06年春 シルクロード旅行


寒い冬のウルムチでは、天池など郊外の観光地に行く気はしないし、T52次車内で知り合った大学院生のHさんも目的はタシュクルガン(パキスタンとの国境の町)へ行くことなので、ウルムチ滞在は2泊で終了し、N946次でカシュガルに向う。



昼過ぎ、ホテルを出てウルムチ駅に向かった。まだお昼を食べていないので、途中あった武装警察の招待所のレストランで食事をすることに。お茶とメニューを持ってきたのは武装警察だった。豪華拌面を頼む。日本のテレビ番組でうどんのルーツを探りに行く企画があったそうだが、最終的にこの新疆の拌面に行き付いたらしい。豪華の理由は卵が載っているからのようだった。



食べた後、ウルムチ駅に入った。ウルムチ駅は斜面にあるため、3階建てとなっており、3階がホーム上の跨線橋の高さになっている。とても綺麗な駅舎で、特にトイレは普通の侯車室(待合室)ではありえないほどの綺麗さだった。



発車30分前に改札が始まりホームに降りた。今回乗車するN946次は2階建て車両を主体としている。硬座・硬臥・軟臥が2階建て25Bで、食堂車・宿営車(硬臥)が25G型だ。
自分達の持っている切符は下階の上段切符3枚なので、部屋が分かれる。下段にはウイグル族のおじさんがいるが、かなり強烈で独特の体臭を放っている。2階建て車両の硬臥は上下2段なのだが、荷物の収納スペースが下段下のみなのが難点だ。

DF11に牽引されたN946次は、定刻通りにウルムチを発車し、先日T52次で通った路線を一路トルファンに向う。高速道路と平行して走るが、南には雪を頂く山が連なっている。





ウルムチとトルファンを隔てる山地を抜け、約2時間でトルファンに到着した。ここで列車はスイッチバックして南疆線に入る。なので機関車の交換で長時間停車する。新しく連結された機関車は緑色のDF4だった。通気口には防砂用金網が設置されている。ただ、これはウルムチ鉄路局管内の機関車には全て言えることだ。



トルファンにも割当が結構あるようで、硬臥にもかなりの客が乗車していった。発車が近づいたので、ホームで梨を購入して再び乗車する。





列車は南疆線に入ると左に大きくほぼ180度カーブする。その後、荒野の中をひた走ると、次第に山と夕闇が迫ってくる。夕刻、魚児溝に到着した。ここは、かつてトルファン・コルラ間の南疆線第一期開業区間の建設を行った人民解放軍鉄道兵団の拠点だった「鉄道の町」だ。しかしその鉄道兵団も解体され、南疆線も延伸された結果、現在はかなり寂れている。



魚児溝を出ると、とっぷり日も暮れたので、食堂車に行ってみた。
列車長と乗警の宴会、車両乗務員(整備員)のトランプで2テーブルが占拠されている一方、客には相席を強要するそれは素晴らしい食堂車だった。

現地の人は北京時間よりも2時間ずれた新疆時間(あくまでも非公式なもの)で動いているが、消灯時間は普通に22時過ぎ。この辺りから天山越えとなるため、最高で2900メートルほどの標高を走ることになる。

消灯後、窓の外を見てみると、新月に近いということもあって、満天の星空が広がっていた。



翌朝、起きると列車は天山山脈の南を西にむけて走り続けている。すでにクチャも出ており、周辺には荒涼とした景色が続いている。線路の脇には防砂用と思われる柵と、地盤流失防止のためと思われるマトリックス状の植え込みが続いている。遠くには湖畔が白くなった湖が広がっている。氷るような気温ではないから、塩湖だろうか。時々線路と並行する川も同じようになっている。



朝食は車内販売の麺を食べた。値段は5元。しばらくすると2人も起きてきた。自分は花粉症(のような症状)で鼻が詰まっていたから、ほとんど気にならなかったが、2人はウイグル族の体臭に慣れられずあまり寝れなかったらしい。









