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白鳳文化

2018-05-09 | Weblog

 

 

 白鵬個癖 好物焼くと。


白鳳文化)(薬師寺東塔(とうとう)・興福寺仏頭(ぶっとう))(法隆寺金堂(こんどう)壁画


[ポイント]
1.白鳳文化を代表するのは、建築は薬師寺東塔、彫刻は興福寺仏頭、絵画は法隆寺金堂壁画である。

[解説]
1.薬師寺東塔は、高さ約34m、一辺約11mの四角形の平面の裳階(もこし)つきの三重塔。律動感がある姿で「凍れる音楽」と評される。飛鳥から移築したか平城京で新築したかは異説があるが、白鳳時代唯一の建築遺構で、のびやかな美しさがあり、雲形肘木(くもがたひじき)などの技法を伝える。頂上の飛天(空中に舞う天女)を配した水煙(すいえん)も素晴らしい。

2.興福寺仏頭は、685年造立。金銅像の顔面部が1937年興福寺東金堂本尊(ほんぞん)台座下から偶然発見された。1187年、興福寺僧徒が飛鳥の山田寺から奪い、1411年火災にあった丈六(約4.8メートル)の薬師三尊像の本尊の頭部と推定されている。仏頭はあきらかに日本人の顔つきで、飛鳥までの異国人の容貌ではない。よってこの仏頭は、大陸の模倣の域を脱し、我が国独自の文化「白鳳文化」を生み出した証拠である。なお山田寺は、蘇我倉山田石川麻呂が643年に建立した寺。649年、改新政治から遠ざけられた石川麻呂は謀反の罪を着せられ、中大兄皇子の軍に攻められ同寺内で自殺した。寺は平安時代末期に荒廃。1982年、廻廊の一部が発見された。

3.法隆寺金堂壁画は12面あった。インドのアジャンター壁画に類似しており、インドの5世紀グプタ朝美術が、中国を経て日本に影響したことがわかる。残念なことに1949年に火災で『法隆寺金堂小壁飛天図』の小壁を除いてすべて焼損し、現在の壁面は模写である。残った飛天図とは、金堂内陣長押(なげし)上の小壁20面に描かれた諸菩薩の壁画。金堂外陣の四大壁の壁画が焼損した時、解体修理のため取り外されていたので、20面全部が無傷で残った。製作時期は、四大壁の壁画と同じく7C末~8C初め頃。なおアジャンター壁画とは、インドのボンベイの東北に前2C~後7Cに開かれたアジャンター石窟群の壁画。なお法隆寺金堂そのものは前代の飛鳥文化の建築である(正誤問題頻出)。

4.(その他代表彫刻として)薬師寺金堂薬師三尊像がある。本尊の薬師如来の座像を中央に、その左右に脇侍の日光・月光の立像を配す金銅像。造立は7C末藤原京の説と、8C初め平城京の両説がある。台座の葡萄唐草文様にはギリシア文化に源流をもつ西アジアの影響がみられる。異国的な飛鳥仏を脱し、柔らかい表情で表現されている。

5.また薬師寺東院堂聖観音(しょうかんのん)は、同じく日本的な柔和な表情の像である。衣紋が左右対称に彫られているのは古い様式。丸みと奥行きのある体躯である。

6.(その他代表絵画として)高松塚古墳壁画がある。1972年に発掘調査された。直径18m、高さ約5mの円墳。内部に人一人がやっと入れるくらいの小さな石室(石槨(かく))があり、その天井および4面の壁に絵が描かれている。天井は星座、東壁には日像と青龍、男女の人物群像、西壁には月像と白虎、男女の人物群像、北壁には玄武が描かれている。石室の内部は湿度90%以上、室温15℃前後と環境が一定していたため、壁画の保存状態はよかったが、発掘後はずさんな管理によりカビが生じ、解体修理された。

