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第1章・オリエントと地中海世界 ★★ ローマ帝政

2020-01-10 | 入試問題+ゴロ合わせ

 2008 日大・法

【問】次の文章を読み、問1~問10に答えなさい。

 紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウス・(a).クレオパトラの連合軍を破ったオクタウィアヌスは、紀元前(  b  )年に元老院からアウグストゥスの称号を与えられるとともに、重要な国政上の権限を手に入れ、(c)帝政を開始した。その後1世紀の末から2世紀の末頃にかけて、(d)「五賢帝」とよばれる皇帝たちが出て政治は安定し、ローマ帝国は大きな繁栄をみた。帝政前半期には、帝国全域にわたって道路が建設され、 (e)都市文化が普及した。商業も発展し、 (f).東方との貿易も盛んにおこなわれた。こうした繁栄は、 2世紀の末頃からかげりを見せ始める。3世紀のはじめに(  g  )帝は帝国の全自由人に ローマ市民権を与えたが、これは帝国の社会構造が大きく変化したことを示すものであった。さらに(h)軍人皇帝の時代にはいると、大きな混乱が帝国をおそった。3世紀の末に即位したディオクレティアヌスは、(i)こうした混乱を収拾して国家の建て直しをはかった。続いてコンスタンティヌス帝も帝国の体制の強化につとめたが、(j)4世紀の後半には再び混乱が支配的となり、476年に西の帝国は消滅した。

問1 下線部(a)のクレオパトラは、どの王朝の女王であったか。次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.プトレマイオス朝  2.アンティゴノス朝  3.アルサケス朝  4.セレウコス朝

問2 空欄( b)に該当する年を、次の1~4の中から一つ選びなさい。
1.29   2.27    3.25    4.23

問3 下線部(c)に関連して、次の1~3の文のうち、アウグストゥス(オクタウィアヌス)の帝政についての記述として適切でないものがあればその番号を、すべてが適切である場合は0をマークしなさい。
 1.
アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、共和政時代の制度を尊重しながらも、さまざまな要職を兼任し、最高の権威をもって統治した。
 2.
アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、プリンケプス(第一人者)と称したので、この体制をプリンキパトゥスとよぶ。
 3.
アウグストゥス(オクタウィアヌス)は、エジプトをも属州として支配し、地中海世界は以後約200年にわたって「ローマの平和」とよばれる平穏な時代を迎えた。
問4
 下線部(d)に関連して、次の1~3の文のうち、 「五賢帝」についての記述として適切でないものがあればその番号を、すべてが適切である場合は0をマークしなさい。
 1.
「五賢帝」とは、ネルウァに始まる5人の皇帝たちをいう。
 2.
「五賢帝」の一人トラヤヌスの時代に、ローマ帝国の領土は最大となった。
 3.
「五賢帝」の一人マルクス=アウレリウス=アントニヌスはストア派の哲学者でもあり、『国家論』を著した。
問5
 下線部(e)に関連して、次の1~3の文のうち、ローマ都市についての記述として適切でないものがあればその番号を、すべてが適切である場合は0をマークしなさい。
 1.
標準的なローマ都市は、水道、浴場などの公共施設を備えていた。
 2.
パリ、ロンドン、ウィーン、ベルリンなどは、この時代のローマ都市から発展した。
 3.
都市の貴族層は、ローマ市民権を与えられ、さらに帝国の支配層に上昇していくものもいた。

問6 下線部(f)に関連して、次の1~3の文のうち、この時代のローマ世界と東方との交流についての記述として適切でないものがあればその番号を、すべてが適切である場合は0をマークしなさい。
 1.
中国・東南アジア・インドから、絹や香辛料がもたらされた。
 2.
インド洋の季節風を利用した、紅海からイ ンドに至る航路が開拓され、 『エリュトゥラー海案内記』が書かれた。
 3.
2世紀に、大秦王の使者と称する者が中国に来航した。

問7 空欄(g)に該当する皇帝を、次の1~4の中から一人選びなさい。
1.カラカラ   2.ネロ   3.ハドリアヌス   4.ユリアヌス

問8 下線部(h)に関連して、次の1~3の文のうち、この時代の状況についての記述として適切でないものがあればその番号を、すべてが適切である場合は0をマークしなさい。

