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養老令の官撰注釈書(令義解)

2018-05-05 | Weblog

833(天長10)年 2月 清原夏野ら「令義解」撰上。

挟み令の義 柔軟か。

833年 「令義解」 清原夏野 淳和天皇 官撰 



[ポイント]
1.養老令の現存する官撰注釈書清原夏野らが撰した『令義解』がある。

[解説]
1.『令義解』は淳和(じゅんな)天皇の代の833清原夏野らがつくった養老令官撰注釈書である。

2.『令義解』は官撰、つまり時の政府が編んだものなので法的効力を持つ。

3.養老律令本体は、現存しない。しかし、については、官撰『令義解』、私撰『令集解』にほとんどの令が収録されており復元ができる。

〈2016明大・文:「
C 藤原不比等は、カ律令制の整備に力をいれるとともに、娘の宮子や光明子を皇太子や天皇と結婚させて、天皇と密接な関係を結んだ。

問8 下線部(カ)に関連して述べた文として正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。

 1 律令は、近江律令から存在している。
 2 不比等は大宝律令の編纂に従事していた。
 3 大宝令は、『令義解』として現在まで伝わっている。
 4 養老令は、養老2年(718)の成立後、施行された。」

(答:2 ※1×令のみ、3×養老令の官撰注釈書、4×施行は757年)〉

〈2015早大・人間科学

問7 下線部g律令国家の建設に関連して、律や令について述べた文として、誤っているものはどれか、1つ選べ。」

 ア 天武天皇の死後に飛鳥浄御原令が施行された。
 イ 戸籍に基づく個別人身支配を定めている。
 ウ 地方支配は受領が行うと定めている。
 エ 律とは現代の刑法にあたるものである。
 オ 官撰の令の注釈書として『令義解』がある。

(答:ウ ※ア〇施行は次の持統天皇代)〉

〈2013立命館・文法済営などA方式:「
清原夏野らによって編纂された令の官撰注釈書である『[ B ]』などによって今日まで伝えられている。」

(答:令義解)〉

〈2000センター追

 令の条文についてさまざまな解釈がなされていたのを統一し、政府による公式解釈を示すために、『令義解』が編纂された。」

(答:〇)〉


  

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二科会・梅原龍三郎・安井曾太郎

2018-05-05 | Weblog

1914年(大正3)10月 文展から分離して二科会創立。

得意よ二回 梅易い。

1914年 二科会 梅原龍三郎 安井曾太郎

その後1914(大正3)の二科会の設立に関わる。

After that, in 1914, he(梅原) became involved in the establishment of the Nika Association.

 

1934年 安井曾太郎、『金蓉(きんよう)』

疾く見よ金蓉 安いそう。

1934年 『金蓉』安井曾太郎


1940年 梅原龍三郎紫禁城

行くよ俺、梅 紫禁城。

1940年 梅原龍三郎 『紫禁城』

 

梅原 龍三郎(うめはら りゅうざぶろう、1888(明治21)3月9日 - 1986(昭和61)1月16日)は、大正から昭和にかけての洋画家である。

Ryuzaburo UMEHARA (梅原 龍三郎: March 9, 1888 - January 16, 1986) 

[point]
1.二科会に属すおもな洋画家に、梅原龍(竜)三郎安井曾(曽)太郎がおり、代表作はそれぞれ『紫禁城』『金蓉』。

[解説]
1.二科会とは、政府主催の文展に不満を持つグループが、文展に対抗して在野に結成(1914(大正3)年)した美術団体。印象派以後の新傾向をめざす彼らは、旧態依然の文展の審査で不利な立場にあったことから、独立を決意した。

2.梅原龍三郎(1888~1986)の代表作は『紫禁城』(1940年)。


3.安井曾太郎(1888~1955)の代表作は『金蓉(きんよう)』(1934年)。


2016関西大・全学部2/8:「

A 第1次西園寺内閣の文部大臣となった1[ア安井曽太郎 イ牧野伸顕 ウ下村観山]は、日本画・洋画・彫刻の3部門よりなる総合展覧会の開設をはかり、第1回文展を開催した。文展は大正期に入ると沈滞し、1919年に帝展に引き継がれた。文展洋画部の若手により、1914年に設置された在野の洋画団体が2[ア草土社 イ春陽会 ウ二科会]であり、洋画界の革新に貢献した。」

(答:1イ、2ウ)〉


2016関西学院大学・全学部2/2:「

 日露戦争以降、新聞・雑誌などが発達し、一般勤労者を基盤とする大衆文化が誕生した。そして、大正デモクラシーのもとでは多様な学問が花開いた。文学では白樺派の志賀直哉 らや、近代的な知性を重んじる新理知派・新思潮派の芥川龍之介が活躍した。また演劇やk美術でも新たな発展がみられた。大正末期から昭和初期には、プロレタリア文学運動もおこった。

問9.下線部kに関連して、大正期に活動した芸術家として誤っているものを下記より選びなさい。


 ア.安井曽太郎 イ.岸田劉生

 ケ.梅原龍三郎 エ.青木繁」

(答:エ× ※青木は明治期。1904年に代表作『海の幸』を描き、1911年に28歳で亡くなった。)

1904(明治37)年 青木繁、『海の幸』

引くわよ青き 海の幸。 

1904年 青木繁 『海の幸』




2010立教大・コミュ現心観光営:「

 また、大正デモクラシーの風潮のもとで、西欧諸国からさまぎまな思想が導入され、(中略)美術の世界では、梅原竜三郎らが文展のアカデミズムに対抗して、1914年に( ヲ )を結成した。」

(答:二科会)〉

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