最後の途中停車駅を発車する頃、3人で食堂車に昼食を食べに行った。やはり田舎列車なので、味気ないメニューが多い。



カシュガルが近づくに及んで、次第に畑や民家が増えてきた。南疆線の駅は町から離れている駅が多いが、ここは駅周辺にもそれなりに町が続いているようだ。



そして定刻通りにカシュガル駅に到着。片方向にしか次の駅の表示が無い駅名の看板が、中国最西端の駅であることを印象付ける。屋根も無くて開放感ある駅だ。





線路は駅西方の向上へとつながっているが、現在はそこで止まっている。ただ最近和田(ホータン)への延伸が決まったらしい。

とりあえず駅でカシュガル→コルラの切符を買い、小さな路線バスで市内に向った。

つづく

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06年春シルクロード旅行⑤ 冬の烏魯木斉(ウルムチ) 06年2月27~29日in中国

2008年02月10日 21時18分42秒 | 06年春 シルクロード旅行


T52次の車内で知り合った大学院生のHさんとカシュガルまで旅を共にすることになったため、3人で泊まれる所を探す必要があった。
というわけで、「○球の歩き方」を見る。夜なので駅周辺で探すと、新疆飯店にトイレシャワー付きの3人部屋があるようだった。なので氷った歩道をゆっくり歩きながら、新疆飯店に向かう。ウルムチ駅の正面は下りの斜面なので、迂回して新疆飯店に到着。3人部屋に空きがあるかを聞く。だが、ここで驚愕の事実が判明。

トイレシャワー付きの3人部屋はそもそも存在しなかった!

3人部屋はトイレ・シャワー共同のみとの事。もう疲れ果てていたので、トイレシャワー共同でもいいやという事になり、チェックインした。おかげで1部屋1泊90元(一人あたり30元)で済んだ。



とりあえず、外に出て遅い夕食をとり、再びホテルに戻った。シャワーを浴びるため外に出る。と、そこには・・・

向かいの部屋に入っていく特殊な按摩をしてくれるお姉さんの姿が!

シャワーはしっかりお湯が出るのでありがたかった。と言うより出なかったら死ぬ。トイレは扉が1メートルくらいの高さしかない物だった。しかも深夜は廊下の明かりが消されるため、トイレに行く際の恐怖といったらたまらない。



2日目はウルムチ市内観光。まずは新疆ウイグル自治区博物館に行き、ミイラを見物。ただ館内撮影禁止なので写真はありません。



次は紅山公園に行ってウルムチ市内を一望。世界で一番海から遠い都市とは思えないほどの都会ぶりだ。
そしてここで日本人グループとまた遭遇。奔流中国のツアーで来た学生で、自分達と同じ昨日到着のT52次で来たらしい。しかも人数約70人!そんなにあの列車に日本人が乗っていたのか。



ちなみにこの時期は吉祥三宝が流行っていたので、町中の店の軒先から流れていた。



昼食は羊肉水餃子。羊肉は好きだが、臭みがこもる餃子は正直おいしい物ではない。
気温は氷点下5度。公衆電話の覆いには厚さ10センチ近い氷がへばり付いていた。





また市内でベストフードバーガーなるファーストフード店を発見。どこかで見たことがある店構えだが、味は独自色が出ていておいしい。



なおウルムチ郊外の有名な観光地天池についてはこちらをどうぞ。07年6月の物です。
また二道橋市場や国際大バザールなどのエリアについてはこちらをどうぞ。

明日はN946次でカシュガルに向います。


つづく


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06年春シルクロード旅行④ T52/3次 上海→烏魯木斉(ウルムチ) 06年2月25日in中国

2008年02月09日 11時22分21秒 | 06年春 シルクロード旅行


T52次は07年4月の第6次高速化で所要時間が42時間台に短縮されました。
現行ダイヤでの乗車の旅行記は07年6月の乗車記をどうぞ。


また旧ダイヤですが、07年2月の乗車記もあります。


上海滞在最終日は、12時ぎりぎりでホテルをチェックアウトした後、浦東空港までリニアで行ったりして過ごした。
なんとか時間を潰し、19時頃軟席侯車室に入った。ちょうど北京行きZが発車して行く時間なので、軟席侯車室も閑散としつつある。暇なので当日の切符売り場に偵察に行く。自分たちが乗るT52次は全て売り切れだが、北京行きの2本の特快の硬臥がめずらしく売れ残っていた。また成都行き快速の軟臥が有になっている。まあ節後の上海ならこんなものか。





