A中世都市 の発展。
- ローマ帝国末期からヨーロッパの都市はa 司教座都市 として成立。
= ローマ=カトリック教会の高位聖職者である司教の管轄する教会が置かれた都市。 - その他の都市も封建領主の支配受けていたが、b 商工業の発達に伴い、都市の自治を要求し始めた。
背景:貨幣経済の進展に対応するため都市への課税を強化した封建領主に対して都市の抵抗が強まった。
B自治都市 11~12世紀 ヨーロッパ各地の都市がコミューン運動(自治権の獲得運動)を展開する。
- 自治の内容 a 市民が独自の政府、法律、裁判所を持ち、徴税権などを持つこと。
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- 自治権の地域による強弱
b 北イタリア の諸都市:領主である司教から自立して自治都市(c コムーネ )となり、
さらに周辺の農村を併合してd 都市国家 (共和国)となる。
e ドイツ の諸都市:諸侯の力を押さえようとする皇帝からf 特許状 を得て自治権を獲得、
皇帝直属の自由都市(g 帝国都市 )となる。 → 諸侯と同じ地位に立つ。
他の都市は依然として封建領主の保護を受けて、納税の義務を負っていた。
イギリス・フランスの諸都市:国王との結びつきが強く、自治都市は発達しなかった。
C都市同盟 の形成
- 12~16世紀 有力な都市が皇帝・国王・封建諸侯と対抗するために結成した。
- 北イタリア:a ロンバルディア同盟 ミラノ中心に、ドイツ皇帝に対抗した。
→ ▲1176年 レニャーノの戦いで同盟軍が神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世軍を破る。
解説
レニャーノの戦いは教科書、用語集では扱われないが、ロンバルディア同盟軍がローマ皇帝軍を破った戦いとして重要。都市同盟軍はローマ教皇の支援を受け、イタリア政策を展開するローマ教皇フリードリヒ1世(赤髯王)の派遣した軍を破り、都市の自治を認めさせた。
- 北ドイツ :b ハンザ同盟 c リューベック を盟主とし最盛期には約70市が参加した。
その機能 d 独自の法律・軍隊(陸海軍)を持ち、共同の利益を守った。
→ 14世紀に全盛期となり、北ヨーロッパ商業圏を支配、大きな政治勢力となった。
→ 都市同盟は、16世紀の大航海時代まで存続し、主権国家体制の成立(後出)に伴い消滅する。
地図 主なハンザ同盟加盟都市 ●は主要都市 ●は加盟都市 ■は四大在外商館

(点線は現在の国境)
ⓐ リューベック
ⓑ ハンブルク
ⓒ ブレーメン
ⓓ ケルン
ⓔ ダンツィヒ
ⓕ リガ
■四大在外商館
① ロンドン
② ブリュージュ
③ ノヴゴロド
④ ベルゲン
用語リストへエ.都市の自治と市民たち
■ポイント 自治都市の内部の市民社会のあり方、特にギルドの機能と問題点を理解する。
A 自治都市の市民
- ヨーロッパの自治都市 a 周囲を城壁で囲まれており、封建領主の支配が及ばなかった。
→ 市民は封建的束縛に縛られない。周辺の荘園から農奴が都市に逃げ込み、自由身分を獲得することができた。 - ドイツでは、荘園から都市に逃れた農奴は1年と1日住めば自由身分となれた。
=b「 都市の空気は自由にする 」と言われた。 → 都市への農民の流入 → 都市人口の増大。
Bギルド の結成。
- 意味 :a 業種ごとに結成された同業組合で、都市の自治運営の基礎となった。
- 機能 :b 相互扶助と共通の経済的利益の保護。
→ 業種ごとに仕入れ価格、販売価格、労賃などを協定した。 - ギルドは業種ごとに親方によって組織され、都市の行政を支配した。 → ギルド間の対立が起きる。
C商人ギルド 11世紀以降、まずドイツ各都市に成立。
- a 遠隔地貿易で利益を上げた大商人 が組織。自治都市の運営権を握る。
→ 国王や諸侯から特権を認められ、市政を支配。 → 生産者である手工業者の不満強まる。
D同職ギルド 12世紀前半から、a 手工業者 が業種別で結成。ドイツではb ツンフト という。
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- c 商人ギルド の市政独占に不満を持つようになる。
- 13世紀 市政に参加する権利を要求し、d ツンフト闘争 を展開し、次第に市政の実権を獲得していった。
- 構成員:独立した手工業者であるe 親方 に陰られf 職人 ・g 徒弟 は厳しく区別された。
