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【266】雲辺寺(千手院)第六十六番

2020年12月24日 | 【四国八十八ヶ寺】

【266】雲辺寺(千手院)第六十六番

住所 三好郡池田町白地
宗派 真言宗御室派
山号 巨鼈山
開山 弘法大師
本尊 千手観世音菩薩

重文 木造千手観音坐像 木造毘沙門天立像 絹本着色聖衆来迎図

 弘法大師16才の折、この山に登られ山の霊気を感じて堂宇を建立したのがはじまりです。千手観音像を刻んで本尊とし護摩を焚き仏舎利と毘廬遮那法印を山中に納めたとあります。四国高野と言われ、阿波坊・土佐坊・伊予坊・讃岐坊・勧学院があり学僧が多く修業のため集まったといわれます。
 ロープウェーで寺名のように雲の中を抜けると標高911mの頂上に着きます。金比羅山の奥の院箸蔵寺、21番太龍寺の徳島の三山のロープウェーが同じ会社です。境内には、石楠花やアジサイがあり、杉の巨木に囲まれ、修行寺特有の幽玄な雰囲気があります。
 長宗我部元親が雲辺寺を訪れた際、眼下に広がる讃岐や伊予の平野を望み四国制覇の野望を当時の住職俊崇坊に打ち明けると、「あなたの器は土佐一国の主だ。それが四国の主になろうとは、茶釜の蓋で水桶の蓋をするようなもの。今は兵を引いて土佐へ帰り、領民を愛するが良い」と裏山問答と言い、手段を選ばぬ元親が、住職の言うことを聞き雲辺寺が戦禍を免れたと伝えられています。しかし、罰当たりの元親が、器が小さいと指摘されほっとく訳がありません。それほど物わかりの言い元親であれば、これほどまでに四国の文化財を破壊し尽くすはずがありません。豊臣秀吉の四国征伐に関わって後退したのが真実ではないかと思われます。

1998.08.20
2020.12.23


金比羅山の奥の院箸蔵寺
http://blog.goo.ne.jp/dangonotare/e/4d9ffa63de729b983b74fa44a189363f
21番太龍寺
http://blog.goo.ne.jp/dangonotare/e/dcec06ee68db617511e20c978c4df2ca
長宗我部元親
http://blog.goo.ne.jp/dangonotare/e/363e0a7c0ddddac7f6498f12ec8b2ad1


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