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Mr.マトリョーシカの脱走

マトリョーシカ(Матрёшка)式世界からの大脱走。脱兎のごとく。

マナーをカンガルー2

2008-03-28 00:00:41 | 解釈



ほんと下らないなあと思いながらついついやっちゃうのが、花粉症自慢。

「俺なんて耳の奥までかゆくなるよ」って言うと、大抵の人は感心してくれる。

俺の勝ち・・・

そんなことで得意げになる俺。

まあ本人は花粉症でも楽しくやってるってことなのだから、あたたかい目でみてほしい。








ちょっと前に電車内のマナーが云々っていう文章を書いた。

その内容に関してヒントになる文章が、リカちゃんの「若者の法則」っていう本に載ってた。




俺はもともとは、リカちゃんって分析が浅い気がしていて、特にこの本の分析対象は若者なので、当の若者である僕から言わせりゃ、そりゃ誤解だよって部分が多い。

何となく中学の口うるさい女教師みたいな人かもしれない。



いたよいたよ、口うるさい女教師。

香山リカってそういう教師像とダブって見える。


こういうのに限って、「私は生徒に対して理解がありますよ。なぜなら私は他の教師以上に生徒達と近い立場で接してますから」的なうぬぼれをしてるのが多かった。

だからこそ母親的教師を気取って、口うるさかったんだと思う。

一方の中学生なんて、生意気盛りで、「分かってたまるか」な気分だから、そういう中学生との無自覚な乖離が物事をすっごくややこしくすることがあるんだよな。



で、実は自分も将来そういう大人になってしまうんではないかって心配。




あー。

話逸れた。

今日は割りとリカちゃんに高評価をつける文章にするつもりなのに。

すぐ批判にいくあたり、俺って未だに中二病なのかなあと不安になります。



とにかく何が言いたかったかというと、何かを知ったり分析する際に一番邪魔になるのが、「分かったような気」だということ。

「読者の方々は知らないと思いますけど、若者との接点の多い私の経験からすると、若者ってこういうものなんですよ」という姿勢で書いてる。

でもそれって実はめちゃくちゃ偏見に左右されるんじゃね?って思うところがちらほらある。

この人は「分かったような気」という段階で物事の分析を放り投げてしまっている印象がある。

肝心なところで、論の裏付けが弱い。

だから、果たしてその分析が大多数の今の若者に当てはまるのか?という点が実に不明瞭。

所詮新書でしょ?って言われればそれまでなんだけど。(そうそう、新書ってどういうスタンスで読んだらいいのか分からない時あるよな)

というかそもそも社会学とか心理学ってそういうものなのだろうか。

分からない。





ただし。



電車内での「最近の若者」の行動についての分析は、なるほどと思った。

僕の「マナー論」の完成に一歩近づいた。


4ページに満たない文章なので、そのまま全部引用したいぐらいなんだけど、それでは芸が無いし、さすがにだるいのでほどほどに要約してみる。

---

若者には自分の傍にいる仲間以外は風景にしか映っていない。

言い換えると、公共の場において若者には「他者」が存在しないっていうことなんだろう。

だから、電車の中で化粧をしたり弁当を食べたりするのは、若者は「電車や公園でも周りの人間はいないものとして行動してもよい」っていう認識のもと行動している。

みんながそういう認識なら摩擦は起きないけど、まだ多くの大人はそういう行動をみっともないとか、不愉快だと感じるわけ。

じゃあ、電車の中では若者と大人、どっちの認識を標準ルールにすればいいんだろう。

これってすごく難しいよね。

でも少なくとも、他人の目を意識しないで行動するのは簡単でも、他人の行動を意識しないのは難しい。

ならば、今のところは「大人の認識」を標準ルールにするのが妥当なんじゃないか。


まあ今の若者だって今は他人の行動を意識しないで生活しているかもしれないけど、将来にわたって意識しないでいられるかは分からないよね。

将来仕事や家庭でのストレスがたまった状態で、あんた、「自分は自分、他人は他人」って割り切れる?

もしかしたら今の一部の大人みたいに、不愉快に感じるかもよ?

そういう点で、若者ルールを適用するには、大人ルール以上の理性や意志が必要になってくるよね。


---


だいたいこんな内容だ。


なるほど。

社会をいかに理性や意志の必要の無く過ごせる場にできるか、という試みがルールの導入だってこと。

まあこの論理はわかったけどさ。


でもそもそも、ルールを導入すればするほど、癇に障る行動が増えるって事にはならないかね。

ルールの導入自体が「ルール違反の行為」を定義するわけだから。

たとえば「携帯での通話?あー、小声ならいいんじゃないですか?」っていう認識を鉄道会社が示したら、もしかしたらトラブル減るかもしれない。


トラブルがあるからルールがあるのか、ルールがあるからトラブルがあるのか。

なんだかこんがらがってきた・・・







あー、思いつくままに書いてたらめちゃくちゃな文章になっちゃった。ほんと酷い。

結論決めないで書くと失敗するね。





でもさ、こういう話抜きに、俺化粧は許したいんだよね。

寝坊しちゃったとしても、すっぴんじゃ嫌じゃん?

てかわけ分からないことに、社会がすっぴんを許してないじゃん。

そういう状況で化粧するなとは俺は言えないね。

匂いもしないし音もしないし場所もとらないんだから許していいじゃん。


睡眠は許すのに?

よっかかったりしてよっぽど迷惑かける睡眠は許すのに?

僕はこの辺りの「大人」の価値基準が本当に分からないんだ。







まあまあ。

笑っていきなよ。



カーニヴァルな日常

2008-03-14 23:03:52 | 解釈


ちょっと油断してたら俺の本拠地がカオス。

でもこの散らかり方は嫌いじゃない。

なんというか、コンパクトな散らかり方だ。




そして、最近はまさにカーニヴァル化する日常。

「祭り」を動力にして動いてる。

とにかく夢と自分を語り続けることが僕のやるべきこと。

自分好き、かつ理想主義の僕にはぴったりじゃないでしょうか。




さて、今日も偉そうなこと書くよー。



色々な企業を回ってきて感じてきたことなんだけど、なんか製造業の人たちに夢がない。

そうは言っても、日本の製造業のトップの人たちは自分達が世界の技術革新を支えていくっていうアツい想いを持っている。


でも現場の人たちに夢がない。

なんか目の前の商品とかにしか興味ない感じで視野が狭い。



例えば、大手電機メーカーの説明会で人事が学生へのメッセージとしてこんなこと言って驚いた。

「社会貢献だとかの背伸びした考えを持っている方よりは、自分を高めていきたいという想いを持った方にお越し(入社)いただきたいと思います」



え?


