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鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

C2型蒸気機関車in榮陽 その2

2011年05月25日 18時01分14秒 | 中国蒸気
土曜の夜は計4名で食事をし、その後は部屋で遅くまでぶんしゅうさんと語り合った。いろいろと興味深い話が聞けました。ありがとうございます。


さて、日曜早朝6時。ドアがノックされたような気がしたのだが、ぶんしゅうさんも爆睡したままだったので再び寝る。

7時前、本格的に起床した。7時に動き出すなら、その時に汽笛が鳴るそうだが、機務段の老人の連絡先を知っていれば簡単に分かったと後悔する。

「なかなか鳴らないなぁ~」と話していたその時、突然汽笛が鳴り響く。しかも近い。

窓に目をやるとちょうどホテル前の道路のガード下に入って行くところだった。出発時に汽笛を鳴らさなかったらしい。わかりづらいけども、下の写真中央の壁一面が広告になっている建物の左下を線路が通っている。通ったのは概ね7時半だった。



まあこれは単機で後ろ向きだから仕方がないとあきらめ、準備をして外に出た。まずはぶんしゅうさんが「森林鉄道風の写真が撮れる」というポイントへ向かう。ここには7:50頃に到着。

そして待つこと約30分。26両の貨車を連ねたC2がやって来た。




続いて森林鉄道ポイントとホテルの間にある眼鏡橋へ移動。ここで粘土を降ろした貨車を後ろ向きで引っ張ってくるのを撮ることとする。
ぶんしゅうさんたちは12:19鄭州発の北京西行き動車組に乗るので、これを撮ったあと、もう1回前向きで貨車を引くのを撮るのが限界だろうと2人で判断したのだった。



2人で雑談しつつソーセージで腹ごしらえしていると、思っていたよりも早く汽笛が鳴り響いた。8:49、後ろ向きで貨車を引くC2が眼鏡橋を通過。今まで一度も使ったことのない連写モードで撮影した。そのうちの1枚をここに貼る。



ちょうど風がやんだこともあり、橋と列車がきれいに水面に映ったのだった。


再び移動しようとすると、朝から行方知れずだったお二方とようやく遭遇。なんと6時に出発して終点まで行っていたらしい。その付近では鄭州~西安の高速鉄道と交差しており、時空を越えた両者のツーショット写真が撮れる。ただ実際は高速鉄道の前後がトンネルで、列車の襲来になかなか気づけないので、撮影は難しい。

その後は再び先ほどの撮影ポイント方面へ移動。再び橋を渡る。



他の皆さんも思い思いの場所に展開。この辺りも麦畑が広がっている。




一度くらいは動画で撮っておこうということで、森の中で列車を待つ。



そして9:43、貨車26両を連ねたC2が再びやって来た。






撮影後は3人の列車の時間があるのでただちに撤収となる。まずはホテルに引き揚げ荷物を取って近くの鄭上路まで移動する。



ちなみにホテルの従業員はいい人たちだけれども、ホテル自体はぶんしゅうさん曰く「マイナス5つ星」である。


鄭州へは往路と同じ城際公交の鄭上1路で戻る。行きと違い本来の城際公交用車両だった。なんとか全員着席できたもののやはり狭く、特に3人は荷物の置き方に難儀していた。それでも撮影に関する打ち合わせは欠かせないようだ。



行きと違って何度も停車しては客を乗せ、40分ほどで鄭州西客運站に到着。ここには基本的にボリタクしかいないと思ってもらっていいが、幸い流しのタクシーが捉まったので、メーター通り十数元で鄭州駅西広場に到着した。

駅舎内の回族料理ファーストフード店で昼食をともにし、北京へ向かう3人を見送って66路で家に帰ったのだった。


おわり


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C2型蒸気機関車in榮陽 その1

2011年05月23日 15時30分04秒 | 中国蒸気
鄭州市区に隣接する榮陽市の河南省建材廠(レンガ工場)の専用線で、C2というナローの蒸気機関車が使用されているという話は以前からあり、訪れる日本人も多い。自分も鄭州に住んでからというもの、方々から「偵察に行け」と言われていたのだが、あまり撮影に行くというのは興味が無いせいもあり、今まで一度も行っていなかった。