7.(その他代表文学として)最初の和歌集である万葉集がある。編者は大伴家持か。

8.漢詩では最初の漢詩集である懐風藻がある。代表的詩人は大津皇子。

〈2014立大・経済コミュ福祉観光

 薬師寺は、当初藤原京で造営され、8世紀前半になって平城京に移されたものである。薬師寺東塔は、藤原京で作られたものを移築したという説と、平城京で新たに作られたとの説があるが、実際には三重の塔であるものが、図1(省略)の( ト )によって六重の塔に見える工夫がこらされており、5.白鳳文化の代表的な仏教建築として知られている。

A.文中の(ト)にあてはまる適当な語句を記せ。

B5.下線部5に関する記述として正しいのはどれか。次のa~dから1つ選べ。

 a.この文化を代表する絵画の1つに、高松塚古墳壁画がある
 b.この文化を代表する仏教建築の1つに、唐招提寺金堂がある
 c.室生寺や神護寺などの山岳寺院もさかんに建立された
 d.薬師寺僧形八幡神像に代表される神像彫刻が隆盛した。

(答:Aト裳階(もこし)、B5a ※b×天平文化、c×弘仁貞観文化、d×弘仁貞観文化)〉

 

 

▲薬師寺東塔。三層だが屋根の下に設けられた裳階により六層に見える。

 

 

 

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飛鳥文化

2018-05-09 | 入試問題+ゴロ合わせ

明日は彫り込む 釈迦の玉、駆使中盤で 降板し。

飛鳥文化  飛鳥寺 (法興寺)

    法隆寺金堂釈迦三尊像 

         (法隆寺)玉虫厨子 

              (法隆寺)百済観音像

                   (法隆寺)獅子狩文様錦

                       中宮寺半跏思惟像   

                          (中宮寺)天寿国繍帳

                              広隆寺半跏思惟像 

                                  四天王寺


飛鳥文化・隆寺(こうりゅうじ)半跏思惟(はんかしゆい)像)(法隆金堂)(法隆寺金堂釈迦尊像・中宮寺寿国帳(てんじゅこくしゅうちょう))

[ポイント]
1.飛鳥文化を代表するのは、建築は法隆寺金堂、彫刻は広隆寺半跏思惟像法隆寺金堂釈迦三尊像、工芸は中宮寺天寿国繍帳

[解説]
1.法隆寺金堂は、7Cの建造。平面18×15m、西院の中心で、柱のエンタシスなど中国の南北朝様式を特色とする。鞍作鳥作の『釈迦三尊像』や焼失した壁画は著名。五重塔・中門・歩廊(廻廊)と共に旧山田寺廻廊遺材に続く世界最古の木造建築。

2.広隆寺半跏思惟像は、南朝の南梁様式。像高1.2mの木像。材は赤松。これも弥勒菩薩像と思われる。朝鮮伝来のもので603年聖徳太子が秦河勝(はたのかわかつ)に贈ったと伝えられ、韓国によく似た像がある。中宮寺の半跏思惟像と共に新羅様ともいう。2体とも右足を左足の上にのせている。国宝に第1号で指定。なお広隆寺は秦氏の氏寺で秦河勝が京都の太秦に建立したと伝えられる。

3.中宮寺天寿国繍帳は、聖徳太子の死後、妃の橘大郎女(たちばなのおおいらつめ)が太子の天寿国での様子を、刺繍で描かせたもの。日本最古の刺繍。

4.法隆寺は厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)が建立し、(再建されていたとしても)現存する世界最古の木造建築物である。法隆寺再建論争は法隆寺西院伽藍(金堂・五重塔など)の成立をめぐる論争。『日本書紀』に670年法隆寺炎上の記事があるため、歴史学者は現存の金堂・五重塔の670年以後の再建を主張。一方建築史家は様式や尺度から創建当時のものと非再建を主張。法隆寺再建説の根拠は1939年、発掘された若草伽藍(がらん)跡である。これで再建説が有力となる。同伽藍は法隆寺西院より古い四天王寺式伽藍配置をもっていた。2004年、1000度以上の高温にさらされている彩色寺院壁画破片多数が発見され、炎上をさらに裏付けた。

5.その他代表建築に法隆寺五重塔。11㎡、総高32m、金堂と左右対称に建てられ、法起寺(ほっきじ)三重塔(国宝)と共に飛鳥様式を伝える最古の塔。最下層の塑像群は著名。

