
▲二条良基
●室町時代(後光厳天皇 後村上天皇)
Nijyō Yoshimoto begins compilation of the renga collection Tsukubashu.
いざゴロもよし 菟玖波(つくば)集。
1356年 二条良基 『菟玖波集』
1356年、二条良基は救済(きゅうぜい)とともに平安時代以来の連歌を集めて 『菟玖波集』 の編纂を開始。
『菟玖波集』は最初の連歌集で勅撰に準ぜられ、連歌を和歌と対等の地位にした。
良基は1372年に連歌の規則書『応安新式』も制定した。
〈2014慶大・文
問5 下線dの高山宗砌(そうぜい)は連歌の名手で、同じ和歌会に参加した幕府直臣の杉原賢盛や政所代という要職にあった蜷川智蘊らとともに連歌七賢と称された。彼らの連歌を収録した1495年成立の准勅撰連歌集の書名を記しなさい。
(答:新撰菟玖波集)〉
〈2015立命館大・全学部2/2:「
連歌師の[ F ]が弟子たちと詠んだ『水無瀬三吟百韻』の冒頭部分は、
(発句)雪ながら山本かすむタベかな [F]
(脇句)行く水とほく梅にほふさと 肖柏
(第三句)川風に一むら柳春見えて 宗長
となっている。室町時代の文化には、人と人とのつながりを大切にし、集団で楽しむ精神が満ちあふれていた。
問 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な人名を答えよ。」
(答:宗祇)〉
〈2013早大・文化構想学部
室町時代には、有職故実・注釈研究がいよいよ盛んになり、b一条兼良らが活躍した。応仁の乱で室町幕府が衰退し、京都が一時荒廃するなど、中央への求心力が減退すると、貴族や僧侶等のなかには、地方へ赴く者も現れた。彼らによって、c.戦国時代には学問やさまざまな文化が地方にもたらされることとなった。
問5 下線cに関連して述べた文のうち正しいものはどれか。1つ選べ。
ア 大内氏の城下町である萩には、雪舟など多くの文化人が集まった。
イ 桂庵玄樹は、朱子の『大学章句』を土佐で刊行した。
ウ 南村梅軒は吉良氏に招かれて儒学を講じ、薩南学派の祖となった。
エ 下野国の足利学校は、宣教師によって「坂東の大学」としてヨーロッパに紹介された。
オ 連歌を地方に広めた山崎宗鑑は、弟子とともに『水無瀬三吟百韻』を詠んだ。」
(答:エ ※ア×萩ではなく山口、イ×薩摩で刊行、ウ×土佐南学の祖、オ×『水無瀬三吟百韻』は宗祇)
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