だが、京都からぶんしゅうさんがわざわざいらっしゃるというのに、行かないという選択肢があるであろうか?
そういうわけで、この週末、榮陽へ行って来た。


ぶんしゅうさんが榮陽入りしたのは5月19日木曜日。ただし自分も仕事があるので、土曜の朝、榮陽へ向けて出発した。


まずは榮陽へ向かうバスに乗るべく鄭州西バスターミナルへ。ここまでは家から徒歩25分ほどだ。
西ターミナルから鄭州市区の飛び地である上街行きの城際公交(都市間路線バス)に乗車する。バスターミナルから乗ると榮陽まで5元なのだが、道端から乗るとなぜか4元となる。



バスは5~10分間隔で発車しておりすぐ出発可能だ。なお路線バス車両の座席のみをクッションの効いた物に換装した車両を使用している。
ただ自分が乗った便だけなぜか普通の長距離バスタイプだった。そのおかげもあって立ち席不可なのか、あまり途中での乗下車もなく30分ほどで榮陽に到着した。


ただ榮陽の街は思ったより大きい。特に東側にニュータウンの建設が進んでいる。どこで降りるのかよくわからないので、適当なところで降りたのだが、思っていたより東寄りだったようで、ぶんしゅうさんとの待ち合わせ場所となった榮陽駅までが遠かった。


そして榮陽駅に到着。ただし榮陽駅はすでに客扱いを終了して日本で言うところの信号所になっており、切符売り場しか機能していない。かつての待合室はバイクと電気自動車のディーラーとなっていた。



ぶんしゅうさんは電気自動車に興味津津。普通のバッテリーを2~4台積んだだけの簡素な車だが、店員いわく「最高時速40~50キロ、走行距離は120キロ(バッテリー2台)~140キロ(同4台)、充電時間は8時間」とのことだった。どこまで本当かは知らない。なおエアコンはないが扇風機が付いていた。

ちなみに一番高いのでも日本円で40万円くらいで買えます。


とりあえず市内で食事をする。回族のお店で孜然羊肉と昼からビールを堪能。主食代わりに付いているマントウが揚げパンになっており、とてもおいしかった。



満腹になったところで機務段(機関区)へ移動。ぶんしゅうさんいわく、19日は運行したものの20日は雨で運行せず、今日も昨晩までの雨の影響で運行しないらしい。雨で運行できないのはレンガ用の粘土が採掘できないからだそうだ。



なので機務段に停車しているC2を撮影する。中国では珍しいレンガ造りの機関庫がいい味を出している。
ここには現在2台のC2がいるが、「基本的には1両のみの使用で、2両同時に動くのは稀だ」と1970年からここで働いているという老人が話していた。ちなみにこの専用線ができたのは1972年だそうだ。
この老人の話では2両のうち1両は1982年にハルビンで製造された新車として購入。もう1両は同年に貴州省の林通坑務局から中古で買った2両のうちの1両とのことだった。



機務段からは専用線をスタンドバイミーしながらここへ撮影に来る人の定宿である伊鴻賓館を目指す。北の方を並行して隴海線が通っており、ひっきりなしに警笛が聞こえた。そろそろ冬麦の収穫シーズンなので、周辺には小麦畑が広がっている。ちなみに収穫シーズンになると上海あたりの物乞いが明らかに減るのだ。




ぶんしゅうさんに各撮影ポイントの説明を受けつつホテルに到着。実は他に日本人が2名いらしているのだが、まだ夕食には早いので、ぶんしゅうさんとホテルの前の広場に座ってビールを飲みつつしばし雑談した。
そしてホテル1階の売店のおばさんの娘(高校2年生)に質問を受ける。

いつ日本に留学したんですか?


