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言の葉辞典 『星/★』③

2023-09-12 21:00:00 | 日記

 ■『星/★』③

 ▼中世末期からルネッサンス期へ、科学革命 (惑星運行の理論に関しては)

 ヨーロッパ中世では、地球を中心にして太陽や他の惑星が回っているとする説(地球中心説、geocentric model)が信じられていて、惑星の逆行に関しては周転円で説明していた。
 ルネサンス期、ニコラウス・コペルニクスは、太陽を中心に惑星が回っているとする説(太陽中心説、heliocentricism)を提唱した。
 彼の説はガリレオ・ガリレイとヨハネス・ケプラーの支持を得た。(観測法に関しては)ガリレオは望遠鏡を使うことで天体観測に革新をもたらした。

 ヨハネス・ケプラーは1609年刊行のASTRONOMIA NOVA(邦訳名『新天文学』)において、従来の「惑星は完全な円の軌道で動く」という理論を超える「楕円の軌道で動く」という説を提唱した。
 そしてケプラーの法則も発表した。ただし、初めて太陽を中心とした惑星の各運動について、その詳細を説明することに挑んだが、その理論体系を構築するまでには至らなかった。
 それに成功したのはアイザック・ニュートンであり、天体力学と引力 gravitation の法則(万有引力の法則 law of universal gravitation)を導き出し、惑星運動に関する理論体系を構築してみせた。
 ニュートンはまたニュートン式望遠鏡(ニュートン方式の反射望遠鏡)も発明した。

 ▼18世紀から19世紀にかけて

 さらなる発見には、望遠鏡の大きさと性能の向上が寄与した。
 大規模な星の一覧はニコラ・ルイ・ド・ラカーユが作成した。ウィリアム・ハーシェルは星雲と星団の詳細な一覧をまとめ上げ、1781年には天王星新発見を成し遂げた。
 初めての星までの距離測定は、1839年にフリードリヒ・ヴィルヘルム・ベッセルが視差を用いてはくちょう座61番星までの距離を求めたことにさかのぼる。 
 18〜19世紀には、レオンハルト・オイラー、アレクシス・クレロー、ジャン・ル・ロン・ダランベールが三体問題に取り組み、月や惑星の動きに関する予測精度が増した。
 この仕事はジョゼフ=ルイ・ラグランジュとピエール=シモン・ラプラスによってより洗練され、月や惑星の摂動からこれらの質量を計算できるようになった。

 ▼19世紀

 分光器と写真など新技術の導入によって、天文学はさらなる大幅な進歩を遂げた。
 1814〜15年にヨゼフ・フォン・フラウンホーファーは、分光した太陽光線の中に約600の帯を発見し、1859年にはグスタフ・キルヒホフによってこれらから異なる元素が存在することを説明した。
 夜空の星々が太陽と同じ恒星であることも明らかになったが、それらの温度や質量、そして大きさは広い範囲に分布することも分かった。
 こうした分光学の発展は、のちに天体物理学へと発展する基礎となった。

 ▼20世紀

 地球が存在する天の川銀河が、ほかから切り離されたある星の集団ということが判明したのは1924年のことで、エドウィン・ハッブルによってであり、その外には無数の銀河が存在すること、そして1929年には同じくハッブルによって宇宙が膨張していることが次々と分かり、人類の宇宙に対する認識(≒宇宙観)がどんどん変革した。
 1958年にはヤン・オールトによって、天の川銀河が渦巻き状をしていることが判明した。
 1957年にはスプートニク1号が人類史上はじめて宇宙へと打ち上げられた人工衛星となり、これ以降人類は大気圏外の事象を直接観測する手段を手に入れた。こののちアメリカ合衆国とソヴィエト連邦によって宇宙開発競争が始まり、1960年代から1970年代にかけては両国の人工衛星が続々と打ち上げられ、宇宙空間の知見が急速に集積した。
 1959年にはソヴィエトがルナ1号によって月探査を初めて成功させ、ついでアメリカのマリナー計画やソヴィエトのベネラ計画、マルス計画などによって内太陽系の調査は徐々に進んでいった。外太陽系も、1973年にはパイオニア10号が木星を初探査、1979年にはパイオニア11号が土星を初探査した。
 1977年に打ち上げられたボイジャー2号は1986年に天王星、1989年に海王星を初探査し、この両惑星における貴重なデータをもたらした。
 1990年には初の地球大気圏外の望遠鏡としてハッブル宇宙望遠鏡が打ち上げられ、これにより地上での観測よりもはるかに詳細なデータの入手が可能になった。