- その規制 h 自由競争の禁止、商品の品質・規格・価格の統制を行って、市場を独占した。
→ 手工業者の経済的地位を安定させたが、経済・技術の自由な発展を妨げるようになる。
E 有力市民の登場
- 15~16世紀 ドイツのアウグスブルクのa フッガー家 銀山を支配し蓄財。
16世紀には、金融業を営み、ドイツ皇帝や教皇にも融資し、大航海時代の資金も提供した。(後出) - 15世紀 イタリアのフィレンツェのb メディチ家 金融業で冨を蓄積し市政を独占。
一族からローマ教皇を出す。 → c ルネサンス の保護者となる。(後出)
用語リストへオ.封建社会の衰退
■ポイント 封建社会はなぜ、どのようにして崩れたか。歴史の進歩の要因となる社会の変化を的確に捉える。
A荘園制の崩壊 1300年ごろから、封建社会を支えた土地制度のしくみがくずれはじめる。
- 商業と都市の発展 → 自給自足が原則である荘園に、a 貨幣経済 が浸透する。
→ 領主はb 賦役 をやめ、直営地を農民に貸し生産物地代かc 貨幣地代 を納めさせるようになる。
→ 農民は生産物を市場で貨幣に換え、次第に貨幣を蓄えて経済的な地位を向上させた。
B農奴の解放
- 14世紀 気候の寒冷化、凶作や飢饉、a 黒死病(ペスト) の大流行、戦乱の長期化などのよって、
b 農業人口が激減したため荘園領主は農民の待遇を改善し、農奴の身分的束縛が緩くなった。 - a 黒死病(ペスト) 1348年頃、西アジアから伝染し、70年代までヨーロッパ各地に大流行した。
→ 西ヨーロッパの人口の約3分の1が死んだとされる。
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- 13~16世紀 地域による農奴解放の経過の違い。
イギリス:貨幣地代の普及により農奴解放が進みc ヨーマン と呼ばれるd 独立自営農民 が増加した。
フランス・ドイツ西南部:貨幣地代の普及は十分でなく生産物地代が残存し、農奴解放も進まなかった。
エルベ川以東のドイツと東欧:西欧向け穀物を生産するe 農場領主制 で農奴に対する支配が強化された。
C農民一揆 の発生 14~15世紀 英仏のa 百年戦争 の最中であった。(後出)
- 荘園への貨幣経済の浸透 → 領主の財政難 → 農民への課税が強化される。= b 封建反動 という。
- 1358年 フランスのc ジャックリーの乱 農民が領主の館などを襲撃。
- 1381年 イギリスのd ワット=タイラーの乱 一時はロンドンに迫る。指導者が暗殺され終結。
聖職者e ジョン=ボール の言葉 “f アダムが耕しイブが紡いだとき、だれが領主だったか。 ”
D封建領主の没落
- a 戦争の長期化、農民一揆、貨幣経済の浸透 などによって、b 中小領主層(騎士) の没落が多くなった。
- さらに14~15世紀のc 火砲の使用 など戦術の変化により、騎馬戦術をとる騎士の没落が進んだ。
- 没落した諸侯・騎士は国王に従属し、国王に仕える廷臣(宮廷官僚)となっていく。
→ 領地では農民から地代を取り立てるだけの地主的存在にすぎなくなる。
E国王権力の強化
- 商業圏の拡大 → 都市の市民はa 市場を統一する中央集権的な政治権力の出現 を望むようになる。
- 特にフランスでは、b 国王が大商人と結び、常備軍の設置・官僚制の整備などの王権の強化 を進めた。
→ 封建社会とその政治体制は解体し、近代的中央集権国家(主権国家)への歩みを始める。(後出)
F 社会不安の拡大 中世後期の14~15世紀 封建社会の解体、飢饉・疫病・戦乱などの社会不安が増大。
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- a ユダヤ人 とは、キリスト教世界でユダヤ教の信仰を守った人々。
キリスト教徒による差別強まる。 - 背景:b カトリック教会による異端取り締まりが強化され、宗教的差別・職業的差別が広がった。
→ 社会的不安の解消を少数者に転嫁する不寛容な動きが強まる。▲c ゲットー への強制隔離はじまる。
解説