1.各地の軍団が次々に皇帝を立て、その皇帝たちの多くは短期間のうちに殺された。

2.ゲルマン人の侵入が相次ぎ、東方国境ではササン朝ペルシアの脅威が強まった。

3.戦争や疫病で人口が減少したため農民の地位が高まり、大土地所有者の所領は衰退した。

問9
 下線部(i)に関連して、次の1~4の文のうち、ディオクレティアヌスの政策についての記述として適切でないものを一つ選びなさい。
 1.
帝国を4つに分けて4人の皇帝が支配する四分統治(テトラルキア)制を採用した。
 2.
税制や軍制の改革につとめ、官吏と兵士の数を大幅に削減した。
 3.
皇帝権力の絶対化を進め、専制君主として支配した。
 4.
キリスト教徒に対する大迫害をおこなった。

問10
 下線部(j)に関連して、この時代に起こった次のa・b・Cの出来事を左から古い時代順に並べるとどのような順序になるか、下の1~6の中から一つ選びなさい。
 a.
キリスト教が国教とされた。
 b.
ローマ帝国が、最終的に東西に分割された。
 c.
ゲルマン人の大移動が始まった。

 1.a・b・c  2.a・c・b  3.b・a・c
 4.b・c・a  5.c・a・b  6.c・b・a

 
 

解 答 

10
 
問1. エジプトの〈プト
 
問2. 前27年 〈ローマ〉オクタヴィアヌス、元老院よりアウグストゥスの称号を受ける(~14年)。 

担う帝国 労多く。
27年 ローマ帝国成立 オクタヴィアヌス  

 
問4.『国家論』はプラトンかキケロにその名の著書がある。マルクス=アウレリウス=アントニヌスの著書は『自省録(Meditations)』。

前51年 キケロ、『国家論』。

強引聞け論 国家論。

51年 キケロ 『国家論』 ローマ


問5.ギリシア都市から発展。
 
問6 2.エリュトゥラー海は紅海のこと。

問7 

212 年〈ローマ〉カラカラ帝、帝国内全自由民にローマ市民権賦与。

ついに市民やあんたから。

212 年ローマ市民権アントニヌス法 カラカラ帝 

問8.軍人皇帝時代の混乱期を境に、コロナトゥス制が発達した。〈コウ〉。
 
3.

166 年  〈党錮の禁~169〉 李膺をはじめ百数十人が殺される。 

166年    〈大秦国王安敦の使者、日南郡に来る〉

一路ローマの 遠くから。

166  ローマ マルクス=アウレリウス=アントニヌスの使者 党錮の禁 桓帝

問8 2.

 

●イラン(ササン朝)

 260エデッサの戦い

The Battle of Edessa took place between the Roman Empire and Sassanian forces under Shapur I.

The Roman army was defeated and the Emperor Valerian was captured by the Persian forces.

踏む俺はシャー 捕らえてさ

260年 ウァレリアヌス シャープール1世 エデッサの戦い ササン朝  

226年にパルティイアを倒したササン朝ペルシアアルデシール1世は、勢いを増して小アジアに進出。260、2代の王、シャープール1世は東征してきたローマ軍にエデッサの戦いで勝利し、軍人皇帝ウァレリアヌスを捕虜にした。エデッサはユーフラテス川上流、現在のトルコの東部の地。以後ローマ帝国は僭称皇帝の乱立・領土の分裂などでその混迷を一層深めてゆくこととなる。

 問9 2だけトーンが違う。

 問10.a 392年 〈ローマ帝国〉キリスト教国教化。        

  Theodosius I issues an edict reinforcing the prohibition of prayers or sacrifices at non-Christian temples.

さぁ国のもの 手をどうぞ。

392年  国教化   テオドシウス帝

b.

395年 テオドシウス帝の死:2子アルカディウス・ホノリウスが分治安〈ローマ帝国東西分裂〉

裂くことにして ローマ分け。 

395  年      テオドシウス帝  ローマ帝国東西分裂

c.

375年 西ゴート族、フン族に圧迫され南下開始(ゲルマン大移動開始)。

皆来い逃げろ 西へゴー。

375年 ゲルマン大移動  西ゴート 

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