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1級世界史

2017-10-10 | ベック式!世界史用語集

 

 15~17世紀は、かつて「地理上の発見」時代とされてきたが、近年、この呼び方があまりにヨーロッパ中心的でありすぎるとの批判から、「大航海時代」と呼ぶのが普通になった。しかし、この「大航海時代」という呼び方もヨーロッパ中心史観を脱しきっていない、という批判があり、そうした批判者の中には、この時期が、ヨーロッパ人に刺激をうけた形ではあるものの、インドから東南アジアをへて中国・日本にいたる海域でも海上交易が非常に活発化した時代にあたるので、世界的規模での「大交易時代」と呼ぶことを提唱する人々もいる。いずれにしても、この時代に「世界の一体化」が始まったと考えてよい。「大交易時代」と重なる形でヨーロッパ諸国の植民地抗争も起こる。「大交易時代」の世界や海上貿易・植民地抗争をめぐる歴史について、あとの問いに答えなさい。

問1 15世紀前半には、7度におよぶ鄭和の南海遠征が行われ、分遣隊はアフリカ大陸の東岸やアラビア半島西岸の紅海に達した。15世紀前半のアジア諸国について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

  1. 日本では、京都で応仁の乱が起こった結果、室町幕府が衰えて戦国時代に入り、沖縄では、中山王が北山・南山を倒して統一が達成され、中山王は明から冊封をうけ、明に朝貢した。
  2. 朝鮮半島では、朝鮮王朝(李朝)の太宗が朱子学を基盤として儒教的な王道政治の確立をめざす一方、子音や母音を表す文字要素を組み合わせて音節文字とするハングルを訓民正音として公布した。
  3. ベトナム北部は、陳朝の復興をかかげる明の永楽帝によって占領・支配されたが、永楽帝の死後、黎利(レ=ロイ)が明からの独立を達成し、黎朝大越国を建設し、都をハノイにおいた。
  4. 南インドでは、チョーラ朝がラージャラージャ1世の子ラージェーンドラ1世のもとで最盛期を迎え、スリランカへ侵攻したのみならず、マレー半島やスマトラ島へも遠征軍を送った。
問1
正解 3
1.応仁の乱は、15世紀の前半でなく後半。2.太宗でなく世宗。4.ラージェーンドラ1世は15世紀でなく11世紀。

問2  15世紀には、ポルトガル人の海上への進出も始まる。15世紀のポルトガル人航海者について述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

  1. ポルトガル王ジョアン2世の子エンリケ航海王子は、モロッコのセウタ攻略後アフリカ大陸に興味を持ち、自ら船隊を率いてアフリカ大陸の西岸を探検し、ギニア湾のニジェール川河口に達した。
  2. バルトロメウ=ディアスは、ポルトガル王の命令でインド航路開拓のためアフリカ大陸西岸を南下し、アフリカ大陸の南端に達してそこを嵐の岬と命名したが、帰国後、ポルトガル王が喜望峰と改名した。
  3. カブラルが、ポルトガル王マヌエル1世の命令でアフリカ大陸西岸を航海中に海流に流されてブラジル漂着し、この地をポルトガル領と宣言したことは、トルデシリャス条約が結ばれる原因となった。
  4. ヴァスコ=ダ=ガマは、喜望峰を回ってアフリカ大陸東岸の都市マリンディに寄り、その地でイスラーム教徒の水先案内人イブン=ハズムを得て、インド洋を横断してインド東南海岸のカリカットに到達した。
問2
正解 2
1.ジョアン2世ではなくジョアン1世。またエンリケ航海王子は、自らは探検せず、航海者を育成し、探検を奨励したといわれる。さらに彼の時代には、アフリカ大陸西岸の南下はシエラレオネまでで、ギニア湾には入っていないとされる。3.カブラルのブラジル漂着は1500年で、1494年のトルデシリャス条約の後。4.イブン=ハズムではなくイブン=マージド。イブン=ハズムは、後ウマイヤ朝の詩人・神学者。またカリカットは、インドの東南海岸ではなく西南海岸。

問3 スペインは16世紀に、新大陸で産出される銀などを財政基盤として繁栄した。16世紀のスペインの内政と海外進出について述べた次の文章 I ・ II の正誤の組み合わせとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

I. スペイン王カルロス1世は、神聖ローマ皇帝をも兼任し、イタリア戦争ではフランス=ヴァロワ朝のフランソワ1世と戦い、1559年にカトー=カンブレジ条約を締結した。その後即位したフェリペ2世は、ポルトガルの王位を兼ね、「太陽の沈まぬ国」を実現した。しかし彼の時代には、ユトレヒト同盟を結ぶネーデルラント北部7州が、オラニエ公ウィレムを指導者として独立宣言を出す一方、スペインの誇る無敵艦隊(アルマダ)がイギリス艦隊に敗れた。

II. スペインは、アメリカ大陸でメキシコのテオティワカンを都とするアステカ帝国とペルーのクスコを都とするインカ帝国を滅ぼす一方、アジアにも進出した。カルロス1世の援助をうけて船隊を編成し、丁子(丁字、クローヴ)などの特産地モルッカ諸島を西回りでめざしたマゼラン(マガリャンイス)は、フィリピン諸島でラプラプと戦って戦死したが、その後レガスピによってルソン島にマニラが建設され、メキシコのアカプルコとガレオン船で結ぶ貿易で栄えた。

  1. I-正 II-正
  2. I-正 II-誤
  3. I-誤 II-正
  4. I-誤 II-誤
問3
正解 4
I-カトー=カンブレジ条約はフェリペ2世の即位後。II-テオティワカンではなくテノチティトラン。テノチティトランは現在のメキシコシティ。テオティワカンは、メキシコシティの北方で前2~後6世紀に栄えた文明の遺跡。

