
奈良時代の女帝(在位749~758)。聖武天皇の第2皇女(阿倍内親王)。
母は藤原不比等の娘、光明皇后。
738(天平10)年史上唯一女性皇太子となり、749(天平勝宝元)年聖武天皇の譲位を受けて即位。
仏教を深く信仰し、752年に東大寺大仏開眼供養を挙行。
758年、大炊王(淳仁天皇)に譲位。初め藤原仲麻呂を重用したが、上皇のとき道鏡を寵愛したため764年に仲麻呂一派が乱を起こした(恵美押勝の乱)。
この乱の責任で淳仁天皇を廃して重祚、称徳天皇(在位764~770年)と称した。
重祚後は道鏡を重く用いて政治・財政の混乱をまねき、貴族の反感をかった。770(宝亀元)年皇嗣(こうし)を決定しないまま死去した。
用語解説 重祚 退位した天皇が再び皇位につくことを重祚という。飛鳥時代に皇極天皇が重祚して斉明天皇となり、奈良時代に孝謙天皇が重祚して称徳天皇となった2例がある。
「玉砕検証(ぎょくさいけんしょう)(皇極→斉明・孝謙→称徳)。」と覚えよう。
2014早大・教育
問5 下線部d8世紀ににわかに台頭してきた宇佐の八幡神は皇位にかかわる託宣を下し、この神託の判断をめぐって大きな混乱が巻き起こったについての説明で正しいものはどれか。
ア 孝謙天皇の重祚をうながす神託が下された。(×孝謙天皇の重祚ではなく、道鏡の皇位就任の神託が下された)
イ 神託を確かめるために藤原百川が宇佐へ派遣された。(×神託を確かめるために宇佐に派遣されたのは藤原百川ではなく、和気清麻呂である)
ウ 神託後、日本史上初の法王が誕生した。(×道鏡が法王になったのは766年、宇佐八幡宮の神託が下ったのは769年なので、道鏡が法王になったのは、神託の後ではなく前である。)
エ 石清水から宇佐へ勧請された八幡神が猛威をふるった(×石清水八幡宮から宇佐に勧請(神仏の分霊を請じ迎えること)されたのではなく、平安時代初期、宇佐八幡宮から石清水八幡宮に勧請された。)。
オ 神託によって皇位につくことをうながされた人物は、下野薬師寺に追放された(〇)。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます