鄭州鉄道日記

河南省鄭州市で働いています。中国鉄道交通の要衝であるこの街から、中国の鉄道の情報を発信していければと思います。

先日の上海行き

2012年05月13日 12時52分21秒 | 旅行
先週は上海へ行ったが、まあ1日目にSY1698さんと旅行屋@上海さん、2日目に隊長たちとオフ会をした以外は買い物をしたくらいで終わった。

往路はいつものK284次。最近、この列車の鄭州乗車購入パターンがまた変わった。すなわち以前は前日ないし前々日段階での空席分が買えるようになっていたわけだが、現在は推定で6~8枚が鄭州乗車として最初から割り当てられており、他の席は乗車日が近づくと鄭州乗車で買えるようになるのだ。なので早い段階で確実に買えるようになった。


毎度のことながら乗車後遅い時間でありながら食堂車で成都客運段の飯を食べた。前回の乗車時がセットメニューしかなかったのに比べると良かったが、味は今までの成都段の中では一番微妙。やはり乗務している乗組によって大きく異なるようだ。


今回も同室の4名全員が個人客で静かな時間が流れたのだった。今まで鄭州乗車でなぜかka○kuと同室になったことがない。

ただ今回もなかなか寝付けず深夜の徐州駅発車まで起きていた。下の写真は徐州駅。大勢の人間が硬座へと吸い込まれていったのだった。


途中で30分は遅れたが、上海には定刻に到着。南京~上海がノンストップだからこそ可能な芸当か。(ただ快速のダイヤはゆとりがあるので他の列車でも結構取り戻せる)

1日目は上海駅前のマクドナルドで時間をつぶした後日帰りで杭州へ。初めて上海駅から杭州行きのG列車に乗ったが、上海虹橋駅まで無駄に30分もかかった。


鄭州への復路はこれまたいつものT164次。帰りも全員個人客だった。5号車軟臥の1~16番は鄭州割り当てなので、全員鄭州までの乗車となる。

なおT164次は3月より実名制改札が始まっており、非常に面倒だ。まず待合室に入る際に切符と身分証の照合、車両に乗り込む際にも行われる。その代わり車内での身分証登記は無かった。


いつもは1時間近く遅れるT164次だが、今回は蚌埠での7本抜き(臥舗動車組4本、Z3本)が無かったため、珍しくほぼ定刻で到着。おかげで睡眠時間が削られて月曜日は悲惨だった。あまりの寝ぼけぶりに帰りの切符を洗濯してしまったほどだ。



そして予定では再来週末に隊長が鄭州へ来るらしい。




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K378次 鄭州→上海 2012年3月31日

2012年04月10日 18時17分15秒 | 乗車記(寝台)
先週、一時帰国に当たっての上海への移動は初の西寧客運段管轄列車となるK378次に乗車した。


16:15に家を出て66路で駅へ移動。軟席待合室へ行ったが、案の定K378次は遅れていた。先日、広州へ向かった際もK378次は遅れアナウンスだったし、家で遅延検索をしたら大体30分は遅れているようだったので織り込み済みだった。定刻の上海到着は5時半なので、まあ最大1時間半くらい遅れても問題はない。

前回1時間半の遅れだったT123次は今日は50分程度の遅れで1番線に入線、K378次もほぼ同時に3番線に入線だった。T123次は京広線、K378次は隴海線からやって来る。
とりあえず乗車するとなぜか自分のコンパートメントは埋まっていた。下段2つは鄭州から乗車する自分と別のおじさんの席なのだが、三門峡~商丘で乗車している中年オヤジ二人組みが補票で利用していたのだ。当然、もともとの切符を持っている自分たちが優先して着くことになる。二人組みは列車員ともめた挙句、乗務員宿営車(硬臥)利用で手打ちをしたようだった。

発車して40分ほどしてから食堂車へ行った。ただ無座の座席難民も多く満席。仕方がないので料理を持ち帰りで頼むこととする。値段は比較的高く一品30~50元といったところか。葱爆羊肉(38元)とご飯(2元)を頼んだ。