僕はすごくがっかりした。

社会貢献って背伸びなのか?




じゃああなた達って何のために商品売ってるの?

商品に誇りを持っているならば、世の中全体を見渡した時に、自分達の商品がどのような位置に存在しているのかということを意識しないのは、どうなんだろうと思う。

そう意識があれば、自ずと社会にどう貢献できるかを考えると思うんだけれど。

個人商店じゃあるまいし。


この人事の考えには全く賛同できない。




自分を高める?


確かにそれも十分立派な働く動機だろうけど、それが一番の目的なら僕は企業に就職なんかしない。

他にいい方法があるはずだ。


僕はまず自分が社会に対して何が出来るかを考えることを、働く動機の出発点にしたい。

ボランティアや公務員には出来ない、自分が企業に就職するからこそできることがある。


そして、社会に対して何かを与えていく過程で、当然自分は高まるはずなのだ。

むしろ高めなくてはやっていけない。






それに、社会貢献が背伸びした綺麗ごとだと言い切ってしまうのは、物寂しい。

しかもこの会社は日本を代表する会社だったから、本気でショックだった。

俺は夢見すぎなのか?ともその時は思ったけど今は自分の考えを信頼している。


日本の電機メーカーの社員が夢見ないなんてもったいない。

だって日本の技術は世界でトップレベルだよ。

自分達が「世界初」の商品を世に送り出せる可能性満々。

だから自分達の商品で世界変えられるよ。


それなのにそこの社員の働く動機が「自分を高めるため」だなんてもったいなさ過ぎると思うんだけどなー。

どうなんでしょう、松下さん。



武田鉄矢一座/世界はグー・チョキ・パー

マナーをカンガルー

2008-03-08 01:26:11 | 解釈
悲しみよこんにちは。


鼻がつーんとして涙が出る。

去年から花粉症疑惑があったので病院に行ってパッチテストをしてみた。


パッチテストは皮膚に傷をつけてそこに花粉の溶液みたいのを塗って反応を見るんだけど、見事に全部赤く反応した。

スギもヒノキもカモガヤもブタクサもヨモギもヒメガマも、全部。


で、最後に溶液を拭き取るためにアルコールで皮膚を拭いたんだけど、そのアルコールでも赤くなった。


ここでさすがに笑った。

看護士も笑った。

グランドスラムおめでとう。


いくらなんでも反応良すぎではないだろうか。



こうして遂に僕も花粉症だと発覚してしまったわけで、嗚呼、人間とはこうやって色々背負っていくものなんだなあ、と感慨深くなったとかならなかったとか。






さて。

ここまでが近況報告で、緩やかに話題を変えるのが面倒なのでガラッと変えてしまう。






有楽町線(西武線乗入れ)の窓に、「周りの迷惑カンガルーさん」というマナー向上を呼びかけるシールが貼ってあるのを見た。


朝のボヤっとした頭だったせいか、「カンガルー」が何にかかっているのかがさっぱり分からずにずっと悶々としてた。


当たり前だけど「考える」にかかってるわけだ。


くそー。

でもあんま上手くないぜ。

車のディーラーのCMでも「乗ってカンガルー」ってのがあったよね。

流行ってるのかな。

「美味しい、ヘルシー」的に?




ちなみに同じ西武鉄道の「詰めてスワローさん」は上手い。

っていうより笑える。


「飛び出せ!青春」とか「おねがい☆ティーチャー」みたいなノリで「詰めて!スワローさん」って感じだろうか。

僕には小指を詰めるスワローさんの絵が浮かぶ。



こういうの書いててこの微妙なニュアンス伝わってんのかなーってよく不安になるけど、僕は信じるしかない。




ふう、やっとここからが本題だ。

以下は、僕が日ごろ真剣に感じてることです。




まずは、これが「周りの迷惑カンガルーさん」のシールをアップにしたもの。

僕が撮ったんじゃないですけど。

この絵は、左のカンガルーが春の新色コスメのこと考えてて、真ん中のカンガルーがコソコソとスポーツ紙のエロ記事読んでて、右のカンガルーが腹減ったーって思ってる。

つまり物欲、性欲、食欲という三大欲を、・・・って、三大欲って物欲じゃなくて睡眠欲じゃんって今思った。



まあいずれにせよそういうことではなくて、もちろん三匹のカンガルーは周りのことを考えて化粧もしてないし、新聞紙はたたんで読んでるし、飲食もしてない。つまり「マナーを考え」て意識してますよっていうそういう絵なわけ。




僕にとってはこのイラストは結構衝撃だった。

特に一番左のカンガルー。



どういうことかというと、あーいよいよ化粧もダメになったんだっていうショック。





改めて問いたいんだけど、電車で化粧しちゃダメっていうマナー感覚持ってる人ってやっぱり多いの?


たぶん多いんだよ。



でも僕は化粧なんて本人だけの問題で、全然良いと思ってる。

これは別に突き放してるわけじゃなくてマナー違反でも何でもないと思ってるってこと。


人前で化粧するなんて恥の意識が無いなんてよく言うけど、それを言うなら電車で寝るのがよっぽど恥ずかしくてマナー違反だ。

シールの中に必死に眠気をこらえるカンガルーを一匹追加するべきだ。


こう考えてくと、案外マナーって何だかよくわからなくなってくるはず。


僕は世の中にあるこういういわゆる「マナー」の根拠がどこにあるのか不思議で仕方が無い。



「マナー」の根拠が公衆への思いやりなら納得する。

というか僕はそういうものを根拠にするべきだと思っている。


咳をする時は口を押さえて人の方を向かないのはマナーだし、然るべき人に席を譲るのもマナーだ。

これに異論は無い。





でも化粧ってどうなんだ?

本当にマナー違反なのか?

本当に公衆を普遍的に不快にさせるようなことなのだろうか。




僕は交通機関において「マナー」と呼ばれるものにたいして懐疑的だ。

みんな何を根拠に「マナー」って言ってるのか。

みんなマナーに対して結構思考停止してて、危ういと思う。


例えば。


電車のマナーは、明らかに車内アナウンスによって乗客のマナー意識が操作されている。

そこには思いやりを根拠にしたマナー意識は無い。

そこにあるのは、車内アナウンスというメディアによって与えられた「決まり」としてのマナー意識だ。



例えば車内での携帯電話の通話。

今から5年くらい前に流れていた携帯のマナーを呼びかける車内アナウンスの内容を覚えている人はいるだろうか。


実は、「車内では携帯電話の電源をお切りください」だったんだ。


当時僕はm何でメールが迷惑になるんだよ、誰かちゃんと説明してみろよ、ととても疑問に思っていた。

今じゃ考えられないでしょ?

