ないちょの雑記帳

日々心に浮かぶこと、世の中のことをそこはかとなく書き綴ってます

fc2ブログをメインのブログとします

2999-08-13 | 日記のようなもの
突然ですが、当面の間小生のメインのブログをfc2に移行します。
このブログは当分の間、更新することはないかもしれません。
長らくのご愛顧ありがとうございました。

それに伴い、このブログはアーカイブとして使います。
何かありましたら、新ブログ”ないちょの雑記帳・改”までよろしくお願いします。



まもなく憲法記念日がやってくる・・・。

2007-04-29 | 日記のようなもの
約一ヶ月ぶりのエントリーとなります。

いい訳じみていますが、ここ最近仕事や就職活動等で時間的余裕は作ろうと思えばあったのですが、精神的に新たなエントリーをする状況にはありませんでした。それに加えて、自分の中にある思いにどのような形を与えるのか迷いがあり、どのような形にすればよいか全く見当もつかず、なかなか新たなエントリーを上げる気持ちになれませんでした。

それでも約3年ほど続け、少ないながらも訪れた方々を放置するということわけにもいかないと思いました。だから何とかもう一度自分の中の思いを見つめなおし、それに形を与えることに新たに挑戦しようと思いました。

そんなわけでこれからもよろしくお願いします。

前置きはさておき、まもなく憲法記念日がやってきます。
先ごろ、国民投票法案が衆議院を通過しました。長年、憲法中には改正可能であると謳われているにもかかわらず、その具体的手続きを定めた法律がないという状態に終止符を打つことになりました。

憲法改正に反対する勢力(いわゆる護憲派)はこの法案が成立することにより、憲法が改悪されると猛反発しています。
現行憲法は国民主権を謳いながら、国民が憲法を改正する具体的な方法について明確化されておらず、真に国民主権の憲法とはいえない状態です。実際、現状では現行憲法は明確に国民の意思で成立した民主憲法とはいえないものであり、「改正大日本帝国憲法」とでもいうべきものです。この問題を放置することについて、「護憲派」は明確な見解を示していません。その意味でやっと民主憲法として再構成することが可能になったといってもよいでしょう。

憲法改正の焦点として一番に挙げられるのは、第九条でしょう。

第九条
第一項
日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

第二項
前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

とあり、条文をそのまま読めば一切の戦力保持および武力行使を行わないと読める。となれば自衛のための実力も第九条の”戦力”に含まれ、自衛隊の存在は明らかな憲法違反となる。現状では憲法には明記されていないものの、自衛権は放棄されておらず、自衛を行う程度の武力は第九条にある”戦力”に当たらず、したがって自衛隊の存在も違憲ではないと解釈されている。このような一見するだけではストレートに理解できない解釈を基に国を守ることは困難であろう。今の状態では何かことが起こるたびに憲法論議を呼び起こし、迅速な対応をとることはできないと思う。
それに国防は国家の専任事項であり、国民の生命財産を守るため、国家が率先して行わなければならない事項である。現行憲法では国家が国防に関して明確な責任を持つことはなくなってしまう。また、現行憲法前文には以下のようにある。

-----------------------引用------------------------
~略~

 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

~略~

日本国憲法前文-Wikipedia-
--------------------引用終わり--------------------

憲法前文にもあるような前提が現実のものであれば、現行憲法の条文でも全く問題ない。しかし、北朝鮮や中国のような国家が取り巻くような国際情勢で憲法前文の前提は間違っている。そういった現実認識に基づけば第九条改正の必要性を理解できるだろう。確かに軍隊の存在は諸刃の剣であり、その扱いは簡単ではない。だからといって軍隊を放棄すれば、直ちにすべてがうまくいくとはいえない。そのために、憲法に国防の明記と同時に、憲法によって海外への武力による覇権確保を制限することが必要になる。これが実効的なものになるためには、条文解釈の幅はできるだけ小さくする必要がある。ところが先述のように、現行憲法第九条は解釈しだいでその意味するものと真逆の解釈を行うことができ、その点でも現行憲法の第九条の改正は必要である。

どちらにせよ、現状を踏まえた上で現行憲法の問題点を見直すと言う作業がもう少し必要なのではないのだろうか?

