今年の冬は暮れから何かと慌しく、今年買い替え予定の車のタイヤの購入のタイミングが遅れ、昨日やっと事務所の近くのCMでもお馴染みの青い看板のお店に見積もり取りに行きました。
今回はホイルごとの交換の旨話し、タイヤサイズ225/45R18メーカーはブリジストン・ホイールはスタットレス用なので、お手頃なやつと注文し、見積もり依頼。
待てども待てども、見積もりが出てこない
しびれを切らして聞きに行くとホイールの価格の確認に時間が掛かっていると。
暇を持て余し、店内をぶらぶらしていると、「タイヤとホイルをセットでご購入の方には最低5千円で下取り」と
なのに、散々待たされた挙句に出された見積もりには、「タイヤ/ホイルの処分費用として\3,100-」が
下取り最低5千円の看板を示して問いただすと、言い訳の嵐
在庫の確認をすると、「18インチのホイルは特殊だから、メーカーに問い合わせないと」
それでも、一般的な例として聞くと「一週間から三週間で、一ヶ月先になるかも」と
見積もりに時間が掛かる理由が、ホイールの価格の確認だったのでは。
準備していない私も悪いが、今の時期にスタットレスの注文を受けて納品に一ヶ月先になるかもというのでは、意味が無いのではと問うも、言い訳の嵐
そんなこんなのやり取りをしていて思い出されたのが、今回の震災での「う・わ・さ」
青の看板の社員は、店内にいる客をホッテ逃げた
黄の看板の社員は、お客を誘導して避難させたとの話し。
青の看板のお店を出て黄色の看板のお店を探して、同じ様に見積もりを頼むと「早い」しかも、「安い」
在庫の確認をすると、「在庫は無いが直ぐ手配するので、明日には」と
この雲泥の差には、本当に驚かされました。
勿論、黄色の看板のお店で、即発注
一日経った今日、無事タイヤ交換を終えました
お客様の立場にたっての、サービスが如何に大切なことであるかを、今更ながら思い起こされる良い経験となりました。
今回はホイルごとの交換の旨話し、タイヤサイズ225/45R18メーカーはブリジストン・ホイールはスタットレス用なので、お手頃なやつと注文し、見積もり依頼。
待てども待てども、見積もりが出てこない
しびれを切らして聞きに行くとホイールの価格の確認に時間が掛かっていると。
暇を持て余し、店内をぶらぶらしていると、「タイヤとホイルをセットでご購入の方には最低5千円で下取り」と
なのに、散々待たされた挙句に出された見積もりには、「タイヤ/ホイルの処分費用として\3,100-」が
下取り最低5千円の看板を示して問いただすと、言い訳の嵐
在庫の確認をすると、「18インチのホイルは特殊だから、メーカーに問い合わせないと」
それでも、一般的な例として聞くと「一週間から三週間で、一ヶ月先になるかも」と
見積もりに時間が掛かる理由が、ホイールの価格の確認だったのでは。
準備していない私も悪いが、今の時期にスタットレスの注文を受けて納品に一ヶ月先になるかもというのでは、意味が無いのではと問うも、言い訳の嵐
そんなこんなのやり取りをしていて思い出されたのが、今回の震災での「う・わ・さ」
青の看板の社員は、店内にいる客をホッテ逃げた
黄の看板の社員は、お客を誘導して避難させたとの話し。
青の看板のお店を出て黄色の看板のお店を探して、同じ様に見積もりを頼むと「早い」しかも、「安い」
在庫の確認をすると、「在庫は無いが直ぐ手配するので、明日には」と
この雲泥の差には、本当に驚かされました。
勿論、黄色の看板のお店で、即発注
一日経った今日、無事タイヤ交換を終えました
お客様の立場にたっての、サービスが如何に大切なことであるかを、今更ながら思い起こされる良い経験となりました。
柳生山教楽院大日如来堂
当柳町は、伊達正宗公に従って米沢から岩出山、仙台と移ってきた町人町で、昔は御譜代町と称した。
慶長六年正月正宗公仙台城下都市計画にあたり、町割り使用した縄の一部をこの土地に集め焼き灰を埋めた所に城下鎮護のため堂を建て、大日如来を安置したといい伝える。
別当を柳生山教楽院と号し、京都醍醐の三宝院に属する当山派の山伏寺で、元和の昔から連綿として栄え、一朝事ある時は伊達家の間護を任務とし、平常は寺子屋を開いて町内児童の教育に当った。
堂の東を教楽院丁と称するのは別当時の名に因んだもので、別名大日横丁とも称する。
堂は柳町の大日さんとして、昔からひつじ、さる歳生まれの守り本尊として、市民に親しまれた。
大正八年三月南町の大火並びに、昭和二十年七月九日の繊細に焼失し久しく仮堂であったが、町内の努力によって、昭和二十八年七月現在の堂を再建した。 大日会
【祭典】
元旦祭 一月一日~三日
どんと祭 一月十四日
節分 二月三日
例祭 七月十九日・二十日
お守りお札授与所内より
ご住職様による「火入れ」
当柳町は、伊達正宗公に従って米沢から岩出山、仙台と移ってきた町人町で、昔は御譜代町と称した。
慶長六年正月正宗公仙台城下都市計画にあたり、町割り使用した縄の一部をこの土地に集め焼き灰を埋めた所に城下鎮護のため堂を建て、大日如来を安置したといい伝える。
別当を柳生山教楽院と号し、京都醍醐の三宝院に属する当山派の山伏寺で、元和の昔から連綿として栄え、一朝事ある時は伊達家の間護を任務とし、平常は寺子屋を開いて町内児童の教育に当った。
堂の東を教楽院丁と称するのは別当時の名に因んだもので、別名大日横丁とも称する。
堂は柳町の大日さんとして、昔からひつじ、さる歳生まれの守り本尊として、市民に親しまれた。
大正八年三月南町の大火並びに、昭和二十年七月九日の繊細に焼失し久しく仮堂であったが、町内の努力によって、昭和二十八年七月現在の堂を再建した。 大日会
【祭典】
元旦祭 一月一日~三日
どんと祭 一月十四日
節分 二月三日
例祭 七月十九日・二十日
お守りお札授与所内より
ご住職様による「火入れ」