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藤原純友(すみとも)の乱

2017-05-21 | 『新世界史頻出年代暗記』

組み来る済みと常も良し。

小野好古(おののよしふる))(藤原純友・源経基(つねもと))


[ポイント]

1.藤原純友の乱小野好古源経基が平定した。

[解説]
1.藤原純友(?~941)は、伊予掾(いよのじょう)として海賊(かいぞく)追捕(ついぶ)にあたっていたが、939年東国で平将門の乱が起こると、立場を一転して瀬戸内海の海賊の首領となり、日振島を根拠地として反乱を起し、大宰府を焼き討ちしたりした。

2.朝廷は小野好古(884~968)を追捕使(ついぶし)とし、源経基(生没年不詳、清和源氏の祖)に命じて941年にようやく平定した。

〈2014早大・政経:「

3.下線部(3)承平天慶の乱についての説明として誤っているものはどれか。

 ア 乱はいずれも藤原忠平の摂政在任中に起こった。
 イ 乱を起こした藤原純友と平将門は、それぞれ国府を攻め落とした。
 ウ 乱を起こした藤原純友と平将門は、いずれも任官の経験がある。
 エ 乱の鎮圧には追捕使か押領使が関与した。
 オ 乱を鎮圧した者の家柄はともにのちに武門の棟梁と呼ばれた。

(答:ウ ※藤原純友は従五位下伊予掾(じょう)(つまり伊予国の行政官で守(かみ)・介(すけ)に次ぐ三等官)。平将門は、滝口の武士でしかなく検非違使の佐(すけ)や尉(じょう)を望んだが任官できていない)


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