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言の葉辞典 『星/★』③

2023-09-12 21:00:00 | 日記

 ■『星/★』③

 ▼中世末期からルネッサンス期へ、科学革命 (惑星運行の理論に関しては)

 ヨーロッパ中世では、地球を中心にして太陽や他の惑星が回っているとする説(地球中心説、geocentric model)が信じられていて、惑星の逆行に関しては周転円で説明していた。
 ルネサンス期、ニコラウス・コペルニクスは、太陽を中心に惑星が回っているとする説(太陽中心説、heliocentricism)を提唱した。
 彼の説はガリレオ・ガリレイとヨハネス・ケプラーの支持を得た。(観測法に関しては)ガリレオは望遠鏡を使うことで天体観測に革新をもたらした。

 ヨハネス・ケプラーは1609年刊行のASTRONOMIA NOVA(邦訳名『新天文学』)において、従来の「惑星は完全な円の軌道で動く」という理論を超える「楕円の軌道で動く」という説を提唱した。
 そしてケプラーの法則も発表した。ただし、初めて太陽を中心とした惑星の各運動について、その詳細を説明することに挑んだが、その理論体系を構築するまでには至らなかった。
 それに成功したのはアイザック・ニュートンであり、天体力学と引力 gravitation の法則(万有引力の法則 law of universal gravitation)を導き出し、惑星運動に関する理論体系を構築してみせた。
 ニュートンはまたニュートン式望遠鏡(ニュートン方式の反射望遠鏡)も発明した。

 ▼18世紀から19世紀にかけて

 さらなる発見には、望遠鏡の大きさと性能の向上が寄与した。
 大規模な星の一覧はニコラ・ルイ・ド・ラカーユが作成した。ウィリアム・ハーシェルは星雲と星団の詳細な一覧をまとめ上げ、1781年には天王星新発見を成し遂げた。
 初めての星までの距離測定は、1839年にフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが視差を用いてはくちょう座61番星までの距離を求めたことにさかのぼる。 
 18〜19世紀には、レオンハルト・オイラー、アレクシス・クレロー、ジャン・ル・ロン・ダランベールが三体問題に取り組み、月や惑星の動きに関する予測精度が増した。
 この仕事はジョゼフ=ルイ・ラグランジュとピエール=シモン・ラプラスによってより洗練され、月や惑星の摂動からこれらの質量を計算できるようになった。

 ▼19世紀

 分光器と写真など新技術の導入によって、天文学はさらなる大幅な進歩を遂げた。
 1814〜15年にヨゼフ・フォン・フラウンホーファーは、分光した太陽光線の中に約600の帯を発見し、1859年にはグスタフ・キルヒホフによってこれらから異なる元素が存在することを説明した。
 夜空の星々が太陽と同じ恒星であることも明らかになったが、それらの温度や質量、そして大きさは広い範囲に分布することも分かった。
 こうした分光学の発展は、のちに天体物理学へと発展する基礎となった。

 ▼20世紀

 地球が存在する天の川銀河が、ほかから切り離されたある星の集団ということが判明したのは1924年のことで、エドウィン・ハッブルによってであり、その外には無数の銀河が存在すること、そして1929年には同じくハッブルによって宇宙が膨張していることが次々と分かり、人類の宇宙に対する認識(≒宇宙観)がどんどん変革した。
 1958年にはヤン・オールトによって、天の川銀河が渦巻き状をしていることが判明した。
 1957年にはスプートニク1号が人類史上はじめて宇宙へと打ち上げられた人工衛星となり、これ以降人類は大気圏外の事象を直接観測する手段を手に入れた。こののちアメリカ合衆国とソヴィエト連邦によって宇宙開発競争が始まり、1960年代から1970年代にかけては両国の人工衛星が続々と打ち上げられ、宇宙空間の知見が急速に集積した。
 1959年にはソヴィエトがルナ1号によって月探査を初めて成功させ、ついでアメリカのマリナー計画やソヴィエトのベネラ計画、マルス計画などによって内太陽系の調査は徐々に進んでいった。外太陽系も、1973年にはパイオニア10号が木星を初探査、1979年にはパイオニア11号が土星を初探査した。
 1977年に打ち上げられたボイジャー2号は1986年に天王星、1989年に海王星を初探査し、この両惑星における貴重なデータをもたらした。
 1990年には初の地球大気圏外の望遠鏡としてハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、これにより地上での観測よりもはるかに詳細なデータの入手が可能になった。

 関連項目 ー 宇宙開発 ー

 宇宙開発(うちゅうかいはつ)
 (英語: space exploration)

 宇宙空間を人間の社会的な営みに役立てるため、あるいは人間の探求心を満たすために、宇宙に各種機器を送り出したり、さらには人間自身が宇宙に出て行くための活動全般をいう。

 《歴史》

 人類が宇宙空間へ進出する宇宙開発の構想としては、19世紀にはSF作家のジュール・ヴェルヌの小説に描かれた砲弾宇宙旅行などがあるが、実現化を目指した研究として、1903年にはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーが、液体燃料型多段式ロケットや人工衛星、惑星への殖民など宇宙開発の基礎技術を提言した。アメリカでは1926年に、ロバート・ゴダードによる液体燃料ロケット打ち上げが成功している。
 ドイツでは、1923年にヘルマン・オーベルトがロケット推進に関する実証的理論を提言し、1927年には財団法人としてVfR(宇宙旅行協会)が設立される。
 その後、世界恐慌などの影響で宇宙開発の研究は資金不足に陥る。
 宇宙旅行協会も1934年には散会するが、ドイツでは1929年に陸軍兵器局がロケット兵器の開発に着手し、協会にも所属していたヴェルナー・フォン・ブラウンやオーベルトらが中心となり、1942年には液体燃料を使ったロケット兵器の開発に成功。
 第二次世界大戦においてはV2ロケットなどが実戦でも使用された。
 大戦におけるドイツの敗色が濃厚になると、フォン・ブラウンらロケット技術者はアメリカへ投降し、原子爆弾の開発でアメリカに遅れをとっていたソ連も科学者やロケットの実物や資料などを接収し、ドイツで培われたロケット技術は戦勝国へ引き継がれた。