コンパートメントへ持ち帰って食べたが、食堂車にしては珍しい肉の含有率の高さだ。味は相当しょっぱいがおいしい。食堂車で見かけたほかの料理(木須肉、茄子炒め等)も見た感じおいしそうだった。やはり蘭州鉄路局の所属なだけあって西寧客運段もなかなかおいしいようだ。なお車内販売の弁当は20元だった。

食事終了後はコンパートメントでコーヒーを飲んでくつろぐ。開封、商丘と停車するが遅れは45分、50分と次第に伸びていった。


なおこの列車は洋式トイレもしっかり使える。また洋式トイレと洗面所がある位置を食堂車よりにして連結しているので、硬臥の客が洋式トイレや洗面所へ流れてこないのがいい。ここのところ洗面所が硬臥よりの列車が続いていたため、洗面所が混雑する上汚かったのだ。
また部屋のコンセントが通電している。これもいい。最近は通電していない列車が圧倒的に多い。先々週のT123次は通電していたが通路にしかコンセントがないタイプで、硬臥の客が携帯電話の充電に流れてきて邪魔だった。

徐州にも約50分遅れで到着。ここから京滬線に入る。その後就寝した。


鎮江を発車してしばらくして目が覚めた。まだ真っ暗だが、向かいの下段のおじさんは次の常州で降りるのだ。常州には30分遅れで到着。少しは遅れが取り戻されたようだ。
無錫、蘇州と停車。最近、上海への夜行移動は成都始発のK284次が多く、同列車は南京上海間ノンストップなので、このあたりの駅に停まるのは久しぶりだ。最後の途中停車駅である昆山に到着後、下車の準備を始めた。昨日は無座の座席難民が軟臥まで溢れてくるような混みようだったが、やはり3連休ということで短距離移動が多いのか今は空いている。

昆山を過ぎると安亭の自動車貨物積み込み駅、南翔の貨物ヤード、杭州方面の線路との合流、上海西駅通過と特徴的な景色が続く。そして3号線の高架を眺めつつ、約30分遅れの6時ちょうどに上海駅に到着したのだった。


その後は空港バスで浦東空港へ移動する。上海駅の空港バス乗り場には怪しいタクシードライバーが屯してバスへの荷物積み込みを手伝っているが、「国際線利用」というと「3時間前締め切りだから間に合わない。タクシーで行け」などと馬鹿らしいことを言ってくるので、無視するか国内線と嘘をつくかが賢明だ。


つづく



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今年の初乗りは鄭州~洛陽龍門往復

2012年01月04日 23時42分00秒 | 鄭州鉄道情報
1日に鄭州入りした隊長。本格的な滞在は90年代に初めて来た時以来だそうだ。何の因果か自分が予約しておいたホテル(駅前の鄭州大酒店)はかつて隊長が泊まったホテルだった。もちろん建て替えられているが。

そして1泊した隊長は、

鄭州の街は進歩したけど、人は全然進歩していない

という名言を残してまた旅立たれた。乗るのは洛陽発湛江行きの普快なので共に高速鉄道で洛陽龍門へ移動。これが今年の初乗りとなった。

洛陽ではまだ時間があるので、龍門石窟そばの鉄橋で写真撮影をする。わざわざここで撮り鉄をするのは6K型が多く通るからだ。
80年代に川崎重工が製造輸出した6K型は配備された洛陽機務段を拠点に主に隴海線で活躍していたが、和諧型の普及によって駆逐され、今はここ焦柳線が主な運行区間となっている。すでに導入から20年以上が経っていることを考えると、ここが最後の楽園なのだろう。


貨物はほぼ6K型牽引、というより時間が悪いのか貨物ばかりで全然旅客が来ない。結局帰り際に思いがけずSS8牽引の旅客列車が通過したのだった。


龍門石窟からタクシーに乗車。閑散期ということもありタクシー運転手も普通にメーター利用で強く出てはこない。自分は鄭州へ帰るので洛陽龍門駅で下車、隊長はそのまま洛陽駅へ向かったのだった。


なお本日四日をもって成績提出が完了し今学期の仕事は終了となった。今のところ7日夕刻出発の予定だが、暇なので1日早めようかとも考えるようになってきた。(K745次は6日の切符もまだある)



