goo blog サービス終了のお知らせ 

鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

【留学終了記念東北部旅行5】 北京観光、そしてZ21次で上海へ 07年7月27日in中国

2007年12月18日 20時54分02秒 | 留学終了記念東北部旅行
今回は同行しているY氏も北京に来たことがあるので、それほど観光は必要ないかと思っていたのだが、なぜか故宮だけ行ったことが無いと言うので、行くことになった。自分は・・・6回目くらいだろうか。

前日、テーマン同志が行った際は、学生証を見せても「留学生は駄目」と学生票を売ってくれなかったそうだが、今回は普通に20元の学生票で入ることができた。というより故宮で中国の学生証を出して「留学生は駄目」と断られたことなど、自分は一度も無い。

今思うと自分はこのとき1枚も写真を撮っていない。まあ過去何度も行って写真を撮っているし、今はオリンピック前の修復工事中で見れない場所も多いので、撮る必要も無かったのだが。(下の写真は三年前の物です)






故宮を1時間半かけて一回りして、神武門から出た。その後は故宮を時計回りに迂回して王府井のスタバで休憩。そこで次は頤和園へ行くことに決定する。

行きは道が空いていて順調に到着。Y氏が初めてだという頤和園を一回りする。例によって写真が無い。

前門のホテルで荷物を預けているので、ホテル経由で北京駅に行かねばならない。ところがタクシーがまったく来ないので、しかたなく路線バスで中心部まで戻る事にした。だが最初は順調に進んでいたものの、三環路まで到達するに及んで大渋滞にはまる。ナンバーの発行制限がある上海とは比較にならない混み様だ。
途中タクシーに乗り換えるが、車で前門までは時間的に不可能と判断。最寄の地下鉄駅に向かった。この道も渋滞していて時間が掛かり、何とか地下鉄駅に到達して前門を目指す。
前門駅到着後、すぐにホテルに戻って荷物を受け取った後、再び地下鉄で北京駅に向った。北京駅に着いた頃は汗だくだったが、何とか間に合い安堵した。


今回乗るZ21次は5本ある北京上海間の直達特快の中で、Z13次と並ぶ伝統ある列車だ。その為「新世紀号」という称号がついている。(ちなみにZ13次は「東方号」)上海北京間の直達特快についてはこちらを参照。



北京鉄路局所属ということで、以前乗ったZ1次の印象からあまり良い期待はしていなかったが、列車員が若い実習生でやる気があったので、かなりよかったと言える。
すでに同室の人が来ていたが、
4人だけど部屋が分かれてしまった。代わってくれないか
と言う。
別にいいよととりあえず承諾するが、実は上段4枚だったことが判明。自分達は楽するために下段2枚で購入したので、それは無理な注文だ。なので拒否
彼女達は「あんた達若いんだから」などと言うが、70代の老人ならともかく30代のおばさんに譲る必要はまったく無い。

ちなみに保育士だと言う彼女達は北京人でなく、河北省の張家口の人間で、上海には研修で行くそうだ。しかし「zhangjiakou」と言われてどこだかわかる日本人も珍しいでしょうな。



真夏だけあって、まだ少し明るい中、上海に向けて出発した。発車後しばらくして食堂車に夕食を食べに行く。直達特快にしては高くない料金設定だった。味もまずまず。
列車長も服務員と一緒に食堂車で仕事をしていたが、他にすることは無いのだろうか?

部屋に戻った後は、北京で買った燕京ビールを飲みながら雑談をした後就寝した。


翌朝起きると、列車は既に蘇州を通過していた。降りる時、寝ぼけているとだるいので、トイレついでに顔を洗いに行く。なお北京上海間の直達特快はトイレが垂れ流しのBSP製25T型を使用しているから、早めにトイレに入っておかないと、封鎖されてしまう。
上海西で杭州方面の線路と合流すると、上海も間近だ。降りる準備を始めるが、そんなこと知らない張家口人は到着1分前に朝食のカップ麺にお湯を注いでいた。

こうして留学最後の旅行も終了した。3日後には帰国です。

おわり


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

【留学終了記念東北部旅行4】 瀋陽から北京へ 07年7月26日in中国

2007年12月18日 17時52分20秒 | 留学終了記念東北部旅行


瀋陽自体には2泊したが、2泊目の夜に餃子を食べに行った以外は、ほとんど出歩くことも無く、北京へ向けて出発となった。
朝8時頃、タクシーで空港に向う。「桃仙機場」と言った時の運ちゃんのうれしそうなこと。

