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1935(昭和10)年 〈天皇機関説問題〉★★

2017-10-03 | 『新日本史頻出年代暗記』

●昭和時代(昭和天皇 岡田啓介内閣)

Emperor-as-organ-of-the State Theory: Controversy arises over the constitutional status of the emperor.

 説(と)くさ国体 機関述べ。

1935年   国体明徴声明 天皇機関説 美濃部達吉

1934年、穏健派の海軍大将岡田啓介が組閣。

1935年には、天皇は国家法人の最高機関であるという、美濃部達吉の天皇機関説が天皇に対する不敬として軍部や国家主義団体から攻撃され、問題となった。

岡田内閣は軍部の圧力に屈して「天皇は統治権の主体である」という国体明徴声明を出し、その学説を否定し、美濃部の著書を発禁処分にした。この結果、軍部の政治力は拡大していった。


《軍部による言論弾圧》


1933年、滝川幸辰の『刑法読本』が国家破壊の著作であるとして発禁処分を受け(滝川事件)、35年には美濃部達吉の天皇機関説問題が起こった。

1937年には東大教授やないはら矢内原忠雄の論説が右翼から攻撃され教授退職(矢内原事件)。翌38年には河合栄次郎の4著書が発禁処分となり、河合は休職に追い込まれた。

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 (19)33年 滝川事件 (19)35年 天皇機関説問題


皆やな茨(いばら) サッパリか。
 (19)37年 矢内原事件  (19)38年 河合栄治郎、休職処分となる

              
年代   事件   内容
1933年 滝川事件 京大教授滝川幸辰の刑法学説を自由主義的とし、文部省が休職処分。


1935年 天皇機関説問題 東大教授美濃部達吉の『憲法撮要』などを反国体的として攻撃、発禁処分。


1937年 矢内原事件 東大教授矢内原忠雄が軍国主義・植民地政策を批判し、辞職。


1938年 人民戦線事件 無産政党・労働指導者、理論家教授を検挙。


1938年 河合栄治郎著書発禁 東大教授河合栄治郎の『ファシズム批判』などを発禁、休職処分。


1940年 津田左右吉の筆禍事件 早大教授津田左右吉の『神代史の研究』などを発禁。

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