  ~衝撃~1クリックで人気もん! 日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ 価格比較はベストプライス←もっと普通の国へ思う方はクリックよろしくお願いします

「美しい国 日本」 実践するのはそんなに難しいことではない

2007-02-25 | 日記のようなもの
小生の巡回先である棒太郎の備暴録 radical memo by boutarouでちょっと感銘を受けた記事があった。enjoy Koreaにあった「日本博士JOY 自意識過剰な韓国人物語」という記事の紹介であった。この記事では韓国人の著者が日本を旅行した感想を漫画で紹介している。この記事で特に強調されているのは、日本人が韓国人と違い、他人への配慮に満ちておりお互いに配慮しあう姿に感動したとあった。またこの漫画の前の漫画「日本博士JOY 自称優秀な韓国人は不真面目に働き、劣等な日本人は熱心に働く…」」では服装を整え、自分のやるべき業務を当たり前にこなし働く日本人に感銘を受けたと著者は感想を述べている。

この漫画をみて、今安倍政権が進めている教育改革は意外と難しいことではないのではと思えてきた。意外と日本人が普段当たり前と考えるようなことを当たり前に行うことが自然に公共心を養い、お互いに配慮しあうような「美しい国」を作ることができるのではないのだろうか?大上段に国を思うというのではなく、お互い配慮しあうことが実は一番の近道であるように思う。もっと身近なこと、昔から当たり前としていたことを見直し、継承するだけで今の日本はだいぶ変わるように思える。安倍首相ももっとこのようなことを主張すれば、より多くの国民の賛同を得られるのではないのだろうか?

  ~衝撃~1クリックで人気もん! 日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ 価格比較はベストプライス←もっと普通の国へ思う方はクリックよろしくお願いします

平成18年の終わりに。

2006-12-30 | 日記のようなもの
今年も残り少なくなりましたが、振り返ってみると今年の日本は内憂外患の年でした。

日本周辺の国際関係を見てみると、一番にあげられるのは、北朝鮮によるミサイル発射実験及び核実験でしょう。きな臭い状況であった日本周辺の安全保障上の問題が今年の北朝鮮による一連の挑発的行為によって一気に日本にとってかなりの危機状況にまで高まった。日本及び関係諸国は北朝鮮に対し制裁措置やさまざまな警告を行ったが現在のところ大きな成果を挙げずにいる。6カ国協議も、何の成果も挙げないまま、休会し北朝鮮の核問題に対する成果はいまだに挙がっていない。それに伴い日本にとって急務の問題である拉致問題の解決もまったく見通しが立たない状況にある。日本の最大の同盟者であるアメリカもイラク情勢の泥沼化により、強硬な手段に訴えることができず、北朝鮮の問題は中国頼みの傾向がうかがえる。子と拉致問題に関しては一見国際的な包囲網ができているように見えるが、実効的な効果はまったくといって挙がっていない。

また、日露・日韓・日中間の領土問題も解決の糸口がつかめず、停滞したままである。先ごろ麻生外務大臣が北方領土の面積二分割案をほのめかすという報道があったが、ロシア側から目だった反応はなく、言ってみただけに終わっている。韓国との紛争になっている竹島の問題もいまだに韓国が不法占拠したままの状態であり、その中で島根県が孤軍奮闘するという状況が続いている。本来はこのような外交に関する問題は政府が責任を持って主導するというのが当然のことであり現在の状況は政府、特に外務省の怠慢と誹られても反論の余地はない。日中間の問題である尖閣諸島の領有権に関する問題もほとんど何の進展もなく、来年に持ち越された。その上、周辺海域の改定ガス田に関する問題でも、中国側に既成事実を積み上げられるだけに終わっており、事実上権益が中国側に搾取されつつあるという状況はまったく変わっていない。以上のように領土問題は日本側が明確な主張を相手国に認めさせる材料がなく手詰まりな状況に陥っている。

