▲アンボイナ島における英蘭の領土を描いた銅版画
●オランダ‐イギリス(ステュアート朝)
Amboyna massacre:
Ten men in the service of the British East India Company are executed by the Dutch East India Company.
一路塞(ふさ)ぐは 乱暴な。
1623年 イギリス オランダ アンボイナ事件
オランダは1602年に東インド会社を設立してアジアに進出し、ジャワ島のバタヴィアを根拠地にポルトガル商人を排除して香辛料貿易の実権を握った。
さらに1623年、モルッカ諸島の一つアンボイナ島(アンボン島)でイギリス人を虐殺するアンボイナ事件を起こして、これを契機にイギリス勢力を東南アジアから追放し、後のオランダ領東インドの基礎を築いた。
またアジアとの中継地として1652年、アフリカ大陸南端にケープ植民地を築いた。
アンボイナ事件をきっかけに、東南アジアにおけるイギリスの影響力は縮小し、オランダが支配権を強めた。
しかし、香料の価格は次第に下落。それに伴い、オランダの世界的地位も下がり始めた。
対して、新たな拠点をインドに求めたイギリスは、良質な綿製品の大量生産によって国力を増加させた。
▼モルッカ諸島とアンボン島
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