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近所のスターバックスが開店

2011年12月27日 18時08分52秒 | その他
24日、鄭州のスターバックス2号店として近所の中原万達広場の店舗が開店した。昨日の朝、送迎バスから見たら営業していそうだったので、昨晩訪れたところ、店員いわく24日に開業したとのことだった。

昨年9月に鄭州へ来た時は徒歩圏内(15分くらい、路線バスだと2~3駅)にできるなどとは思いもよらなかったが、鄭州が発展したというより若干場違いな感がありますな。


19時くらいに行ったら空いていたが、そのあと19時半くらいから微妙に混みだした。やはり晩飯を食べてから来るのだろうか。




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スターバックス鄭州1号店へやって来た

2011年11月23日 13時20分28秒 | その他
今日は基本的に休みなので、先週金曜日に開店したスターバックス鄭州1号店へやって来た。ただ今潜伏中。



工事中は狭いように見えたのだが、奥行きがあってかなり広い。先週金曜日は開店時に100メートル以上の列ができたそうだが、さすがに今日は空いていた。(今日も混んでいたら異常だよ)


なお海外発行のクレジットカードは利用できなかった。合肥ですら使えたのに・・・

無線ランは中国移動のではないので、店員にパスワード(037で始まるのでたぶん店の電話番号)を聞けば携帯電話がなくてもできる。また中国移動の無線ランでないので、このブログも見れる。(中国移動の無線ランだと、なぜか日本のほぼすべてのブログが見えない)


タンブラーと知り合いに頼まれていたマグカップも買ったが、予想通り二七紀念塔のデザインだった。
あとは近所の中原万達店ができれば・・・。しかし鄭州にもようやく文明が浸透してきましたな。



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鄭州のスターバックス1号店が開業していた

2011年11月22日 14時21分49秒 | その他
近所の中原万達広場が開業して1ヶ月近く経つものの、そこのスターバックスは一向に開店しない。

と思っていたら、花園路の国貿360広場の店舗が先週の金曜日に開店していたことが判明。開店時には100メートルの行列ができたそうだ。
そもそもこの店舗が1号店で10月末開店予定だったのに遅れていたから、中原万達広場のがオープンしなかった可能性が高いので、中原万達店ももうすぐ開業なのかもしれない。
スタバの新店舗は金曜日開店が多いから、今週とかだとうれしいな。来週の金曜日に行く用事があるし。


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T76次 高級軟臥

2011年11月13日 19時56分03秒 | 乗車記(寝台)
昨晩19:07蘭州発のT76次に乗車して鄭州へ帰って来た。鄭州には今朝9:26に10分遅れで到着。満月の二日後だったので車窓から見える月がきれいだった。なお写真は携帯電話で撮影。


T76次に乗車したのは2009年1月以来2年10か月ぶり。前回も今回も高級軟臥だ。
ただ今まで乗車したRW19Kの中で、前回のT76次は唯一カードキーとVCDシステムが生きている列車だったのだが、今回はすでに壊れていた。直す気も無いようで、寝台カードはカードキーを兼ねたICカードでなく、普通のプラスチックのカードになっていた。


夕食は食堂車で食べる。蘭州鉄路局の食堂車は味付けがしっかりしていておいしいのだが、以前と比べるとメニューが変わっていた。(定番の葱爆牛肉が無い)なぜか料理の写真は無い。


しかし一人で部屋が使えるのはいい。鄭州→銀川で乗ったK361次も軟臥をずっと一人で使っていたが、部屋にトイレがあるかどうかというのは非常に重要だ。寝台の質もいいので久しぶりに熟睡しました。


朝食は何も食べないつもりだったが、結局車内販売の弁当を購入。

蘭州客運段の朝食も何か麺料理があった方がいいのだけど・・・(銀川客運段にはあった。写真無くなったけど)



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25G型が再び集便タンク付に!

2011年11月12日 16時35分41秒 | 中国鉄路
昨晩、銀川22:40発の西寧西行きK915次に乗車し、今朝蘭州に着いたのだが、驚くべきことが判明した。

なんとK915次は集便タンク付の25G型を使用していたのだ!

