ないちょの雑記帳

日々心に浮かぶこと、世の中のことをそこはかとなく書き綴ってます

平和を守るにはそれなりの代償が必要である。

2005-08-19 | その他


選挙でもちきりの今日この頃であるが、ちょっと気になる
言葉を見つけてので、ちょっと載せてみる。

-------------------------引用-----------------------

(前略)

 「平和」「守ろう憲法9条」かぁ。守るべきは「平和」であって「憲法9条」ではないでしょうに。
 一昨日のエントリーで紹介した小野田寛郎さんの言葉、プレイバック。


戦争の悲惨さは伝えなければいけませんが、ただそれだけでは十分ではないと思います。戦争とは悲惨なものである。じゃあ、戦争しないためにはどこまで我慢できるか。その我慢が切れたら結局、戦争になってしまうのです。そんなことも考えずに平和、平和っていいますが、そういう人たちは平和を守ることのつらさを真剣に考えてくれているのかな、と思ってしまいます。
 わがまま一方のことを言ってる人が多い。街に防犯カメラをつけるといえばプライバシーの侵害だという。だったら、空き巣に入ってもらえばいいのに、空き巣もいやだという。考えていることや、やっていることが矛盾しています。それでいて、その矛盾に気が付かない。自分がおとなしくして、事を荒立てなければすべてが安全、平和にいくんだと誤解しているんですよ

 共産党(及び社民党)の言う「平和」や「護憲」が、七夕の短冊に子供が書く「世界平和」と同程度の重みしか持たなくなった今、彼らの主張は一体どこまで国民の胸に届くんでしょうか。

 「平和を守るために政治が何をすべきか、あなた方は本気で考えたことがありますか?」と尋ねたら、共産党員も社民党員は「もちろんある」と答えるんでしょうね。
 でも、「すべき」の中身はきっとこんなふう。「講演会や街頭活動で平和と9条の大切さを説く」「国際社会に平和と9条の大切さを訴えていく」……

 「日本が9条さえ守っていれば、日本の平和は保たれるんですか?」と尋ねたら、やはり「そうだ」と答えるんでしょうなあ。
 でも、これって「私が法律さえ守っていれば、私の身の安全は図られる」と言ってるのと同じですわな。
 ところが実際はそうじゃない。ポスター貼りまくりの家の門はいつもしっかりと閉ざされてます。その上、セコムもつけてる(笑)。

(後略)

全文はここ→★★★ぼやきくっくり★★★ 続・「平和を守ることのつらさ」を分かってる人に投票したい

-----------------------引用終わり-------------------

小野田寛郎少尉は終戦後30年経って、帰国した方である。
(参考:小野田寛郎
戦争を実体験し、生き残った彼の言葉を今こそ、謙虚に耳
を傾けるべきではないだろうか?

選挙では耳ざわりのいい言葉や景気のいい言葉が飛び交
い、その裏にあるリスクや代償について語られることは
ほとんどない。
与党にせよ、野党にせよその語られた言葉にははっきりと
した裏づけがないことがある。
もう一度、選挙公約の裏にあるリスクや代償について考え
る必要がある。
平和について、議論するときも同様である。
今日本がおかれた状況を冷静に判断しないで、情緒的に判
断すると思わぬ落とし穴に落ちないとも限らない。
(参考:溶解する日本  「中露接近とマッキンダー>海洋国家日本にとっての尖閣、竹島、千島は」

平和を維持するためにはそれ相当の代償とリスクが伴う

この言葉を常に肝に銘じたい。

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