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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

大晦日07

2007-12-31 00:47:39 | 芸能


僕はお笑い詳しくないし、熱中度もそんな高くない。

でも最近見る機会が多いので色々思うことが出てくるのです。

昨日はすべらない話を見た。

やっぱ面白いです。

普通のお笑い番組より全然面白いんです。


これって大丈夫?


単なる「面白い話」がお笑いの芸より面白いってさ・・・。

これはお笑いの危機なんじゃないかなあなんて感じます。


今お笑い番組見てもさ、脳みそ経由せずに脊髄だけで笑わせようとする笑いばっか。


死んだザリガニのハサミの付け根つっつくと反応するやつ。

なんて言うんだっけ。

そう。

反射ね。

一番表面的な感覚刺激に浅く訴えるだけの笑い。



そういう笑いは、音だけでビビらせようとするハリウッドホラーか高校文化祭のお化け屋敷と同等のレベルです。


なんだろ、芸人の間でも手っ取り早く笑わそうっていうのがあるのかね。

安易だよ。


そういう安易な笑いの中に質の高い笑いが埋もれてる場合もある。

例えば鳥居みゆき。

彼女の笑いには、山田一成(いつもここから)に通じる鋭い洞察がある。

というか彼女は、鋭い観察眼や言語感覚を持っているのに、それをアウトプットする際に安易な手段に走ってしまってる気がします。

こういう風潮はほんとに良くない。


最近気付いたんだけど、お笑いの醍醐味というか本質は「あ、わかった!」という楽しみだ。

「ふむふむ」というおもしろさだ。

具現化の納得だ。

抽象化のわくわくだ。

急に見通しが良くなる爽快感だ。

全然関係なかったものが、なんかいきなり結びついてしまった不思議さだ。



そういう要素の無い笑いは、僕がとやかく言う前に淘汰されてるはずです。

動きが面白い、とか、身体的な特徴が面白いとか、フレーズが面白いとか、そういうのは笑いの「おまけ」の要素でしかないんだから。

笑いの本質で勝負してくれ、と思います。


その点でM-1や笑点という番組は素晴らしいし、今後も淘汰されずに続いていくはずだ。



そして、提案したいのが、M-1のベテラン大会。

ダウンタウンとかウンナンの漫才やコントを見たいと思わない?

というかむしろ何でそういう番組が無いんだろう。




さて。


今日で今年の忘年会やその類のものが全て終わりました。

総合すると、甘苦いような、奇妙な年末でした。



さあ、いよいよ。

だね。


2007年が終わろうとしてる。



なーんて言ってる間にも刻一刻と時間が過ぎていくわけで、僕が無駄にしていい時間があるわきゃない。



ってのは冗談で、のんびり過ごそうかと思ってます。

まあ一年を振り返って反省しようかなと思っております。


僕は過去には拘らないけど、過去は振り返る主義です。

主義っていうより、これは誰にとっても大切な事かもな。

振り返って、さて、来年は何しよう、ってやるわけです。


何年か前は、年末年始なんて人間が後から便宜的に決めた時間枠なんだから自分には関係無い、踊らされるまい、なんていうスタンスだったんだけど、結局は僕も便宜的に決められた時間枠の上に成り立つ社会で生活してるんだから、やっぱり年末年始は大切じゃ。



特に来年は大学最後の学年を迎えるわけだ。


今まで以上に何やるかをしっかり設定しないと後悔することになる。



無駄に過ごすわけにはいかない。

何となく過ごすのはあまりにもったいない。


楽しいと思ったことにダラダラと手を出していくべきじゃない。

確かにその場では楽しいかもしれないけど、そういう時、時間ってのはものすごい速さで目の前から逃げていく。

あっという間に時は過ぎ、気付いた時に自分に残ったものはあまりにも少ない。

「今年も速かったね。ところで俺は何やったんだっけ」

ってなる。


時間を充実させるには、時間を自分のコントロール下に置かなきゃいかん。

限られた時間内で「何」を「どう」したいかを整理しとく。



そうするだけでかなり一年間の充実度は変わる。

これは経験から分かる。




さあ、じゃあ俺は来年まず何するんだ?


これは実に簡単な話。


まずは。


ああ、わかってるわかってる。




就職、だ。





めちゃくちゃドキドキする。

いままで僕はいろんな節目を迎えてきた。

入学、卒業、転校、転入、、、まあいろいろ。

そういう節目は例外なく僕に新しい視点をくれた。


そして、次はいよいよ就職。

社会に飛び出すわけだ。


間違いなく今までで一番大きな節目だろう。

だからドキドキする。

もちろん不安もある。


どれくらいの不安か?



たとえば。

ロールスロイスは自社の車の排気量を一貫して公開していないそうだ。

数字についての問い合わせがあると、ただ"enough"とだけ答えるらしい。

つまり、不足ないぶんだけはあるってことだ。



僕の不安に関しても同じ。

不足ないぶんだけある。

それ以上はいらない。



「多少の不安は薬になるけれど、それ以上の不安は病でしかない」

これは僕が大学生活で身をもって得た教訓だ。



自信を持って。

別に就活に限ったことではない。

来年も精一杯やろう。



来年もよろしく。