20時過ぎにようやく改札が始まり、ホームへ向った。今回の25K型は長春客車の2002年製で扉はプラグドアだ。もちろん満席だから、軟臥ですら廊下は荷物を持った人であふれかえっている。部屋を間違えた人のようだが、事前に何番かくらい確認しておいて欲しいもの。自分たちの部屋にはウルムチに帰る男性と老人が乗っていた。



20時38分、列車は定刻どおりに上海を発車した。もう夜ですることもないので、カップ面を食べ、蘇州を過ぎたあたりで就寝した。(早すぎ!)



(2日目)
翌日は鄭州を発車してしばらくしてから起きた。T52は鄭州を出ると西安までノンストップだ。洛陽や三門峡も通過し西安を目指す。朝食は車内販売の套餐にした。値段の割に内容が貧弱だから頼むたびに後悔するが、また買ってしまった。(そしてまた後悔)T52次の朝食は麺が充実していて比較的安いから、そっちを食べたほうが良い。





この頃になってわかったのだが、同室の老人の奥さんが隣りの部屋にいるようだった。
12時46分に定刻どおり西安に到着。去年乗ったZ19と同じで1番線に停車した。この列車に乗って初めてホームに降りる。軟臥や硬臥の乗客がホームで買い物を楽しむ一方で、大勢の途中乗車の乗客が硬座車に吸い込まれていく。最近非常に興味深いこととして、軍人は軟臥に乗っている人もいれば、硬臥に乗る人もおり、また硬座に乗る人もいるという事がある。自分の乗っている軟臥には空軍の軍人が乗車しているが、西安駅で硬座に乗る軍人もいた。



西安駅を発車後、餐車(食堂車)に昼食を食べに行った。前回の南北縦断旅行の際は、1人で食堂車ではほとんど食事をしなかったから、今回はできるだけ食堂車で食べるつもりだった。2元のご飯におかず2品で37元くらい。微妙に高い。「スープはいるか」と聞かれたので頼んだが、結局出てこなかった。あきれて催促する気にもならん。



宝鶏に着くころにはかなり暇になったから昼寝タイムに突入。天水駅を出てしばらくするまで寝ていた。起きると列車は川と平行して走っている。時々対向線が離れるので逆方向の列車を眺めることができた。

2月ということもあり7時にはとっぷり日も暮れ、真っ暗となった蘭州駅に10分早く到着した。ホームの向かいには嘉峪関行きのN970が停車している。この列車は時刻表だと非空調だが、実際の車両はなぜか25G型。すでにカップ面で夕飯を済ませてあったから、特に買うものもなく車内に戻った。



そして廊下で友人とぼそぼそ話していた時、突然後ろから「あれ、日本の方ですか」と話しかけられた。なんと2つ隣の部屋に日本人がいたのだ。その人は東京のC大学の大学院生で東洋史を専攻している人だった。この4月から就職で学生時代最後の思い出でに新疆旅行に行くらしい。今まで中国の色々な所を旅して来たらしく、初めて行った際は大同から西安まで無座乗車をして、西安で寝込んだので、それ以来鉄道利用時は極力軟臥にしているそうだ。
この人曰く、上海発車後の検札の際、「他にも日本人いるよ」と言われたそうだが、日本語が聞こえてこないので気にしてなかったらしい。そういう自分もたまに見かけるたびに日本人っぽいなと思っていたんですがねぇ。この人とはこの後カシュガルまで旅を共にすることになる。



(3日目)
三日目は嘉峪関に停車している時に一度起きたが、2月ということもありまだ暗いのでまた寝た。次に起きた時には低窩鋪を過ぎていた。少し明るくなってきていたが、まだ日の出を迎えてはいない。やはり日の出は見ておきたいので、廊下で待つことにする。やがて東の空から太陽が出てきた。やはり果てしなく広がる荒野の日の出は格別のものがありますな。