実はourailの列車編成一覧表には「DV600V集便25G」としっかり記載されていたのだが、非公式情報ゆえの間違い(実際過去にいくつか発見している)と思っていたのだが、事実だった。(疑ってすみません)

確認すると北車の唐山製で製造年は今年だった。全てがそうかはわからないが、2011年製を持って25Gは再び集便タンク付となったのかもしれない。

ourrailの編成表には、他にも西安~包頭、西安~呼和浩特など集便25Gと書かれた列車が増殖しているので、確認の必要がありそうだ。


なお蘭州にて中国渡航12年目で初のスリ被害(デジカメ盗られた)に遭ったため、写真はない。なのでK361次(鄭州→銀川)、K915次(銀川→蘭州)と乗って来たのだが、乗車記が書けない。
ちなみにK361次(上海発銀川行き)はガラガラで、鄭州から銀川まで22時間ずっと一人部屋状態でした。


この後は19:07発の北京西行きT76次で鄭州へ。デジカメ盗られたけど、執念で高級軟臥乗車の予定だけは変更しなかった。(空いてて軟臥もまだあるけど)
鄭州には明日の朝9時台に到着予定。

あとK361次乗車で総乗車距離が27万キロ突破しました。



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K163次 上海南→福州 2011年11月5日

2011年11月07日 18時51分22秒 | 乗車記(寝台)
土曜日に上海から福建省の省都福州へ向かうためK163次に乗車した。上海南駅から列車に乗るのは思えば09年9月以来だ。現在、上海から福州へは沿海鉄路経由で多数の動車組が運行しており、概ね7時間前後で到着できる。にもかかわらずわざわざ17時間もかかる列車で移動するのだ。

11時過ぎ、上海南駅に到着。久しぶりに来たので、安全検査を抜けてから構内を歩いて回った。以前あった百万城(中国の鉄道模型を作っている会社)のショールームは無くなっていたほか、二つある軟席候車室のうち一つは使用停止になっていた。ここ発着の動車組が全て虹橋駅に移ったことで利用者が激減したのが原因だろう。加えて閑散期なので一つしか空いていない西軟席候車室もガラガラだった。
大娘水餃で昼食を食べてから軟席候車室で待つ。改札開始は発車25分前くらいだった。


K163次は上海と福州を結ぶ快速列車で南昌鉄路局福州客運段の管轄だ。同客運段の管轄列車の中では北京西~福州の直達特快に次ぐ地位にあり「紅旗列車」となっている。09年に北京~長江デルタの大半の直達特快の臥舗動車組置き換えが完了した際、その車両を転用して上海南~福州にも直達特快が登場したことがあったが、乗車率が高かったにもかかわらずすぐに消滅した。(09年9月に乗車した)
その後、寧波~温州~福州と沿海鉄路が開業したことで上海と福州は動車組で結ばれるようになったが、この列車は消滅せずに走り続けている。(上海~厦門の快速は龍岩行きに変わった)

使用車両はかつて全車両がプラグドア仕様の25Gだったが、現在は混成となっている。硬臥は1両を除きプラグドア仕様(7号車だけはずれ)、軟臥は通常の開き戸だった。ただ古めの25Gというと無機質な内装が多いのだが、この軟臥は一部の25K型のように高級感のある内装だった。製造は南京補鎮車両廠だ。(最近の車両はなぜかないが、古い車両だと製造工場の銘板がある)

やはり利用者は少ないようで寝台車が並ぶ前よりのホームはガラガラだ。先頭まで機関車の撮影に行く。牽引機は杭州機務段のDF11だった。
この列車で福州までわざわざ行く人はそういないだろうが、やはり武夷山までの利用が多い。向かいのおじさんも武夷山までだった。武夷山には23時ごろ到着する。


そして12:16、列車は定刻通り上海南駅を発車した。時々上海~杭州の高速鉄道を眺めつつ田園地帯を快走する。最初の停車駅である嘉興には13:14に到着。なお軟臥の乗車率は半分にも満たない空き様だ。


12:16発ということで食堂車は弁当販売のみの営業だったが、弁当に加えて魚丸も売りに来たので購入した。10元。魚丸は福州客運段の列車では軽食としてよく販売されている。