 第二次大戦後には、米ソ両国が冷戦状態になると、国家的プロジェクトとして弾道ミサイルや人工衛星など、軍事的利用が可能な技術の研究が競われる宇宙開発競争となる。
 人工衛星の実現による通信網の拡大は民間事業においても期待されており、アメリカは海軍主導のヴァンガード計画に基づき1955年7月に、ソ連は8月にそれぞれ人工衛星の打ち上げを宣言。
 アメリカが技術的問題に直面しているなか、ソ連は1957年10月に人工衛星スプートニク1号、11月には犬を乗せたスプートニク2号に成功し、アメリカに対して技術的優位を見せ付ける。
 アメリカは12月にヴァンガード1号の打ち上げを実行するが失敗し、ソ連の衛星打ち上げの成功はアメリカの安全保障を脅かすと懸念され、スプートニク・ショックが走った。
 アメリカではヴァンガード計画を改め、1958年にはNASAが設立され、1月にはジュノーI型の打ち上げに成功した。
 それから米ソは、世界初の成果を上げるために激しく争うことになる。

 ソ連は有人宇宙飛行や月・惑星への探査機着陸など、世界初の偉業をことごとく独占した。
 しかし、有人月面着陸ではアメリカのアポロ計画が先行した。アポロ計画は巨額の資金が必要であり、政治家などから多くの反対を受けたが、世論の強い支持を得て計画は推進された。
 1969年7月20日にはアポロ11号が世界初の有人月面着陸に成功し、宇宙開発競争は頂点を迎え、21世紀に向けて楽観的な未来予測がされた。

 関連項目 ー ロケット(Rocket) ー

 ロケット(英: rocket)

 自らの重さ(質量)の一部を後方に射出し、その反作用で進む力(推力)を得る装置(ロケットエンジン)、もしくはその推力を利用して移動する装置である。

 空気などの外部の物質を使用しない点でジェットエンジンなどとは区別される。
 狭義にはロケットエンジン自体をいう。広義にはロケットエンジンを推進力とし、人工衛星や宇宙探査機などのペイロードを搭載したローンチ・ヴィークル全体をロケットということも多い。
 日本では、地上から照射されたマイクロ波やレーザービームをリフレクターで反射し、空気の電離によるプラズマ発生時の爆発などを推進力とし、燃料を使わないローンチ・ヴィークルも「ロケット」と呼ばれる。
 推力を得るために射出する推進剤や、推進剤を動かすエネルギー源によって様々な方式がある。
 燃料の化学反応を用い、燃料自体を推進剤とする化学ロケット(化学燃料ロケット)が最もよく使われ、ロケットを話題にするときは、暗黙のうちに化学ロケットを前提にしていることが多い。

 また、ロケットの先端部に核弾頭や爆薬など軍用のペイロードを搭載して標的や目的地に着弾させる兵器は、日本では無誘導の場合は「ロケット弾」、誘導装置を持つものはミサイルとして区別される
 特に弾道飛行をして目的地に着弾させるミサイルは、弾道ミサイルとして区別している。
 なお、北朝鮮による人工衛星の打ち上げは、国際社会から事実上の弾道ミサイル発射実験と見なされており、国際連合安全保障理事会決議1718年と1874年と2087年でも禁止されているため、特に日本国内においては、人工衛星打ち上げであってもロケットではなくミサイルと報道されている。
 また他国ではミサイルとされるところを、ロケットやその類語で呼称する国もある(「ロシア戦略ロケット軍」「中国人民解放軍ロケット軍」を参照)。
 ロケットの語源は、イタリア語で「糸巻き」を意味する「rocchetto」に由来する。
 イタリアで打ち上げられたロケット花火の形状が、機織り紡錘に似ていたところから、こう呼ばれるようになった。

 関連項目 ー ケスラーシンドローム ー

 ケスラーシンドローム(Kessler Syndrome)

 スペースデブリの危険性を端的に説明するシミュレーションモデル。
 提唱者の一人であるアメリカ航空宇宙局(NASA)のドナルド・J・ケスラー にちなんでこう呼ばれるようになった。

 《概要》

 スペースデブリが互いに、あるいは人工衛星などに衝突すると、それにより新たなデブリが生じる。
 デブリの空間密度がある臨界値を超えると、衝突によって生成されたデブリが連鎖的に次の衝突を起こすことで、デブリが自己増殖するような状態が存在するかもしれない。
 ケスラーシンドロームはこの状態の生起を許す、スペースデブリの挙動を定式化したモデルのうちの幾つかが示すシミュレーション結果の一つ。

 ▼シミュレーション

 ・結果

 1980年代後半、国際宇宙ステーションの計画において、スペースデブリが大きな脅威になりうることが明らかになったため、この時期にデブリに関する研究は大きく前進した。
 この結果、多くのデブリ環境の予測シミュレーションが行われ、多くの研究者が高度1,000km近傍ですでにケスラーシンドロームが始まりつつあるという結果を得た。
 高度 1,000 km で始まる理由は、観測に適した太陽同期軌道の高度に対応しており、もともと人工衛星の密度が高く、また軌道寿命も数百年と長いためである。

 ▼パラメータ依存性

 ・初期デブリ分布

 初期デブリ分布は、短期間のシミュレーションでは、プログラムの違いよりも影響が大きい重要なパラメータであり、常に改良が行われ続けている。
 たとえば、1998年のイタリア学術会議のモデルでは、過去に発生した 140 の爆散、16 の原子炉衛星からの冷却用金属液体の漏洩、ロケットの残骸と、宇宙における活動によって発生したデブリを含んでいる。
 また、それぞれのデブリは発生した時期からシミュレーションが行い、最終的にカタログに登録されているデブリと統合して、6千5百万のデブリを生成している。
 初期デブリ分布が決まると、デブリの流量が決まり、デブリの衝突頻度が決定される。
 1999年の国連の報告書では、軌道物体同士の衝突頻度の計算例として以下のような数字を示している。
 値の範囲はプログラムによる違いを示しており、小さなデブリほど不確実性が大きい。

 ・軌道寿命

 軌道寿命とは、軌道物体が大気圏に落下突入して消滅するまでに要する時間である。
 軌道物体の高度が下がる主な要因は大気抵抗であるが、大気は太陽の活動によって約 11 年周期で膨張収縮するため、初期状態における太陽の状況によって軌道寿命は変動する。
 10 cm 四方の 300 g のデブリを考えた場合、典型的な軌道寿命は高度 600 km では数年程度、高度 800 km で数十年程度、高度 1,000 km で数百年程度になる。
 将来の大気密度を予測することは極めて困難であるが、デブリ環境のシミュレーションに及ぼす影響は小さい。