 関連項目 ー 宇宙開発 ー

 宇宙開発(うちゅうかいはつ)
 (英語: space exploration)

 宇宙空間を人間の社会的な営みに役立てるため、あるいは人間の探求心を満たすために、宇宙に各種機器を送り出したり、さらには人間自身が宇宙に出て行くための活動全般をいう。

 《歴史》

 人類が宇宙空間へ進出する宇宙開発の構想としては、19世紀にはSF作家のジュール・ヴェルヌの小説に描かれた砲弾宇宙旅行などがあるが、実現化を目指した研究として、1903年にはロシアのコンスタンチン・ツィオルコフスキーが、液体燃料型多段式ロケットや人工衛星、惑星への殖民など宇宙開発の基礎技術を提言した。アメリカでは1926年に、ロバート・ゴダードによる液体燃料ロケット打ち上げが成功している。
 ドイツでは、1923年にヘルマン・オーベルトがロケット推進に関する実証的理論を提言し、1927年には財団法人としてVfR(宇宙旅行協会)が設立される。
 その後、世界恐慌などの影響で宇宙開発の研究は資金不足に陥る。
 宇宙旅行協会も1934年には散会するが、ドイツでは1929年に陸軍兵器局がロケット兵器の開発に着手し、協会にも所属していたヴェルナー・フォン・ブラウンやオーベルトらが中心となり、1942年には液体燃料を使ったロケット兵器の開発に成功。
 第二次世界大戦においてはV2ロケットなどが実戦でも使用された。
 大戦におけるドイツの敗色が濃厚になると、フォン・ブラウンらロケット技術者はアメリカへ投降し、原子爆弾の開発でアメリカに遅れをとっていたソ連も科学者やロケットの実物や資料などを接収し、ドイツで培われたロケット技術は戦勝国へ引き継がれた。

 第二次大戦後には、米ソ両国が冷戦状態になると、国家的プロジェクトとして弾道ミサイルや人工衛星など、軍事的利用が可能な技術の研究が競われる宇宙開発競争となる。
 人工衛星の実現による通信網の拡大は民間事業においても期待されており、アメリカは海軍主導のヴァンガード計画に基づき1955年7月に、ソ連は8月にそれぞれ人工衛星の打ち上げを宣言。
 アメリカが技術的問題に直面しているなか、ソ連は1957年10月に人工衛星スプートニク1号、11月には犬を乗せたスプートニク2号に成功し、アメリカに対して技術的優位を見せ付ける。
 アメリカは12月にヴァンガード1号の打ち上げを実行するが失敗し、ソ連の衛星打ち上げの成功はアメリカの安全保障を脅かすと懸念され、スプートニク・ショックが走った。
 アメリカではヴァンガード計画を改め、1958年にはNASAが設立され、1月にはジュノーI型の打ち上げに成功した。
 それから米ソは、世界初の成果を上げるために激しく争うことになる。

 ソ連は有人宇宙飛行や月・惑星への探査機着陸など、世界初の偉業をことごとく独占した。
 しかし、有人月面着陸ではアメリカのアポロ計画が先行した。アポロ計画は巨額の資金が必要であり、政治家などから多くの反対を受けたが、世論の強い支持を得て計画は推進された。
 1969年7月20日にはアポロ11号が世界初の有人月面着陸に成功し、宇宙開発競争は頂点を迎え、21世紀に向けて楽観的な未来予測がされた。