つづく


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榮陽へ行ってきた

2011年05月22日 20時41分47秒 | 中国蒸気
京都府在住のぶんしゅうさんが鄭州の西隣の榮陽(正確には鄭州市傘下の県級市)にある河南省建材廠(レンガ工場)の専用線を走るC2の撮影にいらしたので、週末を利用して現地合流してきた。C2はナローの蒸気機関車でほんとうは3月廃止という話だったそうだが、なぜか今でも走っているのだ。ただ機関車の状態からして先は長そうになかったが。

なおぶんしゅうさんが榮陽に滞在した5月19日~22日の稼働状況は以下の通り。


19日:ピストン運行(ただし途中で貨車が脱輪し終了)

20日:雨天の影響により運行せず

21日:20日に同じ

22日:朝7時からピストン運行


ネットが遅くて写真がアップできないので、詳しいことは明日書きます。



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【山東省SL撮影旅行5】 済南&T105次済南→上海

2007年12月25日 20時25分02秒 | 中国蒸気
今回は6人でやって来たわけだが、1名は月曜朝に重要な会議があるということで、飛行機で帰り、日本から来た1名は済南に1泊して北京に向かうことになる。

済南駅で飛行機で帰る人と別れた後、5名で街の中心部に夕食を食べに行った。
満員のバスに揺られること十数分、中心部に到着。店を探すが、あまりいいレストランがない。国営のデパート人民商場が建っているが、いかにも地方都市といった感じのおもむきだ。



裏通りに入ると薄暗いネオンの瞬く食堂が並んでいる。その中に水餃子の店を発見。あまり知られていないが、山東省は水餃子が名物である。なのでこの店に入った。
おかずやビールも頼んだが、かなり安かった記憶がある。



食事中、飛行機で帰ったはずの人から電話がかかってくる。なんと

濃霧で欠航になってしまい、いつ飛べるかもわからない

との事だった。華北で濃霧により飛行機が飛べないことがあるというのはよく聞くが、それに遭遇するとはなんと運の悪いことか。結局この人が上海に帰れたのは翌日の夕方だった。

自分たちもあまり時間がないので、タクシーで駅に戻り候車室に入った。



帰りに乗るのは済南発上海行きのT105次だ。済南上海間キロを時間分で結んでいる。途中停車駅は泰安と蚌埠の2つのみで、食堂車無し・軟臥2両・その他硬臥というビジネス特急風の列車だ。
T178次といい、済南鉄路局の軟臥は車内装飾が金ぴかで豪華だが、乗るのは硬臥になる。

済南に宿泊する人にホームで見送られながら、列車は上海に向けてゆっくりと動き出した。先ほど余った水餃子を肴にまだビールを飲み続ける。
まもなく泰安に到着。ここにもわずかながら割り当てがあるので、客がちらほらと乗ってきた。ここを出るとほぼノンストップになる。消灯と同時に就寝した。


翌朝、起きると列車はすでに上海の間近に迫っていた。ただ30分近く遅れているようだ。全区間が平野部の幹線で、停車駅2つなのにこれだけ遅れるということは、ダイヤにかなり無理があるのではないだろうか。

約30分遅れで上海に到着し解散。各々の家や職場に向けて散って行った。
自分も95路の路線バスで大学に帰り、1限から授業に出ようと試みたが、部屋のトイレが詰まるというアクシデントに遭遇し、結局2限からの出席となった。

なお翌日から修学旅行の休校日だったため、この日の午後から広東省・海南省に向けて出発することになる。その旅行についてはこちらを参照。

おわり


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【山東省SL撮影旅行5】 4908次 鄒城→済南 06年11月in中国

2007年12月25日 00時12分02秒 | 中国蒸気


鄒城始発で済南へ行く列車は存在しないので、最初はバスで済南まで移動の予定だった。しかし、ちょうど良い時間に連雲港東発済南行きの普快があったので、この列車で移動することに決定し、鄒城駅に向かった。
と言っても買えた切符は当然無座だが。



鄒城は北京と上海を結ぶ京滬線上の田舎駅。通過する列車のほうがはるかに多い。轟音を立てながら列車が通過する中、駅舎で待つこと40分、改札が始まりホームに向かう。
停車する列車が少ないせいか地下道には中国では珍しい列車編成表があった。そして1号車だけ軟座であることを発見したので、あわよくば補票するため、1号車の停車位置と思しきところで待機する。





駅員が停車位置おきに客を並ばせてしばらくすると、「共青団号」のヘッドマークを付けたDF11型牽引の4908次が入線して来た。共青団号は共産主義青年団(共青団)所属の機関士が運転する機関車に付けられる。共青団は日本で言えば民青みたいなもの。
なんと軟座はRW22型、いわゆる代用軟座だ。軟臥車を1部屋6人利用で軟座として運用している。楽をするため直接軟座に乗り込み補票しようとするが、一度硬座から乗って補票しろと追い返されたので、仕方なく隣の硬座から乗車した。