来年は以上の状況を踏まえて、防衛庁が防衛省に昇格が決定したこの際に、日本の防衛のあり方について根底から考え直してもらいたい。そのためには憲法改正や国民投票法案の成立が不可避である。安倍首相には是非全力でそれらの懸案の解決に向けて取り組んで頂きたいと思う。

国内的には、今年は教育関連の問題が特にクローズアップされることが多かった。いじめに伴う自殺が多発し、教育現場での稚拙な対応が非難されることが多かった。次代を担う世代の教育は日本にとって重要な問題であり、しっかりとした対応が必要である。その点では教育基本法改正案が国会をとおり、一応の成果を挙げたといえる。しかし、新しい教育基本法では国を愛する心をはぐくむとしているがそれをどのような形で実行していくのか、じっくり見ていかなければならない。というのは福岡で行われたような、愛国心を評価するようなことは国を愛する心をはぐくむという趣旨にはそぐわないと感じるからである。そのような態度は必ずしも、学力のように評価の対象とはなりえず、無理に評価しランク付けすると本来の趣旨である自らの生まれ育った国に対する愛着の心というものが歪められると懸念するからである。

安倍首相にはその点を含めて、”美しい国”の正しい教育のあり方についてもっと国民に語りかけ、広範な合意を得られる努力をしていただきたい。

来年は参議院選挙や統一地方選挙があり、場合によっては政権与党に大きな変動が起こるかもしれない。ただ日本を取り巻く状況は極めて厳しく、にもかかわらず国民的な合意の取れた方向性は見出されていない。それゆえ、政治家はしっかりとした方向性を示し、国民は冷静に日本を取り巻く状況と国内事情を勘案し、次の政治を担う政治家を選択しなければならないだろう。

今年を終えるに当たり、思うところを述べました。

  ~衝撃~1クリックで人気もん! 日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ 価格比較はベストプライス←来年こそは日本をもっと主張できる国へ思う方はクリックよろしくお願いします。

非暴力平和主義の盲点~非暴力平和主義者の決して語らないこと~

2006-11-06 | 日記のようなもの
先ごろ、広島で「広島国際平和会議2006」が行われた。
この会議はチベット仏教最高指導者ダライ・ラマ14世などが一堂に会した会議であり、世界平和を考える会議である。

その中で暴力の連鎖を防ぎ、憎しみが憎しみを生む負の連鎖を断ち切るために自らの国やグループよりも世界全体を優先して考えようという共同宣言が採択された(広島国際平和会議2006共同宣言(仮訳))。

確かに、この「負の連鎖」が現在多くの地球上で発生している紛争をより激化し解決不可能なほど問題を複雑化しているのは事実であろう。

ただこの非暴力平和主義の考え方を実際の政策として採用する際に、多くの人が見落とすことがある。基本的に非暴力平和主義とは、たとえ自らが人的・物的損害を受けたとしても軍事的な報復を行わないということである。つまりはどのような形で身近な人が殺害されようとも、財産を奪われ、多大な損害を受けようとも決して軍事力等の実力を用いて報復を行わないということである。

現在の日本の状況に当てはめてみると、この考え方が大きな問題を含んでいることが冷静に考えてみればわかる。日本周辺には日本に対し、武力等の暴力的行為を組織的に行い、日本の国家および国民の権利を侵害するような国々が存在する。そのような不法行為を行う国々に対し、一切実力行使を行わないとするとますますそのような不法行為をエスカレートしてくるだろう。いくら日本が「負の連鎖」を防ぐために、報復を行わない意図を持っていたとしても周辺国およびその国民が日本の意図を理解しなければ、日本が一方的に被害を被ることになることは容易に想像できる。

つまりは非暴力的にせよ軍事的な手段を用いるにせよ、いづれの方法論によっても日本は何らかの人的・物的被害を被るのである。

非暴力平和主義を唱える政党やいわゆる平和団体と称される市民団体は上記のリスクについて、一切言及したことはない。非暴力を唱えるのはかまわない。しかし、その結果どういう事態が生ずるかについてよくよく考えた上で、政策として取り入れなければならない。

  日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ←日本の将来をタブーなき議論をと思う方はクリックよろしくお願いします。