その後は海寧に停車し、改造工事中の杭州東駅を通過して銭唐江を渡り、杭州南には14:28着。ここで軟臥には3名が乗車してきた。杭州南は改造のために閉鎖された杭州東駅の代わりに蕭山駅を改称した仮のターミナル駅だ。


杭州南を発車し寧波方面の路線と分岐すると列車は07年4月の第6次高速化ダイヤ改正に合わせて直線化された滬昆線を快走する。義烏には15:57到着。ここで軟臥にはさらに2名乗車してきた。しかしこの辺りのトンネルは新しく作られたせいか携帯の電波が届く。便利だな。


16:36、金華西に到着。ここはかつて上海鉄路局管内の滬昆線で最後の機務段があったところで、非電化時代は必ずここで機関車交換となっていた。現在は電化により機務段も統合されて消滅したが、電化の時期が遅かった(2007年)ことから今でもK163次を始めディーゼル牽引の列車は多く、基本的に機関車交換が行われるのだ。なので長時間停車する。ここまで比較的停車時間が短かったので降りていなかったのだが、初めてホームに降りた。河南省と違って浙江省南部となると暖かい。半そでTシャツ1枚でも十分だった。

機関車付け替えを終え16:51に金華西を発車した。杭州からここまで概ね南下してきたが、ここからは西進。夕日に向かって列車は進む。ちなみに目指す福州はどちらかと言えば南東方向で、沿海鉄路ができる前はいかに遠回りだったかがよくわかる。


次の衢州には18時前に到着。ここで後続のT81次に抜かれる。T81次は9月に上海南~南寧の快速1往復を格上げしてできた特快だ。使用車両は済南局などで使ってた25K型の寄せ集めで、南寧局管轄の特快はこんなのばかりだ。T81次は若干遅れて衢州に到着。SS8の牽引だった。K163次の食堂車はガラガラだが、あちらは満員だった。


T81次の発車を見送ってから食堂車へ食事に行く。福州客運段の食堂車は09年9月のZ59(北京西→福州)以来だ。値段は安めで回鍋肉20元、季節の野菜炒め(白菜と木耳)10元、ごはん2元。味はまあまあ。食堂車にしては肉の含有率が高かった。

食堂車には「紅旗列車」「先進列車」「文明列車」のプレートがはられている(自主規制により撮影せず)が、そこまでいい列車かな?

江山には18:41着。ここで動車組1本とT101次(上海南発深セン行き)にぶち抜かれた。ここまで来てもコンパートメントは自分と武夷山までのおじさん2名だけだ。

しかし他のコンパートメントはグループが多いのだが服を着た○○が多いようで、コンパートメント内でタバコを吸うやつが多い。まあ空調がしっかりしているので他のコンパートメントには漏れないし、自分のコンパートメントのおじさんはしっかりデッキで吸うので、あまり気にはならない。

江山を出てから30分ほどで臨時停車。ここで快速1本に抜かれた。

20:15、上饒に到着。ここで滬昆線と分かれる。ここからは単線なので行き違いも増えるし、動車組も走る滬昆線に比べて揺れも若干大きくなる。それでも気になるレベルではない。

武夷山まであと1時間余りの22時ごろ、再び行き違いのために臨時停車。向かいには福州発洛陽行きの快速が停車していた。

この快速は鄭州発着で唯一福州まで行く列車だ。しばらく停車していると福州発北京西行きのZ60次が通過して行った。K163次はその後すぐの発車となった。

そして23:06武夷山に到着。同室のおじさんは下車しコンパートメントには自分一人となった。その後就寝。


早朝4:20、列車員に起こされて換票となる。定刻だと5:18着なのにこんな時間にするということは、相当早く着くことが予想された。まだ外は真っ暗なのに迷惑な話である。
そして4:59に定刻より19分も早く福州駅に到着。

2年ぶりの福州駅はホームだけ改造が完了していたが、駅舎や地下通路はまだ工事中。しかもこの駅は始発列車しかないため、駅切符売り場は6時開始で駅前で1時間も待たされることとなったのだった。