だがこの日は日曜日なせいか編成を短縮しており、車内はかなりの混雑振りだ。まず旅行屋@上海さんが客を掻き分け補票に向かう。
なんとか客を掻き分けて追いついた頃には補票は終わっており、なんとか軟座に移動することができた。
ただ
6人分の空きは基本的に無いから、2人は上段で寝ろ
とのことだった。だがその方が楽でいい。2名は上段に上がって出発と同時に寝た。

コンパートメントに入ると、老夫婦と孫と思しき子供がいた。
それまで平穏な空気が流れていた部屋に、突然不良日本人が6人もやって来て酒を飲み始めては、さぞかし恐ろしい思いだっただろう。
鄒城で用意したビールはすぐ無くなったので、yan州駅に停車中にホームで売っているビールを購入した。元非空調車なので、窓を全開にしてそこから購入したが、その時の自分の「ビール2本」の発音が、他の言葉に比べて異常に良かったというのは、今でもネタにされている。



列車は地平線まで続く田園地帯の中を北に進む。すし詰めの硬座に立っているのと、軟臥の廊下に立って景色を眺めるのでは、天と地の差がある。

まもなく泰山駅に到着。ここは泰山の最寄り駅だ。靄の向こうに微かに泰山を拝むことができた。約半年後に修学旅行で登ることになるが、その時は雨だった。この辺りは、おそらく北京上海間で唯一山がちな地形のところだ。少しは景色も変わってくれるのでありがたい。



定刻通り済南駅に到着。ここもホームの嵩上げとドーム屋根の設置が行われており、かなりきれいになっている。出口の売店で、上海ではまだ売られていない10月の全国時刻表をゲットし、駅前広場へと出た。


つづく


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【山東省SL撮影旅行4】 2日目鄒城 06年11月in中国

2007年12月24日 13時31分28秒 | 中国蒸気


2日目の朝、この日は機務段に終結する前進型を見るべく早起きし、ホテルのレストランで朝食を食べる。意外だったが、自分達以外にもこのホテルに泊まっている日本人がいた。どうやら仕事できているようだ。何でも近辺に日本メーカーの工場があるらしい。

朝食後、ホテルをチェックアウトして大東章の機務段に向う。この日の車は前日とは打って変わって軽のワゴン。かなり狭い。ただこの日の運転手は炭鉱内で顔が利くので、スムーズに事が運ぶ。

この辺りは大規模な炭鉱が点在しているわけだが、どの炭鉱も敷地内に職員住宅や病院・学校などを備えている。いわば人民公社的なシステムが今でも残っているわけだ。
そのような町の一つを抜けて機務段に到着。ただ来るのが少し遅かったのか、到着と同時に重連で出発していってしまい、1両しか残っていなかった。(その後1両が戻ってきた)





さらに別のところに移動し、見通しのいいカーブに到着。踏み切りの警手曰く「さっき入っていったから、そのうち出てくる」とのこと。なので踏み切り周辺で待機する。



と・こ・ろ・が、登場したのはディーゼル機関車。



「ディーゼルかよ」ということで萎える中、昼食を食べに行く。前日と同じく、安く、おいしく、量が多かったが、例によってご飯は無かった。





左手に京滬線を眺めながら鄒城の町に戻る。最後の訪問地は前進型の廃車体が放置された場所だ。錆び付き、草木が絡まった蒸気機関車の姿はまさしく墓場そのもの。





中国では北京オリンピック前の鉄道無煙化を進めている。ここの専用線も、すでにディーゼル機関車の発注が行われており、時間の問題だ。ここで活躍している前進型の命も残りわずかだろう。(1日目に行った済北機務段は、現在蒸気は消滅したらしい)



これで今回の現地での予定はすべて終了。今日の夜、済南発のT105次で上海に戻るので、済南に移動するため鄒城駅に向かった。


つづく


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【山東省SL撮影旅行3】 1日目後半  06年11月in中国

2007年12月23日 10時37分02秒 | 中国蒸気
済寧からおそらく鄒城に移動した。というのも、ここに来るのが初めてな上に、個人的には地図を持ち合わせていなかったので、位置関係がよくわからないのだ。