 ・平均衝突強度

 軌道物体同士が衝突した際、標的が粉砕される衝突を破局的衝突(catastrophic collision)と呼ぶ。
 破局的衝突でなくても、衛星を機能不全に至らせることは可能であるが、新たなデブリを大量に生成するのは破局的衝突の場合である。
 平均衝突強度とは破局的衝突に必要なエネルギーのことであり、NASA の一連の衝突実験により 1 g あたり 40 J という経験的な値を得ている。
 2000年、NASA のP.クリスコは平均衝突強度を 30 J/g から 60 J/g まで変化させて、将来のデブリの予測値がどの程度変化するか調べた。
 その結果、10 cm 以上のデブリの数は計算誤差の範囲内でしか変化しなかった。

 ・爆散頻度とロケット発射頻度

 計算には不確実なパラメータを含むが、長期的なシミュレーションにおいて重要でありながら不確かなのが爆散頻度とロケットの発射頻度である。
 特に爆散に関しては、2004年までに 173 回以上の軌道物体の爆散があり、ロケットや衛星の残骸と並んで主要なデブリ生成源となっている。
 意図的でない爆散は技術の進展によって減る可能性もあるが、原因のわかっている爆散のうち約 4 割が故意の爆破であるという事実が状況を複雑にする。
 通常は、軌道物体が爆散する確率も、ロケットの発射頻度も計算当時の状況が続くとするのが、もっともありうるシナリオとして提示される。
 1999年、イタリア学術会議のL.アンセルモと、A.ロッシ、C.パルディーニは、モデルがどれだけパラメータに左右されるか確かめるため、以下のような系の計算を行った。

 ★これまで通りの爆発とロケット射出が行われる。
 ★二度と爆発が起きない。
 ★二度と爆発が起きず、ロケットの本体を軌道に残さず、人工衛星は寿命がきたら全部回収する。

 を含む 5 つのシナリオを計算した結果、たとえ二度と爆発を起こさなくても、加速度的なデブリの増加は避けられない。
 新しい軌道物体を全部回収するようにしたときのみ、10 cm 以上のデブリを減らすことができるとなった。
 この計算は、不確かなパラメータを妥当な範囲で可能な限り変化させても、既にケスラーシンドロームに突入しているという状況は変わらないということを示した。

 ・軌道離脱

 多くの計算では、今後二度と爆発を起こさないとしても、今世紀中にケスラーシンドロームに突入する。
 そこで、新しく打ち上げられる衛星の寿命がきたら軌道離脱をさせ墓場軌道へ送るなり地球に突入して燃え尽きさせるなりし、新たなデブリが発生しないようにした場合の計算が行われている。
 2000年、NASA のP.クリスコは今後のミッションにおいて、適当な期間、たとえば 25 年以上軌道物体を残さないようにすれば、デブリの増加を大きく抑えられるという計算結果を得た。
 しかし一方で、2006年、NASA のJ.-C.リウとN.L.ジョンソンは、2004年12月にロケットの発射を一切止め、爆発も二度と起こらないとしても、2055年以降衝突による爆散で発生するデブリの総数が急速に増えてしまうという計算結果を得ている。
 つまり、2004年末で既に純粋なデブリの衝突のみによるケスラーシンドロームに突入していることになる。
 これは、今後のミッションでデブリを発生させないだけでなく、すでに存在するデブリを人為的に除去しなければ、ケスラーシンドロームは避けられないということを示している。

 ・静止軌道における議論

 低軌道においては、衝突によるデブリの急速な増加が始まりつつあることは、多くの研究者が同意している。
 一方で静止軌道(高度約 35,800 km)における状況の認識については、観測の困難さも手伝い、
 意見が分かれている。 1994年、NTT電気通信研究所の八坂哲雄は、ケスラーシンドロームによる急速なデブリの増加により、今後 200 年で静止軌道の 100 個の衛星が爆散するという計算結果を示し、墓場軌道への移動を徹底し、爆発の確率を 1/100 以下にする必要があると主張した。
 一方で、1995年のアメリカ国家科学技術会議の報告書では、静止軌道における平均的な軌道物体の密度は低軌道の 1/100 から 1/1000 であり、さらに平均的な相対速度が小さいことから、短期間においては低軌道に比べて衝突の危険性は低いという認識を示している。
 また、1997年、ダレン・マックナイトは観測手段の欠如、静止軌道特有の衛星軌道、ならびに低い衝突確率のために、静止軌道におけるデブリの密度を計算することは困難であると述べている。
 2002年、九州大学の花田俊也と八坂哲雄は静止軌道におけるデブリ環境のモデルを更新し、墓場軌道へ移動しない場合、今後 100 年間で 40 個の衛星が爆発し、衝突が 1 回程度起こると予測した。

 ▼スペースデプリ

 スペースデブリ
(古フランス語: débris, )
 (英語: space debris、orbital debrisとも)
 または宇宙ゴミ(うちゅうゴミ)
 (アメリカ英語: space junk)

 なんらかの意味がある活動を行うことなく地球の衛星軌道上〔低・中・高軌道〕を周回している人工物体のことである。
 宇宙開発に伴ってその数は年々増え続け、対策が必要となってきている。

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 『プラネタリウム』作詞 愛

 夕月夜 顔だす 消えてく 子供の声

 遠く遠く この空のどこかに 君はいるんだろう

 夏の終わりに2人で抜け出した この公園で見つけたあの星座 何だか 覚えてる?

 会えなくても 記憶たどって 同じ幸せを見たいんだ

 あの香りとともに 花火がぱっと開く

 行きたいよ 君のところへ 今すぐ かけだして 行きたいよ

 まっ暗で何も 見えない 怖くても大丈夫

 数えきれない星空が 今もずっと ここにあるんだよ

 泣かないよ 昔 君と見た きれいな空だったから

 あの道まで 響く 靴の音が耳に残る

 大きな 自分の影を 見つめて 想うのでしょう

 ちっとも 変わらないはずなのに せつない気持ちふくらんでく

 どんなに想ったって 君は もういない

 行きたいよ 君のそばに 小さくても小さくても

 1番に 君が好きだよ 強くいられる

 願いを 流れ星に そっと 唱えてみたけれど

 泣かないよ 届くだろう きれいな空に

 会えなくても 記憶をたどって 同じ幸せを見たいんだ

 あの香りとともに 花火がぱっと開く

 行きたいよ 君のところへ 小さな手をにぎりしめて

 泣きたいよ それはそれは きれいな空だった

 願いを 流れ星に 唱えてみたけれど

 泣きたいよ 届かない想いを この空に...

 〔情報元 : Uta-net〕

言の葉辞典 『星/★』②

2023-09-12 21:00:00 | 日記

 ■『星/★』②

 星(ほし、せい) star

 ・天文学での星については
  天体の中のひとつの物体。
 天体(てんたい)
(英語: object、astronomical object)とは、宇宙空間にある物体のことである。

 ・記号の星・星印については
「スター (記号)」
 スター (star) は、中が塗りつぶされた五芒星の記号である。
 星(ほし)・星印(ほしじるし)とも呼ぶが、これらは五芒星以外の星型多角形、または「○●(丸印)」「(アスタリスク)」「(押しボタン式電話機に使われる、スターマーク)」を意味することもある。
 中が白い(外枠だけを描いた)「☆」を白星または白スター、中が黒い/塗りつぶした「★」を黒星または黒スターと呼ぶ。
「惑星記号」


 ・図形としての星については

(五芒星)

〔六芒星)

(星型正多角形)

 ・星(国の略称)
  シンガポールを漢字一字で表す時の表記。
  「星加坡(Xīn jiā pō 」と、「新」以外にも「星」表記も使えることに由来。

 ▼その他

 ・星 (紋) 紋(家紋)の一つ。
  渡辺星(三つ星に一文字)
  月星紋、九曜紋、など。

 ・星 (姓名) 姓若しくは名の一つ。

 ・星 (囲碁) 囲碁用語の一つ。

 ・星 (タロット) タロットの大アルカナの一つ。

 ・星 (クルアーン) - クルアーンのスーラの一つ。

 ・大相撲の取組での勝敗を表す俗語。

 《惑星・準惑星》

 惑星は、恒星の周りを公転する天体のうち、中心で核融合を起こすほどには質量が大きくなく、自分で光を放たない天体である。
 ただし、太陽の周りを公転する天体については、重力平衡に達するのに十分な質量を持ち、かつ軌道上から他の天体を排除しているもののみが惑星である。

 準惑星は、太陽の周りを公転する天体のうち、重力平衡に達するのに十分な質量を持つが、軌道上から他の天体を排除していないものである。

 太陽系小天体は、太陽の周りを公転する天体のうち、重力平衡に達するのに十分な質量を持たないものである。

 《衛星》

 衛星は、惑星、準惑星、太陽系小天体の周りを公転する天体である。
 衛星の周りを公転する天体は孫衛星とも呼ばれる。

 ・月(地球)
 ・フォボス(火星)
 ・ダイモス(火星)
 ・ガリレオ衛星(木星)
 ・タイタン(土星)
 ・小惑星の衛星

 《恒星など》

 恒星はガスが自己重力によって球状にまとまり、中心の核融合反応によってエネルギーを放出している天体である。
 光度階級により、主系列星、準巨星、巨星、輝巨星、超巨星のように分類され、各階級は青いO型から赤いM型までOBAFGKMの順に分類される。

 ▼主系列星

 ・O型主系列星
 ・B型主系列星
 ・A型主系列星
 ・F型主系列星
 ・G型主系列星(太陽はこの分類に含まれる)
 ・K型主系列星
 ・赤色矮星

 ▼巨星

 ・赤色巨星
 ・青色巨星

 ▼超巨星

 ・赤色超巨星
 ・青色超巨星

 ▼ウォルフ

 ・ライエ星

 ・コンパクト星

 ▼白色矮星

 ・黒色矮星(白色矮星は黒色矮星という状態になると推測されている。)

 ▼中性子星

 ・パルサー
 ・マグネター

 ▼ブラックホール

 《星団》

 星団は恒星の集団である。

 ・散開星団
 ・球状星団

 《星雲》

 星雲は星間ガスが濃く集まり、我々から観測できる状態にある天体である。

 ▼散光星雲

 ・輝線星雲
 ・
 ・反射星雲

 ▼暗黒星雲

 ▼惑星状星雲

 ▼超新星残骸

 《銀河》

 銀河は数多く(典型的な銀河は数千億個)の恒星や星雲・惑星、星間ガスからなる天体である。

 ▼銀河団・超銀河団

 ・銀河団は数百から数千個の銀河が重力的に束縛された状態にある天体である。

 ・超銀河団は更に複数の銀河団同士が重力で引き合ってできている大規模な天体である。

 関連項目 ー 天文学 ー

 天文学(てんもんがく、英:astronomy, 独:Astronomie, Sternkunde, 蘭:astronomie (astronomia), sterrenkunde (sterrekunde), 仏:astronomie)

 天体や天文現象など、地球外で生起する自然現象の観測、法則の発見などを行う自然科学の一分野。

 《概説》

 現代の天文学は主に3つの分野に分類できる。位置天文学・天体力学・天体物理学である。
 天文学は自然科学としてもっとも早く古代から発達した学問である。
 先史時代の文化は、古代エジプトの記念碑やヌビアのピラミッドなどの天文遺産を残した。
 発生から間もない文明でも、バビロニアや古代ギリシア、古代中国や古代インドなど、そしてイランやマヤ文明などでも、夜空の入念な観測が行われた。
 現代の天文学 (astronomy) を、天体の位置と人間界の出来事には関連があるという主張を基盤とする信念体系である占星術 (astrology) と混同しないよう注意が必要である。
 これらは同じ起源から発達したが、現代では完全に異なるものである。
 なお、現代において、天文現象について天文学的に論ずるときは当然占星術はいっさい排除しなければならないが、学問的に17世紀ごろまでの天文学史を研究する時は、占星術と天文学の関係も研究しなければならない。
 もともと天文学という学問は、研究者が研究対象に直接触ったり取り扱ったりすることができず、また実験を行うことができないものと考えられていた。
 ところが近年は探査機が資料を持ち帰る時代になり、そのため太陽系の天体は純粋な天文学の対象から惑星物理学の領域に移りつつある。
 この例を除けば、天文学が基本的に用いる手段は電磁波を受信するリモートセンシングが中心となる。
 天文学の研究には2つの側面がある。宇宙には地球のどんな実験室でも実現が難しい超高温・超高密度の領域がさまざまなところにあり、このような極限状態でも地上の物理法則が適応できることを確認してその普遍性を検証する点がその第一である。
 これは惑星運動を物理法則で説明した試みが嚆矢に当たる。もうひとつは人類が宇宙の中でどのような位置づけにあるかを考えることであり、いわゆる宇宙観の形成と言える。大抵の場合、天文学の研究にはこの両者が含まれる。
 一方、「天文学は、宇宙を研究対象とする宇宙論(うちゅうろん、英:cosmology)とは深く関連するが、宇宙論のほうは思想哲学を起源とする異なる学問である」と述べる者もおり、立場の違いによってさまざまな見解が存在する。