つづく



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T128次 東莞東→成都 2011年10月28日

2011年11月02日 15時35分05秒 | 乗車記(寝台)
中国の長距離列車は一般的に寝台と座席双方を連結しているわけだが、その比率は概ね列車種別の格が上がるほど寝台が多くなる傾向にある。ただ実際はそれに加えて列車の運行区間による列車運行の目的も絡んでいる。
今回乗車したT128次はまさにその典型だ。特快という長距離列車では基本的に最優等の列車ではあるが、その編成は軟臥1両、硬臥5両に対し硬座9両と完全な運搬車編成になっている。工場地帯で出稼ぎの多い東莞における民工積出駅と言える東莞東を起点として、陝西省南部、四川省北東部を横断。四川や陝西省南部の民工を東莞へ送り込むために走っているのである。
この列車の性格に加えて東莞東駅発ということで、前々から気にはなっていたものの、チキンなので東莞東駅へ行くのが憚られたのだったが、今回、ボーゲン隊長との共同戦線を組むことでようやく実現の運びとなったのである。

28日10時過ぎ、広深線の東莞駅前で隊長と待ち合わせた。何度も乗っている広深線だか実は途中下車するのは初めてだった。
東莞駅から4路の路線バスで移動する。まっすぐ向かわずにぐるぐる回るので、直線距離ではそれほど遠くない東莞東駅まで20分以上かかった。そしていよいよ東莞東駅に到着。やはり景気の悪い雰囲気が漂っている場所だ。

しかも駅前広場にdicosがある・・・広東省で初めて見たな。マックやケンタッキーが減る河南や四川などだとハンバーガーチェーンでは最大勢力を形成するdicosだが、沿海部では非常に少ない。上海では1件しか目撃したことがない。

写真を撮ってから駅に入場するが、この駅の保安検査は3段構えだった。まずは切符のチェック、ここで改札を済ませてしまう。続いて乗客全員の身分証チェック。最後にようやく荷物検査で晴れて入場となった。年々入り口の検査が厳しくなるな。

駅舎は2階建て。T128次の待合室は2階だが、なんとあまり存在を期待していなかった軟席候車室がある!!しかもただの候車室ではなく、中国移動の全球通VIP会員ラウンジだった。こんな駅を利用する全球通のVIP会員がいるとは思えないのだが、案の定自分たち以外にはT128次の軟臥客4名しかいなかった。


発車約40分前に乗車が開始されたので、候車室目の前の1番線からT128次に乗車した。T128次は東莞東発成都行きの特快で、管轄は広梅仙鉄路公司(広州鉄路集団傘下の地方鉄道)東莞東客運段だ。使用車両は汕頭車両段の25K型で、同車両段の車両は白地に青帯と黄色の広梅仙鉄路公司オリジナルカラーとなっている。

東莞東駅1番ホームは邪魔な柱と小うるさい駅員が多いので、ホームでの撮影は自粛。隊長は先頭まで機関車を撮りに行ったが、撮るなと体よく追い払われた。なお牽引機はDF11だ。

基本的に満席なのだが、途中駅からの利用も多く、東莞東から乗ってきた軟臥客は10名強だった。コンパートメントは上段に安康で下車する品のいいおばさんが一人。もう一つの上段はとりあえず空席だった。(途中の贛州から乗ってきた)
そして12:02、列車は青島発広州東行きの特快と同時に定刻で東莞東駅を発車した。


発車後しばらくして食堂車へ昼食を食べに行った。ただ発車直後という営業時間からメニューは車内販売の弁当にスープをつけて30元という物のみ。仕方がないのでそれを食べる。広州客運段管轄列車に比べればマシだが、それでも貧相であることに変わりはない。広鉄集団は何でこんな飯ばかりなのだろう。

食事をしている間に恵州に到着。その後も河源、龍川とほぼ定刻通りの運行だ。この辺りの駅は特に寝台の乗下車が少なく、各駅停車時は隣の硬臥車と乗車口を供用していた。龍川で厦門方面の路線と分岐する。