ヨーロッパ各地に移住したユダヤ人はユダヤ教を守っていたが、キリスト教徒と混在し共存していた。キリスト教徒の中にユダヤ人に対する不寛容の精神が現れたのは十字軍時代からである。ユダヤ教徒はキリスト教徒が禁止されていた金貸しを営むことができたので、その勤勉な性格もあって豊かなものが多かった。それが社会不安の増大に伴い、反ユダヤ感情となって表面化し、黒死病はユダヤ人が井戸に毒を流したから広がった、などのうわさが立ち、時として集団的な虐殺(ポグロム)が行われるようになった。そのためユダヤ人は国外追放になったり、ゲットーに押し込められるようになった。(左は生き埋めにされるユダヤ人)
用語リストへカ.教皇権の衰退
■ポイント 中世西ヨーロッパで権勢をふるったローマ教皇はなぜ、どのように衰退していったかを理解する。
A 教皇権と王権の対立 十字軍の影響 → 国王の強大化 → ローマ教皇権の衰退。
- ローマ教皇a ボニファティウス8世 教皇権の絶対性を主張しイギリス・フランス両国王に対抗。
→ 一方、国王は聖職者に対する課税を企てる。 → 両者の対立が深刻になる。 - 1303年 b アナーニ事件 :フランス王c フィリップ4世 がローマ教皇a ボニファティウス8世
解説
フランス王フィリップ4世の部下であったギヨーム=ド=ノガレは強硬な反ローマ強硬論者で、この時アルプスを越え、ローマ郊外のアナーニに滞在中のボニファティウス8世を襲い、退位を迫った。教皇は頑強に拒否するうちにローマからの援軍によって救出されたが、1ヶ月後に急死した。ローマ教皇権の衰退を象徴する事件であった。
を捕らえ、幽閉。教皇は釈放後、屈辱のうちに憤死した。 - 1309年 d 教皇のバビロン捕囚 :c フィリップ4世 、教皇庁を南フランスのe アヴィニョン
解説
アナーニ事件の後、フランス人でボルドー司教だったクレメンス5世が教皇となった。1309年、フランス王フィリップ4世はクレメンス5世に圧力をかけ、南フランスのアヴィニヨンに教皇庁を移させた。このことを旧約聖書に出てくるユダヤ人のバビロン捕囚になぞらえて、「教皇のバビロン捕囚」とか、「教皇のアヴィニヨン捕囚」と呼んでいる。これは次の教会大分裂(シスマ)と共に、ローマ教皇権の衰退を示すものである。
に移し、その支配下におく。→ 1377年までローマ教皇がローマを離れるという事態となる。
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B教会の大分裂 1378年 教皇庁がローマに戻るとフランス王の後援でa アヴィニョン にも教皇が立つ。
- このカトリック教会総本山の分裂状態をb 大シスマ という。~1417年まで。
→ c ローマ=カトリック教会 の権威の衰え → 教会の世俗化・腐敗が進行。
→ 教会批判が強まる。 → ローマ教会側はd 異端審問 ・e 魔女裁判 で教会批判を封じる。
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C教会改革 の開始 14世紀後半 相次いでローマ教会批判が表面化。
- イギリスのa ウィクリフ :聖書こそ信仰の最高の権威であると主張し教会を非難。
→ b 聖書の英語訳 を行い、民衆への布教に努める。イギリスの政治・宗教上の独立を主張。
解説
ウィクリフはオックスフォード大学の神学教授であったが、教会の大分裂という混乱をよそに、ローマ教会の聖職者が豪奢な生活を続けていることに疑問を感じ、本来の教会の姿ではないと批判し始めた。そして聖書の教えに戻ることを説き、民衆が読むことのできないラテン語で書かれた聖書の英訳を行った。その教えはコンスタンツ公会議で異端として断定され、すでに死んでいたウィクリフの遺体は掘りだされ、改めて火刑に処せられた。
- ベーメン(ボヘミア)のc フス :聖書にもとづく信仰を説く。
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火刑にされるc フス
Dコンスタンツ公会議 1414~18年 皇帝ジギスムント が召集。
- ローマ教皇を正統と認め統一教皇をたてる。=a 教会大分裂 終る。
同時にb ウィクリフ ・c フス を異端として火刑にする。 - 1419~36年 ベーメンでd フス戦争(農民戦争) が起こる。
= ローマ教皇、プラハ市を破門。プラハ市民・農民が反発。
→ ジギスムントが十字軍と称して軍を派遣し鎮圧。
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・16世紀 e 宗教改革 の時代へとつながる(後出)。
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