安倍首相、創価学会名誉会長と会談。その行く先は・・・・・

2006-10-08 | 日記のようなもの
-----------------------引用------------------------
安倍氏、小泉氏が創価学会の池田氏と9月に相次ぎ面会

 安倍晋三首相が就任直前の9月22日に公明党の支持母体である創価学会の池田大作名誉会長と会談していたことが7日、分かった。自民党総裁就任のあいさつを名目に首相側が申し入れた。首相の祖父、岸信介元首相と学会の戸田城聖元会長が親しかったことなどが話題になり、日中関係などでも意見交換した。

~略~

(安倍氏、小泉氏が創価学会の池田氏と9月に相次ぎ面会 NIKKEI NET 2006年10月8日付)
--------------------引用終わり--------------------
先月首相に就任した安倍氏だが、就任早々公明党の支持団体である創価学会名誉会長池田氏と会談していたことが7日明らかとなった。自民党総裁への就任挨拶を行い日中関係など歓談した模様。

自民党総裁としては、連立政権の意欲欲を担う公明党の支持団体である創価学会へ表敬のため、名誉会長に挨拶したものと見られる。当面、自民党にとって公明党および創価学会との選挙協力は欠かせない。そして来年の参議院選挙に向けての協力を考えると、どうしても公明党および創価学会の協力は不可欠である。

ただ、個人的にはできるだけ早期に公明党との連立を解消できるように自民党は地方組織の建て直しを計るべきであると考える。公明党との政策の違いは大きく、そのため自民党の政策が混乱し、国民にとって非常にわかりにくく、あいまいなものとなるからである。

なんにせよ、まずは来年の参議院選挙までにどんな政策を打ち出すか、それをどれだけ早く実行するか、そしてどんな成果が上がるのか、それを見なければならないだろう。

  日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ←連立についてもっと議論を尽くさねばと思う方はクリックよろしくお願いします。

2周年。

2006-09-18 | 日記のようなもの
このブログもおかげさまをもちまして、2周年を迎えることができました。
長いようで、気付いてみるとアッという間の2年だったと思います。

この2年間に、日本も世界も様々な変化を起こし、先の見えない時代がまだまだ続くようです。このブログでも力及ばずとも、少しでも世の中の変化や様々な事象・問題について綴っていきたいと思いますのでこれからもよろしくお願い致します。

  日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ←まだまだ2周年、これからだと思う方はクリックお願いします。

終戦記念日に思う(その二)

2006-08-15 | 日記のようなもの
先の戦争が日本の敗戦という形で終了してから61年。
様々な人々の思いと命を礎にすることで、戦後の日本は出発した。
あのとき、英霊たちは何を思い、そして戦場に散っていったのか?
そんなことを今日一日思う。

以前のエントリーでも一度紹介したフラッシュをもう一度、載せたいと思います。

真実はどこに・・・

神風特別攻撃隊についてのフラッシュです。
以前のエントリーにも書きましたが、小生は必ずしもいわゆる”特攻”を肯定するものではありません。しかし、その特攻で散っていった若者たちの思いを否定するものではありません。なぜなら、あのときの日本の状況で如何に日本の未来を自らの力でできることとは何か真摯に問い、その選択として”特攻”を選んだ彼らの思いについて後付の浅薄な知識で簡単に否定できるでしょうか?戦後世代の我々が先の戦争で英霊となられた方のように日本の未来について真摯に考え行動を起すことがどのくらいあるのでしょうか?

そのように考えると、とても複雑な心境になり、単純に”日本=悪”と考えることなど到底できません。本当に日本が戦争を起さなければ全て丸く収まったのか、もう一度じっくり考え直さなければならないと思います。

プロイセンの宰相ビスマルクの言葉といわれる言葉を最後に記し、”終戦の日”を終えたいと思います。

”賢者は歴史に学び、愚者は体験に学ぶ”

関連過去記事:涙がでるフラッシュ見つけました。
          日本人が、戦争後に得たもの・失ったものっていったいなんだろう?
          終戦記念日に思う。
          平和を守るにはそれなりの代償が必要である。

  日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ←終戦記念日は静かに英霊に思いをいたしたい思う方はクリックよろしくお願いします。

