
当時、杭州-金華西-鷹譚-向塘-株洲にかけての路線は、山がちな地形の中で、直線化を図るべく一大改造が進みつつあり、その影響で非常に時間が掛かっていた。例えば、07年11月現在、上海・広州東間の最速列車T99/100次は所要時間17時間だが、当時はK99/100次として24時間掛かった。そして今回乗車するK48次は27時間である。
9:14発なので8時には駅に入る。ちょうどこの日から兵運が始まったので、待合室は軍人や武装警官で賑わっている。
兵運:季節の変わり目に行われる兵員の大移動。任地移動もあれば退役もあり、一方で新参の兵も見られる。基本的には新参兵は硬座、退役兵は硬臥で移動するようだ。
待合室で見覚えのある人を見かける。と、思ったら向こうから話しかけてきた。そう、上海大学の留学生だったのだ。黄山の修学旅行は定員があり、行きたくても行けない人は多いが、わざわざ個人で旅行しに来た人も他にいたんですね。ただA班の人ということもあり、慣れていないのか持っていたのは硬座。かわいそうに。昨日の段階でも有だったのに。


ホームに出るとお馴染みの25G型が待っている。かなりくたびれた感じだ。しかも15号車なのでかなり端の方。この列車にも軍人が大勢乗っていて、硬臥の3割は軍人といった感じだ。
試験走行で、中国最速を記録しているSS8型電気機関車に引っ張られて広州駅を発車し一路京広線を北上する。

この列車は広州鉄路集団広州客運段所属。食堂車がひどいことで有名な広鉄集団所属ということで期待はしていないが、一応食堂車に行く。だが15号車からはさすがに遠かった。食堂車の案内放送が会った際、周りの客が「そんなこと言われてもこんな遠くからなんて行く気にもならん」と言っていたが、確かにその通り。
食堂車は期待を裏切らないひどさだった。肉料理で一番安いのは18元、しかも牛肉叉焼の薄切りにラー油を掛けただけというものだ。他の料理は軒並み30元する。さすが広鉄集団だ。にもかかわらず、軍人で非常に賑わっていた。

しばらくすると湖南省に入るどこの駅でもおいしそうな駅弁が売っていた。今思うと全駅食べ比べをしてもよかったような・・・
夕刻、若干遅れているものの株洲に到着。ここの駅弁を購入し晩飯とした。
現在はこのタイミングで株洲に着けば翌朝には上海だが、当時着くのは昼過ぎ・・・事情を知っているせいか余計長く感じる。


翌日は25分早く上海南に着いたので良かったといえばよかった。が、旅行前と比べて、上海の気温はかなり下がっていた。海南島まで行ったせいか余計寒く感じる。当然風邪引きました。

※現在、K47/48次は上海南・三亜間に延伸され列車番号もK500番台に変わっています。同区間には輸送力確保のため、臨時列車が運行されています。臨時列車と言っても、かつての上海深セン間のように毎日運行で、車両も特快と同じ25K型です。ただ時間はかかります。(25時間)時刻表は以下の通りです
L65次時刻
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