空港に到着後、チェックインして搭乗口まで行くところは順調だ。出発時間に乗るべき飛行機がようやく到着したが、1時間くらいの遅れは織り込み済み。問題ない。
ところが・・・突然エンジンの蓋を開けて整備を始める。いつまでたっても始まらない搭乗。ついには飛行機が搭乗口を離れて遠くの駐機場に運ばれてしまった。騒ぎ出す乗客たちに対し、ようやく南方航空からの説明が・・・

「エンジン故障で遅れます。出発の目途はたってません」

来たよ!これだから中国で飛行機に乗るのはイヤだ。特に折り返し便。朝一の便にすればよかった。
他の便も満席と言うことで待つが、今日の午後に故宮を観光して北京行きZに乗る事ができない以上、高い金払って飛行機で行く必要は無いので、払い戻すことにする。ところが驚愕の事実が!

払い戻しのカウンターに行くが
職員:これ丹東の旅行社で購入しているので丹東じゃないと払い戻しできません
自分&Y氏:は?今更丹東まで行けるか!
職員:このチケットは正規運賃なので、1年以内ならいつでも乗れるし、払い戻しできます

素晴らしい華畜システムだ。仕方が無いので、やはり飛行機で行くことにする。無駄に高い空港の喫茶店で待つこと2時間半、ようやく出発となった。


1時間で北京首都国際空港に到着した。まずは空港バスで北京駅に向かう。
飛行機が遅れたことを除けば全てが順調だ。

北京駅到着後は、まず翌日(故宮見るため北京に1泊することに変更)の上海行きZの切符を買う。4月の高速化で無料食事サービスは無くなったものの、列車員のレベルが高いと言う理由で上海鉄路局所属にしたかったが、売り切れなので、北京鉄路局所属のZ21次になった。

次いでホテル。駅前の青年城市酒店に行ったが、思いがけず満室。仕方が無いので、たまには客引きの言うことを聞いてみることにする。前門のそばのホテルが良さそうなので、そこに決定。車に乗り込む。だが、あきらかに前門というより天壇公園の方角に向う。しかも着いた場所はまったく違うホテル。

ここ違うだろうが!
いや、ここだ。前門までも近いぞ。
お前なめてるのか?自分は北京に8回来たことがあるんだ!北京の地理はよく知っておるわ!ここから前門は絶対遠い
いやそんなことはない。
    :
    :
    :

散々もめた挙句、ホテル従業員の話でパンフレットのホテルは再開発で消滅していることが判明。この話はなかったことにして去ることに。

じゃあ車代払え
このペテン師!なぜ貴様に金を払わねばいかんのだ!
金払え
ふざけるんじゃない、このカス!一度死ね(ここだけ日本語)

試しに前門まで歩いてみたが30分近くかかった。

結局、前門の近くにビジネスホテルもどきを発見したので、そこに泊まることに。しかし北京はホテルが高い。上海はビジネスチェーンが多いので、結構安く泊まれます。
ホテルの周りは未だに古い町並みが残っているが、ここも今頃は無くなってしまっていることだろう。


夜は、テーマン同志と合流して、3人で和平門の全鷲徳に行く。全鷲徳と言うと、前門店が本店だが、現在再開発中の影響で、和平門店が本店になっている。

颯爽と登場するテーマン同志

全鷲徳は北京で食べるのは初めてだ。上海では何度か行っているが、地元民に配慮して様々な中華料理を揃えている上海の店と違い、ここはほとんどが鴨料理になる。
すべて鴨料理と言うのも微妙なので、牛肉の黒胡椒炒めも頼んだ。店員は「それはたぶん日本人には合わない」と、知ったかぶった発言をしていたが、問題無いと注文。
上海より北京の店のほうがやはり鴨もおいしいし、わざわざ北京ダックの由来まで解説してくれるので、よかった。







つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

【留学終了記念東北部旅行3】 丹東へ行く 07年7月25日in中国

2007年12月17日 19時27分26秒 | 留学終了記念東北部旅行


瀋陽2日目、早くも丹東に向う。しかも荷物を全て持って。というのも、できればこの日は丹東を観光した後に夜の北京行き快速で北京に向いたかったのだ。
一昨日、大連で丹東→北京の有無を聞いた際は「硬座のみ」という回答だったのだが、いまだこの国の切符販売網(※)には怪しい部分が多いので、一応現地でも聞いてみようと言う魂胆だ。無かったら無かったで、また瀋陽に戻るか、寝台バスで北京に向うでもよかった。

