「生協だれでも9条ネットワーク」

日本国憲法と平和主義、民主主義を守る活動を進める生協関係者のネットワークのブログです

【世話人会報告】11/23「生協だれでも9条ネットワーク」の「学習の集い」の概要報告

2020-01-09 23:59:47 | 参加報告

<管理人より>
 昨年11/23に開催された「生協だれでも9条ネットワーク」の「学習の集い」の報告を、12/19の国会前行動のあとに持たれた世話人会で確認しました。それを斎藤嘉璋さんがブログなどに掲載する概要報告としてまとめて年末に寄稿してくださいましたが、管理人に余裕がなくて年明けの記事アップとなりました。ここにお詫びして掲載いたしますm(__)m
【世話人会報告】11/23「生協だれでも9条ネットワーク」の「学習の集い」の報告
 「市民こそ政治を変える力」矢野裕さん(元狛江市長)の講演など

 「生協だれでも9条ネットワーク」は11月23日に主婦会館プラザエフ(四谷)で「学習の集い」を開催しました。集いの趣旨は「参議院選挙結果や臨時国会での論戦を踏まえ、安倍9条改憲・沖縄辺野古新基地建設・日韓問題などを学習し、市民と野党の共闘の発展と『生協だれでも9条ネットワーク』の今後の取り組み方について考え合う」ことでした。
 「集い」は休日の小雨の中でしたが40名が参加、矢野裕さんの講演をメインに5時から17時30分まで行われました。
 開会あいさつで斎藤嘉璋ネットワーク世話人代表は「60年安保闘争では大衆的な運動の大きな盛り上がりのなかで岸首相を退陣させたが、安倍首相は祖父から学び隠ぺいや嘘で政権を守り続けている。今回の我々の運動は安部をやめさせられないでいるが、60年前と違い「市民と野党の共闘」を実現するという大きな成果を生んでいる。共産党市長として市民とともに16年間市長をつとめた矢野さんから「市民こそ政治を変える力」であることを学び、「市民と野党の共闘」に確信をもちたいと考える。」と述べ、矢野さんが学生時代、早大生協の常務理事として活動したとの紹介もされました。(冒頭の写真)
 矢野裕さん(元狛江市長・全国首長9条の会事務局次長・国革新懇代表世話人)の講演は、「市民こそ政治を変える力~狛江からのメッセージ」と題して、パワーポイントを使用した貴重な画像資料を使ってのお話でした。

 1996年から共産党員の市長として4期16年間をつとめあげた経験は「市民が主人公の市政」として、「市民と野党の共闘」がテーマとなっている今、大変貴重な教訓となるものでした。特に「憲法を市政に生かす」ことでは憲法9条の平和、15条2項の「公務員は全体の奉仕者」、25条の「健康で文化的な最低限の生活の権利」などを基本にした施策や市民の取り組みが具体的に報告されました。共産党以外は野党という狛江市議会で16年間にわたり市長職を続けられたのは、徹底した「情報公開・市民参加」による市政運営を進め「保守対革新を超えた市政運営」を実現したと話されました。
 矢野さんは「市民と野党の共闘」について「選挙に勝つための戦術でなく新しい日本を創る戦略」「違いでなく一致点を広げる」「共闘から連立政権へ始めの一歩」としたいと述べ、合意している13項目実現の運動のさらなる発展を期待すると述べました。
 矢野さんに続いて世話人の大久保厚さんと山本邦雄さんから次のような問題提起、報告が行われました。
 大久保厚さんの問題提起=「『沖縄戦』と『普天間・辺野古』について~沖縄は沖縄戦と普天間・辺野古をどう考えているか~」。6月の7日間を「沖縄平和市民連絡会」と「沖縄平和ネットワーク」の協力を得て沖縄米軍基地や沖縄戦とのかかわりで沖縄本島と渡嘉敷島を訪問し、その見聞をもとに取りまとめた内容です。
 沖縄への連帯呼びかけに呼応して「生協だれでも9条ネットワーク」として国会前行動などを行っていますが、それらの行動の前提に関わる貴重な沖縄訪問記となりました。

 続けて「生協だれでも9条ネットワークの2019年の振り返りとこれから」と題した問題提起、報告が山本邦雄さんからありました。2019年の連続した選挙をどう見るのかと問い、最大の政治戦であった参議院選挙で、改憲勢力を2/3以下に追い落として最低限の目標を達成したのは大きな成果であるが、市民と野党の共闘路線の前進のためには「投票率」の底上げがカギになると問題提起しました。2020年に向けても「政権与党」の改憲シフトを警戒しなければならない。次の通常国会での安倍政権による強行突破を何としても阻止しよう。生協だれでも9条ネットワークについては情報提供力強化、事務局体制見直し、参加者層の拡大、生協運動と政治とのかかわりでの論議・学習・交流への挑戦、「市民はワンチーム」を掲げて行動しようとの呼びかけがありました。

 「集い」は若干の質疑応答を行い、太田吉泰さんが閉会の挨拶を行いました。