四万十川レコード 公式ブログ

四万十と言う小さな町に生まれ、思春期に音楽に目覚めそして今も、長い長い音楽の旅をしています。

不自然

2013-11-28 04:18:52 | コラム
湧き上がる雲に
沈みゆく夕陽に
千切れてゆく草原の風に
人は人智を超えた風景の美しさを感じる。

春の野に咲いた名も知らぬ花の黄色も
夏の畦道にわらわらとうごめく雑草の緑も
色付く秋の山肌にたらした絵筆の様な鮮やかな赤も
全てを塗りつぶす音のない雪の白さも
それは人間以外の自然と言う画家の持つ色だ。

そこにありて足りるもの。
人の手を介さずとも調和と優美さを保つもの。
存在する美の規範となるもの。
それが自然と言う存在であろう




だがしかし、自然は決して
たおやかさと優美さだけの存在ではでない。

大地を震わせて地上を揺さぶり
波を盛り上げて地上を浚い
風を巻き上げて地上を走り
雨を叩きつけて山肌を流してしまう。

暑さに水蒸気となり消えてしまった水を求め大地を掘り
寒さに凍りついた地表を掘り返し人は生きてきた。

自然に支配されない作物の供給を
寒暖に左右されない住宅の建築を
夜に染まらない時間を人は作ってきた。

人類の歴史は自然との闘いだ。
人は自然を克服し支配しようと生きてきた。




で、一度でも人間はその戦いに勝った事があるのだろうか?
もちろん一時的な、瞬間的な勝利を得た事もある。
人間が自然を支配した気になったその後に…
自然はそれを超えた力を見せつけてくる。

抗生物質は病気の歴史に人間が勝利した医薬に思えた。
でもそれは自然に有ったものを生成しただけのもの。
いつの間にかそれを超える抗体を持った病原体が現れる。
医学の歴史は病原体とのいたちごっこだ。

何かを克服しても未知の病原体が生まれてくる。
これは何故だ?
単純に生態系のバランスだろう。
増えすぎた病原体は淘汰されなければならない。




増えすぎた病原体とは人類の事だ。
地球にやさしく?エコ?
多分地球はそんな人間のたわ言など聞いていない(笑)

人間だけが地球に住んでいる訳ではないだろ?
地球にとっては蟻も人間も単なる地表の生き物でしかない筈だ。
人間の命も蟻の命も地球上の生態系の循環だろう。

では人間は地球にとって必要ではないのか?
それも違うと思う。
本当に邪魔で必要のない生き物なら地球は生存を許さないだろう。

人間の存在は不自然なのだと思う。
あるがままで満ち足りる事は出来ない。
豊作が永遠に続けば人間の争いも少なくなるが
それを許さないのが自然だ。

つまり自然とはひとつの生き物やひとつの地域の
調和だけを考えていないと言える。
ありとあらゆる生物と環境の為に自然は存在している。

人間だけが特権を持っているものではない。




自然は完璧な美と調和を持つ女神であり
全ての存在を否定し破壊する荒神でもある。
そして人間は不自然にその中にとどまる不確かな生き物だ。

自然と調和して自然に生かされて共存する道と
不自然に利便性と繁栄を求めるふたつの道が人間にはある。

どちらも正解でどちらも不正解だろう。

何故なら人間は不自然に自然と付き合って行く為に
地表に存在する生き物だからだ。