というわけで、駅そばの省快速客運站から高速バスで丹東を目指す。運賃は69.5元(サービス費・燃料サーチャージ含む)だ。北朝鮮との国境に行くバスなので、朝鮮語で話す客も多かった。
車掌はミネラルウォーターや酔い止めの配布など精力的に仕事をしているが、例によってマイクにはエコーが掛けてあり、いまいち言っている事が理解できない。

ちなみに丹東までは全区間高速道路となっており、とても快適だ。山がちな地形の中を北朝鮮に向う鉄道と並行して走る。約3時間半で丹東駅前のバスターミナルに到着した。
まずは駅の切符売場に今日の北京行きの寝台があるか聞く。だがやはり「硬座のみ」との事。よく考えてみれば、大連も丹東も瀋陽鉄路局管内だから、まったく関係ない駅間よりは確実にできますな。

とりあえずは夕刻バスで瀋陽に戻る事にして観光に入る。

駅前から歩くこと約10分、鴨緑江の河岸に到着。まずは「鴨緑江断橋」に入場した。





これは戦前日本が建設した鉄道橋で、真ん中は川を航行する船を通すために回転する所謂「回転橋」だった。だが、朝鮮戦争中は、中国人民義勇軍の重要な輸送路として機能していたことから、アメリカ軍の激しい空爆に曝され、ついに中心部付近が崩落した。そのため「断橋」と呼ばれている。
現在は川のちょうど中心である回転基部まで見学することができる。



先端まで行って対岸を眺めると、川で水遊びをする北朝鮮の住民が大勢いる。ただ堤防の向こうには観覧車以外大きな建物が無いので、何があるのかはまったくわからなかった。川向こうの町は日本のニュースでもたまに出てくる新義州だ。



端の先端から川の両岸を眺めると中朝両国の国力の差というものがよくわかる。次々と高層アパートの建設が進む丹東と、観覧車以外土手の向こうに何も見えない新義州とでは雲泥の差だ。しかも通常国境は川の真ん中のはずだが、中国の遊覧船は北朝鮮側の河岸ぎりぎりまで近づく。やりたい放題だ。





この町は他にすることも無いので、朝鮮族経営の朝鮮料理レストランで昼食をとり、北朝鮮グッズを売っている店が集まった場所で、バッチと切手を買うくらいしかする事がなかった。

Y氏と話し合った結果、明日朝の瀋陽→北京の飛行機で北京に飛び、故宮を見物して、夜のZで上海に帰るという結論に達したので、丹東の旅行社で航空券を購入した。ただ時期が時期だけに割引の航空券は夜便しか無く、仕方が無いので正規運賃で朝10時の飛行機のチケットをとった。
丹東で買ったことで後で後悔することになる。

帰りは再びバスで瀋陽に戻り、今回は駅近くのmotel128に泊まりました。

明日は飛行機で北京に向います。

つづく

※最近は発券端末ソフトのバージョンアップの影響もあり、ほぼ他都市発切符が買えるようになりました。ただ、オンラインを切断している駅があったり、通常のネット回線を使っている可能性が高いというのもあったりで、エラーが出て買えないことも多いです。


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

【留学終了記念東北部旅行2】 大連、そして長白山号で瀋陽へ 07年7月23~24日

2007年12月16日 16時47分03秒 | 留学終了記念東北部旅行
大連に着いた後、ホテルに入り、町に出た。と言っても、大連は市内にそれほど有名な観光地があるわけでもない。あえて言うなら、満州国時代に整備されたロータリーや、その周りに建ち並ぶ洋館と言ったところか。



まずは路面電車に乗って、フェリーターミナルに向った。このターミナルからは天津行きフェリー、韓国行き国際フェリーなどが運行しているが、メインは山東省の煙台行きフェリーだ。現在は貨物列車を直接載せるフェリーも運航されている。


別に乗るわけでもないのに、ここに来たのは、ここが「ラストエンペラー」で家庭教師のジョンストンが帰国するシーンの撮影が行われたからだ。ただ、正直なところわざわざ行くほどの物ではなかった。


その後は町をぐるぐる回ったが、特に見るべきものも無く、夕食となる。ちなみに夕食は「餃子の王将」
大連まで来て王将の餃子ですか



翌日はタクシーで老虎灘風景区に行った。まあせっかく港町に来たので、海も愛でなければなりませんから。

古い駆逐艦が展示されていたので、入場した。当然だがこの艦は現在使用されていない。大連で唯一入場券を買って見学した場所だ。日本のニュースでおなじみのシルクワームを搭載したかなり古いタイプの物だが、爆雷投下装置なども備えていて興味深い。今時、爆雷なんて対潜水艦戦には使いません。対潜魚雷を使います。



その後は海沿いの道路を歩く。断崖に沿って続く道路。
これでつぶれた喫茶店でもあれば、完全に日本海沿いのひなびた国道だ。

お昼はせっかくなので海鮮料理を食べた。中国で海の魚を食べるのは久しぶりだ。



大連駅に戻った後は、軌道交通で北の郊外に向った。何をしに行ったかって?
ただの時間潰しです。それが何か?