龍川が広東省最後の停車駅で、しばらく走ると江西省に入る。この辺りもまだ中国では南国だが、龍川付近まで見られたバナナの木は姿を消し、代わりに松の木などが増えてくる。しかしこの辺りをゆったりと昼間通るのは初めてだが、思った以上に険しい山並みだ。
京九線は97年の香港返還に間に合わせるために既存路線と新路線を組み合わせて突貫工事で建設されたのだが、龍川以北は新路線のようで、上下線を揃えた複線の高架やトンネルが続く。


17:30、定刻通りに江西省最初の停車駅であるカン州に到着。山岳地帯が続いていたので、久しぶりの大きな都市だ。ここから夫婦が乗車してきた。おばさんは自分たちのコンパートメント上段、おじさんは隣のコンパートメントの上段だったが、今更「変わってくれ」などというふざけたことは言ってこないまともな人たちだった。彼らは武昌までの乗車で深夜の1時半に降りることになる。軟臥で成都まで乗る人って少ないんだろうな。


カン州発車後に営業開始したばかりの食堂車へ行く。ただ普通ならこんな時間は空いている食堂車だが、9両もつないでいる硬座は無座客で溢れかえっており、そのために食堂車も座席難民で混んでいた。加えて服務員と厨房の手際の悪さで料理が出てくるまで45分もかかったのだった。そして料理は写真のような感じ。

念のため解説すると、「回鍋肉」と「ジャガイモ細切りと肉炒め」である。実態は「ニンジン炒めとジャガイモの炒め、ちょっとしたお肉を添えて」と言ったところ。味付けはまあまあ普通だった。なお缶ビールは珍しいチベット製でしかも冷えていた。これだけは褒めてあげよう。
しかし硬座は写真を撮るのも憚られる混みよう。

車両間の短い幌を抜けると、そこは無座だった

カン州、吉安と列車は停車。ほぼ定刻。この辺りまで来ると列車は平地を快走する。

そして向塘で滬昆線と交差。京広線の鄭州や株洲と違い、土地をふんだんに使用した向塘の交差は壮大そのものだ。例えれば鄭州や株洲が美女木なら、向塘は三郷である。(わかりづらい例えだな)

向塘の手前から遅れだしたため、江西省の省都である南昌には20分弱の遅れで到着した。南昌は初めて中国で乗った寝台車で着いた場所だが、それは6年半前の話。南昌での乗下車はそれが今のところ最後だし、南昌自体4年半来ていない。まあ特に用もないのだが。


ここで機関車付け替えのために15分ほど停車し、南昌駅を発車。ところがしばらくして停車すると全く動かなくなった。30分以上停車し続け、南昌発車時刻で考えると1時間も遅れて動き出す。しかししばらくしてからまた急停車。気にしてもしょうがないのでここで就寝した。


深夜2時半、武昌で降りる上段の人が動き出したので目が覚めた。あきらかに1時間以上遅れているな。武昌到着を見届けてからまた寝た。この先も時折目が覚めたが、武昌から襄陽にかけては列車は快走していた。

早朝6時、襄陽に到着。定刻では5時前について5時ちょうどくらい発だから1時間20分程度遅れている。ここで機関車をまた付け替えするだけでなく進行方向が変わる。6:20ころ発車した。

その後明るくなってきたので、起床した。朝食は食堂車が座席難民で相変わらず混雑していたので、酸辣粉を持ち帰ってコンパートメントで食べた。10元。東莞東客運段ということもあってか大して辛くもなく、卵も入っていてそれなりのボリュームだった。


霧が出ている中、列車は武当山を通過して8:15に十堰に到着した。ここは定刻だと6:45発。1時間20分は遅れているな。ここで結構な数の客が下車した。9月に乗ったT9次も終点(重慶)まで行く客より襄陽~達州にかけての下車客が多かった。閑散期は皆こんな感じなのだろう。


十堰を出てしばらく走ると列車は漢水沿いを走る。トンネルが続くため聯通の3Gは電波が受信できず、隊長は文句を言ってまた寝た。


安康の案内放送が始まったので隊長を起こす。安康は西康線、陽安線と交差する陝西省南部の交通の要衝だ。行きかう貨物列車は大半が和諧1Cの牽引だった。広大な貨物ヤードの脇を抜け1時間15分遅れで安康に到着。