でも当時はメール打ってるだけであからさまに白い目で見られたもんだ。



それが、どうだ。

車内のアナウンスが「車内での通話はご遠慮ください」っていう緩いものに切り替わると、急にメールは「迷惑な行為」じゃなくなった。

この切り替わりの早さには驚いた。

こういう現実に直面した時、僕は世の中の「良識ある人々」のマナー意識がいかにいい加減なものなのかを身を持って感じたのだ。



だから僕は「携帯での通話」と「化粧」は迷惑行為じゃないという自分のマナー意識にはある程度自信を持っている。

だからといって自分から電話をかけたり、かかってきた電話を積極的にとったりはしない。


やむを得ない場合は、最大限周囲に配慮して通話する。

どうか僕を責めないでほしい。

僕の行動で、一体誰が不幸になるだろうか。


もし怒りを感じるならば、電車のアナウンスに反している行為をしているからという理由だろうが、さっきも述べたように一貫した価値観の通っていないあのアナウンスに、本当のマナー意識は含まれていない。




例えばさ、俺は高校の時こういう場面に出合った(高校の作文でも題材にした)。


車内でビジネスマンが小声で、かつ手で口の辺りを覆って携帯で話し出した。

会話から察するに取引先とかっぽい。

重要な電話だろうから確かに電話に出たほうがいい。


そのビジネスマンに、近くにいた中年のおっさんが(そりゃおっさんは中年だわなw少年のおっさんっていないもんな)食って掛かった。

「しゃべってんじゃねーよ」と怒鳴って胸倉つかんで。

それで停車した目白で取っ組み合いながら降りてったよ。


これ、面白いよね。

たしかに「通話はお控えください」っていうアナー・アナウンスに反したのはビジネスマンなんだけど、本質的な意味でマナーが無いのはおっさんの方なんだ。

完全なねじれ現象。


もちろんこれは極端な例だけど、与えられたマナー意識に固執しているとこういう本末転倒なことに陥りやすい。



本来マナーってものは押し付けちゃいけない。

押し付けるならルール化した方がマシだ。



だからさ、化粧だのなんだのってポンポンと「マナー違反だ」とか言わない方が健全だと思うんだけどね。

このままだとみんなマナーに対して思考停止しちゃうと思うよ。




読み返したら文章下手だから時間あったら直そう。


ともさかりえ/カプチーノ

メロはもちろん、歌詞の表現が好き。

ペース

2008-02-06 23:24:49 | 解釈
前々回の文章を踏まえて。




電車乗ってると新幹線と並走した。


経験あると思う。


めっちゃ速くて普通にしてたら中なんて見えないんだけど、新幹線の速さにあわせて目で追うと結構見える。



これが結構おもしろい。


新幹線は轟音立てて疾走してるのに、中の乗客は優雅なんだよね。

本読んだり、お茶飲んだり。


当たり前なんだけど、このギャップ





何が言いたいかっていうと。


要は速く動いているものの様子を知りたかったら、自分もその速さで動いてみるしかないってことだね。

逆もまた然り。



動いてるものは、動いてる者にしか見えない。


世の中で何がフレッシュなのかを知るには、自分がフレッシュに動くのが正解。





Littl'ans feat. Pete Doherty / Their Way

最近躁なのに落ち着いた曲ばっか聴きたくなるな。
バランス取れていいかな。

いい曲だよ。ピートの声だしね。歌詞もすごくいい。

良し悪し

2008-01-30 01:22:42 | 解釈


今日は前の前のバイトの人たちと地元の牛角に行った。(ようやく自分の住んでる場所を地元と言うことに抵抗がなくなってきた)

なんだかんだ言って、最近は一ヶ月ごとに会ってることに気付いた。


僕をAB型だと言う人たち。

僕を変人扱いする人たち。

Aボーイ北田さんを忘れちまう人たち。


ほんといい人たちに巡り合えたと思う。



バイトは振り返ると楽しいことばかりでした。

今まで経験してきた他のバイトの中には、もちろん嫌だったバイトもあったんだけど、結構寛容に見れるようになってきた。




どういうことかというと。

自分の属してきたバイトについての悪口を言う事があったんだけど、自分に関わる物事について悪く言うのはやめようってことを考えてた。




バイトに限らず、自分に関わることへの悪口を他人に言ったりするのは、何の足しにもならない。




自分に関わることは、多かれ少なかれ自分の選んできたものだ。

自分が選んだものに対していくら後悔していたとしても、それに対する悪口というのは、選んだ自分のダサさの証明にしかならない。

だからものごとの良い面を見よう。




人間って「悪いこと」に敏感にできてるんだと思う。

どっかの不祥事のニュース見て「ひどい」って感想を口では言ってても、どこかでそういう状況をニヤニヤと醜い顔で見てる自分はいない?

聖人君子でない限り、人は「悪いこと」を見聞きしたり語ったりすることに楽しみを感じてしまう。

これはある程度仕方のないことだ。



それに、不満や「悪いこと」が人にとってある種の動機付けになる場合があるということは否定しない。

でも、不満や「悪いこと」ばかりを動機にする人の人生は暗い。

そう思う。



不満を克服していく姿勢より、満足を追求していく方が絶対に楽しい。

そうじゃないか?




