鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

膠州湾大橋を使って青島へ

2011年10月24日 18時23分34秒 | 旅行
日照の東バスターミナル8:50発の高速バスで青島へ向けて出発。なかなかいい車だ。



ただ日照総站経由なため、そこまで20分、さらに9:30発ということで日照の町を出るのに40分以上もかかったのだった。出発後、車両のお姉さんからスナック菓子が配られた。給湯器があるのでミネラルウォーターは無い。


その後は高速道路を快走する。1時間半も走ると黄島に到達。昔なら膠州湾沿いに迂回して青島を目指しただろうが、今は黄島から青島の四方あたりまで膠州湾大橋で行けるのである。この橋、一時期手抜き工事で問題になってましたな。


バスは膠州湾大橋を快走する。海の上のわりに柵が低いので眺めがいい。たぶんいるだろうなとは思っていたが、期待を裏切らずに路肩に車を止めて記念撮影をする中国人を何度か目撃した。


紅島への路線が合流するジャンクションを通り過ぎるとまもなく青島側に到着。青島ビールの工場や四方車輛の研究所を見ると鄭州に来たという感じがする。


そして日照東ターミナル出発から2時間40分ほどで四方の長距離バスターミナルに到着したのだった。


その後は路線バスでなんとなく香港中路へ移動。ジャスコのレストランでランチメニューの中からハンバーグと鱈フライのセットを選んで食べた。

鱈はころもが厚過ぎていまいちだったが、ハンバーグはおいしかった。しかしこれで国慶節一時帰国も含めると3週連続で日本食を食べているな。今週末は成都の和幸が確定しているので、4周連続も確実だ。


つづく


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新郷~日照間の計630キロを乗り潰し

2011年10月22日 20時48分19秒 | 乗車記(寝台)
実は20日木曜夜から今朝にかけて鄭州→日照→青島→鄭州と弾丸ツアーを催行。久しぶりの新規乗車路線として新he線(新郷~he澤)とhe日線(he澤~日照)を走破した。heは草かんむりに河。


20日夜、9:52発の2150次に乗車。この列車は鄭州始発でも希少になってきている緑皮車で、硬臥・硬座のみの完全な運搬車編成だ。15号車の硬臥は最後尾だった。なお硬臥に乗るのは2009年1月の上海南→アモイ以来実に2年9ヵ月ぶりである。


鄭州を3分早発し新郷にはだいたい時刻通り到着。ここで進行方向が変わるため機関車を付け替えるのだが、非常に長時間停車する。その間も北京西発昆明行きや北京西発宝鶏行きなど多数の長距離列車が新郷駅を発着して行った。
停車中に消灯され23時半ごろにようやく発車。本来9分停車のこの駅に40分も停車したおかげで日照到着は50分も遅れたのだった。


列車は新he線、he日線と走行。この2路線は旅客列車の運行は非常に少ない。しかし河南省北部や山西省南部の炭鉱地帯で産出された石炭を港町である日照へ運搬するための重要な路線なので、複線電化路線となっている。ただ牽引機はDF11型ディーゼル機関車である。すぐ隣が機関車なので常にエンジン音が響き渡っている。なお機関車寄りのデッキは旅客立ち入り禁止だった。

he澤で京九線、yan州で京滬線と交差しhe日線へと入る。長大編成の貨物列車とひっきりなしにすれ違うが、大半は石炭を日照で下ろした空の貨車である。石炭輸送は片道が空になってしまうのが最大の問題点である。

本来なら5:51着の臨沂には50分遅れの6:40着。まだ1時間40分はかかる道のりだ。ここで半分以上の客が降り車内は一気に閑散としてきた。


そして更に1時間半余り、真新しいマンション群を眺めつつ8:20に日照駅に到着した。2面3線の小さな駅で旅客列車も多くないのだが、ホームは黒竜江の牡丹江から来た列車と済南行きの列車も停車しており満杯だった。

駅舎は変わった形のガラス張り駅舎。思っていたより近代的な趣だ。しかし2150次も軟臥があるのならまた乗っていいのだが、硬臥だけはなぁ・・・贅沢な話だけど。


その後は近くのバスターミナルに移動。8:50発の青島行き高速バスに乗車したのだった。


つづく



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鄭州→合肥→南京

2011年10月16日 15時07分02秒 | 乗車記(寝台)
以前上海に1年半もいながら行ったことのない安徽省。今更ながら行ってみることとした。

乗車するのは鄭州22:23発、安徽省の省都合肥に翌朝6:42に到着する2194次だ。省都同士を結び、しかも深夜発早朝着というダイヤから勘違いしやすいが、非空調の緑皮車な上に
編成も軟臥1両・硬臥4両に対し硬座11両という完全な「運搬車」なのだ。
数日前に行くことを思い立ったが、何とか軟臥の上段の購入に成功したのだった。非空調なので安い。138元だ。


