▲ ミュンヘン会談
●国際(ファシズムの台頭)
Munich Agreement: German, Italian, British and French leaders agree to German demands regarding annexation of the Sudetenland in Czechoslovakia
戦(いくさ)やらずに ミーとユー。
1938年 ズデーデン地方
ミュンヘン会談 宥和政策
ドイツは1938年3月にオーストリアを併合、同年9月ミュンヘン会談でチェコスロヴァキアの重要工業地帯であるズデーテン地方の併合を要求。
イギリス首相ネヴィル=チェンバレン(前列左)、フランス首相ダラディエは(前列左から2人目)ヒトラーの強硬な態度に屈服し、ドイツの要求を受け入れた。
このミュンヘン協定は、英仏による対独宥和政策の頂点をなすものであった。
《ドイツの進出》
1935年、ドイツは住民投票によってザール地方をドイツに編入し、再軍備を宣言。36年にはラインラントに進駐し、38年にオーストリアを併合し、ミュンヘン会談によってズデーテン地方も併合した。
見事にザール 見ろライン、
35年 ザール地方を編入 36年 ラインラント進駐
さっぱり押すと ズデーテン。
38年 オーストリア併合 ズデーテン地方を併合
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