物事の良い面を見る努力をすれば、人生はもっと明るい。



良い事を見て生きる人と、愚痴りながら生きる人。

「テストが憂鬱だ」って嘆くより「終われば休みだ」って思ったほうが楽しいっていうのは、学生なら経験済みでしょ。



一度いろんな場面で試してみたらいいと思う。



なかなかそういう姿勢を自然にとることは難しいかもしれない。

僕自身そう。




そんなに簡単に素晴らしくはなれない。




けど、言葉遊びだと思って良い面ばかり見てれば良いことあるかも。



















今日の音楽は高校のときクラスの一部で流行った「リリィ・シュシュのすべて」から。

この映画観て一週間は世界観を支配されちゃった。

理屈じゃない感動だなー。

このビミョな琴線にお触りしてくるこの映画は、何度見てもすげー。

高2の梅雨の記憶が蘇ってくる…

Lily Chou-Chou / 飛べない翼


Lily Chou-Chou / グライド

成人式革命 (2007年01月08日)

2008-01-17 01:42:10 | 解釈



もうこのブログ、昔のブログと合併させちゃおうかなーとか思ってる昨今です。

だってもったいないもんね、昔の記事が。


何故昔のブログやめたのかというと、暗かったからです。

内容が。



自分で読み返すとテンション下がってくんです。

そういうのは精神衛生上良くないって思ってやめました。



でもまあそういうの書いてた頃から時間たった。

自分の文章やそれらを書いてたときの自分の気持ちとかを客観的に見れるようになったわけだ。



だから、昔の自分を避けるとか、そういうのもう必要なくなった。




ちょっと考えときます。


ただ、合併は面倒くさい・・・

特にgooブログは。


それが問題だ。






ついでに昔書いた文章を改めて載せてみる。

ちょっと過ぎちゃったけど、今週始めは成人の日でしたね。






成人式革命  (2007年01月08日)


成人式は出ない事にした。

って事でバイト・・・

思想の自由。



成人式って男女不平等だ。

絶対ワクワク格差がある。


女の子達は振袖だの写真撮影だのって楽しそう。

今は成人式っていうと男は大抵がスーツだからつまらない。

スーツを着る機会って僕らの年齢になると意外と多いから新鮮味がない。


男も袴で成人式、っていう文化を創るべきだ。

袴は着る機会ないから、ワクワクドキドキする。



昨日そんなこと言ってたら、「ヤンキー?」って突っ込まれたけど、

袴が成人式の基本スタイルとして定着したら、そんな感じも無くなるでしょ。

もしそんなことになったら、ヤンキーは一つ上(なのか?)を行って赤とか橙とかの袴を着て来るんではなかろうか。

短ランならぬ短袴とかね。

かっこ悪そう。



「変身願望あるのかもね」とも言われた。

確かに。

僕がもし女だったらゴスとかやりたい。

よかった、女じゃなくて。



あと、結婚してる20歳でも成人式は振袖着て来るのだろうか。

ひとりだけ留袖着てたらとても格好良い。

KY/NY

2008-01-15 02:25:57 | 解釈
正直ね、KYでいいと思うんだよ。



何をいきなり笑

寝る前にちょっと書こうかと思った。



まあ、「空気」を「読む」ことの定義はまちまちだと思うけど、僕に言わせれば「流れ」を読む事の方がよっぽど大事だ。



空気って?流れって?

「空気」というのを「その場の傾向」だとすれば、
「流れ」は「その場の論理」だろうか。

うーん、なかなかしっくりくる言葉が思い浮かばない。



簡単な例を出すと、何食うかって話になって、みんな「わたパチ」を食いたいって言ってるのに一人だけ「ねるねるねーるね」が食いたいって主張するのは空気を読めてない。

けど、アリだと思う。

空気なんて壊してなんぼだ。



一方、何食うかって話なのにバスケしたいって言う奴は流れが読めてない=論理的に間違っているってことだ。


空気を壊せば大なり小なり議論が生まれる。

議論が生まれれば分かり合える。



空気を読んでばかりでは、顔色をうかがい続けるだけの仮面同士の関係。




とはいえ、僕は「空気を読むな、流れだけ読め」っていうのを半年くらい前から自分のスローガンに掲げてるにもかかわらず、正直実行できてない。

言うは易し行うは難し。






ってことで僕は相変わらず流れの読めないNYです。

もしかしたら読むのが嫌いかもしれない。

もちろん応援する球団はニューヨーク・ヤンキース。


そういえば数ヶ月前、超絶ギャル誌であるエッグを読んだところ、AYっていう単語が載ってましたね。

頭弱い、だそうだ。

こういう略し方ってやりだすと癖になる。


僕はこういう略し方が流行るんじゃないかなーって思ってたけど、遂に流行ることは無さそう。





思えば一年以上前、だからKYがまだそんなに流行ってなかった頃、バイト先の武蔵大の友達がKY言ってたのに僕は目をつけた。


これは絶対流行るって判断したから、ちょいちょい使うようにしてた。

そのときの事、誰か覚えてる?


そしたら見事に流行ったね。

早稲田は言語的な流行に疎い部分があるって気付いたのはこの頃。



・・・で?

って感じだな。



それじゃあ最後は「空気」を壊し、「流れ」を「作った」、世界一かっこいい男で締めようか。

Eminem / The Real Slim Shady・The Way I Am

自覚な視覚

2007-11-14 23:22:45 | 解釈


例えば、あなたはセブンイレブンを知っていると思います。

そう、コンビニのセブンイレブンです。

セブンのおでんはおいしいですね。

日本ちくわぶ連合名誉会長(先月12日、任期満了にて会長を辞職)である僕は、あのちくわぶだけで冬を越せそうな気がします。

それはともかく。

少なくとも首都圏に住んでる人ならセブンイレブンに馴染みが深いと思います。(僕は東京在住なのでこういう書き方をしました)


では、あなたはセブンイレブンのロゴが何色だか分かりますか?

絶対知ってますよね?































オレンジ・・・かな。



それだけじゃない。
ヒント:3色。















わかりましたか?


ちなみに僕は分かりませんでした。

正解はこれ。




一昨日NHKでコンビニの特集をやってるのを見て、ふとセブンイレブンのロゴってどんなんだっけって思って、思い出せないことに気づいたんです。

じゃあローソンのロゴってどんなのだっけ?

