第二次西園寺公望内閣が二個師団増設問題で総辞職すると、官僚、藩閥を基礎とする第( a )次桂太郎内閣が出現した。この内閣の成立や施政の中に憲政の危機を感じた( b )の尾崎行雄や立憲( c )の犬養毅らの政治家や新聞人、知識人らは「憲政擁護・( d )」をかかげる運動を全国的に展開した(第一次( e )運動)。桂内閣は議会外の大衆運動と議会内では多数派の野党の攻撃を受け、
組閣 53 日にして退陣した(( f )政変)。
しかし、その後も( g )内閣、第二次大隈重信内閣、寺内正毅内閣と非政党内閣がつづいた。いずれも元老が裏で工作した内閣であった。寺内内閣が、全国的な規模でひろがった( h )の責任を負い総辞職した後、華族でも藩閥出身者でもなく、衆議院第一党の党首であるということで( i )総裁原敬が内閣を組織した。
名実共にそなわった政党内閣の出現である。
原首相の遭難後、原内閣を継承した高橋是清内閣は別として、それ以後の( j )内閣、第二次山本権兵衛内閣、清浦奎吾内閣は非政党内閣であった。清浦が軍部・外務三大臣以外の閣僚ポストに貴族院議員をすえて内閣を組織すると、政友会・憲政会・( k )の三党は憲政擁護運動をおこした(第二次( e )運動)。
提携した三政党は総選挙で大勝し、三党の連立内閣を組織した。衆議院第一党の
( l )総裁加藤高明が首相になった。
1924 年 6 月のことである。1925 年、加藤内閣が成立させて広く世に知られた法律としては、( m )並びに治安維持法がある。加藤高明内閣以後、( n )年に( o )内閣が五・一五事件で倒れるまで政党政治はつづいた。
解 答]
a - 三 b- 政友会 c - 国民党 d - 閥族打破 e - 護 憲 f - 大 正 9 - 山本権兵衛 h - 米騒動 i- 政友会 j- 加藤友三郎 k - 革新倶楽部 1- 憲政会 m- 普通選挙法 n - 1932 o- 犬養毅
[解説]
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