 関連項目 ー ロケット(Rocket) ー

 ロケット(英: rocket)

 自らの重さ(質量)の一部を後方に射出し、その反作用で進む力(推力)を得る装置(ロケットエンジン)、もしくはその推力を利用して移動する装置である。

 空気などの外部の物質を使用しない点でジェットエンジンなどとは区別される。
 狭義にはロケットエンジン自体をいう。広義にはロケットエンジンを推進力とし、人工衛星や宇宙探査機などのペイロードを搭載したローンチ・ヴィークル全体をロケットということも多い。
 日本では、地上から照射されたマイクロ波やレーザービームをリフレクターで反射し、空気の電離によるプラズマ発生時の爆発などを推進力とし、燃料を使わないローンチ・ヴィークルも「ロケット」と呼ばれる。
 推力を得るために射出する推進剤や、推進剤を動かすエネルギー源によって様々な方式がある。
 燃料の化学反応を用い、燃料自体を推進剤とする化学ロケット(化学燃料ロケット)が最もよく使われ、ロケットを話題にするときは、暗黙のうちに化学ロケットを前提にしていることが多い。

 また、ロケットの先端部に核弾頭や爆薬など軍用のペイロードを搭載して標的や目的地に着弾させる兵器は、日本では無誘導の場合は「ロケット弾」、誘導装置を持つものはミサイルとして区別される
 特に弾道飛行をして目的地に着弾させるミサイルは、弾道ミサイルとして区別している。
 なお、北朝鮮による人工衛星の打ち上げは、国際社会から事実上の弾道ミサイル発射実験と見なされており、国際連合安全保障理事会決議1718年と1874年と2087年でも禁止されているため、特に日本国内においては、人工衛星打ち上げであってもロケットではなくミサイルと報道されている。
 また他国ではミサイルとされるところを、ロケットやその類語で呼称する国もある(「ロシア戦略ロケット軍」「中国人民解放軍ロケット軍」を参照)。
 ロケットの語源は、イタリア語で「糸巻き」を意味する「rocchetto」に由来する。
 イタリアで打ち上げられたロケット花火の形状が、機織り紡錘に似ていたところから、こう呼ばれるようになった。

 関連項目 ー ケスラーシンドローム ー

 ケスラーシンドローム(Kessler Syndrome)

 スペースデブリの危険性を端的に説明するシミュレーションモデル。
 提唱者の一人であるアメリカ航空宇宙局(NASA)のドナルド・J・ケスラー にちなんでこう呼ばれるようになった。

 《概要》

 スペースデブリが互いに、あるいは人工衛星などに衝突すると、それにより新たなデブリが生じる。
 デブリの空間密度がある臨界値を超えると、衝突によって生成されたデブリが連鎖的に次の衝突を起こすことで、デブリが自己増殖するような状態が存在するかもしれない。
 ケスラーシンドロームはこの状態の生起を許す、スペースデブリの挙動を定式化したモデルのうちの幾つかが示すシミュレーション結果の一つ。

 ▼シミュレーション

 ・結果

 1980年代後半、国際宇宙ステーションの計画において、スペースデブリが大きな脅威になりうることが明らかになったため、この時期にデブリに関する研究は大きく前進した。
 この結果、多くのデブリ環境の予測シミュレーションが行われ、多くの研究者が高度1,000km近傍ですでにケスラーシンドロームが始まりつつあるという結果を得た。
 高度 1,000 km で始まる理由は、観測に適した太陽同期軌道の高度に対応しており、もともと人工衛星の密度が高く、また軌道寿命も数百年と長いためである。