この電車は中国の軌道交通にしては珍しく、ボックス席だし、駅間も広いのでかなりスピードも出る。なかなか快適だ。だが、4両編成な上に15分に1本なので、無駄に混雑する。

しかも大連駅では降車ホームと下車ホームを分けているのだが、終点では同じホームとなる。その為に、ドアが開くと同時に華畜どもが雪崩れ込んでくるが、
彼らを無理矢理押しのけながら降りるのは、ある意味快感すら感じられる。
沿線は工業団地やベットタウンの開発が行われており、終点はビーチリゾートとなっていた。まだ未整備なエリアが目立つが。



一体大連に何をしに来たのかよくわからないが、19:36発のT545次で瀋陽に向う。この列車は長白山というICE3のパクリ車両を使用しており、全車両軟座編成だ。

大連瀋陽(北)間には特快だけでも1日6往復の城際列車が運行されており、この内2往復が長白山となる。だが一番快適なのは他の城際特快にある軟臥。この区間は400キロあるので寝台がなぜか連結されているのだ。


大連を発車するが、すでに日も暮れ外は真っ暗。
発車後まもなくY氏が叫ぶ。
「それ違うわ!」

何かと思ってみてみると、
肘掛に掛けておいたお菓子を入れたビニール袋に、通路向かいの華畜がゴミ袋だと思ってゴミを入れたのだ。
仮にゴミ袋であっても、他人の物に入れる時点でどうかしているが、こういった行動を当然の如くとるところに、彼らのモラルの低さが表れている。
「いらんわ!貴様にくれてやる」
袋を華畜に投げつけるY氏。ここに至ってもなお謝罪しないのが華畜の華畜たる所以だ。
こういった連中には何を言っても無駄なので、仲間内で罵倒しあって自己満足に浸るに限る。

最悪の雰囲気が漂う中、3時間半で瀋陽北駅に到着した。ホームの嵩上げと、一枚屋根で覆う大改装工事は終わっており、2年前と比べてかなりきれいになっていた。


もう夜も遅いので、ホテルは駅舎に入っている鉄路大酒店に決定。ただきれいなA座でなく小汚いB座を選んでしまったので、あまり快適とは言えなかった。(といっても1泊だけだが)

明日はバスで北朝鮮との国境の町丹東に向います。これがこの旅行のハイライトだろうか?

つづく


昨日投稿したT132次乗車記の中で、山海関到着の際、「写真は2年前のです」と書いておきながら、肝心の山海関の写真を貼ってませんでした。加えておいたので、どうぞご覧ください。


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

【留学終了記念東北部旅行1】 T132次 上海→大連 07年7月22日in中国

2007年12月15日 17時41分03秒 | 留学終了記念東北部旅行


上海から東北部へのアクセスはあまり良いとは言えない。線路的にはほとんどが高速運転可能な区間なのだが、快速が主なので中途半端に時間がかかる。最高速度120キロの車両を使った快速は、最近では高速化の影響で逆にスピードダウンした列車も多く、
上海発瀋陽北行きのK188次などは動車組や直達特快の通過待ちで江蘇省鎮江に1時間22分停車する。
今回乗るT132次は、上海始発の東北方面列車で唯一の特快だ。所属は瀋陽鉄路局大連客運段で、上海大連間2238キロを約23時間で結んでいる。

いろいろ手間取ったため、発車50分前の15時にようやくタクシーで駅に向かった。荷物のX線検査とか時間が掛かるので、ぎりぎりでホームにたどり着いた。今まで見かけた事のあるT132次は、硬臥が半開放で、サボがステンレスだったのだが、今回は硬臥は開放型で、サボも普通の白色の物だった。
列車員はやる気のありそうな若い男性が揃えられていた。東北部の優等列車は若い男性列車員が多い気がする。

15:50、列車は定刻通り上海を発車した。フリーカメラマンのY氏が、5月の西安修学旅行の顛末を語っていたが、ホームに降りてきて車両を見た時の
「えっ?これに乗るの?」
と言うリアクションが非常に笑えたらしい。まあ初めて見た人は驚くでしょうな。




