●江戸時代(後水尾天皇 徳川秀忠)
Shogunate issues an order limiting castles to one per domain, promulgates Laws for the Military Houses and Laws Governing the Imperial Court and Nobility.
異論(いろん)以後無し 武家や公家。
1615年 以心宗伝 一国一城令 大坂夏の陣 武家諸法度 禁中並公家諸法度
1615年、江戸幕府は大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼした直後、一国一城令によって大名の居城を一つに限った。また徳川家康は以心崇伝に起草させ、将軍秀忠の名で発布した武家諸法度によって大名を厳しく統制。
さらに禁中並公家諸法度を制定して朝廷をも統制化に置いた。
2015早大・文
江戸幕府がa参動交代の制度を定めたのは1635年のことである。大名は将軍から屋敷を拝領したが、藩によってはそのほかに抱屋敷を購入することもあった。江戸藩邸には大名の妻子と、国元へ帰らず江戸で暮らす定府の家臣、ならびに国元からきた藩主とその供奉をした家臣が住んだ。定府の役職の一例として、幕府や他藩との連絡・交渉を行い、諸藩の情報収集にあたった江戸[ A ]があげられる。藩邸には物売りなども訪れたが、住居の長屋に付属した小さな庭で野菜や花を育てる家臣もいた。諸大名の妻子は人質として江戸藩邸に居住しており、その意昧では幕府による大名統制と言えるが、江戸には参勤交代により、日本国中の大名とその家臣が入れ替わり常駐していたわけだから、江戸城に住む将軍と将軍の直臣たる旗本・御家人は、諸大名の軍隊に取り囲まれていたとも言える。
〔問〕
1 下線a参勤交代に関する記述として、誤っているものを1つ選べ。
ア 参勤交代は原則として江戸と国元に1年ずつ大名を生活させる制度である。
イ 参勤交代は公事方御定書で定められた。(×武家諸法度寛永令で明文化)
ウ 参勣交代と江戸での生活には費用がかかり、藩によっては財政困難に陥るところもあった。
エ 参勤交代の大名行列が多数通る東海道などでは、宿場町が繁栄した。
オ 参勤交代で江戸へ来た大名は、江戸城に出向いて将軍に挨拶をした。
2 空欄Aに該当する言葉を、漢字3字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。
(答:留守居)
2014明治大・文(文・史学地理・心理社会)
大名統制の根幹となるのが、1615年(元和元)に制定された武家諸法度である。この武家諸法度は徳川家康が南禅寺金地院の[ b ]に起草させ、秀忠の名で発布され、その後、将軍の代がわりごとに少しずつ修正して出された。[ c ]の時に発布されたそれには、大名が国元と江戸とを1年交代で往復する参勤交代が義務づけられており、将軍と大名の主従関係の確立がみられる。
bの選択肢:1.隆光 2.契沖
3.沢庵 4.天海 5.崇伝
cの選択肢:1.吉宗 2.家光
3.綱吉 4.家宣
5.家綱
(答:b5、c2)〉
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