問4 16世紀には、ポルトガル・スペインのアジア・新大陸進出によって、ヨーロッパに大きな社会的・経済的変化が生じた。こうした社会的・経済的変化について述べた次の文章を読み、下線部1~4のうちから誤っているものを一つ選んで、その部分にあてはまる正しい語句を記せ。

現在の1.ボリビアのポトシ銀山などで産出されたラテンアメリカ産の銀が大量にヨーロッパへ流入すると、ヨーロッパの物価は2~3倍に上昇した。この価格革命により、固定地代に頼る封建領主層は没落をはやめた。一方、ヨーロッパにおける貿易の中心が地中海から大西洋岸へ移る商業革命の結果、16世紀半ばにはフランドル地方の海港都市2.アムステルダムが国際金融の中心として繁栄した。このように西ヨーロッパで商工業がさかんになると、3.エルベ川以東の東ヨーロッパでは、領主が農奴を用いて輸出用穀物を生産する4.グーツヘルシャフトが広まり、東ヨーロッパが西ヨーロッパに従属する形の分業体制が形成された。

問4
正解 「アントワープ(アントウェルペン、アンヴェルス)」
2.アムステルダムがアントワープ(アントウェルペン、アンヴェルス)の誤り。アントワープは英語。アントウェルペンはオランダ語、アンヴェルスはフランス語。アムステルダムはアントワープに代わって17世紀頃に国際金融の中心として栄えたオランダの都市。

問5  16・17世紀には、インドから中国にいたる地域へヨーロッパ諸国がさかんに進出した。これについて述べた文として誤っているものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

  1. ポルトガルは、スリランカに進出し、デイウ沖の海戦でマムルーク朝の艦隊を破り、インド西海岸のゴアを拠点として東南アジアへ進出し、マレー半島のイスラーム国家マラッカ王国を滅ぼした。
  2. オランダは、ジャワ島のバタヴィアを拠点とし、16世紀にジャワ島西部のバンテン王国や東部のマタラム王国をあいついで滅ぼす一方、17世紀の日本の鎖国後は長崎の出島を拠点として日本とヨーロッパの間の貿易を独占した。
  3. イギリスは、モルッカ諸島のアンボイナでオランダとの抗争に敗れた後、インド東南海岸のマドラスに進出し、さらにムガル帝国のアウラングゼーブ帝の時代にはボンベイやカルカッタをも拠点とした。
  4. フランスは、ルイ14世の時代にインドに進出し、インド東南海岸のポンディシェリ、ガンジス川の河口部のシャンデルナゴルを拠点としたが、いずれも近くにイギリスの拠点があり、その後の抗争の背景となった。
問5
正解 2
バンテン王国・マタラム王国は、16世紀にオランダに滅ぼされておらず、バンテン王国は19世紀まで、マタラム王国は18世紀まで、それぞれ存続した。

問6 「大交易時代」は、いわゆる倭寇が活躍した時期でもある。この倭寇について述べた次の文章を読み、下線部1~4のうちから誤っているものを一つ選んで、その部分にあてはまる正しい語句を記せ。

14世紀から15世紀にかけての倭寇は前期倭寇とされ、日本人主体の海賊が朝鮮半島から中国にかけての地域を襲ったものであり、1.李成桂はこの倭寇の撃退に功績を挙げ、これを背景に高麗を倒して新王朝を建てた。これに対して16世紀を中心とする後期倭寇は、2.海禁政策に不満な中国人を中心とするもので、日本に根拠地をもって中国沿岸を襲った3.王直はその典型とされる。この後期倭寇は、16世紀半ばに北京に迫った韃靼(タタール)の4.エセン=ハンらの北虜に対して南倭と呼ばれる。

問6
正解 「アルタン=ハン」
4.エセン=ハンがアルタン=ハンの誤り。エセン=ハンは、15世紀のモンゴル系オイラトの指導者で、1449年の土木の変で明の正統帝(英宗)を捕虜とした。なお、韃靼(タタール)もモンゴル系の部族。

問7 17世紀には、アメリカ大陸方面でもヨーロッパ諸国の植民地建設競争が激しくなった。イギリスとフランスの北アメリカにおける植民地建設について述べた次の文章 ・ IIの正誤の組み合わせとして正しいものを、あとの1~4のうちから一つ選べ。

I.ヴァージニアは、ローリーによって建設され、当時のエリザベス1世にちなんで命名されたが、このときの植民は失敗に終わった。したがって通常、ヴァージニアはジェームズタウンの建設に始まるとされる。それでも、ヴァージニアはイギリス最初の北アメリカ植民地である。ついでピルグリム=ファーザーズが建設したプリマス植民地は、やがてマサチュセッツ植民地に編入された。一方ニューヨーク植民地は、オランダから奪ったものである。いずれにしても、イギリスの13植民地はすべて17世紀に成立した。

II.フランスは、ケベックを建設してカナダ植民地を形成し、セント=ローレンス川を遡って五大湖に出、ミシシッピ川を下った。こうして、ミシシッピ川の広大な流域はフランス領となり、ルイ14世にちなんでルイジアナと名づけられた。また、ミシシッピ川の中流域には同じくルイ14世にちなんで命名されたセントルイスが、河口部にはオルレアン家にちなむニューオーリンズが建設された。

  1. I-正 II-正
  2. I-正 II-誤
  3. I-誤 II-正
  4. I-誤 II-誤
問7
正解 4
I-イギリスの13植民地のうち最南のジョージアのみは、17世紀ではなく18世紀前半に成立し、当時のハノーヴァー朝第2代ジョージ2世にちなんで名づけられた。II-セントルイスは「聖ルイ」を意味し、ルイ14世ではなくルイ9世にちなんで命名された。
 

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