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地理の部屋と佐渡島

2009年4月よりの佐渡単身赴任があけ、2014年4月より長岡へ。別れが絆をより深めた。今後ともよろしくお願いします。

赤泊の田辺邸

2004年12月04日 10時29分55秒 | 佐渡歴史
赤泊の町中の狭い通りを歩いていると趣の違う望楼のある家が..。田辺邸という。

 現在、赤泊港は両津、小木と共に佐渡汽船カーフェリーが本土との間を往来する港の一つである。特に入り江があるわけでもない海岸線に、埋め立て地と防波堤で港が形作られている。その港の原型は田辺九郎平が私財をなげうって整備された港からと言われる。下記は、赤泊の町の中心部を見下ろす展望台にあった説明書きからのものである。

田辺九郎平と港の改修
天保2年(1831)赤泊の小農の家に生まれた田辺九郎平は、19才のときに北海道江差の商家に奉公し、永年の刻苦勉励の末、ニシン漁への投資などで巨額の富を築いた。
50歳のとき帰郷し、北海道や対岸地域との交易交流のため、港湾の改修こそ郷土発展の根幹との信念から私財を投じて赤泊港の修築を行うことを決断した。明治20年6月に着工した長さ100mの石積みの防波堤は3年後の23年に完成した。
この経費6千円(現在の約五千万円)はすべて翁の私財で賄われたが、これにより船舶の出入りも増し、村民は多くの恩恵をうけた。
現在の赤泊港の発展の基礎は実に田辺翁の力によって築かれたものである。

 町の通りを歩いていると、その田辺さんの家は思わず足を止めてしまう趣がある。気をつけて通りを歩いていると、田辺邸以外にも時代を感じさせる家々が..。こった作りに感心させられたり、何かロマンチックなものを感じさせられる。

 佐渡の町並みには時折このような家があり、目を楽しませてくれるが、赤泊も同様である。佐渡からの帰り、船を待っている間に時間がとれるようであれば、ぶらりと町中を歩いてみると良い。いつの時代とはいえぬが、古い時代へタイムスリップした気分を味わえる。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
蝦夷交易 (白熊)
2007-01-31 07:08:41
蝦夷地の江差と佐渡は交易をしていた
歴史があるのですね
それほど当時の海の幸が、豊富だった
という証です

赤泊と言う地名ですが、北海道内にも
○泊とつく地名が沢山あります
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白熊さんへ。 (かんりにん..)
2007-01-31 20:07:53
こんばんは。

ずいぶん昔の北海道と佐渡とのつながり。
なんかいいですねぇ..。
海はもちろん豊かだったんですよ。きっと。
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