これはもっと分からない。






いつも見ているはずのものが分からない。

これって結構重要なことを示唆してて、つまり人間ってのは意外とものを見てないっていうことなんだと思う。

逆の言い方をすれば、人間はよく見ないでもものを判断できる――例えば、「オレンジ・緑・赤」という色の組み合わせを自覚的に認識しないでも、ぱっと見で「セブンイレブン」だと判断できる。




企業側はこの人間の能力を利用するような宣伝や情報発信をしてくる。

消費者は直感で行動を起こすように仕向けられているのだ。

そんな環境の中では、人間(ここでは消費者)は自分の自覚的な認識や判断を介入させる余地が無くなる。

ややもすると、現代人は一番表面的な感覚刺激に浅く反応するだけの存在に成り果てている可能性もある。





そういうわけで、僕はセブンイレブンのロゴや配色が思い出せないということにとても衝撃を受けた。

だからといって、別に見るもの全てを自覚的に認識しろってことではない。

捉えようによっては、人間は本当に必要なものしか見ていないとも言えるはずで、それはそれで大切な能力だ。

そもそも全てのものを「見よう」としてたら、インプットすべき情報が多すぎて身動きが取れなくなってしまう。

重要なのは自分は意外と何にも知らないぞっていう、この事実に自覚的になることだと思う。

知らない間に去勢されているのだ。

それを自覚した上で、必要とあればアンテナを張る。

この姿勢の違いだけで、だいぶ世界の見え方が変わるはずだし、普段見逃していることへの気付きのきっかけになるんじゃないだろうか。

カラパゴス現象

2007-10-02 02:21:55 | 解釈


今日は過保護の話。

過保護ってのは人をダメにする。

過保護によって日本がダメになるって話。

日本で過保護にされているもの。

それはマスコミ。

メディア。

甘やかされてる。

これでいいのか。






海外ではロイターがカナダの金融情報サービス会社「トムソン」を買収したり、メディアの再統合が進んでいる。

で、そういった再統合後のメディアのベースはウェブ社会なわけ。

ウェブ社会化を前提とした再統合。

つまり世界の情報産業はインターネットを軸としたビジネスモデルに変わってきている。

新聞でも放送でも。

それがあたりまえ。

でも日本のメディアっていうのは新聞も出版も放送もすべて法律や規制で過保護されていて、外部の経済メカニズムとぶつからないようにされているわけだ。

外部の参入ができない。

それに加えて、参入障壁となっているのは日本語。

これは外部からの参入障壁になるのと同時に、日本のメディアが外部に出て行くときの足枷になる。

ってことで外にも目が行かない。

こんな競争なしの状況でぬくぬくやってたら日本のメディアって置いてかれる気がする。


* * *


適切な引用とは言えないかもしれないけれど、ネイチャー誌の研究でこんなのがあったらしい。

ブリタニカとウィキペディアの記述はどっちが正確かなのか、っていう比較。

ブリタニカっていうのはイギリスのめちゃ権威ある百科事典。

一方ウィキペディアはネット上で匿名で誰でも書き込める辞典。

結果は、特定の分野に限ってだけど、正確性はほぼ同じ。


イギリスの出版界っていうのもわりと保護されてきた業界。

結局、日々外部の多数の匿名の著者の書いたり消したりを繰り返して洗練されていく形式――つまり保護の薄い競争状況――っていうのは強い、ってこと。

それで、保護されてるのってどんどん弱体化してくってこと。

(また、違う面で言えば、日本版ウィキは日本語ユーザーの少なさから結果は違ってくる)


* * *


日本は幸か不幸か単一市場としてデカイから、閉じこもっててもやってける。

いや、やっていけた。

以前ならね。

でも今や外国の投資家もボンボン投資してきてるっていうし、ぬくぬく保護されてきた日本のメディアがいざというときに勝ち残っていけるかっていうと、それはよくわからないじゃない。

ちょっとやばいんじゃない?って思うわけです。

出版社の再販制度とかって撤廃するのは前途多難っていうのは何かで読んだけど、今の手厚すぎる保護もちょっとは解消する気みせないとダメじゃないかと思う(放送の免許制についてはよく知らないので言わない)。