ある道口(踏み切り)に到着。警手に聞くと、「そのうち通る」とのこと。だが中国でしかもこのような田舎だ。
「そのうち」や「すぐ」がいったい何十分以内の話なのかを推し量ることはできない。

待つこと30分、空の貨車を牽引した前進型がバックでやって来た。踏切を通過し、炭鉱を目指している。



その内に石炭を満載して折り返してくるだろうし、その時は正面から撮れるということで、先の方に車で移動する。とても開けたヤードに到着。だが、折り返してくるには、まだ相当な時間があるということで、とりあえず先ほどの踏み切りの近くまで戻り、食堂に入った。



この日の昼食は写真を撮り忘れたのでありません。非常に安く、非常に量が多く、そしておいしかった。
ただこの近辺では稲作が行われていないことから、ご飯が無かった。
その代わりに、チャパティの様な小麦の皮と、味の無い麺が出てきた。その麺に味の濃いおかずを入れると、非常においしく頂くことができる。

昼食後は先ほどのポイントに戻り待つ。やがて数十両の貨車を牽引した前進型が登場。









その後はこの列車を追走しながら写真を撮り続けた。


実は他にも何箇所か訪れたが、侵入できない場所も多く、写真は無い。
この日の最後は大東章の機務段を訪問。ここには4両の前進型が配備されている。









ここには朝全てのSLが集結し、各所に向かって行くと言うので、翌朝再び行くことにした。

夕食は鄒城市中心部の串焼き屋に入り、大量の羊肉を食す。ついでに山東省名物の蝉も食べたが、これが小エビみたいでなかなかおいしかった。※写真は07年5月に山東省で食べた蝉




つづく


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【山東省SL撮影旅行2】 済寧にて  06年11月in中国

2007年12月22日 20時57分09秒 | 中国蒸気


yan州を出発した一行は、一路済寧の済北機務段を目指し、街頭が少ない田舎道を進む。

20分ほど走り、機務段に到着。しかし朝早すぎてまだ空いていないので、とりあえず奥の炭鉱に続く専用線の調査に向う。なお自分は炭鉱というものは山の中にあるものだと思い込んでいたが、
ここで初めて平地にも炭鉱はあるという事を知った。

奥の線路に回りこんだものの、使用されなくなって途切れた線路があったりと、あまり成果が得られないまま夜明けとなる。
とりあえず飯でも食べようということになり、踏み切りに近い屋台で朝食を食べた。なお踏み切りは運行計画を把握しているので、情報収集のためにも重要な場所である。





朝食後、再び機務段へ行く。進入するとさっそく前進型を発見したので、近くに停車。早くも一部の人が撮影を開始する。
だが、現場の人が「事務所で許可を得て来い」と言うので、機務段の事務所に向った。
女性の責任者が出てきてしばし交渉。だが、
あなた達の安全が保障できないし、あなた達が構内にいることで職員が集中できず、事故の可能性が増えるので、認めることはできない。以前もドイツ人が来たが、同じ理由で断っている。
との事。ただ
機務段の国鉄線よりの敷地外に踏切があり、そこで撮る分には構わない。職員の気にならないように、あまり固まらず分散すること
規則で拒否してきてはいるが、それなりに友好的な対応だった。

なので、機務段を出て踏み切りに移動する。ここはちょうど国鉄線と合流する三角州地帯なので、国鉄の撮影もする事ができる。といってもローカルな路線なので、ほとんど貨物列車しか通らないが。







まず国鉄線に向けて貨物を運ぶ前進型を撮影。折り返してくるのを待ちつつ、暇つぶしに国鉄線を眺める。



機務段に戻る前進型を撮影し、次の撮影地へ向った。




つづく


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【山東省SL撮影旅行1】 T178次でyan州へ 06年11月 in中国

2007年12月22日 00時32分06秒 | 中国蒸気


今思うと、どういう経緯でこの旅行に参加することになったのか、よく覚えていないのだが、確かなのは参加決定が他の参加メンバーの往路切符を確保した後だということだ。
あまり撮るのは興味ないですけど、やはり中国の蒸気機関車は迫力があっていい物です。