やがて列車は柳園に到着した。つい先日までは敦煌駅だったのだが、何でも敦煌市内に至る鉄道ができるから、昔の柳園に戻したらしい。雲ひとつない青空がが、気温は氷点下7度。雪も残っており非常に寒い。遅れているのか短い停車時間で再び発車していった。



食堂車の朝食メニューはどうかと思い、食堂車に朝食を食べに行く。套餐と同じメニューと面に加えて洋食セットがあった。20元という異常な高さで、非常に貧弱な内容だから本来頼む必要性はゼロだが、一応頼む。ちなみに牛乳のような物は脱脂粉乳でほとんど味がない。



この時、食堂車の壁に掛けてあるエンブレムを見て、この列車が「紅旗列車」の称号を受賞していることを知った。通りでダイヤ的に飛行機と競合しようのない長距離列車にしては、列車員の仕事に対する姿勢がいいわけだ。中国の列車員の仕事ぶりの悪さは、所要時間の長さに比例している気がしていたが、こういう列車もあるのですな。どうも長距離列車というとT236(広州東→ハルビン)における、親方5星紅旗思想が骨の髄まで染み付いたハルビン鉄路局ハルビン客運段所属列車員の「すばらいしい」仕事ぶりが鮮烈な印象として残っているので少し驚いた。



日も上がり標高も下がってきたせいか、次第に気温も上がってきた。雪はいったんなくなったが、再び白いものがちらほら見える。ただこれは雪ではなく岩塩が吹きだしたものらしい。まさに不毛の大地だ。13時ごろハミ駅に到着。ハミ瓜で有名な町だが、時期が時期なので、ホームでは特に瓜は売っていなかった。





ハミを過ぎると砂漠に近い景色が広がっていた。至る所で石油の試掘をしている。中には掘り当てたのか、炎を上げている油井もある。果てしなく広がる荒野・沿線に散らばる遺跡もどき、日本ではまず見られない景色が続く。



やはり石油が重要な産業なのか、石油タンク車を多数つなげた貨物列車としばしばすれ違う。場所によっては直線化のためと思われる工事が進められており、また何も無い所なので至る所に鉄路巡回員が立っている。ご苦労なことだ。



日も傾き始めた頃、トルファンに着いた。ホームの向かいには西安→ウルムチの臨時列車が停車している。もちろん22型客車で、初めて車軸連動発電機を見た。トルファン駅は標高が低いこともあり、気温は15度ほどあった。



臨時列車を追い越しウルムチに向けて出発。次第に標高があがり山岳地帯に差し掛かった。断続的に続くトンネル、時々垣間見える谷底に見える高速道路といった具合に中央本線を彷彿とさせる景色が続く。途中山の中に小屋があって、人民解放軍の兵士が列車に向けて敬礼していた。



やがてトンネルを抜けると雪景色が広がっていた。山岳地帯を抜けて標高も下がったが、気温は上がらない。霧が出てきて視界が悪いが、突然目の前に風力発電機が現れた。少なくとも数十機が並んでいる。



この辺りは北はボゴダ山脈、南は天山山脈に挟まれた平原が広がり、その中を鉄道と一直線に続く高速道路が走っており、2006年4月の鉄道時刻表(10元版)の表紙にもなっていた。夏は草原が青々と広がっているだろうから、天山山脈を眺めつつまっすぐに続く高速を走ったら、どんなに気持ちいいことだろう。
ただ翌年6月に通ったが、天気が悪くてあまり景色は良くなかった。



次第にアパートが増えてきた。窓越しに見るウルムチの町はいかにも寒そう。(実際氷点下5度あった)結局、列車は20分遅れでウルムチに到着した。まず切符売場に行ってカシュガル行きの切符を買ったが、その時電光掲示板を見たら、ウルムチ始発列車は翌日以降硬座・硬臥・軟臥全て「有」だったので非常に拍子抜け。でも翌々日のカシュガル行きはなぜか上段のみだった。(電光掲示板はウイグル語との二言語表記になっている)



このあとはホテルを探すが、「○球の歩き方」に嵌められて非常に悲惨な思いをした。それは次回書きます。


つづく


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