 ▼パラメータ依存性

 ・初期デブリ分布

 初期デブリ分布は、短期間のシミュレーションでは、プログラムの違いよりも影響が大きい重要なパラメータであり、常に改良が行われ続けている。
 たとえば、1998年のイタリア学術会議のモデルでは、過去に発生した 140 の爆散、16 の原子炉衛星からの冷却用金属液体の漏洩、ロケットの残骸と、宇宙における活動によって発生したデブリを含んでいる。
 また、それぞれのデブリは発生した時期からシミュレーションが行い、最終的にカタログに登録されているデブリと統合して、6千5百万のデブリを生成している。
 初期デブリ分布が決まると、デブリの流量が決まり、デブリの衝突頻度が決定される。
 1999年の国連の報告書では、軌道物体同士の衝突頻度の計算例として以下のような数字を示している。
 値の範囲はプログラムによる違いを示しており、小さなデブリほど不確実性が大きい。

 ・軌道寿命

 軌道寿命とは、軌道物体が大気圏に落下突入して消滅するまでに要する時間である。
 軌道物体の高度が下がる主な要因は大気抵抗であるが、大気は太陽の活動によって約 11 年周期で膨張収縮するため、初期状態における太陽の状況によって軌道寿命は変動する。
 10 cm 四方の 300 g のデブリを考えた場合、典型的な軌道寿命は高度 600 km では数年程度、高度 800 km で数十年程度、高度 1,000 km で数百年程度になる。
 将来の大気密度を予測することは極めて困難であるが、デブリ環境のシミュレーションに及ぼす影響は小さい。

 ・平均衝突強度

 軌道物体同士が衝突した際、標的が粉砕される衝突を破局的衝突(catastrophic collision)と呼ぶ。
 破局的衝突でなくても、衛星を機能不全に至らせることは可能であるが、新たなデブリを大量に生成するのは破局的衝突の場合である。
 平均衝突強度とは破局的衝突に必要なエネルギーのことであり、NASA の一連の衝突実験により 1 g あたり 40 J という経験的な値を得ている。
 2000年、NASA のP.クリスコは平均衝突強度を 30 J/g から 60 J/g まで変化させて、将来のデブリの予測値がどの程度変化するか調べた。
 その結果、10 cm 以上のデブリの数は計算誤差の範囲内でしか変化しなかった。

 ・爆散頻度とロケット発射頻度

 計算には不確実なパラメータを含むが、長期的なシミュレーションにおいて重要でありながら不確かなのが爆散頻度とロケットの発射頻度である。
 特に爆散に関しては、2004年までに 173 回以上の軌道物体の爆散があり、ロケットや衛星の残骸と並んで主要なデブリ生成源となっている。
 意図的でない爆散は技術の進展によって減る可能性もあるが、原因のわかっている爆散のうち約 4 割が故意の爆破であるという事実が状況を複雑にする。
 通常は、軌道物体が爆散する確率も、ロケットの発射頻度も計算当時の状況が続くとするのが、もっともありうるシナリオとして提示される。
 1999年、イタリア学術会議のL.アンセルモと、A.ロッシ、C.パルディーニは、モデルがどれだけパラメータに左右されるか確かめるため、以下のような系の計算を行った。

 ★これまで通りの爆発とロケット射出が行われる。
 ★二度と爆発が起きない。
 ★二度と爆発が起きず、ロケットの本体を軌道に残さず、人工衛星は寿命がきたら全部回収する。

 を含む 5 つのシナリオを計算した結果、たとえ二度と爆発を起こさなくても、加速度的なデブリの増加は避けられない。
 新しい軌道物体を全部回収するようにしたときのみ、10 cm 以上のデブリを減らすことができるとなった。
 この計算は、不確かなパラメータを妥当な範囲で可能な限り変化させても、既にケスラーシンドロームに突入しているという状況は変わらないということを示した。

