
▲ムハンマド=アリー
●エジプト(ムハンマド・アリー朝)
Muhammad Ali Pasha founds his dynasty in Egypt.
人は大声(おおごえ) 謀反(むほん)あり。
1805年 オスマン帝国 エジプト太守 ムハンマド=アリー
ナポレオン1=ボナパルトのエジプト侵入を排したオスマン帝国の軍人ムハンマド(メフメト)=アリーは侵攻に伴う混乱を排して1805年、エジプト太守(翌年総督)となった。
アリーは旧勢力のマムルークを一掃し、フランスの援助を受けつつ、エジプトの近代化をおしすすめた。
彼は、一時ワッハーブ王国をほろほし、ギリシア独立戦争でトルコを助けたが、シリアの統治権を要求したことからエジプト‐トルコ戦争となり、オスマン帝国とたたかつて勝利をおさめた。
しかしこのような動きはかえってヨーロッパ列強の介入をまねき、列強の干渉によって、1840年に総督の地位の世襲が認められただけだった。
近代化事業や戦争によって債務をかかえたことにより、エジプトは、1860年代からはイギリス・フランスの財務管理下におかれることになる。
このような状況に反発して起こされたウラービーの反乱は失敗に終わったが、これは、その後のエジプト民族主義運動の原点となったとされる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます