▲ニコライ・レザノフ
●江戸時代(光格天皇 徳川家斉)
1804(文化元)年 〈レザノフの長崎来航〉★
Russian envoy Rezanov arrives at Nagasaki, and seeks the establishment of trade relations with Japan in vain.
人(ひと)は応(おう)じず 流れたの。
1804年 長崎 レザノフ
1804年、ロシア使節レザノフは、アレクサンダー1世の命により、ラクスマンが幕府から得た入港の許可証を持って長崎で通商を要求。しかし、幕府に拒否され、その後報復として部下に樺太や択捉を襲撃させた。このような事態に対応するため、1806年には文化の撫恤令を出し、外国船の接近に対して食料・薪水を与えることにした。一方、幕府は北方の防備を強化し、1807年樺太(西蝦夷地)をも直轄にした。
以後、江戸幕府は威信維持のため内外に対して強硬策を採らざるを得なくなり、やがて1811年にはゴロ―ニン事件が起こることになる。