 ・軌道離脱

 多くの計算では、今後二度と爆発を起こさないとしても、今世紀中にケスラーシンドロームに突入する。
 そこで、新しく打ち上げられる衛星の寿命がきたら軌道離脱をさせ墓場軌道へ送るなり地球に突入して燃え尽きさせるなりし、新たなデブリが発生しないようにした場合の計算が行われている。
 2000年、NASA のP.クリスコは今後のミッションにおいて、適当な期間、たとえば 25 年以上軌道物体を残さないようにすれば、デブリの増加を大きく抑えられるという計算結果を得た。
 しかし一方で、2006年、NASA のJ.-C.リウとN.L.ジョンソンは、2004年12月にロケットの発射を一切止め、爆発も二度と起こらないとしても、2055年以降衝突による爆散で発生するデブリの総数が急速に増えてしまうという計算結果を得ている。
 つまり、2004年末で既に純粋なデブリの衝突のみによるケスラーシンドロームに突入していることになる。
 これは、今後のミッションでデブリを発生させないだけでなく、すでに存在するデブリを人為的に除去しなければ、ケスラーシンドロームは避けられないということを示している。

 ・静止軌道における議論

 低軌道においては、衝突によるデブリの急速な増加が始まりつつあることは、多くの研究者が同意している。
 一方で静止軌道(高度約 35,800 km)における状況の認識については、観測の困難さも手伝い、
 意見が分かれている。 1994年、NTT電気通信研究所の八坂哲雄は、ケスラーシンドロームによる急速なデブリの増加により、今後 200 年で静止軌道の 100 個の衛星が爆散するという計算結果を示し、墓場軌道への移動を徹底し、爆発の確率を 1/100 以下にする必要があると主張した。
 一方で、1995年のアメリカ国家科学技術会議の報告書では、静止軌道における平均的な軌道物体の密度は低軌道の 1/100 から 1/1000 であり、さらに平均的な相対速度が小さいことから、短期間においては低軌道に比べて衝突の危険性は低いという認識を示している。
 また、1997年、ダレン・マックナイトは観測手段の欠如、静止軌道特有の衛星軌道、ならびに低い衝突確率のために、静止軌道におけるデブリの密度を計算することは困難であると述べている。
 2002年、九州大学の花田俊也と八坂哲雄は静止軌道におけるデブリ環境のモデルを更新し、墓場軌道へ移動しない場合、今後 100 年間で 40 個の衛星が爆発し、衝突が 1 回程度起こると予測した。

 ▼スペースデプリ

 スペースデブリ
(古フランス語: débris, )
 (英語: space debris、orbital debrisとも)
 または宇宙ゴミ(うちゅうゴミ)
 (アメリカ英語: space junk)

 なんらかの意味がある活動を行うことなく地球の衛星軌道上〔低・中・高軌道〕を周回している人工物体のことである。
 宇宙開発に伴ってその数は年々増え続け、対策が必要となってきている。

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 『プラネタリウム』作詞 愛

 夕月夜 顔だす 消えてく 子供の声

 遠く遠く この空のどこかに 君はいるんだろう

 夏の終わりに2人で抜け出した この公園で見つけたあの星座 何だか 覚えてる?

 会えなくても 記憶たどって 同じ幸せを見たいんだ

 あの香りとともに 花火がぱっと開く

 行きたいよ 君のところへ 今すぐ かけだして 行きたいよ

 まっ暗で何も 見えない 怖くても大丈夫

 数えきれない星空が 今もずっと ここにあるんだよ

 泣かないよ 昔 君と見た きれいな空だったから

 あの道まで 響く 靴の音が耳に残る

 大きな 自分の影を 見つめて 想うのでしょう

 ちっとも 変わらないはずなのに せつない気持ちふくらんでく

 どんなに想ったって 君は もういない

 行きたいよ 君のそばに 小さくても小さくても

 1番に 君が好きだよ 強くいられる

 願いを 流れ星に そっと 唱えてみたけれど

 泣かないよ 届くだろう きれいな空に

 会えなくても 記憶をたどって 同じ幸せを見たいんだ

 あの香りとともに 花火がぱっと開く

 行きたいよ 君のところへ 小さな手をにぎりしめて

 泣きたいよ それはそれは きれいな空だった

 願いを 流れ星に 唱えてみたけれど

 泣きたいよ 届かない想いを この空に...

 〔情報元 : Uta-net〕


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