 ▼位置天文学・天体力学・天体物理学

 位置天文学は天体の位置を、天体力学は天体の運動を研究する学問で、天文学の中でも古典分野とみなされている。
 「天文学」(astronomy) と「天体物理学」 (astrophysics) は同義語である。 
 厳密な辞書的に定義すると、天文学は「地球大気の外にあるモノやコト[訳語疑問点]についての物理・化学的性質に対する研究」であり、天体物理学は「天体や天文現象の振る舞い・物理的性質・動力学的過程」を取り扱う天文学の一分野である。
 たとえば、フランク・シューが1982年に著した入門書『The Physical Universe』の導入部には、天文学は対象の質的研究を指し、天体物理学が取り扱う対象は物理学的志向が高いという。
 しかし、現代のほとんどの天文学の研究は物理学的対象を取り扱う[訳語疑問点]ようになり、天文学は事実上天体物理学とみなされるようになった。
 歴史的には、天文学の学問領域は位置天文学や天測航法また観測天文学や暦法などと同じく多様なものだが、近年では天文学の専門家とはしばしば天体物理学者と同義と受け止められる。
 一方、観測天文学など一部の分野は、天体物理学というより旧来の天文学にあたる。
 天体に関わる研究を行うさまざまな分野では両方の単語が用いられ、その分野が歴史的に物理学の一部に相当するかによって決まることもある。
 なお、現代では多くの専門的な天文学者は、天文学でなく物理学の学位を取得している。

 《歴史》

 ▼古代

 古代になり、文字で記録や歴史が残される時代になっても、星の研究はもっぱら肉眼で行われた。しかし文明が発達するとともに、バビロニア・中国・エジプト・ギリシア・インド・中央アメリカなどで天文台が建設され、宇宙の根元についての考察が発展を始めた。
 ほとんどの初期天文学は、恒星や惑星の位置を記す、現在では位置天文学と呼ばれるものだった。
 これらの観測から、惑星の挙動に対する最初のアイデアが形成され、宇宙における太陽・月そして地球の根源が哲学的に探求された。「地球は宇宙の中心にあり、太陽・月・星々が周囲を廻っている」と考えられた。
 この考え方は、クラウディオス・プトレマイオスから名を取って「プトレマイック・システム (Ptolemaic System)」と呼ばれる。

 数学的または科学的な天文学は、初期段階における非常に重要な進展だった。これらはバビロニアの人々によってもたらされ、後に多くの文明へと展開していく天文学の潮流を創り上げたものだった。
 バビロニアの天文学(英語版)では、月食が一定の期間で再度起こることをサロス周期として発見した。

 バビロニアの後、古代ギリシアとヘレニズム世界において天文学はさらに進歩した。
 ギリシア天文学はその初期段階から、天球における天体の回転運動を物理的に説明することを目指した点を特徴とした。
 紀元前3世紀、アリスタルコスは地球の大きさと、月や太陽の大きさと距離を計算し、太陽中心説による太陽系モデルを提案した。
 紀元前2世紀にはヒッパルコスが歳差を発見し、月の大きさと距離を計算し、アストロラーベのような初期の天文学装置を発明した。
 ヒッパルコスはまた、1020個の星とギリシア神話の神々の名に由来する北半球の星座のほとんどについて、詳細なカタログを作成した。
 紀元前150〜80年ごろ制作のアンティキティラ島の機械は、特定の日における太陽や月および星々の場所を計算するよう設計された、初期のアナログ計算機である。
 ヨーロッパにおいて、これに匹敵する制作技術の再興は14世紀の機械式天文時計の登場を待たなければならなかった。

 ▼中世

 中世の時代、天文学は少なくとも13世紀になるまでヨーロッパでは停滞し、替わってイスラム世界などほかの地域で発展した。
 イスラムでは、9世紀初頭までに最初の天文台が建設され、これが寄与した。
 964年にはアブドゥル・ラフマーン・スーフィーによって局所銀河群最大の銀河であるアンドロメダ銀河が天の川の中から発見され、著作『星座の書』に記録された。
 1006年、非常に明るい等級で輝いた超新星SN 1006は、エジプトのアラビア人天文学者アリ・イブン・リドワンや、中国の天文学者らによって記録された。バッターニー、サービト・イブン・クッラ、アブドゥル・ラフマーン・スーフィー、アブー・マアシャル、アブー・ライハーン・ビールーニー、ザルカーリー、ビールジャンディーらイスラム世界の天文学者(ほとんどがペルシャやアラブ人)や、マラーゲ天文台、ウルグ・ベク天文台などは、科学の発展に大きく寄与した。彼らが用いた星の名は、多くが現在に引き継がれている。
 これらの他にも、グレート・ジンバブエ遺跡やトンブクトゥに天体観察をする建物があったという推察もある。
 以前、ヨーロッパ人は植民地化される前のブラックアフリカでは天文観察は行われなかったと考えていたが、近年の発見はこの思い込みを覆しつつある。

 〔ウィキペディアより引用〕



 

 

 

言の葉辞典 『星/★』①

2023-09-12 21:00:00 | 日記

 ■『星/★』①

 《意味》

 夜空に点々と小さく光って見える天体。

 《語源・由来》

 星の語源には、「ほそひ(細火)」や「ほし(火気)」、「ほしろ(火白・日白)」など諸説ある。
 この中では「ほいし(火石)」の意味とする説が妥当であろう。

 《星という言葉》

 普通、太陽、月のように円板状に見えず、点状に輝く天体を「星」という。
 したがって星ということばには、広くは恒星、惑星、衛星、彗星(すいせい)、流星などを含む場合もあるが、狭義には星座をつくる恒星をさす。
 英語のスターstarの場合は恒星のみをさす。
 惑星はプラネットplanet、衛星はサテライトsatelliteということばで区別する。
 広義の星に含まれるそれぞれの天体が天文学の対象であることはいうまでもないが、自然科学的な記述はそれぞれの項目に譲り、この項では、星の民俗、文化、信仰などについて展開する。