これは割りと直感的な感想だから恐縮だけど。

まあ背伸びせずに僕レベルの話でいけば、再販制度のせいで本が全部定価とか痛すぎるってのが正直なところ。




いずれにせよ、日本のメディアを取り巻く保護とか規制っていうのは緩めていくのが妥当でしょう。

世の中がウェブ社会化していく今の状況だと当然のことに思える。

50年後、いや、20年後の日本には3大出版社ってあるんでしょうか、3大新聞社ってあるんでしょうか、キー局って全部残ってるんでしょうか。

いずれにせよ、メディアを取り巻く状況っていうのはかなり姿を変えてしまっているのではないかというのが僕の直感的な予想です。

もし変わっていないとしたら、それは過剰な保護や規制が依然として何らかの権力によって残っている場合に限ると思う。



ちなみに独自の市場の中に閉じこもって(他の市場では通用しないような)独自の進化をしてきた日本経済をガラパゴス現象、あるいはマダガスカル現象というらしいです。




あー、今日はあんまうまく書けなかった。




今日の一曲はチャットモンチーの『ハナトユメ』。


安倍辞任

2007-09-12 22:30:18 | 解釈


ご存知の通り、安倍晋三が総理大臣を辞職しました。

各方面から批判はすごいものがあるようです。

ニュースからは批判の声しか聞こえてきません。



実は、僕は今回の彼の決断は自民党にとっては妥当なものだったかもなと思っています。

結果的に、彼が批判を一手に引き受けて辞任したことで、自民党は救われると思う。



確かに安倍ちゃん自身の身の処し方というのは、参院選で敗れたときに退陣というのが正しかった。

でもここで、ちょっと想像力を働かせてみる。

もしあの時安倍ちゃんが辞めていたら、どうなっていただろうか。

たぶん、その後の自民党のポスト安倍政権への逆風は今より強くなっていたんじゃないだろうか。


あの時自民党が負けた原因は、安倍ちゃんの頼りなさと同じくらいかそれ以上に閣僚たちの不祥事があったと言われている。

つまり、自民党自体が敗因を抱えていたのだ。






だが今回の場合、安倍ちゃん一人が悪者だ。

なにしろ、職務放棄などという無責任な決断を勝手に下したのだから。

つまり、今回のポスト安倍政権の誕生は自民党の問題で起こるのではなく、安倍ちゃん一人の問題として起こる。

この違いは大きいのではないだろうか。





世論の反応はどうなるだろうか。

「自民党がダメ」っていうよりも、「安倍ちゃんはダメだった」っていう印象が残るのではないだろうか。

しかも同じ自民党内の幹部や大臣もほぼ全員安倍ちゃんには怒っている。

それによって安倍政権と自民党は別物、みたいな錯覚が起きる。

だから今回のポスト安倍政権への逆風はそこまで強くないはず。

むしろ国民からの積極的な期待が集まるのではないだろうか。

逆に民主党は政権交代から遠のいたような気がしてならない。

だって、自民党内で政権交代完結しちゃうんだから。

麻生首相や谷垣首相がすばらしいリーダーシップを発揮する可能性も低くない。





彼が続投していたら、民主党に解散総選挙に持ち込まれた可能性は高い。

そうすると、政権交代が現実味を帯びる。

それを避けるためには自民党政権への支持率を上げなければならない。

その点から見ると、彼が批判を一手に引き受けて辞任したことで、自民党は救われたと思う。



安倍ちゃんがその事を意図していたかは分からない。

ただ、彼が辞任の理由を「テロとの戦いを継続する事ができないと判断」したからとしていたのは印象的だった。

すり替えだという批判は出てくるだろう。



いずれにしろ、国民にとっては迷惑な話だけど。

参院選のときに辞めているのが、民意がもっとも反映されたやり方だった。

今回の彼の判断の背景にあるものが何かは推し量りかねる。

ほんとに体調不良かもしれないし、嫌になったのかもしれない。

党内政治が関わったのかもしれないし、深い計算があるのかもしれない。

ここに関しては、はっきりさせて自民党も清算しなければならない。




そもそも彼は大変な時期に首相になってしまった。

小泉の行った党内改革という一種の破壊行為の後処理をしなければならなかったし、しかも安倍ちゃんはまだ若いので、党内での政治力もあまりなかっただろうから。

そして閣僚の不祥事という不運な出来事が面白いくらい連続した。

おぼっちゃま内閣と揶揄する向きもあるみたいだけど、彼が特別ヤワだったわけではないと思う。

そこは僕は理解したいと思う。

その中で、彼は小泉時代に冷え込んだ中韓との関係も改善させた。

そしてかなり無理やりではあるけれど、数多くの法案も通した。

後の時代から振り返って、この安倍政権というのは良くも悪くも重要な時代だったという評価がされるのではないだろうか。

時間のスピードについて考えてみる

2007-09-09 00:58:03 | 解釈


最悪です。

胃が痛いし吐き気もします。

どうしたんでしょう。

さっさと寝ろよ、って?

たしかに。


文章書く気がしないんで今日は昔のブログを振り返る回です。

今の僕にとっては当然と思っているような事について、昔の僕は真剣に驚いている場合がある。

以下に引用するのは、そんな昔の僕による文章です。

たかだか一年ちょっと前なんだけど。


表現が独りよがり、かつ説明不足で分かりづらい部分があることが分かります。

が、あえて直さずに載せます。

当時の気分が表れています。




@ @ @

時間のスピードについて考えてみる  (2006年04月10日)


何だかこの2週間、日にちの経つのが今までにないほど早く感じる。

ちょっと前までは周りの人が「1年が早い」とか「あっという間」とかいう言葉に共感できずにいた。

これからずっとこんな風に1年、2年と過ぎていってしまうのだろうか。

そんなのはいやだ。いや過ぎる。


僕はそもそも人より時間を長く感じる傾向があるということが最近分かってきたけれど、特に夏休みや春休みにはその傾向が顕著になるようだ。

どうしてかなとひとり考察してみる。

うーむ、おそらくそういう長期休暇には習慣化された生活がないからだろう。





学校がある日は、毎日何時に起きて何時に家に帰って何時にベッドにもぐりこむかという事が一応決まっていて、それが習慣として体に染み込んでいる。

「習慣」とか「慣れ」というものは、人間の感性だとか思考や外の世界に対するアンテナの感度を鈍らせてしまうようだ。

ほら、あれだ。

知らない道を初めて歩いた時より、2度目の方が短く感じるというのと同じだろう。

人間の記憶のデスクトップに置かれるのは、おそらく「より脳を意識的に使った時の記憶」なのだろう。


単純に楽しいだけの時間を過ごしていると、時間は残酷なほど早く過ぎ去ってしまう。

感性・思考を要する「手間」が全くないからだ。

その反面、この前2週間くらい旅をした時はとても楽しかったにもかかわらず、その2週間をとても長く感じた。

それはほぼ毎日違う宿で寝泊りし昨日とは全く違う出来事が次々と起こる環境だったからだと思う。

そのため、僕の意識は無意識のうちに研ぎ澄まされていたから長く感じたのだろう。



世間では充実した生活を送っていれば時間は短く感じるというのが通説だけれど、僕は違うと思う。

例えば自分が一方的に思いを寄せている女の子と会話をする時は大抵時を長く感じるだろう。

それは頭が情報収集や自分の動作を選択するためにフル回転しているからだ。

一方で慣れ親しんだ恋人同士で過ごす時間は大抵短く感じるだろう。

それは慣れのせいでほとんど頭を使う必要がないからそう感じるのだ。


同じ充実した時間でもこんなに感じ方が違うのだ。




文章的に行ったり来たりしたけど、

結論。


「意識を研ぎ澄ましていれば時は長く感じる」

これだー!

要は時間のはやさが意識の感度のバロメータになりうるわけだ。

我ながらこれはなかなか面白い。


ん、思い込み?

や、この理論が崩れるのを見届けるまで信じてやろう。




銀杏BOYZ『あいどんわなだい』&東京事変『キラーチューン』

2007-08-24 23:46:33 | 解釈


実りの8月です。

大好きな2つのバンドが一斉にニューシングル発売とは!




まずは東京事変。

今日Mステに出てました。

今までのMステ出演で一番バンドのみんなが楽しそうだった気がします。


最近の東京事変は、椎名林檎は歌い手と作詞を担当し、作曲は他のメンバーが行っている。

このやり方は今のところ大正解だと思う。

僕は支持する。

もちろん林檎に作詞作曲をしてほしいと願うファンも少なからずいる。

メンバーが変わる前の1期東京事変はそうだった。

『群青日和』こそヒイズミの作曲だったが、他のほとんどの曲の作詞作曲を林檎が手掛けていた。

でもそのことによって、東京事変というバンドが『椎名林檎と仲間たち』という構図になっていたのも事実。

僕は1期東京事変はとても好きだったけれど、バンドとしての達成度という点で見ると、今の2期東京事変の方が圧倒的に高い印象がある。

作曲を他のメンバーが手掛けることによって、安定感が出てる。

他のメンバーが林檎に媚びてる印象が無い。

他のメンバーも林檎にちゃんと意見を言えてる。

前作アルバム制作時の伊澤一葉と椎名林檎との対立っていうのは、アンチ伊澤を増やすきっかけとなってしまったけれど、僕は事変っていうバンドがより高い地点に到達するために必要な過程だったと思う。

対立って組織においてはとても健全なイベントじゃない?

サザンは良い曲を持ってるかもしれないけど、良いバンドとは言えないでしょ?

与党の議席が圧倒してて、法案がスイスイ通るって状況は良い結果を生み出さないでしょ?