ここで東莞東から乗っていたおばさんが下車し、コンパートメントは2人だけになった。停車時間が長いので先頭へ機関車を撮影に走る。と言っても進行方向が変わって前方には硬臥車5両と電源車しかないので意外と近いのだ。和諧3型の牽引だった。


安康からは襄渝線は進路を南へ変える。この辺りはT128次走行区間で一番山深い場所だ。複線化されてはいるものの、襄陽方面を新規に建設したようで、重慶方面の線路は旧線だった。深い谷を大規模なΩカーブで高度を上げていく。
そしてその後は逆に下がっていく。旧線に別の新線を追加した関係で上下線の位置が逆転している所も多かった。



1時間10分の遅れで万源に到着。いつも万源では1番ホーム到着なのだが、今日は初めて2番ホームだった。2番ホームには屋根がない。


万源発車後、食堂車へ昼食を食べに行く。ここで服務員のおばさんと隊長が大げんか。原因は写真撮影。隊長は一眼レフだから非常に目立つのだ。列車のサービスの悪さが特に際立つ食堂車での写真撮影は慎重に、目立たないようにするのが鉄則だ。今後は車内用にコンデジを用意しようと心に決めた隊長であった。

料理は肉の含有量など昨日よりはまともだった。



隊長はまた昼寝する。そしてしばらく走り、達州に到着した。達州では嵩上げされていない1番ホームに到着。到着と同時に成都東行きの動車組が発車して行った。達州は襄渝線・達成線・万達線の3路線が乗り入れている。

重慶発北京西行きT10次の到着と入れ替わりで達州を発車。いかにも環境に悪そうな工場を眺めながら達成線へと入っていく。が、しばらくの間9月のT9次乗車時に眺めた景色が続く。おかしいなと思っていたら達州で襄渝線と達成線が分岐しているわけでなく、しばらく走ってから分岐しているということが分かった。


達成線に入ると複線電化の直線路線を快走する。達成線はかつて達成鉄路公司という地方鉄道扱いだったが、複線電化の大規模工事のために成都鉄路局直轄となり、2009年に全線の複線電化が完了した。険しい山岳地帯を抜ける襄渝線と違い、新たに複線電化の直線路線が建設されたのだった。そのため旧線は遂寧~達州間に関しては廃線となり既にレールは撤去されている。
しかし牽引機がSS7Eとかだったら25K型客車の最高時速である140キロで走れるのだが、牽引機は最高時速120キロの和諧3なのでそれが生かせない。170キロ対応の準高速タイプの電気機関車は希少なのだから、もう少し機関車の運用をどうにかしてほしいものだ。

達成線に入って最初の停車駅は営山。直線上にあるうえ本線を中央に通過線として設けているため、見通しのいい駅だ。ちょうど達州方面へ向かう和諧1C牽引の貨物列車が通過して行った。この駅は動車組は一切停車しないようでホーム嵩上げは行われていなかった。


営山を出ると30分ほどで南充に到着。昔、この駅前で関口智宏が生中継をしている時に通過したことがある。現在ここは動車組停車駅で成都行きの始発もある。


最後の停車駅である遂寧には1時間遅れで到着。ここは定刻だと37分停車なのだが、わずか3分停車で発車となった。このまま行けば遅れは30~40分で済むことになる。

遂寧を走ってしばらく走ると遂渝線の本線と合流する。以前は遂渝線は遂寧駅で分岐していたため、動車組も遂寧駅構内を通過していたが、現在はここから遂渝線に入って重慶方面へ向かう。路線上は達成線に遂渝線が合流なのだが、成都から延びる達成線の本線はそのまま遂渝線となっており、逆に東から達成線を進んでくると合流する形となっている。


しかし遂寧を3分停車で発車できたものの、世の中やはり甘くなかった。結局、成都を目前に臨時停車し3本の動車組に抜かれた。これで30分以上のロス。そして結局1時間半の遅れで既に暗くなった成都へ到着したのだった。


この後は翌日に隊長が乗る動車組の切符を購入し、地下鉄でホテルへと向かった。


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