その後、帰りは一度上海へ出て上海からラサ行きT164次と考えたのだが、T164次の軟臥はその時点で鄭州下車14枚の空席があるものの、なぜか鄭州では購入できなかった。(端末の画面には情報が表示されないようになっていた)なのでK152次の軟臥をとりあえずおさえたのだった。


当日は9時ごろ家を出て駅へ向かった。もっと遅くてもいいのだが、これ以上遅くなると西広場行きのバスが終了してしまうので、ギリギリのラインなのである。相変わらず西広場はエアロビクスのおばちゃんにローラースケートの少年たちと、中国の駅とは思えない場所だ。


駅舎に入場するが、コンコース上の売店は改装のために悉く取り払われていた。実は2194次は鄭州発車前に新郷→鄭州の普快として運行しており、21:40には鄭州に着くので早く改札が始まるものと思っていたが、思ったよりも遅く21:50頃だった。
そういえば天津発広州行のT253次が例によって遅れていたが、なぜにあの列車だけいつも遅れているのだろうか?


列車の編成は22型が主体だが、軟臥車はRW25Bだった。残念。基本的に22型は改造が施されているので、それがない25Bは中国の客車では一番車内設備が劣る車両である。この列車は食堂車がないので、軟臥の隣がもう硬座となっている。「開かずの扉」ごしに硬座をさりげなく撮影。非常に混んでいるように見えるが、ちょうど人が乗り込んでいるからそう見えるだけで、だいたい席が埋まる程度の入りだった。


隣のホームには南寧行きのT5次が入線。ちょうどハノイ行き運行日なので、「同登・北京西」のサボを付けたRW25Kが2両増結されていた。そういえば5月に長沙へ行ったときにT5次に乗ったが、今思えばよく鄭州乗車で買えたものだな。


T5次の発車を動画で撮影していたら発車ベルがホームに鳴り響いたので、急いで乗り込んだ。そして22:21、定刻より2分早く鄭州駅を発車したのだった。
発車してしばらくすると身分証登記となった。深夜発早朝着だと軟臥の身分証登記は行わない列車も多く、同じ鄭州客運段でも北京西~鄭州の快速などそうだが、この列車では行われたのだった。

その後は明日も早いので早々と就寝した。最近の乗車の中ではよく眠れた方だと思う。


翌朝6時過ぎ、列車員がやって来て換票となった。あと30分で到着。顔を洗いさっさと下車の準備を済ませる。その後は緑皮車の特権である窓を開けての撮影となるが、すでに合肥が近づいて低速運転なのはいいものの、直線ばかりでなかなかいい写真は撮れなかった。


そして6:33、定刻より9分早く朝日に照らされた合肥駅番ホームに入線したのだった。


下車後はまず南京への切符を購入する。合肥での用事と言えばスターバックスのタンブラーを買うことぐらいなので、「11~12時くらいの動車組の南京までで1等座ない?」と適当に聞いたら、11:13発のD3031次が購入できた。73元。


まだ朝早いので中心部まで歩いて時間を潰し、24時間営業のケンタッキーで朝食がてら時間を潰し、9時の開店と同時に淮河路のスターバックスに入店。とりあえず総乗車距離が26万キロを突破したことを速報としてブログに打ったのだった。


10時前に店を出て、今度は時間つぶし中に発見したBRTで合肥駅へ戻ることとする。だが合肥のBRTの駅は珍しいことにホームが島式1本のみだ。鄭州も厦門も対向式である。どうやって乗り降りするのかと思っていたら、なんと両側に扉が2つずつ付いているのだった。


全区間で専用レーンというわけでなく、末端は普通の路線バスとして走行し合肥駅へ到着した。出発まであと1時間弱だ。


合肥駅は90年代に造った駅舎を早くも解体して新たに建て替えられてる。が、今時ここまで何もないのも珍しいくらい何もない駅舎だった。軟席待合室もない。売店も少ない。極め付きはこれだけ動車組が発着し、切符売り場は磁気切符発券であるにもかかわらず、自動改札機が設置されていないことだろう。合肥は合寧客運専線と合武客運専線を結ぶ本線上に新駅を建設中だから、それまでの繋ぎという発想なのだろうか。


11時ちょうど、改札が始まってホームに降りた。一番遠い9番線だ。そしてすぐにD3031次の入線となった。この列車は漢口始発上海虹橋行きの動車組で武漢客運段の管轄、使用車両はCRH2Aとなる。比較的初期の車両で7号車のオリジナル1等座に加え、6号車を1等座車に改造したタイプだ。この改造1等座は窓と座席の位置を合わせるためにシートピッチが2等座と同じという詰め込み構造のはずれ席だ。幸い7号車のオリジナル版だった。1・2等合造のコンパートメント席がある新世代CRH2Aもそうだが、CRH2A運行列車で7号車(重連の場合15号車も)以外の1等座になったらはずれと言っていい。