6.その他代表彫刻に法隆寺百済観音(かんのん)像も。南梁様式。像高2.1mの一木造像で7Cの作。材は楠(くすのき)。百済から渡来との伝承による名称だが、この渡来説は否定されている。体つきに丸味がある。

7.その他代表彫刻には中宮寺半跏思惟像も。像高1.3mの木像。材は楠(くすのき)。片足を他の足の太股(ふともも)の上に組み(半跏、ただし広隆寺の像とともに右足を左足の上にのせている半跏)、手を頬に当てて深く思考(思惟、ただし思惟(しゆい)は思惟(しい)の古語的表現)している。如意輪観音(如意宝珠という玉で人びとの願いをかなえる観音)と寺には伝わるが弥勒菩薩(お釈迦様の教えを受けなかったすべての人びとを救う菩薩)と考えられる。南朝様式に近い。

8.上記の4像のうち法隆寺金堂釈迦三尊像のみ北魏(北朝様式、他の3像は南梁(南朝)様式。

9.その他代表絵画に法隆寺玉虫厨子須弥座絵。小型の仏像を安置する箱型の仏具が厨子。もとは小さな阿弥陀三尊像をを収納し、金堂の中に安置されていたといわれる。数千枚の玉虫の羽を敷き詰めてある。須弥座絵は黒漆の上に朱や緑青を油に溶かした絵の具で、仏教説話を題材に描いている。忍冬(すいかずら)のような蔓草(つるくさ)を図案化した忍冬唐草文様が用いられている。

10.飛鳥寺蘇我馬子が建立した日本最初の寺である。

11.広隆寺秦河勝(はたのかわかつ)が建立した同氏の氏寺である。

12.飛鳥文化の国際性を示すものとして、法隆寺金堂のエンタシスの柱、法隆寺玉虫厨子の須弥座絵(しゅみざえ)に描かれた忍冬唐草文様(にんどうからくさもんよう)や、法隆寺伝来の獅子狩文様錦(ししかりもんようきん)がある。

〈2014明大・農(食料環境政策)

問6 下線部(ウ)飛鳥に関連して、飛烏文化と最も関連が深い事項を下記から一つ選べ。

 A 薬師寺東塔  B 法隆寺阿弥陀三尊像
 C 興福寺仏頭  D 高松塚古墳壁画
 E 獅子狩文様錦

(答:E ※A・C・Dは白鳳、Bは鎌倉、釈迦三尊像と混同しないように)

〈2013青山学院・文教育経済法経営など

問4.下線部b7世紀前半に唐に使節を送ったときに関して、この時期の作品として誤っているものを、次の①~④の中から一つ選んでマークしなさい。

 ①法隆寺金堂壁画 ②中宮寺天寿国繍帳
 ③広隆寺半跏思惟像 ④法隆寺玉虫厨子

(答:1)

〈2012明大・商

法隆寺は、607年に大和の斑鳩に聖徳太子(厩戸皇子)が創建した寺院である。創建当時の伽藍は670年に焼失したが、現在の伽藍はそれからほどなくして再建されたものと考えられている。創建当時のものではないとしても、7世紀の木造建築の現存例は世界でも珍しく、金堂・五重塔・中門・回廊は飛鳥時代の様式を伝え、我が国における仏教の普及を考えるうえでも貴重な建築である。また建築以外でも仏像では、聖徳太子の死後、623年に鞍作鳥が制作したとされる北魏様式の金堂

A【①薬師如来像 ②釈迦三尊像 ③四天王像 ④救世観音像 ⑤百済観音像】

などが有名である。このほか法隆寺に隣接する尼寺である[ あ ]には、国宝の半跏思惟像や天寿国繍帳が所蔵されている。

(答:A2、あ中宮寺)〉

623年 鞍作鳥、法隆寺金堂釈迦三尊像を製作。

睦み宝庫さ蔵作り。

623年 法隆寺金堂釈迦三尊像 鞍作鳥

 

 

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