 《星と占い》

 古代の諸民族には死者の魂が天上に昇り、星になると信じていたものが多い。  
 強者が死ぬと明るい星に、弱者が死ぬと暗い星になると考えた民族もある。
 天体の運動が人間社会に大きな影響力を与えるということは、紀元前数千年にオリエントのバビロニア王国で信じられており、日月五星(太陽、月、水星、金星、火星、木星、土星)の動き、およびそれに従うさまざまな判断が、出土した粘土板の楔形(くさびがた)文書から明らかである。
 バビロニアではとくに金星が観測され、その配置から兵乱、地震、洪水、暴風などの災害を予言した。
 また天体の動きを詳細に調べるために、とくに太陽その他の天体の通り道である黄道(こうどう)帯の天域が観察され、1年12か月の太陽の位置に対応して黄道を12の星座に分割することが行われていた。
 そしてこれが誕生時の天象から人の運命を占断するホロスコープ天文学の淵源(えんげん)となった。

 バビロニアの星の知識はギリシアに移植され、ギリシア神話に登場するさまざまな人物、動物、器物の名を冠した星座が48個も制定された。
 黄道十二宮も、おひつじ、おうし、ふたご、かに、しし、おとめ、てんびん、さそり、いて、やぎ、みずがめ、うお、と今日の形に確定された。
 誕生日に太陽がどの星座に位置しているかによって人の一生の運命が決まるが、さらに複雑、詳細な判断をするために、月、5惑星と12の星座との親疎関係を定め、また誕生時刻に東の地平線に昇ってくる星座を重要視するなどした。

 中国では、月の運動を重要視し、周期27日余りの動きに対応して全天を28の不等な部分に分割し、二十八宿(にじゅうはっしゅく)とよんだ。
 昴(ぼう)宿(プレヤデス)、畢(ひっ)宿(ヒヤデス)、参宿(オリオン座三つ星)、柳(りゅう)宿(うみへび座δ(デルタ))、心宿(さそり座アンタレス)などがこれである。
 二十八宿に付属して、全天1166星が宮廷内の制度に対応した名前でよばれる。
 天皇大帝のいる帝座、王宮である北極紫微垣(しびえん)、十二諸侯の府である太微垣(たいびえん)、行政立法府である天市垣(てんしえん)がある。細目では、天厩(てんきゅう)(うまや)、天溷(てんこん)・天廁(てんそく)(いずれも便所)、外屏(がいへい)(外の塀)、天屎(てんし)・外厨(がいちゅう)(台所)、玉井(ぎょくせい)(井戸)、酒旗(しゅき)(宴会場)などまで用意されている。
 これは地上界と同じ行政機構が天上界にも存在し、地上に起こることはまず天象によって示されると信じたことによる。
 そのため、日食・月食や客星(見慣れない星の出現)、彗星や大流星、赤気(オーロラ)などの天変は天帝の戒めとしてもれなく記録した。
 日食・月食の推測計算を専門に行うことは天文博士(はかせ)の重要な仕事であった。
 これは西洋のホロスコープ占星術に対し、東洋の天変占星術ということができる。

 以上のような天文学に関する中国の知識はそのまま日本に取り入れられた。
 そのため日本の多くの歴史書には天変現象の記録(とくに日食、月食、惑星の合(ごう))が多い。

 《星の名前》

 ヨーロッパではギリシア神話などに由来する名前が星につけられている。
 また中国でも前述のような占星術も関係して星に名前がつけられている。
 これに対し、日本には古来星の和名がない、と信じられていた。
 これは日本は農業国であり、農民は激しい昼間の仕事の疲れのため、夜はあまり星を見なかった、という説による。
 この説に反発した学者の新村出(しんむらいずる)の論説に感じた野尻抱影(のじりほうえい)は、その九十有余歳の生涯をかけて700種の星の和名を採集した。
 日本古来の星を表す神の名としては、天津赤星(あまつあかぼし)と天津甕星(みかぼし)があり、二つともに金星を示す。

 平安時代の中期、源順(みなもとのしたごう)が著した『倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)』のなかには「日、陽烏(やたがらす)、月、弦(ゆみはり)月、満月、暈(かさ)、星、明星(あかほし)、長庚(ゆうつづ)、牽牛(ひこぼし)、織女(たなばたつめ)、流星(よばいぼし)、彗星(ははきぼし)、昴星(すばるぼし)、天河(あまのかわ)」の15項目がある。
 陽烏は太陽、明星は木星、長庚は金星である。清少納言(せいしょうなごん)の『枕草子(まくらのそうし)』には「星はすばる、ひこぼし、夕づつ。
 よばい星少しおかし、尾だになからましかば、まいて」とある。
 すばる(おうし座のプレヤデス)はよく目につく星である。
 とくに農事に関係して、「すばるまんどき粉八合」のたとえがある。
 「まんどき」は午(うま)の刻、
 すなわち南中のことで、明け方にすばるが天頂高くあるときにソバの種を播(ま)くとよくとれることを教えている。
 すばるはその形から、六連星(むつらぼし)、羽子板星、一升(いっしょう)星、苞(つと)星などの名がある。
 これに対し、おうし座のヒヤデスはその形から、釣鐘(つりがね)星、あるいはすばるに続いて出てくるところから、後(あと)星の名がある。

 北斗七星(ほくとしちせい)もよく目につく星列である。
 位置が北に寄っているため見える時間が長く、仏教の密教では、北斗、北辰(ほくしん)を祀(まつ)る行事が盛んであった。『倭名類聚抄』には北斗の名は出てこないが、『和漢朗詠(ろうえい)集』には「北斗星前横旅雁」(劉元叔)の詩句が出てくる。
 北斗、七桝(ななます)星、七つの星は平安時代の和歌に現れる。
 四三(しそう)の星は、北斗七星をさいころの四の目と三の目とを並べた形に見立てたもので、双六(すごろく)遊びのさいころの目の特殊なよび方である三一(さんいち)、三六(さぶろく)、四一(しっち)、四三(しそう)、五一(ぐいち)、五四(ぐし)のなかからとった名であり、江戸時代の『物類称呼』や『和漢三才図会』にもこの名が出てくる。七曜の星と書いて、ヒチヨウノホシ、ナナヨノホシとよぶ地方もある。
 またその形から柄杓(ひしゃく)星、鍵(かぎ)星、瀬戸内地方では舵(かじ)星ともよぶ。