第九条再考~北朝鮮ミサイル問題の陰で~

2006-07-13 | 日記のようなもの
先の北朝鮮ミサイル乱発後、政府内で先制攻撃論が台頭してきました。

先制攻撃は日本のとりうる防衛作戦として有効なものの一つではないかと、小生は思ってます。国土の狭い日本の場合、攻撃を受けるとどこを攻撃されてもそれなりの被害を受けてしまうため、専守防衛に専念した場合、絶対なんらかの被害を覚悟しなければなりません。それゆえ、被害を未然に防ぐため、攻撃される前に相手基地などをたたくということになります。

ただ日本の政治的状況や憲法から考えて、現在は先制攻撃は不可能だと思います。
というのは先制攻撃を行うということは戦争を始めるということであり、いったん始めた戦争を即収束させるというなきわめて困難なため、日本の外務省にそのような交渉能力はありません。
それに日本国憲法に明らかに違反します。
額賀防衛庁長官は先制攻撃も法律的に容認できるといっていますが、そのような解釈は憲法が自衛権を否定していないと解釈する以上に豪快な憲法の逸脱ではないかと思われます。基本的に日本国憲法は非武装平和主義で前文にもあるとおり、自らの生存を自らの努力ではなく、もっぱら“平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して”確保するという形になっています。つまりは自衛を含めた一切の武力行使を放棄しているわけで、そのような枠組みの中で先制攻撃など容認できるはずがありません。たとえ他に手段がないとしても、九条から考えれば一切武力行使をしてはなりません。その結果何千何万という日本人が危険にさらされたとしても、武力行使はおこなってはならないのです

九条を金科玉条のように守るということは、一見平和的な日本を守っているようですが、実際は日本をそして日本人を危険にさらすことにもなりかねないということなのです。たとえ日本や日本人をどんな危険にさらしても、第九条を守るべきというのならば、何も言うことはありません。

ミサイル問題から突きつけられたことは、これからの日本の安全を考えるならば、九条改正も含めて考えなければならないということである。またもっというならば座して死を待つか、積極的に自らの生存を確保するために、武器を取るか、その選択のときがすぐ目の前までに来ていると認識するべきでしょう。

  日記@BlogRanking にほんブログ村 ニュースブログへ←改憲について考えなければと思う方はクリックよろしくお願いします。

教育基本法改正と「国家の品格」について思う。

2006-05-17 | 日記のようなもの
最近ネット上でも共謀罪とセットで話題になっている教育基本法改正の問題ですが、最近思うことがあります。日本の公教育はあくまで次代の日本人を育成することではないのでしょうか?そのために「愛国心」の育成を何らかの形で盛り込むと理解しています。

批判的な意見では「愛国心」を法律に盛り込むことが強制になり、ひいては戦前の軍国主義の復活であるといった論調が散見されます。しかし、批判的な論調では次代を担う日本人をどう育成していくのか小生にはあまりイメージがわきません。愛国心とは強制されるものではなく自然に身につくものという意見もありますが、基本的な立ち振る舞いや教養については、多少強制的でもしっかり身につけさせる必要があると思います。各個人の価値観の形成についてはそのような日本人としての”基礎”を身につけさせたあとで、その基礎を基にして考えさせることが重要なのではないのでしょうか?また現場教員等に不当な干渉があり教育内容がゆがめると批判する向きもありますが、現在の日教組を代表とする教員の活動は偏向してないといえるのでしょうか?

小生は国が一定の関与を行い、「愛国心」教育を行うことで日本人としての教養と立ち振る舞いなどを身につけることで、国際的な場でも日本人として活動できるのではないかと考えます。その教育を行うことができる国こそ「品格」ある国として世界から一目置かれる国となるのではないでしょうか?

今国会で論議されている教育基本法改正案ですが、以上述べたように日本人のこれからを左右する重要な法案と考えます。そのためこの論議はもっとじっくり審議し、より多くの立場から考えを考慮したうえで日本の将来を左右する法律を決定していただきたいと思います。

←教育基本法に思うところのある人は1クリック!
日記@BlogRanking←こちらもよろしく