列車は見慣れた江南の田園地帯を抜け、南京に到着。ここで長江を渡る。長江を越えた後、2人で食堂車に行った。
ただこの列車は硬座が4両しかないにも関わらず、硬座と寝台の間に食堂車をおいているため、非常に混雑している。他の人と相席で食べることとなった。メニューは必ずと言っていいほど海老が入っている。肉料理に無理矢理海老を入れて値段を吊り上げているとしか思えないが、味は良かった。
硬座の方を覗くと立ち乗りの客で溢れてるのが見える。硬座の少ない特快で無座は悲惨ですな。

20:29、安徽省の蚌埠に到着。ここは最近北京上海間の動車組が停まるようになったのだが、ホームは階段状に半分だけ底上げした中途半端なものだ。
22時過ぎに徐州に着くが、この駅は通る時いつも深夜なので、ホームに出るのは初めてだった。徐州発車後、消灯となったので就寝した。



早朝5時前、起きるとちょうど天津を発車したところだった。と言ってもまだ朝早いので再び寝る。
6時過ぎに唐山に到着と同時に本格的に目覚めた。31年前に唐山地震という大震災があり、数十万の死者を出した町だ。1976年は周恩来の死に始まり、第1次天安門事件、唐山地震、朱徳死去、毛沢東死去、4人組逮捕とまさに文革末期の激動の1年だった。

Y氏も目覚めたので、2人で食堂車に朝食を食べに行った。この列車の食堂車はバイキング形式だ。ただ食堂車の席の8割は無座の客が占有しており、食べている客はわずかだった。




次の停車駅の秦皇島は、河北省最大の港町であり、付近にビーチリゾートもある一大避暑地だ。なのでここで降りる客も多い。
秦皇島を出ると大秦線の重貨物列車が見えた。大秦線は山西省の大同と秦皇島を結ぶ全線複線電化の石炭貨物専用線で建設には日本のODAも使われており、2万トン級の石炭貨物列車がひっきりなしに行き交っている。
ここから搬出された石炭は日本にも輸出されている。
ここが重要だ。日本では石炭は過去のエネルギーと思っている人が多いが、今でも日本の火力発電の4割は石炭利用であり、全ての発電量に換算しても24%が石炭と言うことになる。しかも使用量はここ10年で倍増しているそうだ。また鉄鋼業など石炭を必須とする産業も多く、日本は年間1億8千万トンを輸入する世界一の石炭輸入大国である。


秦皇島を出ると間髪いれずに山海関に到着。ここは万里の長城の東の端だ。駅を出るとすぐ長城を跨ぐが、ぶち抜かれているため見ることはできない。写真は2年前の物です。

山海関

老龍頭(正面は渤海湾)

ここからは旅客専用線を走るので、かなりの高速で走行する。だが、途中錦州南で動車組の通過待ち(しかも2本)。特快でこのような屈辱を味会う時代になってしまうとは・・・



大連方面への短絡線を通り、瀋陽大連間の鉄道に合流する。緑皮車天国と言われる東北部だけあって、すれ違う普快や管内快速は非空調列車が目立つ。
レンガ造りの石炭積込場を見かけたが、「工業は大慶に学べ」の標語が彫りこまれていた。


次第に高層ビルが増え始めるとまもなく大連だ。列車は速度を落とし周水子空港の脇を抜けて定刻通りに大連に到着した。



大連駅は戦前に上野駅をモデルに建てられた駅舎で、現在は内部は改装されて近代的になっているが、外観は上野駅によく似ている。

つづく


最近、ブログランキングを始めました。読んだついでに以下の2つのクリックをお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ

【留学終了記念東北部旅行】  日程   07年7月22~28日in中国

2007年12月13日 20時25分56秒 | 留学終了記念東北部旅行


今は中国鉄道事情の改訂版を投稿していますが、その次は留学終了の際の東北部旅行の旅行記になります。この旅行はフリーテレビカメラマンのY氏と2人しましたが、まあ、しょうもない中国人によく出会ったり、トラブルがよく起きたり、いろいろと楽しい旅でした。

日程は

7月22日:T132次で上海を出発 車中泊

7月23日:昼過ぎに大連に到着 大連泊

7月24日:終日大連観光 夜、T545次で瀋陽に向う 瀋陽泊

7月25日:日帰りで北朝鮮との国境の町丹東に行く 瀋陽泊

7月26日:中国南方航空で北京へ行く。夜、テーマン同学と合流し全鷲徳で北京ダックを食べる。 北京泊

7月27日:故宮、yi和園観光 夜、Z21次で出発 車中泊

7月28日:朝、上海に到着

来週末までには終わるでしょう。

過去の旅行記を読んで、よかったら、下の2つのクリックをよろしくお願いします。



にほんブログ村 旅行ブログ 海外旅行へ