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1391年 明徳の乱       

2005-12-08 | Weblog
 山名討つため 人作為。
山名氏清 明徳の乱 1391年

 3代将軍足利義満は強大化した守護の統制に乗りだした。1390年、美濃の守護土岐康行※を家督相続の混乱に乗じて討伐。90年には一族で11カ国を領し六分の一殿とよばれた山名氏清を挑発して乱を誘発。これを討って幕府勢力を安定させた(明徳の乱)。この結果、翌92年に義満は南北朝の合一を成し遂げた。
※ 土岐康行は美濃の守護。美濃は現在の岐阜県。土岐の〈岐〉は岐阜の〈岐〉であることに注目して覚えよう。

暗記のポイント 
 足利直義と尊氏の執事高師直の対立は1350年以降、観応の擾乱へと発展。

● 山名氏清 3代将軍足利義満に仕え、南朝との戦いに功を立てる。一族で11カ国を領し、日本の6分の1を領して六分の一殿と呼ばれ、強勢を誇ったが、1391年、明徳の乱を起こし敗死した。

出題例でカクニン! 次の文の空欄に適当な語句を記入しなさい。
 南北朝の合体は室町幕府将軍( 1 )の時、西暦( 2 )年のことである。すでに南朝勢力は存在意義を失っており、義満は美濃守護土岐氏を討ち、中国諸国の守護であった( 3 )の反乱(明徳の乱)を鎮圧した。おそらくこうした形で進む全国武士の統合という方向を見すえたうえで合体に踏み切ったのであろう。
                        〈駒沢大(文・法)〉
【答え】 (1)足利義満 (2)1392 (3)山名氏清
       
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