列車は合肥に早着だったようだが定刻ちょうどに発車した。なお武漢~上海間では合肥と南京南で運転士交代が行われる。


途中で肥東に停車し、京滬高速鉄道と並走しだしてから南京大勝関長江大橋を渡り、約1時間10分で南京南駅に到着した。


この南京南駅は昔からある南京南駅ではなく、7月の京滬高速鉄道開業時に高速鉄道ターミナル駅として新たに開業した新駅だ。以前の南京南駅は中華門駅に改称した。

新しい南京南駅はすごく不便な場所にあると勝手に思っていたのだが、地図を見てみるとそれほど遠いわけでもない。地下鉄1号線南延伸線も乗り入れており出口改札の目の前が地下鉄駅への入り口だった。中心部の新街口まで20分ほどで着けるのである。
まずは切符売り場で15日の南京→上海の切符を買い、大娘水餃で昼食を食べてから市内へ向かった。なお南京南駅はテナントが比較的充実していてスターバックスもあった。


南京南駅から新街口まで20分ほどで着けるものの、1号線は安徳門で分岐しているため、南延伸線の運行間隔は日中で9分といったところ。しかも南駅の南方、中国薬科大学駅まで11駅も続いているため、南駅到着時点でかなり混んでいる。真ん中あたりだと昼間でもすし詰めになるから後ろよりか前寄りに乗るのがいい。


1号線本線と合流する安徳門駅は2面3線となっており、ここから中華門駅の先までの約1.5区間は高架区間となっている。再び地下に潜り南京南駅から20分ほどで新街口駅に到着。予約してあった漢庭ホテルに向かったのだった。



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K186次 鄭州→北京西 2011年9月30日

2011年10月09日 16時03分30秒 | 乗車記(寝台)
29日、家に帰ったのが21時半。それから荷物の準備を始めて23時過ぎに家を出てタクシーで駅へ向かった。タクシーで行く時は東広場へ行くことが多いのだが、今回は西広場へ行かせた。

時間が遅いのでコンコースは閑散としている。ボーゲン隊長へ販売用の時刻表を購入し、軟席待合室へ向かった。そして軟席待合室で電光掲示板を眺めていると驚くべき事実を発見。

T201次が広州行きになってる・・・

T201次は本来は海南島三亜行きの列車だ。台風の影響はかなり深刻ならしい。一方で揚州発成都行きのK245次もなぜか遅れている。しかも時間未定。何があったんだ?


昆明発北京西行きK472次の発車に続いて、今回乗車するK186次は10分遅れで入線して来た。硬座は深夜帯なのに満員、食堂車も無座の座席難民の茶座利用で満席と、完全に「運搬車」の趣だ。


元々は鄭州に11分停車なので、停車時間を短縮して5分遅れで発車した。
乗車後に自分のコンパートメントへ行くと、自分の寝台になぜか小さな子供を連れた女性が寝ていた。もともとは上段だったのだが、自分の寝台に鄭州まで乗車していた青年に変わってもらっていたらしい。まあこういうことなら仕方がないので、上段に寝ることにする。どうせ朝には北京に着くわけだし。


鄭州を5分遅れで発車したK186次は京広線を北上する。使用している車両は近年粗製乱造されている機関車給電機能付きの25Gだが、造りがしっかりしているのか意味不明な騒音が車両全体に響き渡ることもなく快適だ。騒音のある無しは製造工場の違いなのだろうか?ちなみに鄭州客運段の管轄列車の25G型はほぼ例外なく騒音が激しい。


乗ってすぐに就寝したが、深夜どこかの駅で臨時停車し武漢・長沙と北京を結ぶ直達特快に連続して抜かされたのは覚えている。ちょうど北京~武漢の直達特快はこの辺りですれ違うようで、下り線も高速で通過していった。下段なら通過の様子が動画撮影できたのだが。


早朝6時過ぎ、上段のおばさんが石家庄で下車。一瞬起きたがまた寝た。

続いて保定に到着。ここでも一瞬起きたがまた寝た。


そして8時を過ぎてようやく起床した。とりあえず顔を洗って寝癖を直し、食堂車へ朝食を食べに向かった。ただ食堂車は相変わらず座席難民で混雑しており、また食堂車で食べてもお粥ないし麺は紙のカップのようなので、麺を持ち帰って食べることとした。

味付けもしっかりしており、また卵も入っていてボリュームがある。なかなかの味だ。やはり同じ広州鉄路集団でも広州客運段などよりは断然いい。ちなみにこの列車は長沙客運段の管轄だ。

食事をしているとちょうど最後の途中停車駅である高碑店に到着。2分停車ですぐに発車した。


食後はコーヒーを飲んでのんびり過ごす。やがて数本のトンネルが連続する区間に入ると北京も間近だ。トンネル区間を抜け永定河を渡ると北京の市街へと入っていく。

そして9:32、定刻より3分早く北京西駅へ到着したのだった。
このあとは西駅南広場より空港バスで北京首都国際空港第3ターミナルへ移動。中国国際航空のラウンジで時間をつぶし15:45発の羽田行きANA便で帰国したのだった。





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