今回訪れたのは山東省済寧市(地級市)とyan州、鄒城の2県級市。非常にマイナーな町なので、日本人で知っているのは、石炭関係の仕事をしている人間くらいだろう。そうここは山東省でも有数の炭鉱が点在するエリアだ。ここで産出された石炭は国鉄線によって港湾都市日照に運ばれ、中国各地や海外へ送られている。
そして炭鉱から国鉄線に乗り入れるまでの専用線内で貨物牽引用に中国最大の前進型蒸気機関車が使用されているのだ。今回はそれを撮影に行く為に上海と京都から6名が結集し向かうことになる。


この日は午後に留学生カラオケ大会があり、上海マスターが参加するということで見学に行った。そりゃひどいものでした。賞にはかすりもせず。せめてブービー賞くらいは・・・




夜、集合しT178次でyan州に向かう。yanは六とムと儿を組み合わせた充みたいな字で、この地名でしか使われない特異な文字だ。
T178次は杭州発済南行きの特快なのだが、遅れているのかなかなか改札が始まらない。ちなみにこの列車上海にもかなりの割当があるが、直前のほうが制限が加除されて余計買いやすいようだった。

ようやく改札が始まり乗車する。所属は済南鉄路局済南客運段だった。向かいには上海発済南行きのT106次が停車しており、こちらは全車両寝台編成だ。

列車は20分遅れで上海を発車した。後から切符を購入した自分だけは車両が違うので、発車後車内で合流しました。
発車後約50分で最初の停車駅蘇州に到着。5人で食堂車に食事に行った。
この列車は4人用セットメニューがあり、それを酒の肴にしつつ雑談する。

山東省の地ビールを飲みながらの作戦会議は南京付近まで続いた。

早朝4時半、列車員に起こされる。定時のyan州到着時刻は5:14。こういう早朝下車の列車は正直言って疲れる。約10分遅れでyan州に到着した。



下車すると、ホテルや白タクの客引きが大勢集まってくる。翌日の鄒城は車が決まっていたが、今日は未決定なので、その中のうち、現代のワゴン車をチャーターして撮影に向うことになった。
なおこの運転手は、現在に至るまでSouthern BreezeのSL撮影ツアードライバーとして活躍している。

つづく


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第2次鎮江出撃 その1

2007年01月27日 14時00分01秒 | 中国蒸気


実は2週間ほど前から、さる日本人が経営する旅行社でアルバイトをしています。
内容は銀行に行ったり、ホテルに支払いに行ったり、鉄道切符の購入に行ったり、帳簿のチェックをしたりと様々です。
で、昨日はSL撮影ツアーのガイド見習いとして、旅行社の方と別の中国人社員、お客様の4人で江蘇省鎮江の船山に行って来ました。中国人社員は鉄道ファンの気持ちをわからせるための研修で参加です。つまりお客1人をアテンドするのに旅行社の人間が3人も付くという非効率なツアーでした。

船山には江蘇船山集団という石灰石採掘企業があり、ここでの石灰石の積み出しの貨物輸送に建設型蒸気機関車が使用されています。先月初めに海浜さんと行ったのはこのブログでも書きましたが、あの時は若干1名いる反日職員との遭遇を避けるためにスナイパーのごとく離れた所からの撮影でしたから間近で見るのは初めてでした。
前述の通り2526次にて50分遅れで鎮江に到着。鎮江SLツアーご用達の運転手と合流し、船山へ向かう。まずは一番奥の石灰石を貨車に積載する場所に向かう。

解体されゆく建設型。これも時代の流れ・・・

だがSLの姿は無し。しかも途中で解体中の建設型を発見してしまう。
とりあえず解体現場に戻る。解体作業中の職員はあまり友好的とは言えず、「蒸気はもう無い」「ここで写真を撮るな」と言われ退散する。

だがディーゼルはまだ1両しか導入されていないため、1両は建設型が使われているはず。とりあえず廃車体が留置されたところに行きつつ待つことに。運のいいことにそれほど待つことも無く建設型が登場。初めて間近で見ることができた。踏み切りまで船山専用貨車を運んできた建設型は、そこで切り離しを行い、別の貨車を連結して再び山を下っていった。

専用貨車を連結し再び出撃

その後はこれまた船山ツアーご用達の金福楼酒店にて食事。ここの店はご飯がすすむ。3杯食べました。5人で食べてビールも飲んで58元。相変わらずの安さ・おいしさだ。

これで58元

続く