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罰当たりの仏敵 長曽我部元親

2008年08月07日 | 【寺社と坊主の話】

 信長の比叡山焼討、秀吉の紀州攻めと寺院を焼き払う行為があったが、その殆どが僧兵を抱えた寺院であったことを考えると、土佐以外の寺院を無差別にことごとく破壊焼失させてきた長曽我部元親は仏敵以外の何者でもない。

 長曽我部元親は、戦国時代の土佐を統一した戦国大名で、元々は秦一族の血筋です。地方の小さな村の地頭だった長曽我部を一気に発展させたのが20代国親で、断絶寸前だった長曽我部氏を結束再生させた。高知周辺を押さえた後病死し、息子21代元親が土佐を手中に収めた。美濃より源氏の血筋の嫁をもらい、渡来人の子孫から脱却し源氏の血を入れたことで戦国大名への足がかりを作った。以後、家臣団への支給地を求めて四国全土へ展開して行き、僧兵を抱えたり陣の拠点となった四国の由緒ある寺院をことごとく破壊焼失させていった。中には金品を目的に寺院を攻撃したと思われる節がある。四国八十八ヶ寺も例外なくことごとく焼失し、国宝、重文が殆ど残っていない結果になっています。これを仏敵と言わずになんて言えばいいのか。罰当たりの仏敵長曽我部元親。
 阿波の寺院の復興に努めたのは、秀吉の家臣蜂須賀家です。元々は野武士ですが、救世主小六様ですね。ちなみに、長曽我部壊滅は、23代盛親のときに大阪の陣で大阪方に味方し家康により斬首され血縁一族ことごとく処刑され断絶している。

 秦一族に関する参考寺 【173】法輪寺 京都嵐山
 (http://blog.goo.ne.jp/dangonotare/e/2beb3e2165d24296927ccf24b76e30aa

 


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