ちゅーたのたび

人生メロメロ奮闘記!?

なぜなんだろう

2022-07-29 | 日記・エッセイ・コラム
【減刑】
どんな環境でも、どんな心情でも
人を殺めてはいけない。
そこに同情の余地はない。
偽善者ぶるのは構わないが
時すでに遅し。
とは言わない。
これから寄り添ってあげればいいことだ。
だから、減刑なんてありえないのだ。
情状酌量で十分だ。
それでも、減刑に匹敵するだろう。
ただ、逆恨みである以上
それもあり得ないと思う。

【自由】
ある方のtwitterに
「日本人は自由と自己中心とをはき違えている」
そう書いてあった。
その通りだと思う。
自由とは、ある枠組み(ルール)にのっとった中で
やれることをやる
自己中心とは、枠組みをはみ出してまで
やりたいことをやる

例えば、スポーツが一番わかりやすいだろう。
野球が好きだから野球で例えるが
ストライクゾーンというルールがある。
投手はこれがなければどこへ投げたっていいという話になる。
これは自由とは言わない。
ゾーンの中に投げて、それをいかに打ち返すか。
ゾーンの中に入れば、どんな変化球だって投げてもいい。
これが投手の自由だ。
打者は、それを打とうが打つまいが自由だ。
ただ、フルカウント、つまり3ボール2ストライク
この後の1球がどこに来るかはわからない。
ストライクゾーンなのか
ゾーンから外れるのか。
ストライクならば、アウト
ボールなら出塁となる。
一度も振らず、ただ見てただけなら
6球目で勝負となる。
(もちろん、3球三振ということもあるが・・・・)
これを見逃すも、打ち返すも打者の自由なのだ。
ただ、アウトになるか、出塁するかは
ルールに沿って決められる。
6球目が投げ終わったから出塁するというわけにはいかない。
・・・・・書いてる自分がちょっと意味不明な感じになっているが((+_+))
要は、何でもありな自己中な考え方が多くなってきたなということだ。
ルール・マナーを大事にしていた日本人が
それを無視して、一線を越えるようになってきたということだ。
それを「自由」と言ってだ。
まぁ、度を越したマナーというものもあるみたいだが。
そこは緩い日本人の裁量でといったところだろう。
「相手の立場に立って」という日本の良き文化を
大切にしていきたいものだ。
それができない人が増えたから
「ルール」が増えていく。
「人の好さ」を利用して騙そうとする輩が増えたから
「ルール」を作る。

まぁ、いずれにしても、くだらない争いに発展しないよう
オレは気を付けるのみだ。

さて、今日の運勢。

己自身に裏表の心ある。他人の事を思わないようにせよ 

おっと。
他人の事をつらつらと書いてしまったが。
いや、そういう自分も該当するかもしれない・・・・・・と思うと
ちょっと顧みなくてはいけないな。



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