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歴代天皇(6)(摂関常置全盛期

2018-04-22 | Weblog

 

61-70すざくむれえか いさごごご

朱雀 村上 冷泉 円融 花山 一条 三条 後一条 後朱雀 後冷泉


[解説]
1.冷泉天皇(位967~69)は、父村上天皇の死により18歳で即位したが、叔父藤原実頼が関白に就任して実権をにぎられる。以後、摂政関白常置となり、平安政治の転機となった。在位2年で譲位したが、その後42年上皇として生きた。

2.円融天皇(位969~84)は、村上天皇の第5皇子。安和の変の半年後に11歳で即位。16年間の在位中は藤原兼通兼家兄弟の政権争いがつづき、摂政、関白も実頼伊尹(これただ)、兼通頼忠とめまぐるしく交替した。26歳で花山天皇に譲位。円融の女御は兼家の娘詮子(せんし)。

3.花山天皇(位984~86)は、冷泉天皇の第1皇子で17歳で即位。外孫(のちの一条天皇)の即位をねらう藤原兼家父子(道隆・道兼・道長)に謀られ譲位することになった。

4.一条天皇(位986~1011)は、円融天皇の第1皇子、5歳で即位。25年間の在位は平安時代最長の醍醐天皇に次ぐ。外祖父の兼家が摂政になり、そのあと子の道隆道兼兄弟が摂関となったが二人ともに急死すると弟道長に権力がわたった。そこで道長は、1000年(長保2年)、中宮に兄道隆の娘定子がいたにもかかわらずこれをを皇后として事実上遠ざけ、娘の彰子中宮とし一帝二后という前例のない事態をつくった。これは有力な後ろ盾を失った定子を窮地に陥れる措置であった。この時期、定子、彰子にそれぞれ仕えた清少納言紫式部が出て王朝文学が花開いた時期でもある。

5.三条天皇(位1011~16)は、冷泉天皇の第2皇子。母は兼家の娘。ときに伯父道長の全盛時代で、道長から再三、外孫の皇子(のちの後一条天皇)への譲位を迫られた。その中宮妍子(けんし)は憤慨する天皇と父道長との間に立って苦悩した。

〈2015法大・経営A

問1 下線部、道長はb6人の娘を入内させ3代の天皇の外祖父となり権勢をほしいままにしたに関して、一条天皇の中宮となり、後一条・後朱雀天皇の母となった人物を、以下のア~オのなかから一人選べ。

 ア寛子 イ盛子
 ウ嬉子 エ彰子
 オ妍子

(答:エ)

問2 下線部bに関連して、一条天皇の中宮(彰子)に仕えた人物のうち、越前守藤原為時の娘を、以下のア~オのなかから一人選べ。

 ア小野小町 イ清少納言
 ウ和泉式部 エ赤染衛門
 オ紫式郎

(答:オ)

問3 下線部bに関連して、道長の娘(彰子)が一条天皇の中宮となったために、中宮から皇后にかわった人物(定子)の父を、以下のア~オのなかから一人選べ。

 ア道隆 イ道兼
 ウ兼家 エ兼通
 オ頼忠」

(答:ア)〉

 

 

 



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