 北斗の柄(え)の先の星は破軍(はぐん)星とよばれ、中世の武人に好まれた。今日では芝居の舞台で、武人が手にする軍扇の模様にみられる。
 この星は剣先(けんさき)星ともよばれる。
 日周運動により一昼夜の間に十二支の各方位を一周するが、陰陽道(おんみょうどう)では、この剣先に金神(こんじん)が宿るとし、この剣先が示す方向に向かって戦えばかならず敗れ、公事(くじ)(裁判)、勝負事には不利であるという。北斗の柄の先から2番目の星は、中国では開陽とよばれているが、そのすぐそばに小さな星があり、これは輔(ほ)、あるいは輔(そえ)星とよばれる。

 七夕(たなばた)の牽牛(けんぎゅう)、織女は乞巧奠(きっこうでん)(陰暦7月7日の行事)に飾り祀られ、織女星は織女、七夕とよばれ、牽牛星は彦(ひこ)星、犬飼(いぬかい)星の名がある。
 『倭名類聚抄』にも以奴加比保之(いぬかいほし)と訓じている。

 北極星は、北辰、妙見(みょうけん)とよばれた。陰陽道で北極星を尊王(そんのう)に見立て、妙見菩薩(ぼさつ)としたためである。
 平安時代に北辰に法燈(ほうとう)を捧(ささ)げ、真言(しんごん)宗では七曜(北斗)の星祭(ほしまつり)が行われ、北辰・北斗は同時に祀られるようになり、以後、北辰と北斗とが混同されることが多い。
 北極星は一つ星、子(ね)の星の名もある。これは子(ね)の方角、つまり真北に見えるからである。

 北極星のそばにあるこぐま座の二つの星を遣(や)らい星、番(ばん)の星とよぶ。これは北斗七星が日周運動で北極星の周りを回って、北極星をねらっているのを、北斗七星と北極星の中間に位置する二星が、追い払う、番をしているという意味である。

 W字形のカシオペヤ座は錨(いかり)星、山形(やまがた)星、五曜の星などの名がある。オリオン座のδ(デルタ)、ε(イプシロン)、ζ(ゼータ)星は日本各地で三つ星とよばれているほか、三光(さんこう)、三丁の星、三星様(さんじょうさま)、三大星(さんだいしょう)、かせ星、稲架の間(はざのま)といった名もある。
 オリオン座のα(アルファ)星(ベテルギウス)、β(ベータ)星(リゲル)は赤、白の対比の美しい輝星であり、平家星、源氏星の名がある。またオリオン全体を鼓に見立てて、鼓(つづみ)星の名もある。

 ふたご座のα、β星は二つ星、門杭(かどぐい)、または蟹の目(かにのめ)、猫(ねこ)の目とよばれる。
 おおいぬ座α星(シリウス)は全天で第一の輝星で青星(あおぼし)、大星(おおぼし)の名がある。
 りゅうこつ座α星(カノープス)は日本では地平線すれすれにしか出ないため、珍しい星とされた。中国では南極老人星とよばれ、「老人星現れば治安く、見えざる時は兵起こる」といわれた。
 日本では醍醐(だいご)天皇の昌泰(しょうたい)4年(901)、その前年に老人星が見えたことから年号を延喜(えんぎ)と改めた例がある。
 この星は漁師の間では布良(めら)星、和尚(おしょう)星の名でよばれるが、海で遭難した人の霊であるという。
 兵庫県ではこの星の見える方角から、鳴門(なると)星、淡路(あわじ)星の名がある。
 また南の空に出るとすぐに沈んでしまう横着な星ということから横着星の名もあり、岡山県では讃岐(さぬき)の横着星、香川県では土佐の横着星と、星が見える方向の地名をつけてよぶ。
 惑星の名前では金星に関する和名が多い。
 明星(あかぼし)、夕星(ゆうつづ)が広く使われているが、一番星、宵(よい)の明神(みょうじん)、彼(か)は誰(た)れ星(ぼし)、また出入りが早いところから飛び上がり星、盗人(ぬしと)星などもある。
 明け方早く出ることから飯炊(めした)き星、炊夫(かしき)泣かせという名もある。
 流星は流れ星、奔(はし)り星、飛び星、抜け星、星の嫁入りなどがあるが、古くは婚(よば)い星(与八比保之(よばいほし))が普及している。
 以上のように星の和名は、農耕漁労の実生活に密着して、庶民の生活に根ざした名前が多く使われており、民俗学的に興味深い。
 しかし、古来の日本人は太陽や月ほどに星を意識していなかったのではないかと思われる。
 中国から渡来した星名以外には、日本国内に全般的に流布した星名が少なく、ローカル性の強いことが特徴である。
 したがって星に関する神話的説話も少なく、宗教的信仰は、真言密教の星祭を除いてはあまりみられない。