そういうこと。


だからたぶん1期目の事変が今まで続いていたとしても、『教育』っていうアルバム以上のものは生み出せなかったんじゃないかっていう気はする。

逆に、2期の事変が出した『大人』ってアルバムは、僕は正直あまり好きではなかったけれど、絶対に次のアルバムはこれ以上の出来になるはずだって確信が持てたし、だからこそ『大人』にガッカリはしても失望はしなかった。

対立しつつ、何とかまとめ上げた『大人』。

『大人』は今から考えれば、グニャグニャの柔らかい地盤の上に築かれた礎だったと思う。

だから僕は9月発売の3rdアルバム『娯楽』にはとても期待している。

1stシングル『群青日和』と同じくらい楽しみ。

で、その『娯楽』にも収録される今回のシングル『キラーチューン』。






ふぅ、なんとか話をキラーチューンに持ってこれた…








今回はタイトルが秀逸です。


『キラーチューン』。


一見ありそうだけど、無いタイトル。

この絶妙なセンスこそが椎名林檎の真骨頂だと思ってます。

とても馴染みやすい良い曲です。

作曲は伊澤一葉。

彼は常に眩しそうな顔をしているんだけど、彼の曲も明るい軽やかな曲調のものが多い。

彼は東京事変のメロディーメーカーとしてすっかり定着した感がある。

彼の唯一かつ大きな課題は、曲調が似たようになる点。

今のところそんなにその傾向は目立たない。

でも、『ピノキオ』『鞄の中身』『キラーチューン』っていう流れは、どれも良い曲だけど、ちょっとヤバイ気がする。

どれくらいヤバイかというと、伊澤の額の後退と同じくらい。





作詞は椎名林檎。

こういう歌詞はキレイな人じゃないと書けないよなあ、と感心する。

この手の歌詞をチャーミングにサラリと書いてしまうあたり、林檎の余裕の表れだと思う。

「殺されてもいい」みたいな歌詞を書いていた頃とは隔世の感があって、しみじみとしてしまった。


とにかくいい曲なので聴いてみて。
歌詞以外は爽やか。
【東京事変 / キラーチューン】






次は銀杏BOYZ。


とりあえず、返事くれーーー!

…っていうのはどうでも良いとして、これも良い曲。

『あいどんわなだい』。

今にでもカラオケで歌いたい、もとい、叫びたい曲の一つです。

カップリングの『東北新幹線はチヒロちゃんを乗せて』も名曲『東京』をちょっぴり髣髴とさせる泣き曲。


若干シモなPVなので、そういうの嫌な人は見ないでね。
曲自体はいつもどおりほんと良いです。
【銀杏BOYZ / あいどんわなだい】


【ヒロシマ・ナガサキだから反核!】

2007-08-10 00:40:56 | 解釈


今日は何の日だったか分かりますか?



はい。

正解。




長崎に原爆投下された日です。




で、すごい気になるのが、テレビで原爆特集やってるのがほぼNHKだけだってこと。

テレビ欄のニュースのとこにも原爆の文字はない。

新聞だって、うちは朝日をとっているけど、夕刊に出てくる程度。

僕の感覚だと、今日は朝刊の一面ぶち抜きで原爆関連の社説載せるのが最適なんですが。

今年の朝日は社説にすら原爆のことは書いてない。

天声人語にも書いてない。



大丈夫?


ネタ切れ?


否、

これって風化じゃないの?





6日の天声人語は小学生の原爆投下日時の認知度の低さを憂いていた。

でもそれってメディアに責任あるかもよ?

もっと戦争に関すて問題提起する番組やら紙面をつくろうよ。

現代のこの情報洪水の中、メディアが原爆のことに触れる回数を減らし続けるなら、原爆が何だか知らない子供たちがあっという間に増えるはず。



メディアが「原爆とか戦争って良くないよね」ってもっと言ってくれないと、世論の間に核廃絶って概念が育たない。

世論の間に核廃絶っていう概念が育たないって事は、国政の場で核反対・戦争反対って堂々といってくれる人は出てこない。

なぜなら、国政って場は国民の代表者でしょ。

もし国民の間で核廃絶って概念が広がったら、選挙では「核廃絶」とか「戦争反対」をスローガンに掲げる候補が増える。

そりゃ、国民に核廃絶派が多いなら核廃絶とか反戦掲げたら選挙で有利だもん。



でもさ、今の状況見てよ。

最近アメリカの起こしてきた戦争に対して反対って堂々と言い続けてんのって、福島瑞穂ちゃんくらいだよ?

普通に考えて、おかしくない?



「利口なやつは戦争の必要性がわかるはずだ」っていうムードが漂ってないですか?

「戦争反対・反核って言うやつはモノを知らない馬鹿だ」って。

でもそういうこと言うやつに限って何も考えてない。

「日本も核武装」とか平気で言う。




よく考えてよ。

日本って広島と長崎があるんだから、反核って世界に言うだけで強くない?

