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行基菩薩

2008年07月17日 | 【寺社と坊主の話】

行基について

 大阪和泉で産まれ、政権と強い結びつきのあった仏教を民間大衆レベルへ落として布教に努め行基菩薩と仰がれている。僧侶たる者、そまつな衣食住をし贅沢を禁じ、技術・工芸・暦数の知識を持って庶民を助け土木・農業を発展させる五明思想を僧侶集団に植え付けていった。政権に利用しようとした者にとって反乱分子であったが、聖武天皇の仏教への思いが彼を後押しし、多くの弟子を排出していった。東大寺大仏殿建立にも名を残すこととなったが、民間布教の思いが強かったからなのか、小さな寺に多く開基として名を残している。実際には、奈良、生駒地方を拠点として活動していたようだ。と言うより、出られなかったと言った方がいいかもしれない。常に、監視されていたと思われます。
 「いやいや、我が寺では行基菩薩の開基で伝説も残っている。」ともっともらしいことをおっしゃるお寺さんもあります。事実、とある寺では、開基行基菩薩、本尊地蔵菩薩(行基作)とあります。がしかし、地蔵信仰が一般化したのは、行基の時代のずっと後になります。泉・温泉の地に必ずある弘法大師伝説と同じで、行基の弟子達が行基として残した伝説のようです。実際、行基の時代の作品であれば、重文クラスです。それが国指定の重要文化財に指定されていないと言うことは、まず疑ってみることです。寺によっては、拡大解釈して誇張する所もありますので注意しましょう。


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