 《星に関する伝承と俗信》

 人類は古来、晴夜には天空に星を仰ぎ見てきた。それは、人間を取り巻く諸々の自然現象のなかでもとりわけ神秘に富んだものであり、人々の想像力をかき立てずにはおかなかった。
 今日一般に用いられている星座名の多くはギリシア神話によるものであり、それはさかのぼって古代オリエントの星辰崇拝(せいしんすうはい)につながっている。
 これほど体系的で、しかも多数の星についての神話をもつ文化は世界的にも少ないが、とくに顕著な星・星座については多くの民族が独自に名称をつけ、さまざまな伝承を発達させてきた。
 星座については、主としてその形状から神や動物や器物などに見立てるが、その見立て方は多様である。たとえば北天のとくに顕著な「北斗(ほくと)七星」(おおぐま座)を見ても、ギリシア神話では、カリストという名のニンフがゼウスの子を身ごもって月と狩りの女神の怒りに触れ、大熊(おおぐま)の姿に変えられたのだとしており、また北米先住民の一部にもこれを熊の姿に見立てるところがある。
 中国では「北斗」すなわち北天にかかる柄杓(ひしゃく)の形に見立て、日本の農村でもひしゃくぼし、しゃくしぼしなどという所が多い。また北欧やバビロニアではこれを神や王の乗った車に見立て、アラビアでは柩(ひつぎ)に見立てている。
 北斗七星は北半球の中緯度以北の地域では、1年を通して地平下に没することがないため、天につながれた大熊(ギリシア)、盗賊(キルギス)、親の仇(あだ)をねらって巡り歩いている娘たち(イラン)などに見立てられることも多い。中国では「北斗」は、いて座の「南斗」と対(つい)をなし、人間の死を扱う天の役人とされた。
 南天の顕著な星座の一つに「さそり座」があるが、この名称もさまざまで、ギリシア人がオリエント起源の伝承を受け入れてこれをサソリとしたのに対し、中国人はこれを天の青竜と見なし、日本では尾部を釣り針、頭部の三角形を駕籠(かご)かつぎや天秤(てんびん)に見立てている。
 ポリネシアの広い地域では尾部のS字形を「マウイの釣り針」とよんでやはり釣り針に見立てているし、タヒチでは頭部をカブトムシとしている。
 星に関する伝説としてとくに有名なものに七夕(たなばた)伝説があり、中国を中心に広く分布している。
 これはいうまでもなく織女(しょくじょ)星(ベガ)と牽牛(けんぎゅう)星(アルタイル)にちなむ伝説だが、日本へは奈良時代前後に入った。
 星は方角の手掛りとしても重要であり、ことに大海原や大平原を旅する航海民族や遊牧民族の間ではそうであった。たとえば航海術に長(た)け、小船での大航海移民を成し遂げたポリネシア人たちは、星についての多くの知識をもっていたことで知られる。
 ハワイ―タヒチ間は3000キロメートル以上もあるが、この間を彼らは北極星(ホク・パアア)を頼りとし、ヒョウタンでつくった観測器でその高さを測りながら正確に航海した。
 日本の漁民や船乗りにとっても、北極星はその航海の目安とされ、ねのほし、あてぼし、ひとつぼしなどとよばれた。
 北極星は天の北極付近にあって一晩中ほとんどその位置を変えないから、方角の目安とされているが、天文知識の発達したエジプトでは、ピラミッドをつくる際に、内室と北極星とを結ぶ線上にトンネルを掘り、これを中心線としているものがあるという。
 星は季節を知らせるものとして、農耕とも関係が深い。日本ではとくにすばる(プレヤデス星団)が播種(はしゅ)の時期を知らせる星と考えられている地域が多い。
 ボルネオ島のある部族では、農作業によって1年を8期に分けているが、焼畑の伐採、火入れ、播種などの時期を知らせるのは、やはりすばるの高さであるという。
 また、古代エジプトでは、シリウスの昇る時刻によってナイル川の増水を予知した。
 ナイル川の増水は氾濫(はんらん)を引き起こしたが、沃土(よくど)をももたらし、シリウスは農耕の女神、イシスの化身とも信ぜられていた。
 あるいは、北海道のアイヌたちは織女星を「客人姿の星」とよび、その出現で春の訪れを知り、すばるを「アルワン・ノチウ」とよんで、それが東方に昇るのを見てサケの漁期を知った。
 さらに星は吉凶の前兆ともされた。とくに古代バビロニアでは、星の位置、運行から人間の運命を予知しようとする占星術が発達し、それはヘレニズム期にギリシアへ入るとともに、インドや中国にも伝播して梵暦(ぼんれき)や易経のなかに体系化されたという。
 もち中国ではさそり座のアンタレスがその赤色の光ゆえに不吉な星とされ、国に大乱の訪れる前兆として恐れられた。
 また、ヨーロッパではシリウスがその強烈な光ゆえに干魃(かんばつ)、熱病をもたらすものとして忌まれた。
 日本では、南天に低くかかるアルゴ座(りゅうこつ座)のカノープスは、めらぼし、だいなんぼしなどとよばれ、漁民から大時化(しけ)の前兆とされた。
 また日本では、この星やシリウスを怨霊(おんりょう)の星とみなす伝承も少なくない。一方、中国ではカノープスを南極老人星と称し、これが見える年は天下太平であるとした。
 日本ではこのほか、農耕との関連で、さそり座のアンタレスなどをてんびんぼしとよび、これが高く昇る年は豊作であるとした。
 このように、世界各地の星に関する伝承は無数にあるが、一般的にいうと、採集狩猟民のような単純な文化をもつ人々においては、星についてあまり体系的な神話や知識は知られていない。天体や星座の名称も、ごく顕著なもののみに限られる傾向がある。
 これに対し、星についての信仰や知識が体系的な発達を遂げたのは、主として高文明地域においてである。
 古代バビロニアの星辰崇拝と占星術はまさにその例であり、その影響を受けたギリシアでも星に関する大掛りな神話が生まれた。
 エジプトでは太陽暦がつくりだされ、さらにそれはシリウスの観察によって精緻(せいち)な暦法に発展した。
 新大陸でも、マヤやインカでは高度な天文知識、暦法、占星術が行われた。日本へも中国経由で体系化された神話や知識が入ったが、日本の星に関する伝承は、農漁民の生活感に基づく素朴なものが多い。

 《神話と信仰》

 太陽と月以外の天体である星の信仰は、古代世界ではとくにギリシア、ローマやバビロニア、インド、中国、メキシコのマヤなどがよく知られているが、各地の先住民族でも多少は行われており、サン人(かつての俗称「ブッシュマン」)やエスキモーおよびイヌイットなどでは、星は死んだ人間の霊がなったものと信じられている。
 またアメリカ先住民やポリネシア人などでは、天の川、北斗七星、宵の明星(よいのみょうじょう)、明の明星(あけのみょうじょう)など、目だつ星だけが神話や俗信の対象となった。
 太陽の通路としての黄道(こうどう)を中心にいくつかの束をなしている恒星の群を星座といい、中国では宿(しゅく)とよぶが、ギリシア神話のおおぐま座・こぐま座などの話で知られるように、これをいろいろな神や英雄、動物などの姿に結び付けて神話や俗信を語ったりする風習は、もともとはバビロニアの占星術が源泉となっている。
 占星術は、恒星とは動き方の違う5惑星(火、水、木、金、土星)や彗星(すいせい)、日月などの色や動き、またそれらと恒星の座との関係が帝王や個人の運命、さらには国家や社会の運勢にまで影響するという観想から生まれた卜占(ぼくせん)法であり、この発達とともに天文観測の技術や天文台、そして後の天文学が生まれた。
 バビロニア、中国、朝鮮の新羅(しらぎ)、マヤなどでは、天文台とともに占星台も設けられていた。
 バビロニアの12の星座(十二宮)や中国の二十八宿の星は、占星術と結び付いて尊崇されていた。
 日本では、星辰信仰は奈良時代以前から陰陽道、宿曜道(すくようどう)などを通じて盛んとなり、とくに北斗七星は寿命をつかさどる神として、北辰とか妙見とかよばれて尊崇されている。
 朝鮮でも北斗は古くから寿命の神とされ、七星堂、七星岩などの聖壇で安産祈願などに信仰されている。

〔情報元 : コトバンク