今の日本ってヒロシマ・ナガサキを反核運動のシンボルにしつつ、アメリカの核に頼ってる。

核抑止力に頼りながらヒロシマ・ナガサキなんて叫んでるから説得力ないし、効果がない。



これまでの反核運動はアメリカに核減らせ、なくせって言うだけだった。

ほんとはもっと踏み込んで、中国の核削減も視野に入れなくちゃいけない。

中国にとっても核ってお荷物なはずでしょ。

次世代の原子力潜水艦とか開発するお金って莫大だから。

だから中国の核の削減と、アメリカの東アジア向け核の削減までを射程に置く。

その中で「中国もアメリカも減らすから、北朝鮮も放棄してよ」って将軍様に頼む。

そのほうがずっとやりやすいでしょ。

そういう政策採る上で「ヒロシマ・ナガサキだから反核!」って叫べば、文句言える国ってそうはない。

日本の外務省はものすごいイニシアティブをとれるはず。


だから僕は反核・反戦を掲げる日本っていう可能性も探る余地あるんじゃないかなって思ってます。






今回の参議院では護憲派議員の割合が改憲派議員の数を超えました。

こんなこと今までは考えられなかった。

それに、2008年でブッシュ政権も終わります。

次は共和党でしょうか民主党でしょうか。

まだ分かりません。

でもこれで民主党になるようなら大分状況変わってくるんじゃないでしょうか。


日本でも民主党が勝ったわけで、何だか今後2、3年で戦争に対する従来の価値観がアメリカや日本で変わってくるんじゃないかなあという予感がします。


911以降アメリカを中心とする世界は右傾化してきましたが、そろそろ左傾化してくるんじゃないかと思ってます。







…って。

話が微妙に逸れた。

もう戻す気もないのでこれで終わりにします。

ロールペーパー

2007-08-02 23:31:23 | 解釈


暑かった。

真夏と真冬が大好きな僕としては最高の天気でした。

今日は用事のついでに、都庁の旅券課に行ってパスポートの申請をしようとした。

結局今までのパスポートを持っていかないとダメってことで出来なかったんだけど。


申請書の記入をしててわからないことがあったので、相談窓口に聞きに行ったんだけど、相手の職員の態度に腹が立った。

その阿川佐和子崩れの職員はいちいちタメ語で人を小馬鹿にしたような受け答えしかしないのだ。

僕に対してだけでなく、すべての客(つまり都民全員に対してだよ?)に対して。

阿川佐和子崩れは声が大きいので相談窓口から離れていても聞こえて、始めは小さな子供に説明しているのかと思った。

同時に、子供相手にしては言うことが厳しすぎるなとも思った。



その場面を見てもらえないのが残念なんだけど、見てもらったら僕の苛立ちを納得してもらえるはずだ。

僕はあんまりにも腹が立ったので、「へぇー、それは豆知識ですね」と皮肉たっぷりに言うなどして対処したんだけど、余計ムカムカしてきてそのムカムカを持て余し、ずいぶんと惨めな気分になった。



彼女は自分が役所の代表として見られるってことを自覚したほうがいいね。

僕は今日の出来事で、小学校の頃のあるエピソードを思い出した。

僕は4年間香港の日本人学校に通っていた。

で、ある時期生徒の誰かが校舎の窓からトイレットペーパーをロールごと投げた。

たぶん十何本っていう数を。

ま、分かるよ。

トイレットペーパー投げたときの快感は。

やったことのある人は分かるだろうけど、ペーパーが飛んでる間にグルグルほどけて、ほうき星の尾みたいになる。

ヒラヒラヒラって。

ちょっときれい。

まずかったのは、そいつが投げた窓の外はすぐ住宅だったこと。

もちろんそこの住民から苦情が来た。

そのとき思ったのは、その住民はトイレットペーパー投げた生徒を恨むというよりも、「日本人の小学生」っていう広いターゲットに対して恨みを持つんじゃないかなってことだ。

悪いのは投げたやつなんだけど、そういう悪いやつがいるってことは教育が悪いんじゃないか、とか、日本人ってもともとこんな民族なのじゃないかとかね。

個人に対する評価が集団に対する評価につながっていく例だ。



この職員の話もこれと一緒ではないだろうか。

利用者が受付の職員に対して「アイツめ…」って恨むなら自分だけだからいいけれど、それが「東京都め」や「お役所め」ってものになりかねないってことに早く気付いたほうがいい。

今どき市役所も郵便局も対応良くなってるのに、どうして旅券課はこうなのだろう。

ありえないでしょ。

こっちは16000円っていう大金払ってパスポート作ろうとしてるっていうのに。

阿川佐和子崩れのおかげで、「窓口」の重要さを改めて認識。


「サービスは窓口が9割」
「99.9%は窓口」


それはないけど。

でもこのテの新書のタイトル減ったね。

焼畑農業的に焼き尽くされてしまった感があります。




うむ。




これで終わると愚痴と変な話のそれ方のコンボで後味悪いので、僕の好きな the libertines のライブ映像でもどうぞ。
もう解散してるけどね。
ツインボーカルの背の高いほうがピート・ドハーティといって、僕の一番好きな歌手の一人です。
キャッチーなメロディなので気に入ってくれる人が多いだろうと期待します。
こんな歌い方なのに心地よく響いてくるのはなぜだろう。
是非。


the libertines / don't look back into the sun







ミネタ脱ぐ

2007-07-31 22:48:04 | 解釈
台湾の地元メディアの報道によると、日本の人気ロックグループ「銀杏(ぎんなん)BOYZ」のボーカル、峯田和伸さん(29)が、28日に台北であった野外音楽フェスティバルのステージで局部を露出したとして、警察の取り調べを受けた。峯田さんは公然わいせつ容疑で書類送検され、29日、日本に戻った。
峯田さんは実演中にパンツをひざまでおろし、ステージで観客に近づいて歌ったという。主催者側は「しゃがんだときに偶然パンツがずり落ちた」とかばったが、警察は取り合わなかった。
(朝日新聞)


2度目じゃん…

前回は2年前のロック・イン・ジャパン・フェス。

その時の状況を峯田はこんな内容のことを言っていた。

視界の5分の2がお客さんで、5分の3が空で、歌ってたら風がフワッと吹いてきて、そんときに脱いだら気持ちいいだろうなあ、って思ったんすね。

なんかその光景、自分で見たかのようにはっきりと頭の中に描けるのはなぜだろう。




今探したらその出典が見つかった。

2006年のロッキン・オン・ジャパン2月号です。


その峯田に対してインタビュアーの山崎洋一郎はこう言った。

「俺は、素っ裸になって、胸を張って風に吹かれてる峯田くんを、すごい美しいと思ったんだよね、あの歌の最後で。表現として完結していたと思う。でも、それとよしあしっていうのは、当たり前だけど別なんだよね」


よしあしで言ったら、峯田の行為は悪しきものだ。

もちろん権力はそれに対して罰を下す。

でもアーティストといわれる人々にはあくまで自分たちの「アート」にとっての正解に突き進んでほしいと思った。

罪とか罰っていうのは決められたもの。

芸術は外部の枠を気にしだしたら終わりでしょ?

人殺したりは論外だけど、これくらいは想定内って認識がもっと広まれば良いな。

芸術ってそもそも不道徳なものだし、しばしば不道徳な土壌から文化ってのは生まれてきたと思う。

そういうある種の「汚い」ものを共生させられる懐の深さっていうか余裕ってもんがあるのは大切なことです。

個人にとっても、社会にとっても。

あ、でも警察(権力)はちゃんと取り締まってください。

じゃないとやってることの半分以上の意味はなくなっちゃうかもしれない。

要は、少なくとも世論(って言えばいいのか?)はPTA的ヒステリーを起こさずにニコニコ見ててやってくださいってことが言いたかった。


とにかく峯田大好き。


銀杏BOYZ / SKOOL KILL @ロック・イン・ジャパン2004」(これは脱ぎません笑)